S. H. さん(30代/新潟県よりご参加) くろっかすクラス
今回の一番の収穫は、私が「嫌う」ことと「やりたくないからやらない」という選択と「喜ぶ」という行為を禁止されてきたという事実に気付いたことです。
私に「嫌う権利」があるということを初めて知りました。
確かに「嫌い」が分からなければ「好き」が分からない。そして、「嫌う」を封じ込めることは私に嘘をつくということ。
だから私は今まで上手く行かなくて、これほどまでに共依存に巻き込まれたんだと。
何が元々の出来事か探ってみると、食べ物の好き嫌いはダメと教えられてきたことかなあと思いました。
出された食べ物は残さず食べること。
お腹空いてなくても、はち切れそうに満腹でも、美味しくなくても、決められた時間内に目の前の食べ物を全て胃袋に詰め込まなければならなかった。
そうしないと怒られたし馬鹿にされたし冷たくされた。仲間に入れてもらえなかった。
そしてそれが出来ると攻撃されなかった。
小さい頃からそうやって「嫌い」「やりたくない」を口に出せずにいたんだなあ、許されてなかったんだなあ。
本当に悲しいです。
私には「嫌う権利」があったのに。やりたくないことをしない選択もあったのに。
それが奪われてたんだね。一つ謎が解けました。
あと、身体のサインの意味が分かったことがとても大きいです。
今まで「痛み」は私をただ苦しめるだけのもので、とにかく治まるまでじっと我慢したり、薬でごまかす方法しか知りませんでした。
でも意味を知ったことにより、これからは根本的な対処ができると思いました。
そして私が本当は何を求めているのかを知り、本当の意味で心も体も癒すことができるのだと、私にとってとても大きな希望となりました。
最初に前屈をした時・・・背中固っ!!!! と改めてショックでした。
ずっとそれで生きてきたからそれが普通で、あんまり問題視してなかったなあ。
でも本当は柔らかい体が欲しいんだ、ということを思い出しました。
ミラーワークで、最初は自分の目を直視することすら出来ませんでした。
そして何度か練習してやっと自分の目をまっすぐ見ることが出来た時、一瞬にして視界がクリアになって、心底驚きました。
それまで左目がすごく曇っていたのに・・・。
ミラーワークすごい!!
ミラーワークを繰り返すと、外側の私が内側の私を抱きしめたいと思うようになりました。
内側の私の目は無表情でずっと無言で何も言ってこなかったけど、ちょっと優しい目になってきました。
チェアワークして血流がよくなり体がポカポカ。チークなしでも血色がいい。
帰りの新幹線の窓に映る自分の顔。いつもはクマとか気になって見るのが嫌だけど、その時はとても可愛くて美しくて愛おしいと感じました。
この人とずっと一緒にいたい。もっと仲良くなりたい。まるで自分に恋したようです。
外側の私が今まで内側の私にしてきたこと。なんて酷いんだと思いました。
そして内側の私、けなげすぎると。本当にごめんなさい、もうしませんと心から自分に謝りました。
本当によくここまで我慢して我慢して耐え続けてくれたんだなあと、頭が下がる思いです。
もうこの人を裏切りたくない。
復讐を考え続けるということは、憎い相手は無傷のまま自分の人生だけが無駄に浪費され傷が深くなっていくこと。それに気付いてハッとしました。
そんなの悔しすぎる! ますます相手の思うツボじゃないか!
これ以上大っ嫌いなアイツに自分の人生をめちゃくちゃにされてたまるか、許せない!!
私は「許す」ということを勘違いしていました。
許容することではなく、境界線から出てってもらうことなんですね。これを理解しただけでもラクになりました。
私はもう人を嫌ってもいい。もう嫌いな人と関わらなくていい。それを自分に許します。私の自然な感情を尊重します。
これで私は新しい選択ができる。勇気を持って、罪悪感なく、嫌いな人を私の境界線から追い出せる。だって嫌いなんだもん、しょうがないじゃない。
そのことは他の人には関係ない。私の正直な本音なんだから。それを私が大事にしなくてどうする!
