R. I. さん はなみずきクラス
はなみずきクラスのみなさん、藤沢さん、田宮さん、先日はありがとうございました。
すごく濃いワークショップ・クラスで、消化できてるのかよくわかりませんが、クレンジング・リアクションも出てるのかよくわかりませんが、今は少しゆっくりした、穏やかな時間にいる気がします。
今までより少しゆっくり、ちょうどいい感じです。
最初は気づかなかったけど、怒りの感情を感じてたり、頭で分析したり考えすぎだったって気づけて、体験できました。
パートナーさんと「ありがとう」の言葉を笑顔で言い合ったときは、「ああ、人に笑っていいんだ」って思って、ぶわって感情があふれてきました。
今まで笑顔で満足したら、もっとこれをやれって、上を目指せって言われるような気がして、感情をうまく出すのができませんでした。
でも、今はそんなこと言う人いない。
もっと人に笑おうって思います。
パートナーさんが喜んでくれたのも、すごい嬉しかった。
初めて会った人と、こんなに心から通じあえた気がしたのも初めてで、何も考えなくてもいいんだって体験できた。
心が楽になれたり、温かくなれたり、いろんな瞬間がありました。
日常生活でも、心がほかほかしてたい。
そのために、攻撃的でない「i‐message」を使っていこうと思います。
これからも、ゆっくりした穏やかな時間の中にいようと思います。
A. M. さん はなみずきクラス
藤沢さま、みなさま
3月11日の「感情ワークショップ」では大変お世話になりました。
周囲の意見に振り回され、自分の意思がなく(表現できない)、ぐったり疲れてしまっていた事、仕事終わりに不安な気持ちが湧いてくる事を、何とかしたくて参加しました。
初めての参加だったので、非常に緊張し、感情移入できない部分もありましたが、藤沢さんが「できなくてもいい、ここは安心できる場所」と繰り返し話してくださったので、「私は今日はここまででいいんだ」と思う事ができました。
自分の気持ちを、こんなに素直に言葉にしたのは初めてです。
話せた事、言葉にした事自体に感情がゆれて、涙が出てしまいました。
ペアを組んだ方、話を聞いて下さってありがとうございました。
そして私に、心に思っている想いを話して下さって、ありがとうございました。
後半ペアを組んだ方と帰りが一緒になり、途中まで一緒に電車で帰りました。
4回目の参加だったそうで、「i‐message」やヨガなどに取り組むことで体調も良くなり、楽になったと話されていて、実際に変容できている方の話を聞けて、勇気を頂けました。
ありがとうございました。
またどこかで会えたらいいですね。
当日終了後は、頭がガンガン痛くなって吐きそうになりました。
今も頭痛がします。
即返してしまうとか、人の境界線に入ってしまうとか、過去との紐付とか、他人を裁いてしまうとか、他人と比べるとか……。
全部自分に当てはまります。
気づけてよかったです。
とは言っても、日常に戻って早速、即返したり、他人と比べたり……、と相変わらずな自分がいます。
最初から全部は出来ないと思うので、小さなことから、出来ることから取り組んでいきたいと思います。
チェアワークは日課にします。
また、私は家族問題のケアが必要なのは薄々わかっていたのに、何となくフタをして生きてきました。
今回の AFTER WORK が終わったら、まずは『インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法』を読む事から始めたいと思います。
今、私の大好きな某アーティストの歌が、ずっと頭の中をぐるぐる回っています。
今の私の心境にぴったりな歌詞です。
♪何かに押しつぶされそうになってもそれを跳ね返す強さを持ってよ
♪君にできないことはない、君は君らしく君で居ればいい
素敵な時間をありがとうございました。
M. K. さん はなみずきクラス
藤沢さん、田宮さん、そしてはなみずきクラスのみなさん、ワークショップ・クラスお疲れ様でした。
ワークショップ・クラスが終わった後の、率直な感想としましては、なんだか頭の中がすかっと、晴れ渡っているそんな感覚です。
ONSA のワークショップは、初参加でした。
追加募集があり、日程としては問題なく、後は自分の気持ち次第でした。
そのときに、藤沢さんがブログで何度も書かれていた
「準備が整うことは、きっといつまで経っても来ない。えいっ!! と踏み切る感じ」
という言葉が、わたしの背中を押してくれました。
まさにその通りでした。
勇気出して、えいっ!! って踏み切って、本当に良かったと思います。
プレワーク時は、過去のことを思い出して、いらいら・どんより…はぁ…って感じでした。
こんな苦しいことばっかり思い出すなんて、もういやだ! って思っていました。
ワークショップ・クラス当日、心を開いて自分の声を聞く最初のワークで、自分の感情を表現しようとしたとき、事実説明になっていたことに気づき、
「自分がどう思っているのか・感じているのか……」
最初は、正直よく分かりませんでした。
でも、ワークを重ねるにつれ、言語メッセージと非言語メッセージがだんだん一致してきて、
「わたしって、こう感じていて、それをシンプルな言葉で表現できそうかも」
と気づきました。
そして、2回目のワークショップ・クラスのはじまり、藤沢さんに
「今までみんながんばってきた。うまくできないからここにいる。うまくやろうとせず、ありのままの感情を心開いて感じてみて」
といわれ、涙が出てきました。
私は今まで優等生、いわゆる “いい子” を通してきて、「こう言えば正解」みたいなことを、自動的に口にすることが多かったように思うのです。
優等生の答えを出すようがんばってきて、その答えにたどり着くまでのプロセスにあった様々な感情……本当はこう思う(けどそれは言ってはいけない)……を、すっとばしてしまったから辛かったんじゃないか、ふとそう思え、
「今までようやってきたわ、がんばらんくてもいいんだ、ありのままのわたしでいい」
