K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) しくらめんクラス
優月さん、一緒に踏ん張ったみんな、本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
12週は本当に濃密であっという間、でした。
家族問題は、登山の素人の私がエベレストに明日登山せよ、と言われたように感じるくらい大きな難関でした。
これから生きていく中で、いつかは乗り越えなくてはいけないことだけど、どこから手を付けたらいいのかわからずに見ないふりをしてみたり、ちょっとつついては無理だ! と早々に退散してみたり。
でも、40代の半ばになって、人生の折り返しは確実に過ぎたんだよねと肚をくくり、取り組んでみることにしました。
第一週め、「この WS が終わった時にはどういう風に変化したいですか?」っていう質問に、私は以下のように答えていました。
- 自分を無条件に受け入れることが出来るようになっていたい。
- 過去の負債に煩わされなくなっていたい。
- 自分のこころが一番望むことを言葉にできるようになっていたい。そしてそれに向かって前進していたい。
- 私と夫、私と彼と、彼と彼の家族のそれぞれの関係が適切で秘密のない状況になっていたい。
- 自分の思いや境界線を穏やかに護り、適切に伝えられるようになっていたい。
- 毎日基本的な生活を丁寧に過ごし、 自分や自分の周囲を居心地よく整えることができ、穏やかに眠り、今日を楽しみにしながら目覚められるようになっていたい。
「回復は完了ではない」という言葉に、「え~~~、終わりは無いってこと!?」と呆然として動けなくなったり。
仲間が変わっていくのを羨ましく思い、反面、同じようなことを何度も何度も書き込んでいる自分に、進歩していない…と落胆もしました。
でも他の人にとって素晴らしい結果を毎日出すこと、ではなく、自分がどう感じているのかににじっくり向き合うことで、すぐには結果のでないことでも、現実に自分が出来ることで、自分の良心に一番正しいことが出来たら OK、と思えるようになっていました。
他の人が喜ぶことを毎日確実にできない私、他の人のことを優先して考えることが出来ない私=ダメ人間、そう思わされていたのは、親や周囲から妥当な扱いを受けていなかったせい。
他の誰かが考えることを察して毎回最良の結果が出せないことで私の価値まで否定するなんて、冷静に考えれば非現実的なこと。
それをこどもの私に要求していた親だったことは、本当に悔しくて残念なことだけど、今更「責任を取ってよ!」と言っても仕方ありません。
愚痴ったり、しょっちゅう溜め息をつきながらも、人生の残り時間を少しでも無駄にしたくはなかったし、自分が変わっていくことは止められないと肚をくくり、自分の本音と向かい合い、思ったように出来なくても投げ出さず、こどもを育てるようにひとつひとつ実行してきました。
そしていま振り返ってみたら、最初の課題に対して変わりたいと思っていたこと、全部を進歩させることができていました。
優月さんがしょっちゅう言っている「遅いは早い」って本当だなぁと思います。
人生の課題や日々の失敗や、不安や怖れがなくなったわけではありません。
華々しい逆転満塁ホームランを期待する気持ちが100%無くなったわけでもありません(笑)。
でも物心ついてからずっと感じていたエベレスト級の違和感は消えていました。
一見地味だけど、自分がいいと思うこと、納得できることを毎日こつこつ、シンプルにやっていくのって、思った以上にすごいことですね。
他人の思惑、という余計なものに煩わされないのは、こんなに楽なんだ~と感じ始めています。
この感覚を忘れないように、まだしばらく粘っていきます。
そしてご一緒させて頂いた皆さんのご健康と幸せをこころから願っています。
Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しくらめんクラス
私がこのコースに取り組むのは2度目。1度目はついていくのに必死で、課題もこなすことに一生懸命でした。
今回はより自分の深い部分で自分の気持ちを感じることが出来たと思います。
優月さんがブログで書いていたように、「こなすこと」と「向き合うこと」の差が理解できたようにも思います。
私はこのコースの途中で1か月ほどお休みしました。
最初は体調不良からでしたが、気分の落ち込みは続き、最後のほうには逃げてるなあと自分でも思いました。
でもそんな中でも自分が変わりたい気持ちは心のどこかにあり、グルグルモヤモヤする中で、行きつく先は自分と向き合うことでした。