守っていこう、内側の私を。
説教好き・理想を語る人と耳の痛い解決策を持っている人の話を聞いた時、私は「理想を語る」人だったなあと反省しました。
そうやって自分に高すぎる目標を課して責めていじめてきたんだなあって。
自分で自分を責任をもって守っていくしかないというお話は、身が引き締まると共に、私の決断は間違っていなかったと自信を深めました。
そうだ、私は自分を自分で守っていく選択をしたんだと。
結婚前に確認すべき3つのことも知らなかった。やらなかった。自分の好きも分からず、大事なことも確認しなかったんだからそりゃ失敗するわな。
やっぱり自分の「好き」と「嫌い」を大事にしなきゃ。
振り返ってみると、「身体のワークショップ」は一番私に必要でした。
もっと早く知りたかった! と思うことがいっぱい。
でもそれは、「境界線ワークショップ」で私が CP が高い(*「 CP 」は交流分析の用語/編集注)ということを知らなければ必要だと気付けなかったから、遅くはなったけど自分にちょうどいいタイミングだったんじゃないかな。
非常に実りの多いワークショップ・クラスでした。受けてよかったです。本当にありがとうございました。
私はやる気があるけれど、短距離走を繰り返してきたからついに倒れてしまった。
優月さんに長距離走のようにコツコツと、とアドバイスいただいたのは有り難かったです。
ミラーワークで内側の私の声を聞きながら、彼女(内側の私)に寄り添って生きていきたいと思います。
早速、無料の体験レッスンを利用して「らくらく健康体操」に行ってきました。
周りはおばあちゃんばかりで注目を浴びてしまったけど、ストレッチはとても気持ちよかったです。
天気も気温もちょうどよくて、穏やかで爽やかな気持ちになれました。
毎日家でチェアワーク・ミラーワークとともにやってみようと思います。
私の身体の力をもっと信じてみたいから。そこに私の可能性がいっぱい詰まっていると思うから。
頭でっかちを卒業しよう。
身体を柔らかくすること。それが私の当面の目標。ー20cmから始めます。
Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) くろっかすクラス
ワークショップ・クラスでは、身体のサインの謎が解け、とても興味深くおもしろかったです。私にとっては当たっていることが多く驚きました。
私は前日に「感情ワークショップ」に出ていて、そこで気づいた感情が、このワークショップ・クラスでさらに明確になり、怒りとしてあふれだしました。
まだ、両親に対して怒りの感情を隠し持っていたことに気づきました。
それは、20年前ぐらいに感じていた怒りそのもので、私はそれをまだ手放していなかった。
見ないようにフタをしていただけで、なかったことにして過ごしてきていただけだと思いました。
その思いを手放すワークでは、怒りを感じながらもまだ両親と離れたくないという気持ちが出てきて戸惑いました。
でも、生物学的に両親を嫌いにはなれない(* 嫌いになるのは難しい/編集注)ということを理解してからワークをすると、苦しい気持ちもあるけれどホッと安心できて、自分が守られているような安全な気持ちになりました。
やっと前を向いて歩いて行ける自由な気持ちになれました。繰り返し手放していくことが大事だなって感じました。
また、藤沢さんが例えとして「外側の私」が「内側の私」を罵倒しているのが、今の私が私にしていることそのもので、なんてかわいそうなことをいつもしていたんだろうを思いました。
そんなことをずっとしていたら苦しくもなるし、何より自分がかわいそうに思いました。
ミラーワークではじっくり自分の顔を見るのが恥ずかしかったのですが、自分に声をかけ続けていくことで、私の表情がどんどん明るく笑みが出てきて、とても不思議な気分で、でも心は安心したような嬉しい気持ちになりました。
この温かい感じを保っていけるようミラーワークを続けていこうと思います。
また、今回のチェアワークでは、今までにない新しい感覚を感じることが出来ました。
イスから前に倒れそうな感じを覚えて、さらに藤沢さんに背中を押してもらって、こんなにまだ深く前に倒れても落ちないんだと思いました。
そして、藤沢さんに背中の硬さを指摘され、自分でも自覚があったので、いつかはじめようと思っていたヨガを気軽な気持ちで習いに行きたいと思います。
藤沢さん、ONSA のスタッフの方々、今回もたくさんの気づきをありがとうございました。
ワークショップ・クラスのみなさん、ご一緒できた貴重な時間、ありがとうございました。
私もまた回復への道の一歩を踏み出そうと思いました。
本当にありがとうございました。
Y. I. さん(20代/神奈川県よりご参加) くろっかすクラス
こんにちは
優月さん、「身体のワークショップ」を受けた皆さん、どうもお疲れ様でした。