と思えたら、涙があふれてきたのです。
そして、チェアワーク、いままでも自己流でやってはみたものの、いまいちな感触でしたが、今回やってみて、こんなに身体の中に芯が通ったかのようにどっしりと構えられ、頭がリセットできることに気づけて、なんだか笑えてきました。
わたしは、今回のワークショップに参加して「自分はこう思った」、その感情を心から大切にしていいんだということに気づけました。
そして、「感情の BIG4」の正体を知ることができ、これから少しは、冷静に自分を振り返ることができそうかな。
そして、その感情を相手に伝えるならば、「i‐message」で境界線を守って伝えられるよう、訓練していこうかなって感じです。
これからもクラスのみんなの顔を、そして、このワークショップで知識として学んだことを思い出して、毎日を過ごしていきたいと思います。
最後に、ペアを組んでくださった方、クラスのみんな、そして藤沢さん、田宮さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
A. N. さん はなみずきクラス
こんにちは。
時が経つのは早いもので、ワークショップ・クラスから一週間が経過しようとしています。
優月さん、田宮さん、クラスでご一緒した皆様、その節は大変お世話になりました。
特に、自己紹介中に恥ずかしさのあまり「あっ」と声を上げて皆様をびっくりさせてしまった事、今でも申し訳なく思っています。
どうぞお許しくださいませ。
優月さんには申し訳ないのですが、クラスの二回目は片頭痛が酷くて、あまり身が入りませんでした。
吐き気とズキズキする頭で受けたので、直前の指示もすぐに忘れてしまう有様で、ポカリスエットも試したのですが、もう駄目でした。
なので、プレワークも含めてお話します。
プレワークは、『未来日記』に「感情が動いた現在の出来事」、「その時の感情」、「結びついている過去の出来事」を書き留めていくのですが、最初は記録程度にしか思わなかったものが、結びついていることや、感情のパターンなどをまとめていくうちに、段々と気持ちが落ち込んでいきました。
『未来日記』は夜にまとめたのですが、蓋をしていたものと直に向き合うことになるので、却ってもやもやして、寝付くのが遅くなったりします。
私はパニック発作持ちなので、ショックが大きいと胸痛の発作が起こるのですが、前日もやもやしていると、翌朝は酷い発作で目が覚めます。
(注:発作で死ぬことはありません)
多分、自分としては、それだけ隠しておきたかったことなのでしょう。
ですので、ワークショップ・クラス当日は、かなり重苦しいものを引きずりながら、会場へ向かいました。
冗談でなく、溜まった緊張のエネルギーで体が爆発するのではないか、という気さえしていました。
でも、身が入らないながらも2回のワークショップ・クラスを受けた後には、自然と足取りが軽くなっていたのです。
足が疲れていたので、足のむくみをとるハーブのシートを貼って寝たら、次の日には体全体がとてもリラックスしていました。
シートのお陰かな、とも思いましたが、今考えたら、ワークショップ・クラスで抱えているものを全て降ろしたからだ思います。
ワークショップは2回受けたのですが、「感情ワークショップ」は特にプレワークがきついという実感があります。
でも、過去ときちんと向き合うというのは、悩んでいる方こそやっておいた方が、後が楽ですよ。
当日休みたくなっても、会場までだるい体を引きずって行くことをお勧めします。
最後に、1回目、2回目でそれぞれパートナーを組んで下さった方、どうもありがとうございました。
お二人と組めたことが一番嬉しかったです。
要領を得ない私を温かく見守ってくださって、本当にありがとうございました。
S. I. さん はなみずきクラス
優月先生、田宮さん、はなみずきクラスのみなさま
先日は、ありがとうございました。
何度か WORKSHOP に参加して、やっと気がついたことは、下手でもいいから、抱えている問題を話さないと、癒されることも、前進することもできないと思い、今日、沈黙をやぶろうと決心して PAY FORWARD にむかっています。
心を開くこと、話すこと、質問することが難しい私は、先立って出てくる感情は、「恥」でした。
トラブルに巻き込まれたり、精神的ストレスや、緊張を感じる環境に繰り返し身を置いているうちに、痛みの感情が激怒となって表れるようになっていました。
慢性的な喪失によって、自己否定感は強まり、過食や強迫行動・強迫観念として反応がでてきていることに気がつきました。
言葉を発することはありませんが、時に、卑猥な言葉が出てきて、そんな自分が怖くなり、苦しめられます。
そんな痛みを取り除こうとコントロールすればするほど、悪化するばかりです。
本当の私を他人に知られまいと、よく見せようとか好かれようとしている自分がいて、肝心の私の感情を閉じ込めてしまって、気づくことができずにいました。
私にとって表現が難しい感情は、「悲しみ」と「嫉妬」です。
なぜなら、弱さにつけこまれるのが怖いからです。
私にとって感情は、どこか厄介なものでした。
感情は、当たり前のものだと知った今、まずは、もっと自分の感情を理解したいです。
私のことを分かっているのは、他の誰かではなく、私自身なのだと、心から感じることができました。
Y. O. さん はなみずきクラス
藤沢さん、田宮さん、ご参加された皆さん、先日はありがとうございました。
私にとって、今回のワークショップ・クラスは難しいものでした。
初めに、厄介な感情から過去につながる出来事を思い浮かべることが難しく、何となくは浮かんできたのですが、それが一番の原因かどうかは曖昧なまま進んでいきました。
けれども、引っかかりを感じていたのは確かなことで、後半からのワークでは、自分のその時(幼い頃)の正直な気持ちが出てきたときは、納得しました。
実際にその感情につながっている、人から受けた言葉を、ペアになった方に言ってもらった時は、ドキッとして考えが止まってしまう感じになり、泣きたい気分になりました。
