2018.07-10月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(前期日程)」つばさクラス

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タイトルはじまり目印

T. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) つばさクラス



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私へ

今、この12週間を通して感じたことを振り返っていました。

一つ一つ日々の気づきを読んで、課題を読んで、様々なあなたを感じた。

緊張しているあなた、カッコつけてるあなた、そして、嘘をついたり、向き合えなかったり、怯えているあなた、そしてまた、励ましているあなた、認めているあなた、強くなったあなた、たくさんの私たちを感じました。

私たち、たくさん苦しみ、向き合い、認め合った。それがとても嬉しい。
そんな時間を過ごして、ここまで歩いてこれたことを誇りに思います。


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改めてこの12週を振り返ってみて、私が感じたことは、

かわいそうだったよ。私たち。
かわいそうな子供達だったよ。本当に。
本当に辛かった、悲しかった、苦しかった。

私たちの心の柔らかさでは、子供の人生では受け止められないことがたくさんおこった。
そしてそれに今もずっと苦しんでる。それはとても痛ましいことだよ。

どうしてそうなったの? どうすればいいの? 
それを学ばなきゃ、どうにかしなきゃって焦ってたんだね。

でも今回やっと、ただそうだったんだって感じられた。
自分のことをかわいそうだと思いたくなくて、事実として知っていても、受け入れていなかったんだ。
やっとそのことが私の中で認められたよ。


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この12週間の間、私はかわいそうじゃない、もう悲しくなんてない、もう辛くない、大人だもの、私は成長していける、私は強いと思おうとするあなたのその必死さが、私の胸をかきむしりました。

そんなあなたの歩みをみて感じたのは、幼かった頃のかわいそうな私たちだった。
そんな風に感じる自分に驚いたの。


でもね、かわいそうな私を認めるから、かわいそうな自分をやめられる。
私が自分のことをそう認めない限り、私はいつまでたってもかわいそうな人を見つけて依存していくんだ。

でも、一番助けたいのは、かわいそうな私。
そう、私の外にいる誰かじゃなくて。


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私たち、本当に、悲しい子供だったよ。
あんなこと起こっちゃいけないことだったよ。

でもそれが起こった。
それはとてもとても痛ましいことだったよ。

あなたがどんどん麻痺していって、自分を閉じ込めていったことが今はよくわかる。
そんな辛いことがあったんだもの。
頑張れないよ。もういいよ、って思う。


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でもこのままじゃいやだって思ったんだよね。
このまま閉じこもっちゃうのは、もうやめようと決めたんだね。

どこから来るの? そのエネルギー? 
そんなあなたに驚く。

諦めないあなたがいるから、私は歩いている。
私が歩いているから、あなたが諦めないでいられる。
今はそう感じています。
私たちができる限り、それを続けていこう。


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悲しかった小さな私たち。
それを悼むために、歩いたんだね。この12週間。

それを本当に心から感じたかったんだね。
そんなあなたに私は最後の最後まで気づかなかったよ。
そんなことをやってみようと思ったあなたの勇気にびっくりしたよ。

私は今本当の意味で、自分のために人生を歩みはじめようとしている。
あなたの勇気が私をここまで連れてきてくれた。

本当にありがとう。
私たち、ずっとずっと大きくなった。そんな気がする。


この12週を見守ってくださった藤沢さん、ONSA の皆様、そしてたくさんの気づきをくれたお仲間さん、この12週間の気づきは本当に格別でした。
ありがとうございました。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) つばさクラス



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私へ

今回も、本当にお疲れさまでした。

このクラスが始まった頃は、職場では信頼していた上司の異動・部内の業務交換の話が出始めた頃で、不安で気持ちが揺れていたし、秋の ONSA WORKSHOP(対面式)もあった。

本当、激動の3か月間だったよね。
もういい加減足がもつれ始めて、最後の最後にまさかの風邪で調子が狂い、3ヶ月の時間を全て投げ捨てかけたけれど、やっぱりあきらめきれずに戻ってきた。
私は、充分私に誠実だと思う。

調子は今一つだけど、今書ける範囲で書き残しておきたいことを書こうね。


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今回は、ずっとブラックボックスだった仕事について今までになく考え、想いを拾っては書き続けた。
そうしたら、最終的にどう転ぶか分からないけど、「今の自分」の「そうしたい」が出て来た。

今の私に取っては、安全・安心・安定が1番。
「聞ける誰かがいないとやり切れない業務」を持っているのが、不安。
今自分の「出来ること」で、仕事をするのもいいんじゃないか?
これは、今まで見栄や比較や計算で、見えなくなっていたものじゃないだろうか?

ある程度状況が見えて、自分の気持ちが分かった今は、あれだけ不安だった時がうそのようにけろっとしている。
まだまだサポートをもらいながらだけれど、「自分で自分に向き合う・自分の感情の面倒を見る」「自分の気持ちで決める」練習で本番が出来たんじゃないか?

不安があっても、自分で現実的な対処が出来なかったあの頃と比べると、夢のようだよね。
「私の代わりに私を守ってくれる人・ニーズを言ってくれる人」を探すより、ずっと安心だしすがすがしい。


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そして、そうだった。
何か考えたり決めたりするには、即答は出来ない。自分の想い・ニーズを知るには、時間がかかる。
こうやって時間をかけて泥くさく、日々現れる自分の思い・日々の出来事の中で感じる感情を拾いながら、記録して振り返り、自分なりの答えを知るしかないんだった。
(つい忘れて、「分からない」→「どうしよう!?」「私はダメだ」になりがち。)

そうやって実際にやりさえすれば、私にも分かる。私にも、出来る。
そうだよね?