現実の自分と今まで向き合わなかったことが、今の私の問題だと思いました。
そして、無意識でいると昔の古い習慣がでてきます。
私には、外へ外へ何かを探しに行こう、誰かに私の何かを認めてもらおうとするクセがあることに気づきました。
でも、落ち込みを経て思うことは、見るべきものは私の心であって、他の人やモノじゃないということ。そして、私はありのままで充分だということ。
共依存の回復にはまだまだ時間がかかりそうです。その中でも気づくということを続けていこうと思います。気づき続けることで今までの習慣を変えていけるように思うからです。
日々の進みは小さくても、積み重ねることで大きく前進していきたいと思います。以前のように、全部一気にやってやろうとは思わなくなったのも、Web.WORKSHOP の歩みのおかげかなと思います。
優月さん、ONSA スタッフのみなさま、Web.WORKSHOP を開催してくださりありがとうございました。
また、しくらめんクラスのみなさま、歩みをともにできたこと、とても心強かったです。みなさんのしっかりとした歩みを拝見していて、私ももう一度その輪に入りたいと Web.WORKSHOP に帰ることが出来ました。ありがとうございました。
またどこかで、お会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございました。
S さん(30代) しくらめんクラス
自分が機能不全家族に育って、共依存であるということを本当の意味で認める前に、パートナー選びや転職、資格マニアの道に進まなくてよかったと思うよ。
まずは、問題があるということを認められたことを、とても褒めたいと思う。お疲れ様。
直感で共依存ということ、ありのままで自分はいいのだと思えていないことに、うすうすは気づいていた。けれど、目の前の職場の人間関係に右往左往し、家族から自立はできないと自分に言い聞かせ自分と向き合うことを避けてきた。
結婚ということに関しては、自分の意思を貫いて母や祖母の言いなりにならずに、今があるから良かったと思う。
おばあちゃんに認められることで、私は存在してもいいのだと思った。父母に夜泣きするからと、祖父母の寝床に場所を移された幼い赤ちゃんの私。祖父母の寝床でしか寝られなくなってしまった。その時、赤ちゃんの私は見捨てられたと思ってしまったのだと思う。
私が見捨てられたと感じた事は、悪いことでもないし、仕方がなかったこと。私には何の責任もないし、赤ちゃんの私を責めたら可哀想だよ。
自分は誰かの役に立ったり、認められたり、喜ばれる時にしか存在してもいいとは思えなかった。逆に、誰かの怒りにふれたり、迷惑をかけたり、呆れられたり、無視されたら存在してはいけないと思った。
自分なんて生きている価値ない、何もかも投げ出したいと思った。明日起きたら、別人のように明るくて、無邪気で、自分の生きたいように生きられたら幸せなのにと思ったこともいっぱいあった。
神頼み、占い、お祓いなど自分以外の何かにすがった時もあった。今年は運勢が良くないから仕方がないと、1年を捨てるように生きた時もあった。我が家の特性、誰かにすがるという特性をまんまと受け継いだようにしたこともあった。
でも、私はそれに満足することができなかった。
こうすれば好かれる、こうすれば生き方が楽になる、あなたの○○がたりないから、幸せと感じられない。
本屋に行っては、女性エッセイのコーナーをうろうろして、そういう類の本を片っ端から読み漁った。まだ、私は外側ばかりを満たそうと、誰か素敵な人の生き方を真似して生きようとしていた。
誰かに認めて貰い、愛されていれば私という存在は生きていてもいいのだと確認したかったから。容姿がいいパートナーを求めていたのも、世間や同僚に「私はこんなにかっこいい人と付き合っているのよ」と自慢したかったから。私は価値のある存在なのよとアピールしたかったから。
いつも誰かを意識して、行動してしまう。
それが苦痛だよ。もう嫌だよ。辞めたいよ。
失敗することが怖かった。いつも私という存在は、完璧でなければ存在していけないと思っていたよ。無意識に。
自分が自分の本当の居場所を知っていたら、そもそも失敗なんてない。だから、自分を見つける必要があるのね。
誰かを意識して、生きるのはもう嫌だね。そのエネルギーを自分に注ぎたい。
ユーモアな人とかおもしろい人にすらなる必要なんてない。
人気者で周りにたくさん友達がいれば私は、幸せになれるかもと思っていた。だから、学生の頃からそういう人気者の人が憎らしかった。自分が自分であるだけではダメだと否定されたように感じたから。