不安と感じていた感情でしたが、その瞬間、恐れになっていました。
2回目からは、その恐さも少しずつ和らぎ、相手の感情、相手の考えなんだな……と少し落ち着いて受け止めることができました。
今回の一番の気づきは、自分が知らず知らず、人と自分を比べてしまっていることを知ったことだと思います。
前半は自分の感情がつかめず、ワークについていけているのか不安になり、
「これでいいのかな? どうして出てこないんだろう……」
の連続で、休憩中は
「ちゃんと心が開けていないのかな」
とか
「集中が足りないんじゃないか?」
「もしかしてその感情は、実は私にとってあまり大きいものではないのかな?」
等、悶々と原因について考えていました。
多分、藤沢さんに質問をしても、私の感覚的なことなので仕方のないことと思いつつも、できればこの機会を十分に活かしたいと思う気持ちが大きくて、恥ずかしく思いながらも質問させて頂きました。
藤沢さんの「わかりません」は穏やかに聞こえ、自分でもわかっていた為か、ちょっと自分が滑稽に思えたりしました。
でも、質問できて本当に良かったです。
それが、人と比べていることだとわかったこと。
頑張らなくていいんだ、できなくてもそれが現状で、それを受け止めることが糧になるんだと、頑張っていないからできない訳じゃないんだと、そう思うとホッとするというか、私は頑張れないことに罪悪感を感じてしまうようです。
自分に正直になる。
前回参加したワークショップでそう決めたのに、まだまだ実際にはそうできていないことを知ることにもなりました。
質問できたことで、後半は気持ちが楽になり、リラックスして臨めました。
本当にできないことも沢山のことを教えてくれています。
そんなワーク中にはなかなか出てこなかった私の感情ですが、帰りの電車の中で思い出した事がありました。
幼い頃の私は、感情を表に出すことをあまり許されてこなかったということです。
顔に負の感情を出すことは、相手に対して失礼なことだという考え方が、今の私にも残っています。
そのことをキーワードに、小さい頃にあって、時々思い出す出来事が思い浮かびました。
それは、ワークで取り組んだ言葉や感情に通じるものでした。
ちゃんと出てきていたんだと思いました。
自分のことを信じきれない気持ちも、やはり私の大きな課題だと思います。
最後になりましたが、ペアになってくださった方へ、感想を丁寧に伝えてくださって、ありがとうございました。
前半のワークでペアになり、帰りに声をかけてくださった M さん、温かい言葉をありがとうございました。
すごく励まされました。
焦らず、自分のペースで進んで行こうと思います。
そして只お話できたこと、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
A. G. さん はなみずきクラス
藤沢さん
田宮さん
先日のワークショップ・クラスでは大変お世話になりました。
当日は、実はあまり乗り気ではありませんでした(笑)。
足が向かないというか……。
前回のワークショップの時に、セルフトークに耳を傾け過ぎて、心を開いていないことを指摘されたので、また出来なかったらどうしようと思っていました。
ワークショップ・クラスが始まる前に、藤沢さんにアドバイスをもらいました。
それは「自分の手に負える範囲でやること、その境界線を知ること」でした。
それまで、自分ではあまり言葉の意味がわかっていなかったのですが、今ではその意味がよくわかります。
私は、ワークショップに何度も参加しているのですが、悪い意味で慣れてしまっていたので、初心に戻ってひたすら心を開くように、セルフトークをしないようにしました。
途中で頭が痛くなってきましたが、それでもやり遂げたくて必死でした。
「感情ワークショップ」は、私の知らないことばかりでした。
自分では意外にも怒りが出てきたので、本当はたくさん貯めてたんだな~と感じました。
今は、受けて本当によかったと思っています。
ワークショップ・クラスの後、クレンジング・リアクションもきました。
今回は足が筋肉痛になりました。
こんなことは今までなかったです。
以前、「身体のワークショップ」に参加した時のプリントを読み返したら……思い当たる節がたくさんありました(笑)。
やっぱりな~という感じです。
まだ TAT までは届かないですが、もっと心の筋力を鍛えられるように、穏やかに、しなやかになれるようになりたいと思いました。
一緒にワークショップに参加された皆さんも、そうありますように。
T. Y. さん はなみずきクラス
これまで感情は、自分の中に閉じ込めるか、爆発して相手に投げつけてしまうものでした。
感情的な人も、どう扱っていいかわからず、ニガテでした。
ワークショップ・クラスで感情を探っていくと、自分の内側の声にたどりついた感じです。
ちゃんと見ていくと、内側に大きな感情がかくれていて、感情が大きく深いほど、心の声が切実だったのかな、と思いました。
”怖い” と恐れていた気持ちが、本当は大きな悲しみだったのがわかり、お互いに理解しあいたい、という願いが、心の底から出てきました。
これがわかっただけで、本当に安心できました。
そして、その感情と気持ちをきちんと伝えることができると、相手とのつながりが強くなった気がします。
もしその願いがかなわなかったとしても、耳を傾けてくれて、自分の本当の気持ちを伝えられるだけで十分、と思えます。
これからは、自分に対しても、周囲の人に対しても、感情の揺れを前より恐れなくなると思います。
感情があるから、心の痛みを感じることができる。
感情がどういう意味を持っているのか、どう伝えれば伝わるか、わかったので。
反射的に反応することは気をつけよう、と思って、でも、無理に押し込めず、自分の感情とゆっくりとなかよくできるといいなぁと思っています。
A. N. さん はなみずきクラス
優月さん、田宮さん、参加者の皆様、
ワークショップ・クラス当日はありがとうございました!