今回、「身体のワークショップ」は初めての受講でした。
「1番の体感型のワークショップ・クラスだよ」とオススメされていたので、楽しみにしていたのですが、ワークショップ・クラス前後は慣れない仕事が増えて急に忙しくなったり、プライベートでちょっとしたトラブルがあったり・・・。
寝不足が続いていて、体調もあまりよろしくないし、このままで大丈夫かな? と思いながら会場に向かいました。
少し早めに着いたので、駅の周辺をブラブラ歩いてみました。
ワークショップ・クラスで何回か来てるけど、体を動かしただけで気分が少し良くなってきたのは不思議でした。
ワークショップ・クラスも、これだけ私の心は身体とリンクしてるんだよ、ということを教えてくれるような内容でした。
プレワークの最中、「首から肩、腰、背中にかけて凝る、痛い」は十分自覚していたので、何かあるだろうな、とは思っていました。
しかし「目が悪い」「鼻が悪い」「喉が痛い」に至るまでが、何かしら育ってきた環境の影響を受けている可能性があるなんて・・・。
私はかなりきつい近眼で最近は乱視も入ってきています。
目が悪くなりだしたのは、小学校4、5年の時だったかな。
当時、見たくないものがあったから。
この時期に私は漫画や小説にハマりはじめ、それこそ寝る間も惜しんで没頭していた記憶があります。
本の読みすぎで目を悪くしたんだと思ってましたが、確かにそれもあるんだろうけど、家族が抱えている問題を見たくなくて必死に逃げていたのかもしれないな、と感じました。
他にも私が子供の頃、風邪が酷くなって入院したり、腕の骨にヒビが入ったり、扁桃腺を切る手術もしたことがあります。
ワークの最中、自分からは言えなかったのですが、結構大きな病気だったり、怪我をしていたことを思い出しました。
大きな怪我や病気は家族問題を一時的に止める・・・。
これは私の想像なのですが、病気になることで、もしかしたら両親の離婚を阻止していたかもしれない。
母が、父と離婚をしようと考えていた時期と重なるかもしれないと思いました。
両親は今も一緒にいますが、
私は両親の問題、家族の問題を体を張って表現していたの?
他にもショックだったのは、肩こりのこと。
私の仕事はデスクワークで、働き始めてから肩が凝りだしたと思っていました。
しかし優月さんに言われたのは「もしかしたらもっとずっと前から肩凝ってたんじゃない?」
傷口が膿んで服も着れないほどアトピーが酷かったり、幼少の頃はかなりのストレスがかかっていたと思われるので、もしかしたら肩こりも・・・ということだったのですが、正直、全く自覚無かったです。
そして小さい頃の病気とか家庭の環境を思い出すと「いや、まさかね~」と頭から否定もできない・・・。
17歳の時に甲状腺の病気になったこと。その当時、クラスで孤立し、学校がとても辛かった。おまけに、弟と険悪で、嫌われていると感じたことがとても辛かった。
病気になることでしか「助けて」って言えなかったということなの?
実家に暮らしていた時のことをたくさん思い出しました。
実は私は過去自分に起こったことを「これくらいは大したことない」って結構、軽く見積もってるかもしれない。
私に起こったことは、全然軽いことじゃなかったのかもしれない。
私に起こったことは、本当に大変なことだったんじゃないの??
それに気づくことができた時間になりました。過去をもう一度、振り返ってみなければと思っています。
後半のワークで、境界線の中にいる人に外へ出てもらう、という事をしました。
最初は母を想像してましたが、途中からプレワークでモヤモヤしたことが多かった会社の先輩にしました。
私はその人が嫌いで、そう考える自分を認める。
今、文書にするのもとても勇気がいるくらい。「こんなこと言っちゃっていいの?」と思いながらワークをしました。
でも、本当に私がそう言ったからと言って、その人が襲って来るわけではなかった。何も起こらなかった。
今、これを書いててドキドキしてるけど、誰も襲ってこない。
考えと行為はイコールではない、という事。
嫌うことを認めてもいい。そしてそれを安全に外に出す方法を知らなければ、逆にトラブルを呼ぶのだと思いました。
ワークの最中、想像した相手は、ねっとりとした視線をこっちに向けたまま中々離れてくれなかったけど、こう考えてもいいんだと思えて、私は随分気が楽になりました。
そして、1番大変だったのはミラーワークでした。
まず、目を見て、自分の名前を呼ぶ。
今までありがとう、今まで無視してきて本当にごめんね。と言う。
本当は心と体、手と手をとって一緒に歩くはずの自分。その自分を放ったらかしにして、他の外の事ばっかりに目を向けて。
そんな寸劇(?)を優月さんとやりました。
本当に耳が痛かったけど、やられた側は本当に痛かったと思う。