明るくないから自分はダメ、人気者じゃないから私はダメ、大人しいから自分はダメ。ダメ出しの人生。これも疲れちゃった。辞めよう。むしろ褒めて生きよう。
私は一生好かれない、いつも孤独な存在とある時から思ってしまった。
無口、大人しい、我慢、孤独。周りと比べる癖。自分を癒してあげたい。そのための投資は仕方がない。
将来借金で首がまわらないとか嫌だ。
小学生の時朝礼で表彰され、賞状をもらうのが最高に幸せな瞬間だった。逆に誰かが表彰されるのは憎らしかった。素直に喜べなかった。誰かよりいつも、どんな時も優れていないと私は存在してはいけないと本気で思っていたから。
9歳10歳が一番に辛かった。想像するだけで泣けてくる。どこにも居場所がなかった。
寂しかった。寂しいと言いたかった。でも我慢した。1日1日過ぎるのが長くて、しんどくて、学校に行きたくなかった。
今もそう。今の仕事に行きたくない。辞めたい。
仕事を辞めたら、自分を癒すためのお金もなくなるし、生活ができないから現実的な方法を私は取ることにする。自分と地道に回復の歩みを続ける。その方が早いから。
「遅いは、早い」
この言葉をいつも胸に刻んで進みたい。
仕事に対して、空しさを感じている私。上司を憎たらしいと思っている私。なぜ憎たらしいのか? 自分の仕事に誇りをもって、楽しそうに仕事している。羨ましいのだという事に最近気づいた。私はこの仕事を嫌々しているのに、なぜあんなに楽しみながら仕事しているのだろう? 悔しくなる。
自分もいつかは自分の仕事に誇りを持って、仕事をすることを楽しむことができるようになりたい。なる。そうここで、決意したいと思う。
自分らしさを見つけずに、祖母と母の言うとおりに今の仕事を決めたことは後悔している。もっと自分を知っていれば、こんなところにいる必要もなかった。
だから、好きでもない仕事のためにするエネルギーを最小限にして私が本当にしたいことを見つけることを続けていきたいと思う。
外側を変えても心の傷は癒えない。自分の中の幼い頃の傷を癒す事にトライしてもいいよ。
誰かに認めてもらうための行動を辞めたい。共依存の勉強と英語の勉強をしよう。
職場でも誰かの顔色を伺うのは小さい頃の癖が顔を出すから。
ただ、私であるだけでいいと育てられたかった。あるがままの私でいたい。誰かの役に立たなくても、自分が自分であるだけでいいと思って成長したかった。周りの人の、私を幸せにして! という声に耳を貸さなくてもいいよ。
ちゃんと飲み会も断れていたね。それもけんかするような言い方じゃなくて、自分の気持ちを優先させながら大人な断り方で出来ていた。
周りの噂話を楽しんで、自分と向き合うこと先送りにしていたことを今回のワークショップの書き込みを読んで自分が自分にしていた事に気づいた。境界線をひいて、自分のことと向き合ったら未来は変わると思う。
面白いことが言えて、人気者になれば私は幸せになれる。友達が多ければ幸せになれる。これも幼いころから思っていた事だよね。もうそんな事に縛られないでいいよ。
外側に幸せを求める癖は小学生頃からあったね。私は私であるだけでいいと思えていなかった。周りを変えようと努力しなかった事はよかったと思う。これ以上他人の人生に付き合っていられない。
自分と向き合う作業は、コツコツと辛いと感じることもある。自分をいじめたり焦ったり、ダメだしする方法じゃなく、楽しみながら私を励まして続けて行きたいと思う。
癒されていない過去をこれからも、癒しながら、決して自分と向き合うことを途中で投げ出したりせず突き進むぞ。
本気になるのは、今。苦労して生きてきた私の人生、このままで終わりたくない。
もう自分らしくない人生を生きることはやめます。私、これからも宜しく。
そして、今回ウェブワークショップを一緒に突き進んだ仲間へ。
私一人だったら、ここまで自分と向き合えなかったと思います。みなさんの存在が本当に励みになりました。
自分一人だけ、こんなつらい作業しなきゃいけないのだろうと挫けそうになったとき、みなさんの存在は本当に心強かったです。本当にありがとうございました。
これからも、お互いに突き進んでいきましょうね。
優月さん、ONSA の皆さん。この場を安全に提供してくださってありがとうございました。毎週のメッセージが本当に楽しみで、今週も頑張ろうと励みになりました。
これからも、よろしくお願いしします。ありがとうございました。
I. O. さん(30代/北海道よりご参加) しくらめんクラス
わたしへ。