そして、おつかれさまでした。
あの短い時間の中で、ものすごくエネルギーを使ったのを感じました。
自分の疲れ方にびっくりしたくらいでした。
帰り道は「こんなに気持ちが楽なのは初めてかも」というくらい、穏やかなリラックスした感じだったのですが、次の日から数日は、一転してしんどくなって、カラダもだるいし、力が出ないし、精神的にも何もかもがうんざり! 全部もう嫌! という感じでした。
これがクレンジング・リアクションだといいなぁと思いながら、水分をたくさんとって、どうにか過ごしました。
一週間近くたって、やっとちょっと落ちついたかなぁと思います。
しんどい最中は「とにかく実家を出たい」という気持ち(焦り)が強かったのですが、今はそれも少し落ちついて、現実的にお金のことを考えよう、好きなことをやるのとどっちが大事かな? と思っています。
ワークショップ・クラス当日、特に優月さんに「人とくらべないで」と言っていただいたあとの後半は、真剣にワークに向き合うことができたと思います。
正直、ワークで経験したことは、まだ「何がなんだかわからない」という感覚ですが、アタマで理解してまとめようとしてしまいがちな私にとっては、それでいいことにするのも、大事なのかもしれません。
この一週間の中で、印象的な出来事が二つありました。
一つは、ワークショップ・クラス当日に友だちから来た、私が誘いを断ったことに対するお怒りのメール。
「あぁ、いま私、知らないうちに境界線を侵犯されたから罪悪感を感じたんだ!」
と思ったら、とても楽になりました。
もう一つは……最後のワークで何度も言ってもらう練習をした「言われたい言葉」を、どういう風の吹き回しか、うちの母が口にしたこと。
嬉しいだけではない、怒りとか、悲しみとか、いろんな思いが複雑によぎりましたが、練習のおかげでどうにか、まずは「ありがとう」と言えました。
ワークショップ・クラスの日の帰り道の穏やかな感じ、あの感じを体感できたことが、何よりもよかったと思っています。
あの感じが持続して、普通の状態になったらいいなぁと思います。
なれますように。
ありがとうございました。
M. S. さん はなみずきクラス
「感情ワークショップ」に参加させていただきました。
私の3つの気づきをここに書きます。
1つめは、ポジティブな「i‐message」の練習でのこと。
相手の方へお礼を言った時、また、相手の方からお礼を言ってもらった時、私は涙があふれました。
「わかろうとしてくれてありがとう」
相手の方も、私と似たシチュエーションの会話を練習にされていました。
意外だったのは、お礼を受け取って涙がでたこと。
今まで私は、いろんな相手をわかろうと、たくさんエネルギーを使ってきました。
両親とのパターンがルーツです。
相手は何も言わない、本音を言わない、聞いても答えない、なぜ怒ってるのかわからない、どうしたらいいんやろう、わかってあげなくては、こわい、不安……と、ぐるぐるとしてきたんです。
何も言わない相手を理解するという行為は、私にとって、とてもエネルギーを使うことでした。
察するといっても、当たるかどうかわからないし、外したらまた怒ってるし、相手を察せられない日本人ぽくない私はやさしくなくて、あかんのかな……と思って、がんばってわかろうとずっとしてきました。
でも、もう疲れていました。
だから、お礼をもらった時、あなたを想ってるよ、わかろうとしたいよって、この気持ちが伝わったように感じて、私はうれしかったです。
2つめは、悲しみ、辛い、傷ついた感情をシェアして、私は「人から私への ”理想”」が恐いと感じていたことに気づきました。
これも、小さい頃からの私のパターンのルーツのひとつでした。
感じるままに、泣きながらシェアして口から出た言葉が教えてくれました。
「もうそんな理想にはなれやん」
「そんなんですきになってくれても、そんなんあたしとちゃう」
「もうできやん」
「もう無理なんよ」
私は、親から「払ったお金に見合う子」「こんな子であるように」という、彼らの理想と比較され、他の子と比較されて育ちました。
今、書いていても悲しくて、涙が出てきます。
生きのびるため、嫌われたくない、愛して欲しい、だから期待に応えるためにがんばってきた、でも信じられないくらい傷ついてきた私に、気づきました。
私は、小学校中学年くらいから、親や家族とあまり会話せず、不遜な態度をとるようになっていましたが、そんな外側であっでも、内側では愛して欲しいためにがんばっていたことに気づきました。
本当に、信じられないくらい、私は傷ついていました。
3つめは、本当に、今も日常のほとんどの時間を、他人の機嫌に左右されていたこと。
怒りや不機嫌にびくびくしたり、良くしてくれたらほっとしたり、私の『未来日記』は、他人の機嫌のメモでいっぱい。
私が感じているのは、不安、恐い、怒りが大半でした。
怒っている人に何かされるんじゃないか、罰を受けるんじゃないかとびくびく。
特に男性や上司、同じ場所に居続けなくてはいけない人(会社など)に対して反応していました。
その人が目の前にいなくても、ひとりで頭でぐるぐるその人のことを考えていました。
わたしのせいなの? 何かしたのかな? と身体は緊張して、思考が走ります。
他人重心で、毎日一喜一憂でした。
これも、ルーツは両親や家族との関係です。
私の父親や祖父は、普段だまっていて突然激怒していました。
また、その理由を言わないことをしていました。
部屋へひきこもったり。
母や祖母は狼狽して、おずおず機嫌をとったり、距離をおいておびえたり、腫れ物に触らないという対応をしていました。
私もそうしていました。
恐いから、私も怒った風に相手に接するのですが、その態度の後ろでは怯えていました。
3つを書いていて、小さい頃からの私のパターンをもっと知る事ができてよかった……。
また自分を知る事ができて、私はうれしいです。
私の両親は、ネガティブなことに「ひたすら耐える、我慢する、放っておく」ことをしますが、ずっと耐えてたのは私もなの? と、また自分をわかってあげられた。
私は自分を、いい人じゃない、優しくない、女性らしい優しさの無い、自分勝手な人だと思ってきました。
親や他人に言われたことがあったから。
でも、相手を察せられなくて、相手の理想になれなくて、相手の機嫌をとれないから、私は自分勝手な人です、って何かそれおかしくない? ちがうんじゃないのか……? と、ポジティブな疑問をもてました。
ずっと ONSA の WORKSHOP で訓練してきたから、こんな問い直しができるようになった……。
境界線の大事さ、「i‐message」の力を、今も、より大事に大切に感じています。
自分の感情のパターンを知って今、やっぱり私は、私を守ってあげたい。
本当に自分のこころに確認できました。
もっと、私の境界線を大切にする行動をして、「i‐message」の練習をして、私を大切にしたい。
もっと、私を大切にして愛していたい。
胸の痛みごと、過去のすべて、何もかも全部。
そして、私が私のままで心地よくあれる、お互いの境界線を尊重し合える人達と出会って、共に時間をすごしたい。
私は、人生を楽しみたい。
今回も、私のこころからの感謝を捧げます。
藤沢優月さま、田宮さま、ご一緒できた皆様、ワークでペアになれたお二人の方へ。
読んでくださったあなたへ。
ありがとうございました。
Thank you.