だから、ごめんねって、たくさん謝りました。
最初は上手くいかなくて何度もやったけど、最後の方でやっと、心から言うことができました。
鏡の中の私の顔も、最初は緊張して強張ってるみたいで、途中、ちょっと怒ってる?? と思えた瞬間もあったのですが。
最後は少し打ち解けたような表情をしてくれて、私はとても安心しました。
ありがとう、ごめんね、これからもよろしくね。
今度からできるだけ、鏡を覗こうと思いました。
あと、自分の名前を声に出して言うと、とても安心できたのも発見でした。
これからは何度も何度もチェアワークをしよう。
体を動かすこと。本音を言うこと。
これが本当に大事なんだと感じました。
ワークショップ・クラスの帰り道は自分を好きだな、と思いながら帰りました。
とても気分が良かったです。頑張って行って本当によかった。
最後に、一緒にワークを受けた方々といつもお世話になっている優月さん。
影で支えてくれているスタッフの方々にたくさん感謝を送りたいです。
本当にありがとうございました。
J. O. さん(40代以上/東京都よりご参加) くろっかすクラス
あれから1週間が経過しましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
1週間は眠気がひどく電車やバスなどで座れるとすぐさま眠気に襲われ、乗り過ごしたり、間違ったところで降りようとしたり、思い出すと笑ってしまうようなことが沢山ありました。
ぼ~っとして生活していた1週間でした。
身体と感情のつながりについて学び、私の病気の歴史を振り返ってみると・・・。
言われてみればその時々で該当するようなストレスがあったことを発見しました。
そして、知識を得て1週間、自分の痛みや違和感を意識することで自分がぐぐ~っと押し込めている感情に気がつけるきっかけになるのかもと実感しかけています。
大丈夫! 出来る! とか。
私にはこの量は多くない! 処理できる! と言い聞かせて仕事をしていていも、頭はボワンと血管が細くなってクラっとしたり、首から肩がぐぐ~っとなったりと、自分をないがしろにして何かをしても、身体が反応してくれるので、自分が何か違和感があるということが実感でき、自分の本当の気持ちに気がつくことが出来るかも。と。
私に頭痛はないと思い込んでいたのですが、この1週間意識して観察すると、しょっちゅう頭が痛かったり、違和感があることに気がつきました。
先入観から、それすらなかったことにしていたみたいです。
これから、訓練して自分の身体へのアンテナを強化します。そして、自分をいじめないように。無理させないように生活できたら私ももう一人の私も嬉しいはずです。
ミラーワークは自分の顔を見られずかなり苦痛でしたが、チェアワークをすることで自分の目が見られるようになったこと。穏やかな気持ちになれたことが実感として体験できました。
この1週間は、怖い人に会う前に、チェアワーク! ちょっと、気合を入れないといけないときにチェアワーク! とすることが出来ました。
トイレに立つのも人の目を気にしてしまうので、しょっちゅうと言うわけにはいきませんが回数を増やして自分の良い状態を身体に覚えてもらえるように経験値を増やします。
またきちんとした知識をつけることができました。ありがとうございます。
藤沢様・皆様これからもよろしくお願いいたします。
A. I. さん(30代/愛知県よりご参加) くろっかすクラス
「身体のワークショップ」に参加してきました。
できるようになったことを挙げてみたいと思います。
1)
私はだんなさんの事ばかりを気にしていて回復が遅れている事がよくわかった。
いつもだんなさんの言動を気にして考えて、その間に私自身のためにしてあげていることは極めて少なく、「私のための回復するための行動」がとれていないと気づいた。
2)
それは、私が CP が高く(*「 CP 」は交流分析の用語/編集注)、起きている問題になんでも自分が主導権を持って解決しないといけないという強い思い込みが染みついているためだとわかった。
そうしているとやはり私自身が回復していくための行動は、きわめて少なくなってしまうと気づいた。
3)
自分を大切にするということは、「嫌だった出来事、嫌いな人、自分にひどいことをする人を絶対許さないとしがみついて、復讐する事ではない」とわかった。
しがみついて許さないと思っていないと、心無い人たちに私の人生に起こった厳しいできごとの数々やそれにまつわる私の正直な気持ち(辛い、悲しい、怖い、嫌だ、嫌いなど)を無かったことにされそうで、それがこわいから、すごく嫌だから、しがみついてこだわり続けていた。
しかし、そうしていると私はどんどん消耗し、疲れ、現実の時間は何も私のためになることをできないままで、それこそが私を大切にしていないということだとわかった。
4)