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そして、仕事に向き合う中で、今までになく強く感じた。

「共依存=私の人生に実害を与えていたもの・今ここの私に実害を与えているもの」だと。
共依存は、決して「書いてあること」ではなく、私の人生の土台を破壊したものというだけではなく、危険な未来を招くものというだけではなく、まさに「今ここ」の私に害を与えているものなのだと。


私には、「あれも、これも」って感覚にとてもなじみがある。

「あれも、これも」(中身は、ほぼ他人の意見)で、結局選びきれない。
そうやって、何も選べないまま・変われないまま(今までと違う選択が出来ないまま)きてしまった。
これまでの人生で、こうやって決められなくてうやむやになったり、チャンスを逃したことが、どれだけあったことか。

「これは、絶対」とか「優先順位」が定まっていないから、少しのことや他人の意見で、たちまち揺らぐ。
「その時々のライフイベントが出て来ても、決めるだけの筋力がない」って、こういうことか。
こうやって、私はライフステージで表れる選択を出来ず、人生が停滞したのか…。

「今、目の前のことを、自分の素直な気持ちで、自分の考えで選べないこと」が、こんなに人生を損なうとは、思ってなかった。
こんなに不安で危険なこととは、思っていなかった。


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「あれも、これも」で、結局選べないままきた人生。
「それを決められるだけの心の筋力がつかないまま」って、本当そうだった。
そうやって生きて来たこと。生きてこざるを得なかったこと。
なんて残酷なことだったろう。

チャンスがなかったのではなく、私が劣っていたからでもなく。
「私の意思」というものがなかったから、選べなかった。
進めなかった。どっちつかずの選択をするしかなかった。

私の感情が動いていなかったから、選べなかった。
心からのニーズがなかったから、動けなかった。

そのことが、今になってみてよく分かった。


私の共依存には、土台にある不安感(愛着不安)がとても影響していると思うから、とても根強いと思う。
(不安だった時、母のいう通りにすることで認めてもらい、不安を解消していたと思うから。)
逆に言うと、私は「不安」をおさめられるようになっていけば、心の自由度は増すのかもしれない。


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それから、これは「インナーチャイルド・ワークショップ」に出ていたから気付けたことだと思うけれど、私の引っ越し後の環境は、本当に「孤立」していたね。
…今まではそれが普通で、当たり前だと思っていたのだけれど。

ストロークもらえるのがほぼ母と姉しかいない環境で、2人がああだったのは、本当につらいことじゃなかった?
私はそんな環境でストロークをもらうために、人のニーズを読んで言う通りにした。
そうやって人の役に立つ事が、頼れる人にしがみつくことが、孤独にならない為の方法だった。
家族の中でも外でもそうやるようになって、私は自分を見失った。

そして、今も「孤独になること」をやみくもに恐れている。
テキストの「「どうせ、私はひとりぼっちだ」と泣いているのは、何歳の自分?」を読んで、ドキッとした。

「孤独になること」を怖がっているのは、今の私じゃなくて(確かに、今も私も怖いけれど)小さい私?
(今の私は、「家族がいない」のは確かに「孤独」だけれど、=「孤立」というのはちょっと違うかもしれないと思っている。)


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それからね。
私が、「面白い」と感じられないのに、今もどうしてもやめられない嗜癖行動。

これって、私が子供の頃してたことと変わらないな…って思った。
子供の私は、「他にすることがないから・楽しいことがないから」「現実逃避したいから」、もう何度も読んだ本やまんがを読み続けていた。
大人になっても、たまにどうしても出て来てしまう。

いつの間にか、あれだけ好きだったミュージカルも映画類も、見終わった後どこか空しくなっていた。

今ならなぜか、よく分かる。
いかに素敵な話で楽しく幸せな気分になっても、現実は変わらなかったから。
私は、私のままだったから。

つまり、私は「私の現実を変えたかった」「現実にやりたかった」んだよね。

子供の頃「つまらない」と感じていて、大人になってからも「受け身で受容することじゃなくて、自分で何かしたいのに何をしてもつまらない。何がしたいのか、わからない」と感じていたことにつながらない?


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私は今ここの大人の時間を生きているけれど、私の心は本当に「あの頃」の心のまま生きている。
「私の今の時間」=「孤立し閉じ込められていた、子供の頃の時間」なんだ。

時間の質が、変わっていない…。
何てことだろう?

私が本当に求める時間・現実を知ってあげられるのは、私しかいない。
今、ここで、真剣にならないと。
今の私には、「私の現実を良くする」以上に大事なものはない。


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はぁ…気付けば気付くほど、ハードル上がってる気がする。

でもね、ハードな日々の中、ふと「自分を知るって楽しい」って感じる瞬間があった。
今までなかなか思えなかったことだけど、なぜ、何をきっかけにそう感じたんだろう?

叶わないからといって、全てを投げ捨てたり切り捨てたりしなくていい。
自分で感じて、知って、考えて、決めて、やってみたかったらやってみてもいい。
「私が、私を知る」喜びは、まだ私の手の中に残されている。

少しずつ時間・生活・仕事の整理をしながら、自分に正直に誠実に進んで行こう。
これからも、ずっと一緒にやっていこうね。

最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、お仲間さん、3か月間本当にありがとうございました。