Love,
A. K. さん はなみずきクラス
私と感情の関係は、どこかずれているような、ねじれているような、そんな関係の気がしていました。
前のワークショップで、優月さんに「感情ワークショップ」をおススメされ、自分でも何か手掛かりが欲しくて、今回参加しました。
参加してみて振り返ってみると、どうも私は、言語と非言語が一致してないのかも、という事に気がついてました。
自分の非言語(表情や姿勢や仕草)って、その場では自覚しにくいですね。
ペアワークで、もう一度やってみて、と言われて、まだ顔がこわばってたらしい自分に気がつきました。
やっぱり、気持ちや感情を伝えるのって、プラスの事でも、マイナスの事でも、私にとってはとても勇気がいる事です。
勇気がいって、どきどきしてるから、たぶん顔も仕草も硬いのだろうな。
何回かワークを繰り返し、そして最後にはペアの方に、
「さっきよりやわらかくなってるし、気持ちは伝わってきたよ」
と言って頂いたとき、じんわりと安心し、喜ぶ気持ちで、ほっとしました。
気がついて、少しずつ繰り返してやってみれば、できそう。
日常でも、非言語の表現が自然に出るような心持ちをしていきたいと思いました。
それから、開始前に、これまでのワークを見てきている優月さんから頂いたコメントも、印象的でした。
私が「悩み」と思ってたことが、実は「原因」なのかも、と気付きました。
視点がちょっと変わって、今後に取り組む姿勢にも影響を頂いた気がします。
ひとつひとつ、丁寧に。
忘れそうになっても、落ち着いて思い出そう。
そういう姿勢を持って、これからやって行きたいです。
そして近いうちに、私のなかに溜まっているどんよりした何かが、さらさらと溶けて流れていきますように。
優月さん、田宮さん、事務局のみなさま、
今回もありがとうございました。
N. S. さん はなみずきクラス
先日は「感情ワークショップ」に参加させていただき、ありがとうございました。
感情って一体なんなんだろう? そんな疑問や、自分があんまり今まで感情を表に出したことがないことから、何となく窮屈な思いをしていたことがきっかけで、参加する事を決めました。
私は、感情の中でも特に「怒り」を日々の生活で感じたことは、あまりありませんでした。
しかし、よくよく自分のこころと対話してみると、結構怒りの感情を持っていて、自分で見ないようにしていた事に気づきました。
失敗してもいい、できなくてもいい、でも思い切ってここで自分の怒りの感情を表現してみよう! と決心し、ワークショップ中に怒りをぶつけてみました。
そしたら、自分でもびっくりするくらい身体が熱くなって、悔しい気持ちや、やりきれない思いが出てきました。
このことを体験できただけでも、自分では OK って思いました。
それから、自分の感情を伝えることを実践したときは、自分が言ったときも、言われたときも、とてもこころが温かくなりました。
自分の感情は自然に発生したものだから、それを大事にして、この感情が起こるという事は自分が今どう感じているのかなぁ、という事に気づいてあげたいと思います。
優月さん、田宮さん、クラスのみなさん、ありがとうございました。
Y. W. さん はなみずきクラス
優月さん、田宮さん、はなみずきクラスの皆さん、
素敵なワークショップをありがとうございました。
おかげさまで、今回もとても心地よい環境・時間で沢山のことを学ぶことができました。
「感情」がテーマの WORKSHOP。
感情がそのままで出せて、本当に良かったです。
ペアになってくださったお二人と、安心してトライできる場所を作ってくださった優月さん & 皆さんに感謝です。
ずっと「こんな感情は出してはいけない(感じること自体もダメ)」と封印していたもの。
それを出してみたら、私という存在が、すっと立ち上がってくるのを感じました。
私の場合、それは怒りの感情だったのですが、出しながら「あ、これが私……」と、不思議と生命力を感じることができました。
そして、自分が中心に戻っていく感覚がしっかりしてくるごとに、口にしてた怒りの感情も、自然とおさまっていきました。
「あ、これはもう過去のことだ」
「すごーくごっそりあるかと思ったけど、3分もあれば結構話せるものだな」
と、自然と区切りがついて、
「それに必要以上にとらわれるより、今ここで生きている私を大切にしたい(主役にしたい)」
と思えました。
前半にペアになってくださった方、私の何十年もの怒り(怖い~!(笑))を、ただ黙って受けとめてくださり、ありがとうございました。
おかげでたった3分でスッキリしました!
最後に、「そうだよね」と同調してくださったちいさなサインも、とてもとても嬉しかったです。
何気ないことでしたが、
「私が感情を出しても、受け入れてくれる人はいるんだ」
と、人を信じる勇気をもらいました。
後半にペアになってくださった方も、ありがとうございます。
感情を出す練習に、思い切ってトライできたことももちろんですが、感情を「受ける側」になった時も、沢山の気づきをいただきました。
自分の気持ちを分かってもらうために、私は
「どう言ったら相手に分かってもらえるだろう」とか、
「できるだけ穏便に伝えるには、こういう言い回しで……」とか、
あれこれ考えすぎて、うまくできないかもと自信がもてず、結局言わないまま……で、不満や我慢がたまる一方でした。
ですが、今回相手の方が、ただシンプルに自分の気持ちを伝えてくださるのを受けて、
「正直に気持ちを言うだけで、こんなに伝わるんだ」
と思いました。
人の心に響くのは、人の心なんだ。
頭で一生懸命何とかしようとしてた私に、とてもシンプルな答えを教えてくれました。
そして……私から見たら本当に素敵で、可愛らしい雰囲気の方だな~と思っていたのですが、その方がご自分の笑顔と良さに心を開いて涙をこぼされた時、私は本当にきれいだなと思ったんです。
その方の感受性の豊かさと、周りを思うあまりに封じ込めてた優しさが、そっとこぼれでるのを見て、とてもあたたかい気持ちになりました。
ご自分で勇気を出して「変容」を受け入れたからこその、瞬間だったのだと思います。
貴重な時間を共有できて、とても嬉しかったです。
これからも、その素敵なご自分を輝かせていかれることを、心から祈っています。
最後の「プラスの感情を伝える」も良かったです。
これをしたらすごーく! 楽しくて & 嬉しくて、
「あーもうさっきみたいな暗い感情で自分をいっぱいにするより、どうせなら楽しい幸せな感情でいっぱいにした方が人生お得だな!」