そして、私の境界線の中にいる人たちを、ワークで外に出すことができた。まだ、だんなさんに関してはうまくできないけれど、それでも境界線の中にいた、父、母、祖父、祖母、いとこ、おばさん、おじさんなどなど・・・を境界線の外に出すことができた。
そして、自分の境界線の中にはなんとたくさんの人がいたんだろうとしみじみ驚いた。また、それを異様なことだと感じる事が出来た。そして、自分の境界線のなかは自分一人の方が自然でそしてそれはなんて気持ちいいんだろうと思った。
5)
ワークショップ・クラスで、今の楽しいことを話しているときは体は緩んでいるのに、過去の話をしたとたんに緊張して固まる場面を目の当たりにした。楽しいほうがいいなと素直に思った。
そして楽しい話をすることはすごく楽しいな、いいな、と帰って来てから思った。今までは「私は楽しんではいけない」と思っていた。
6)
帰って来てから、身体を動かそうということでラジオ体操をしている。気持ちいい。
7)
体のサインの読み方を教わった。目からうろこだった。家に帰ってからも、教わったサインをもとに自分に声をかけながら過ごすと痛みが消えたりして、自分が何に苦しんでいたのかを自覚し、そしてそれを許すように意識が向き始めた。
8)
ミラーワークを毎日している。チェアーワークも。楽しい。また、家に帰ってからも、嫌いと言うことと、許すワークをやれて、過去のもやもやをひとつずつ自分で完結させ始めている。
自分の本当の気持ちを知ることがずっと怖かったが、今回「身体のワークショップ」に参加して、様々なワークをして、知識が付いたおかげか、隠していた怒り、叫び、悲しみ、恐怖などを受け止めていけ始めた。
そして、「ああこれが私の気持ちだったんだ」と知れることは、それがどんな強い怒りや恐怖だったとしても、ほっとして安心できた。
9)
ワークショップ・クラスの許すワークで私が一番最初に「大嫌い」と言ったのは、父でも母でもなく、同居していた祖父だった。
「何で私のお家に勝手に住んでるのよ、出てってよ」と心の中で言って私はワークショップ・クラスで号泣し、そしてそうできて本当によかったと思った。
私の気持ちが知れて、それを許せて、私はほっとし、とても嬉しかった。
10)
嫌いな人は嫌いと言っていいこと、思っていいこと。
そしてわざわざそれを本人に言う必要もなく、嫌いってことを自分に許すこと、嫌いな人を好きにはなれないこと、そして好きな人と一緒にいたいこと。そういうことが少しわかった。
そして他ならぬ私自身も、私を好きで大切にしてくれる私と居たいことが、なんとなくわかってきた。
また、嫌い!!! と安全なところとかで言葉にすると(私はお風呂とか)、すっきりする事。それにプラス許すワークをするとこころが落ち着いてくること。
11)
本音ってきもちがいい。
11個もありました。
実は、これを書く少し前までは「あれも出来てなかった、私こんなこともまだ出来てなかった、もっとこうしなきゃ、回復ってなんて大変なの、私、課題が山積み!!」と思っていました。
ちょうどその時アップされていた藤沢さんのブログを読んで、そうだ、ほめながら進むんだった! と思い出したので、このように書いてみました。
この11個は、明らかに、このワークショップ・クラスに参加するまでは、全くできなかったもしくは知らなかったことでした。
あの短い1日の中で、こんなにたくさんの大切な、そして私にとっては耳の痛い、そしてかなり乗り越えるのに厳しかったことを習得し、習慣にしようとし始めている今の自分に大きな拍手と感謝を贈りたいです。
帰って来てから世界は一変しました。そしてここには書ききれないほど、毎日いろんな発見があり、また実際にワークをやっていく中で新たな発見、「あ、またこれできるようになり始めてる」と気づくことがたくさんあります。
私は、もうワークショップ・クラスに行く前の気持ちには戻れないし戻らないと感じています。
正直、生きていくのってなんでこんなに過酷なんだろうと思います。私は知らないことばかりです。
しかし逆に言うなら、「子ども大人」な両親に育てられた私は、それだけ生きていくのに当たり前なことを学んでこなかったということです。
そして、今学んでいることは、私がこの世の中をきちんと自力で生き抜くために当たり前に必要なことだと思いました。こんな大事なことを学ばず知らず生きている今の自分はとても危ういと思いました。
現実はなんて厳しいのだろうと思うと同時に、なんて温かく優しいのだろうとも思いました。
きちんと自分の現状を知ることは最大の救いだと思いました。今までの生き方の方が夢の中にいるようで、藤沢さんの語られる言葉の方に、本当に生きていくリアルさ、切実さ、危機感を感じました。
初めは「私このままじゃいつか人生必ず行き詰るな」と感じてへこんでいましたが、今は落ち込んでばかりもいられないと思い、そのリアルな感覚の方へ引き続き一歩ずつ歩いていこうと思います。