さて、二度目のコースはどうだったでしょうか。
最初は、「ああ、この課題知ってるよ」って気持ちでとらえてたね。
同じ事もう一度やって、同じ答えしかでないんじゃないか、って冷めてたり、同じ答えしかだせないんじゃないか、って自分を悪く思った。
仕事、結婚という、実際の人生の状況にいないと、ワークショップの効力は半減するんじゃないか、とか、他の仲間達のほうが、実践という意味で効果あげてるんじゃないか、とか。
で、結論は、それはそれでいいってことだった。
わたしが今、仕事をしていなくて、結構のんびり暮らしていたり、実家に長居して、それもいいかなと思っていたり、再就職する事を恐がっていたり、前の職場への怒りが冷めなかったり、具体的に何の仕事についたらいいのかわからなかったり。
それはそれで、わたしの状況であるということ。
その状況で、なにを感じて、なにを行動するか。
同時に、まったく行動しない日の自分を、そこまで悪い者とおとしめないようにすること。
こういう風に思うようになるまで、10週くらいかかったんだけど。
つまり、ワークショップを通らなかったら、気づかなかったんじゃない? ということなんだけれど。
今明らかに以前と違うな、というのはノート(『未来日記』)の使い方。
毎日少しでもノート、一日のストロークを自分にあたえると、気分がいい。逆にぐだぐだ過ごした上、「灯台の時間」もさぼってしまうと、ますますどろどろの毎日になって落ち込んでしまう。
一冊のノートが終わる度の振り返りをするようになった。
毎日同じような曖昧なことを書いているな…と思っていたけれど、だんだんその気づきが大きく感じられて、これはきちんとまとめて残そう、と思うようになった。藤沢さんが『未来日記』に書いているのだけれど、やっとその使い方が身に付いてきたかな。同時に、自分の書いている事や、書くということが大事に感じられるようになった。
手帳の使い方にも変化があって、自分が気になった事柄、本や映画、行ってみたい店や土地などをどんどんリストにするようにした。
なんのために、気になったんだろう? 偶然が重なっていつか運良く経験するため?
そうじゃなく、わたしは自分で読んだり、食べたり、話したり…経験したいなと思った。経験するために時間を使うんじゃないか。
そうして、ずっと書けずにいたワクワクリストは、このリストの延長にあるのかもしれない、と思う。
大きな目標を設定して、それを実現するための行動じゃなければもったいないのではなくて、目標に値しないなら、なにもしないっていうのがもったいない。
時間に対する考え方が少し変わった。
自分にはすばらしいもの、人より秀でたものなんてないと思っていた。
でも、わたしには全くなにもないわけじゃない。
自分の過去、ちょっとでも興味をもって行動した事は無駄じゃない。
ずっと、大きな目標(=仕事で独立するとか)につながる行動じゃないと、学習じゃないと、無駄だと思っていた。ただの遊びだと思っていた。母に言わせると「遊んでばっかり」。
でも、大きな目標は、私の身の丈ではなく、どこか遠くの「成功の秘訣」「憧れの職業」から持ってきたもので、わたしにはそこに飛び込む度胸もなく、そんな度胸も自信もない自分をいつも責めていた。
大きな目標に対する行動じゃないのなら、やっても意味がないから、何もしないでじっとしていた。
そのうち他人の事が頭に入ってきて巻き込まれていった。
会社がつまらなく、苦しく、でもそれが「一生懸命働いているってこと」なんだ、と信じていた。
そうじゃなくて、自分の事をもっと知ろう。自分の感じている事を知ろう。
「あのとき、こうしていたら、違ったのに」っていつも思っていたけれど
前の会社でつまづかなかったら、ワークショップに出会わなかったら、「あのとき、こうしてても」きっとどこかでぐるぐるになってしまっていただろう。
やってみたいことは、やろう。それをやってどうなるのか、は必要ない。
何もしなくても、何かをしても、時間は同じように過ぎていく。
履歴書を出して、本当にこの仕事をしたいんだろうか? また間違えてやしないか? と思ったりする。
でも、答えだけをずーっと探し続けてても、みつからないかもしれない。
面接も怖いし、次に受ける企業を探すのも怖いし、上手に働いていけるかも怖い。また心が巻き込まれるのも怖い。
でも、その度に、自分に聞く事が大切だと思う。
藤沢さんが言うように、「回復」という到達点はなく、ずっと続けていく事だし、きっとまた、転ぶんだと思う。
その度に、惑わされないように、ずっと自分と仲良くしていこう。
なんか、12週終わって、そんな気持ちです。