なんて思っちゃいました。^^
帰り道では、ごきげんに鼻歌まで歌ってた私(笑)。
でも、幸せってこんなとこからでいいんですよね。
そして…… ワークショップ・クラスからちょうど1週間後の今日、私は母に、自分の気持ちを思い切って言うことができました。
言う瞬間は、やはり少しためらったり、また今度でもいいかな……と揺らいだりもしましたが、でもせっかくの機会だし、私は正直になるんだと思って話し始めました。
まだまだ、たどたどしいところや、つい言葉を和らげてしまうところもありましたが、それでも、練習で学んだ通り「私はあの時こう思った」ということだけを素直に口にすることができました。
前よりずっと落ち着いて話せることができた自分も、嬉しかったです。
(多分、相手にわかってもらおう・相手を変えようという気持ちが、素直に抜けたからだと思います。ただ、自分の気持ちを口にできるだけでも十分に嬉しいんだ、と気づけたおかげです。)
母も、それを以前よりゆったりと、ただ聞いてくれて、とても嬉しかったです。
私の家族関係は今でもいろいろありますが、苦しかった根っこには、単に「コミュニケーション不足」もあったのかな、と思えるようになりました。
そして今日、またひとつ素直に話す体験ができたから、
「これからはもっと、何でもないことも話してみよう」
「小さかった頃に叶えられなかった家族との触れ合いも、これから取り戻していこう」
そんな風に心で思えるようになって、とても嬉しいです。
優月さん、今回も素敵に明るい笑顔で、パワフルな WORKOSHOP をありがとうございます。
前半のレクチャーだけでも、参加できて良かった! と心から思いました。
(ほんと、これを知らないでよく生きてきたな~と思いました。)
優月さんの WORKSHOP のいいところは、
「しっかりした知識 + 現実に使えるスキル」がしっかり学べるところです。
先日の「境界線(バウンダリー)ワークショップ」でもそう思いましたが、今回の「感情ワークショップ」でも改めてそのことを実感し、すごいな~と思いました。
この「日常で使える(気休めではない)」ところが、優月さんの WORKSHOP の一番の魅力だと思っています。
プレワーク & アフターワークのおかげで、学んだことを日常に定着させられるのも、更に気づきが得られるのも、他にはない素晴らしいポイントだと思います。
今回も素晴らしい「変容」の時間をありがとうございました。
全てのはじまりであり、ゴールでもある「自分を好きになること」。
それを、これからも楽しんで & 心の声を聴いて、実践していきたいと思います!
T. N. さん はなみずきクラス
藤沢さん、田宮さん、そしてはなみずきクラスでご一緒したみなさん、暖かい時間をありがとうございました。
さて、ワークショップを終えて帰宅したときに、すぐにこわ~い現実が待っていました。
母の、
「どうしてもっと早く帰ってこないの!」
という、いつもの感情的な、怒りのひと言でした。
もう、何を言ってもムダ、というあきらめの感情から、私は何も言い返しませんでしたが、何でも自分の思い通りにしようとする母と父、そして、その事にこたえることが「信頼関係」だと勘違いしている(と私は思います)二人には、どうしたものかと思い、ホトホト疲れました。
このワークショップで感じたことは、
「感情は、ひとつではなく、いろいろなものが折り重なっている」
ということでした。
そして、詳しいレクチャーを受けたときに納得。
私は、周りからは「穏やかな人」とよく言われますが、その奥にはさまざまな感情を出さないように、押さえつけてきたふしがあります。
感情をニュートラルにしてきたつもりが、実は感情を押さえつけてきた。
何も感じないふりをしてきたのです。
劇的に、急に変わるということはないのかも知れませんが、「『i‐message』で伝える」「あえて何も言わない」という方法を自分で選択する、という自覚が身に付いたというだけでも、大きな収穫だったと思います。
どうもありがとうございました。
また、何回かワークショップを受けるにしたがって、顔見知りの方ができるのもうれしかったです。
また、お逢いできるといいですね。
そのときは、気軽に声をかけてくださいね。
H. E. さん はなみずきクラス
優月さんが、折にふれて言葉で伝えてくださるとおり。
時間には限りがあって、そのかけがえのない大切さ、重み、それから、愛しい感じ。
本当にそうだな、大事に過ごしたいなって、『未来日記』に向かっていると、ふとふと感じます。
会場に向かう電車に揺られる朝にも、終わってホテルに向かう道でも、何度でも、改めて心に刻みたいな、と思いました。
だから、2012年3月11日、「感情ワークショップ」のクラスで、一緒にまたお時間を過ごさせていただけて、それに最後に、あんなにあったかい気持ちを、みんなでシェアできて、とても嬉しいし幸せです。
ペア組んでくださった方の涙がきれいで、やさしくて、かけていただいた言葉が嬉しくて、思い出すと、今も心がゆっくりあったかくなります。
素敵なお時間を、本当にありがとうございました。
今回のワークショップ・クラスで、多分、ずっと知りたかった「感情」について学ぶ機会を得ることができて、とても嬉しく思います。
たとえば、火とか包丁とかと同じように、安全に扱えるっていう知識を持っていれば、気持ちを人に伝えることの怖さが、うんと減るなって思いました。
これはひとつの切り取り方でしかないけど、私は小さい頃、たくさんむちゃくちゃに投げられる感情に、混乱したし、傷ついたし、とにかく怖かったな、と思います。
もう少し大きくなると、不幸そうな態度を示すことしか、感情を出せない自分も、すごく悲しくて恐ろしかった気がします。
感情をぶつけることは、人を傷つけることだと、身にも心にもしみて感じていて、うっかり誰かにぶつけてしまわないように、そんな怖いものは、何とか閉じてしまおうとも思ってた気がします。
もっと大きくなると、自分の人との関わり方が浅くて、その上、社会的にもうまくないのは明らかで、だから、大事にしたいと思った人が、もっと関わりたいって言ってくれるほど、まっすぐ向き合えなくて、それで、たくさん傷つけてしまって、そういう自分が許せなかったし、全然信じられなかった。
でも、今は、「知ってる」から、感情のことだけじゃなくて、私を大事にする感覚も、境界線の概念も、変化に関する知識も、ぐるぐるした時もすぐに「今」に戻れるチェアワークも、「i‐message」の使い方も、信頼できる安全な空間で、うんと集中して心を開けるクラスに居るときの感覚も。