というのも、帰って来て「私が幸せなほうへ私を連れていこう」と思い、毎日何回もミラーワークをして、拗ねてしまいそうな時も「これで私は今日を幸せに生きられる?」と自分に問いかけて、ちゃんと「私のためだけに」今日私が幸せなほうへ行けるようにひとつづつ選び、行動することができ始めてきたからです。
そしてそれは楽しいし、心が穏やかになるのです。
そうすると、仕事が楽しかったりお客様の声がよく聞こえて来たり、私がやってみたいことが出て来たりして、すごく楽しい気持ちで一日を過ごせたりできます。
そして、他でもない「この現実の世の中」に楽しいことがあるんだ、という気持ちに初めてなりました。
それはお料理だったり、お店だったり、具体的にこの世の中で私が楽しそう、やってみたいと思える事柄がある、ということを初めて思えたのです。
どこか違う世界に行ったら夢中になれる感覚を味わえるのかと思っていたけれど、そうじゃなく今ここのこの世界でそれを見つけることが、夢をかなえること、地に足をつけること、外でもない今ここを生きている事だと、初めて思いました。
だから、私はこれからもこの現実を現実的に生きるほうへ、一歩ずつ進んでいこうと思います。
教えてもらったワークを、毎日積み重ねて新しい私を守る習慣にして、そして今は「厳しい」と感じている、現実を生き抜くには当たり前の大事な事をいつか自然に自分のためにやっていけるようになれたら、と思います。
そこまでしっかりと目が覚めたらいいと思います。
ワークショップ・クラスでご一緒したみなさん、ありがとうございました。
お名前をまた覚える余裕がなかったのですが、このワークショップ・クラスに参加できたことを心から感謝しています。
藤沢さん、ありがとうございました。本当にどのお言葉も厳しかったですが、どのお言葉も今どんなに大切なことを伝えてくださっているのかをよく考えると、私はほかにどんな言葉も見つかりません。
非言語メッセージで、真摯なメッセージをたくさん受け取ったと感じています。ありがとうございます。
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) くろっかすクラス
「感情ワークショップ」と「身体のワークショップ」に参加させていただきました。
初めての2日間連続だったのでどうなるか不安でしたが、おかげさまで無事終えることが出来ました。
優月さん、スタッフの皆さん、そして共に学んだ皆さん、本当にありがとうございました。
1週間 PAY FORWARD をまとめてきましたが、すでに自分の中で2つのワークショップ・クラスで学び感じた内容が混ざっているなぁ・・・と感じています。
もしかしたら違ったことを書いてしまうかもしれませんが、「この2日間の歩み」として読んでいただけると嬉しいです。
「身体のワークショップ」は、私にとっていい意味で“予想外”でした。
1番印象に残ったのは、「事故や大病は、家族の中の問題を一時止める。そのサインは、問題のピークになる前に起こったのではないか? 自分の身体を挺して何を止めようとしていたのか?」の部分です。
ドキッとしました。
私は、2~3歳位から高校生まで、けがや事故が多かったからです。
最初は信じられない気持ちで一杯でしたが、思い出してみると小学生以降のけがは、まさに家族の中の緊張が高まっていた時期と重なりました。
(2~3歳にけがした頃のことは、よく分かりません)
小学1年生の時、足の骨にひびが入った事故
・・・転居後約1年経った後だった。
父が家庭内で不在がちになり、母・姉は環境になじめず、家の中が荒れ始めた頃
中学2年生の時、部活中に事故にあい頭を縫うけが
高校1年生の時、自転車でバイクと接触事故
・・・3歳上の姉の進学・就職を前に、家の中がもめていた
衝撃でした。
私は、そんなに自己犠牲的だったの? なぜ、そんなことをしたの? どの事故も、一歩間違えば私は死んでいたかもしれない。
私は、言えない代わりに身体のサインを使って、家の中に問題があって私は苦しい、ということを必死で表現していたのかもしれない(私自身も、家族もそれに気付かなかったけれど)。
子供だった私は、無意識にだけれどそんなことまでして、何を言いたかったのか?
それは、「その出来事に関わる人に何を言いたいか?」のワークで分かりました。
私は、父と母に「もっと、しっかりしてよ!!」、姉に「嫌い!!」と(心の中で)叫んでいました。私自身、自分の言葉の強さに驚きました。
ワークをしたのは今の自分だけれど、その時そこにいたのは、小学校低学年位の私でした。
今まで、その頃感じていたことはもやに包まれているようだったのですが、確かに実感として感じました。
じゃあ、本当はどうして欲しかったの?
私は、荒れている姉に対して何も言えない両親に、しっかりして欲しかった。
大したことは言えなくてもいいから、ちゃんと向き合って問題を解決してほしかった。
そして、穏やかに楽しく、仲良く過ごしたかった(上辺じゃなくて)。
私にも関心が欲しかったし、分かって欲しかった。
子供なりに、一生懸命家族の中を平和で明るく保とうとしているのに、争いの種をまき、人を巻き込む姉が大嫌いだった。
(こんなに強く思っていたのに忘れていたのは、子供の自分には家族しか居場所がなかったから嫌ってはいけなかったし、姉に問題が起きると「あなたのせいで」と言われていたから、罪悪感からそう思ってはいけないと思い込んでいたと思います)
罪悪感は、本当にやっかいだと思います。
「感情ワークショップ」で「知らないうちに境界線が侵犯されている」と教えていただきましたが、嫌いな人にお別れのワークをした時、チェアワーク後の3回目の時にもまだかすかに感じていました(心が温かく軽くなる感じもしましたが)。
まだ、自分から相手の手をつかんでいるのかもしれません。
「許す」ことは、難しく感じました。
チェアワークをしながら、自分の気持ちを見守って行こうと思います。
ミラーワークもとても印象的でした。
チェアワークを3回やった後、鏡のなかの自分に向かって「今まで知らなかったこととはいえ、本当にごめんね。ありがとう。これからも、よろしくね」と言った時のこと。
鏡の中の私(私の中の私)は、「うん、わかった!」と言って、ニコッとしてくれました。
「えっ 今までさんざん省みなかった私を、そんな簡単に信じていいの?」と思うのが今の自分ですが、鏡の中の自分は素直でかわいかったので、驚きました。
鏡の中の私は子供のような無邪気な表情をしていて、小学校低学年くらいの自分が私の中にいる、と感じました。不思議な感覚でした。
(私は、「変容ワークショップ」で「信頼」の段階で傷がついたと気付いたのですが、今回もそれを実感しました。私はやはり傷のついた所で止まっています)
なぜ、素直だった自分を忘れていたのか?
私は、素直で優しくいると、また巻き込まれ利用されそうで怖い。だから、知らず知らずのうちに、自分の身を守る為いつも気を張ってきました。
そして、巻き込まれるままだった素直で優しい(=弱いと感じた)自分を恥じ、自分を許せなくて、ずっと否定して、ついに忘れてしまったのだと思います。
私は、「なんだかまずい」と気が付いてから自分なりの努力をしてきて、目に見える5%(意識)の自分は好きになってきたけれど、95%(無意識)の中にある「ありのままの自分」は、まだまだ認めていなかったと気付きました。
「身体のワークショップ」だったはずなのに、私には「インナーチャイルド・ワークショップ」のようになってしまいました。
今、私の中の小さい私に声をかけてあげるとするならば、「素直で優しくいても傷つかないよう、守ってあげるからね」です。
私は、自分が分からなくなって回復の道を歩き始めたのですが、今回もバラバラになっていた「自分」のピースを1つ拾えました。
これからも、一歩ずつピースを拾う歩みを止めないでいたいと思います。
ありがとうございました。
P.S. 「この身体のサインは、私に何をうったえているのか? では、どうすればいいのか?」を学んだので、プレワークでもれてしまったサインと、ここ1週間のサインでやってみたいと思います。
・血圧の急激な低下(1年半前「まずい」と思ったきっかけの1つだったのに、忘れていました)
「心臓」かもしれない。あの頃、私はショックな出来事が重なり、絶望的な気持ちでいた。
今は、自分の土台を育て直しているところ。大丈夫、土台がしっかりすれば先へ進める。
自分が心から嬉しいと思うこともしてみよう。
・胃の不調今は、自分の土台を育て直しているところ。大丈夫、土台がしっかりすれば先へ進める。
自分が心から嬉しいと思うこともしてみよう。
今、ワークショップで学んだ新しい考え方や経験を消化しようと一生懸命になっている。
PAY FORWARD とアフターワークに取組むこと自体でOK。
・腸の不調PAY FORWARD とアフターワークに取組むこと自体でOK。
今、必要のないものを外にだそうとしている。自然にまかせよう。
・頭痛PAY FORWARD にちゃんとしたことを書かないと・・・と、自分にプレッシャーをかけている。
私が感じた本音をかければ、それだけでOK。
以前は、体調が悪いと憂鬱なだけでしたが、これからは自分に優しくなれそうです。私が感じた本音をかければ、それだけでOK。
身体のサインを読むことは、自分の味方でいることなのですね。
A. M. さん(30代/東京都よりご参加) くろっかすクラス
ワークショップ・クラスを終えて、私は今まで私をどうしても好きになれなくて、優しい気持ちを持てずにここまで生きて来てしまったけれど、自分自身に対してそんな扱いをし続けてしまったことを本当に申し訳ないと思いました。