だから、だから、安心して、大好きなひとに大好きって言っても大丈夫だよって。
ずっとずっと、ただこの「安心」が欲しかった気がします。
こんな大きなたからものみたいな実感、夢みたいです。
夢みたい。
そして、こういうのが、私だけじゃないっていうこと。
辛いな、これ必要かも、やってみたいなと思って、えいっとお申し込みをする。
そうしたら、あなたがそう思うなら、それはあなたにとって正解だから、どうぞあなたらしく取り組んでみてくださいって、とても適切な距離感で受け入れていただける。
そういう機会と場所を、その辛さが社会的にはクリティカルでない(でも辛かった)私みたいな人でも、求めたら出会えるように、提供してくださっていることが、切実に、ありがたく思います。
優月さんへ、私に、かけがえのない時間を教えてくださって、本当にありがとうございます。
知ってるよ☆ って言ってくださる気がするけど、私、優月さんが、ONSA が大好きです。
年始から、少しずつ、自分でこっちかな…? と思う方に、変化を圧してみて、いま、毎日の環境が少しずつ動きはじめている感覚です。
ただここじゃないって全身で思うだけで、目的地も何となくな状態で、年齢を聞かれるたびにちょっと驚かれて、大丈夫なの? と真顔で心配してもらって、
「何ができるの?」
って聞かれて
「何もできないかもしれないです…」
そんな答えしか絞り出せなくて、どうしてなんだろう、って思ったり。
そんな中で思うことが、ワークショップの「ワーク」でなくても、「灯台の時間」を毎日意識してとれることが、ひとつ次のテーマかも。
田宮さんが、帰り際に「ぜひまた」っておっしゃってくださって、すごくすごく嬉しかったです。
その日を楽しみに、ゆっくり大事にひとつづつ、変化は楽しんで、「過去」が大きくでてきたら、ひとつひとつ「今」とバランスを取りながら、まっすぐ丁寧に自分と、周りの世界と向き合ってすすんでいきたい、そんな気持ちです。
焦らないで、今の私だけじゃなくて、とってもがんばってきた、これまでの私も、大事にしてね。
忘れないでね。
改めて、目を閉じて、みんなで手をつないで、よろしくねってしていただいて、本当にすてきなお時間を、心から、ありがとうございました。
N. I. さん はなみずきクラス
藤沢さん、スタッフのみなさん、クラスのみなさん、こんにちは!
先日はどうも有り難うございました。
今の気持ちを上手ではありませんが、お伝えします。
ワークショップ参加前の私は、ちょっとした事にすぐに腹を立て、いつも他人の(そして自分の)欠点ばかりを見ていました。
『未来日記』には、「怒り」の文字ばかりが目立っていました。
自分も他人も、失敗をするとこの世の終わりのような暗い気持ちになり、その気持ちを何日も引きずっていました。
いつもモヤモヤした気持ちを抱えていましたが、ワークショップに参加して、自分の気持ちと向き合い(相当怖かったです……)、感情の対処方法や、感情にはどんなサインがあるのか教えて頂いたことで、自分の中で何かがホワっと変わりました。
将来のことを何となく不安に思う時間や、昔の「嫌だったこと」が頭の中をグルグル回る時間が減りました。
以前のようにイライラっとする事もありますが、感情を長引かせることや、イライラすること自体が少なくなりました。
比較的落ち着いて、自分が何をどう感じているのか整理することが前より出来るようになり、「フラットな感じ」で時間を過ごすことが多くなりました。
ワークショップ・クラスは、私にとって非日常的な時間でした。
参加直後は、ワークショップ・クラスの内容も覚えていて気持ちも穏やかですが、日常生活に戻ると参加前の自分に戻るのではないか、とちょっと心配していました。
でも、大丈夫でした。
今でも、以前のネガティブな考え方の自分がひょっこり出てきて、感情の渦に巻き込まれそうになります。
その度にチェアワークをして、『未来日記』に感情を書き留め、藤沢さんの言葉を思い出しています。
そうすると、私の環境は今までと同じはずなのに、良いことが目に留まるようになりました。
クラスの皆さんに励まされ、自分の感情と向き合う勇気が持てました。
藤沢さんの「正しくなくても良い、完璧にしなくても良い」という優しい言葉に、心が本当に軽くなりました。
以前の自分と新しい自分の間を行ったり来たりしていますが、これからも少しずつ向き合いたいと思います。
ワークショップに参加することが出来て、本当に良かったです。
ありがとうございます!
T. M. さん はなみずきクラス
藤沢さん、田宮さん、クラスのみなさん
先日はありがとうございました。
ワークショップに参加するのは、自分の環境の変化もあり悩みましたが、参加してよかったです。
私は、感情を感じなくなっていたと思っていたことが、感情を抑圧してしまっていたということにきづかされました。
実際にやってみると、抑えられていた感情があふれだし、それも自分が最初思っていた感情だけでなく、別のものも絡んでいたことに驚きました。
ワークショップ・クラスが終わってからは、人が感情的になるのはどういう時かがわかり、すると私は助けてほしいときに怒りを感じることが見えてきました。
しかもそういうときって、自分から助けてほしいことを言葉にできていなかったりするのでした。
藤沢さんが、ワークショップ・クラス中に何度も話された、「できていなくってもいい、そのことがわかることが大事」ということが、私にとって一番の壁なのかなと思いました。
「できないこと」=「だめなこと」……と、どうしても思ってしまい、認められずにきたんだなあと。
後半のワークではそのことを知り、受け入れることがほとんどでした。
2大感情を言われたらどんな気持ちになるか……では、気づいた感情がなかなか書けなかったり、「i – massage」で感情を伝えるワークでも最初は困惑していたし、”人から責められている” ことが、私の中では事実としてあるものと当然のように思っていて、藤沢さんから「それは本当かどうかわからないよね?」と言われて、はっとしたりしました。
ワークショップ・クラスに来るまでは、きっとこんな自分を責めてしまうのだろうけど、今はできないことに気づけてよかった、できないくらいに重いものがあるんだね、少しずつ進んでみよう、と思えます。
毎日の生活では、また元に戻ってしまうのでは……と不安もあるのも、素直な気持ちです。
焦らずに、ですね。
本当にありがとうございました。
M. T. さん はなみずきクラス
たくさんのことが、一気に動いた時間でした。