今は、私が私を嫌いになる理由なんて無いよねって感じています。
こうして、少しずつ私が私に戻っていくのだなあとしみじみ感じました。
「おかえり」
「ただいま」
って、なんだか温かい気持ちです。
この感覚を大事にしたいです。
とは言え、私がこんな気持ちになったのはワークショップ・クラスを終えて数日たってからです。
ワークショップ・クラス中は、「自分が何を感じているか、よくわからない・・・こんな気持ちで今回も終わるのかな・・・」と感じていました。
「インナーチャイルド・ワークショップ」の時もそんなことを感じていたし、やっぱり私には自分の気持ちを感じるのが難しいのだなと思いました。
インナーチャイルドにしても鏡の中のわたしにしても、すぐに平静を装って何もなかったかのように振る舞ってしまう。感情を切り離してしまう。
悲しいけれど、私はそうしないと生きてこられませんでした。
そのクセが今でも残っていて、「感じる」=「危険」というプログラムから未だに抜け出せていないようです。
また、私がワークショップ・クラスの前半で感じたことは、「私はまだ両親に面倒を見てもらいたいのよ! どうして両親が面倒を見てくれなかった分を私がやらなくちゃいけないの! 私はやりたくない! それは両親の仕事でしょ! 自分でやらなくちゃいけないなんて嫌だ! 悔しいよ!」と言う気持ちでした。
私は両親に対してまだこんなにこだわりがあったのかと少し驚きました。
両親にさよならを言うワークでは、とても寂しい離れがたい気持ちになりました。
あんなに何度も手放したのに、まだ私の中で大きな位置を占めていたことに気付きました。
私は自分で自分の面倒を見ると口では言いながら、心の中では「何で私が!」と憤りを感じていたようです。
もう! 本当に悔しいよ!!!!
私はもう大人だから自分の面倒は自分で見るしかない!? ふざけんな!!!! と言いたい。
そうだよね、そりゃ悔しいよね!
そんな気持ちを抱えながらも、私はよくやってきたよ!
私がONSAワークショップで私の問題に気付いてから3年程が経ちました。3年間、対面式ワークショップやウェブワークショップにたくさん参加してきました。
何回参加したかな・・・って数えてみると自分でもびっくりするほどの回数になっていました。
けれど最近、私ってたくさんワークに取り組んできたけれど、何かが「できた!」って気がしないんだよな・・・全部失敗だったのかな、私のやり方が悪かったのかな!? って思っていたら、優月さんから「もうできたことを数えてみよう」と言われてしまいました。
そう言われてみて、私はいつの間にか自分に厳しい私に戻ってしまっていたのを感じました。
今の私にはもうできるようになってしまっていて、そんなの当たり前でたいしたことないと感じられるような小さなことでも、数年前の私が一生懸命取り組んできてくれたからこそできたことだよなって思います。
この PAY FORWARD を書き終えたら、日常に溶け込んでしまって忘れてしまいがちなあれこれを数えてみようと思います。
このワークショップ・クラスで、私の心の中にはまだまだ満たされない気持ちがあって、それを私以外の誰かに何とかして欲しいという気持ちが強く残っていることがわかりました。
それをもう親に頼らなくても自分でなんとかできる! それってすごいことだよ! って前向きに考えれば・・・思う。
実際にやるのは本当に大変なんですけどね・・・。
私は身体を固めることで自分を守ってきたので、身体を動かすことが嫌でした。
そうやって固めた身体で、私は「いまここ」から私を遠ざけていました。
身体を動かしたら過去のトラウマが溶けだしてきてしまいそうで恐い気持ちもありました。
今回、たくさんチェアワークをしてみたら、トラウマは溶けだしてきませんでした。
過去は吹き出さず、とっても落ち着いた気持ちになりました。
「いまここ」に居るって、こんなに安定していて穏やかな気持ちなんだと、この3回目の参加となる「身体のワークショップ」で気が付きました。
身体をおろそかにしてはいけないのだという事にも改めて気が付きました。
私はこれを機会に、身体を動かすことを始めてみようかなと思います。
最後に、くろっかすクラスの皆様お疲れさまでした。
チェアワークをたくさんする度に、皆さんのお顔がすっきりしてくるのが印象的でした。
そして、仲間がいてくださるって有り難いことですね。
別のワークショップ・クラスでお会いすることもあるかもしれませんね。そのときはまた、よろしくお願いします。
そして優月さん、ONSAスタッフの皆様、本当にお忙しいのではないかと心配になってしまう程ですが、いつもありがとうございます。
今回もたくさんの気づきをありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
今回、本当に参加してよかったです。
ありがとうございました!
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。