でも、何となく、これまで起きてきた様々な流れが、一気にそこへ注ぎ込まれたような、そんな時間でもありました。
「感情ワークショップ」を終えて、私はようやく、giftedである自分を嘆くことができた気がします。
それは私に能力も与えてくれたけれど、それ以上に、自分の心や体を大切にすることを、わかりにくくさせてきました。
アクセルを踏んだら、ひとつのことだけで焼き切れる。
他のことは、寝食すら難しくなる。
それでも走っている間はいいけれど、終えた途端、それまで踏んでいた時間の倍近く、何も感じられない状態に入ってしまう。
そうして失った信頼やつながりは、とっかかりもなく高速回転する崖を登り続けなければ、再び手にできない――。
それが、私にとっての常識であり、社会でした。
10年来の夢をあきらめたのも、それを追い続けることと、社会的物理的生存とが、秤にかけられたためでした。
どうかこの想いが欲が死ねますように、と、実家に帰る道々祈っていたことを、今でも覚えています。
gifted のひとりであることは、大学卒業後に診断されました。
けれども、ものすごく曖昧な診断名だったことなどもあり、私は私自身の特性を尊重していいことに気づけませんでした。
知っていく「真実」への驚愕は大きく、おまけに多数派の考えも半端にわかるものだから、余計に自分の感覚が信じられなかった。
多数派にも少数派にも属せない、宙ぶらりんな状態は、私に何かを求めることを封じさせました。
私は、私なりに身を守り、境界線を守り、自分で心地良いと思う生活のために、あれこれ試していいのだと、知ることすらできなかったのです。
むしろ、社会生活の中で迷惑をかけないように、自分の欠けを知られないように、観察と分析を繰り返していました。
私の giftは、1点飛び出した能力と引き換えに、境界線の築き方を覚えさせなかったのだと、今は感じています。
成人近くまでその存在に気づかせなかったほど、それは徹底したものでした。
それでも私は、社会の中で働かなくてはならなかったし、人の中で生きていかなくてはならなかった。
家族の中で状況判断を繰り返し、薬の助けを借りながら就労先を探し、振り回す自分の体と周りの社会にしがみついて。
とにかく正社員になれという母親の圧力から、就職も果たしましたし、今の職場は興味深いところだとも思っています。
就職しなければやらなかっただろう様々なことも経験させてもらっているし、このご時世に、内容も条件も破格的にいい。
それでも、そこで働く違和感は消えませんでした。
gifted であることを知った時、私はそれまで遣ってきたすべての言葉を失いました。
何を言おうと、それは心から理解したものではなく、学んできたパターンの抽出に過ぎなかったから。
「嘘」でしか、なかったから。
私が求めることを封じてしまったのも、それが一因だったのでしょう。
それでも、執着や欲は死に切れず、技の名残をふるった諸々を、事情を知らない仲間たちは楽しんでくれました。
そうして喜んでもらえるのは、私にとって愉悦に近い幸福でした。
金銭的な余裕ができたことで、皆に直接会いに行けたのも楽しかった。
それまで知らなかった分野のお陰で、欠けていた能力が伸びるという不思議な経験もしました。
つい寝食を忘れたり、終えた後で倒れたり、不安定になるのは変わらないけれど、小出しにすれば何とか社会生活と並行させられる。
直接の夢はあきらめても、私が鍛えてきた技術で喜んでもらえるなら、それでいいじゃないか。
――震災までは、そう思えたのです。
震災と、その後の電力不足が突きつけた問いは、私を根幹から揺さぶりました。
”それは限られたエネルギーを消費させてまで行うことなのか?”
”言葉も語ることも失ったお前が、貴重な資源を奪ってまで行うようなことなのか?”
”娯楽も人を救う無駄も世界中に溢れている中で、ただ己の欲を満たすために電力を使うことが、許されるとでも思っているのか?”
それは、根深く私に突き刺さった、私の震災でのトラウマでした。
事態の深刻さがリアルタイムで伝わってくるだけに、誰に話すこともできない傷でした。
簡単に返せる答えならありました。
gifted として語ればいい。
当事者に見える世界を、本音を、社会や関係者は切実に欲しがっているのだから。
でも、私はそれが嫌だったのです。
当事者であることを認めたくなかったと言うより、当事者であっていいのかわからなかったから。
わかりやすい診断名は否定されている曖昧な私が、当事者という枠の中で語るのは怖かった。
何より私にとって、自分の感覚や心情は、従うほど社会から弾き飛ばされ、後から苦労するものでした。
そしていつしか、圧倒的な不信の対象になっていたのです。
震災以降、それは自分の能力まで含み、私自身の自己無能感へつながっていきました。
非常事態が長期戦に切り替わろうとする頃、私は条件付で再び作りはじめました。
友人の誕生日プレゼントだから良い。
潜在的な需要があるようだから良い。
まだこの傾向は存在しないようだから良い。
求めてくれる知らない人々がいるから良い――。
自己不信は消えませんでしたが、ともかくそれで少しずつ、私は以前の生活を取り戻そうとしていました。
やがて生活が忙しくなり、倒れやすくなったために、時間を少しでもうまく配分しようと、手を伸ばしたのが「時間のワークショップ」でした。
そこで指摘された問題は、私をさらに無能感と絶望に叩き落としました。
(藤沢さんを恨んではいませんよ、念のため。)
gifted であることを知らされた時以上に開かされた目には、血みどろすぎて触れることすらできない、傷だらけの子供が見えました。
頭の望むほどたくさんのことはできないのだ、とその子供は――心は初めて告げました。
家族がいない間に声を上げて泣いたのは、久しぶりだったかもしれません。
子供の回復を優先すると、もともと余裕の少なかったスケジュールは、みっしりと埋まってしまいました。
私が仕上げたいと望んだものは少しずつ進めていましたが、それすら所詮「嘘」なのではないかと思うと、気が落ちました。
何より、それが自分の重ねてきた技術の集合体であるだけに、同程度の技術があれば誰にでもできることを私は知っていました。
そういう人物が世界中に、歴史中に、大勢存在することも。
あなたが作ったものたちは私達に必要なのよ、と言ってくれる人はいました。
あなたには才があるのだから責任を果たすべきだ、と告げに来る人もいました。
けれど、再び言葉を失った私にとって、それらはひどくむなしく聞こえました。
私が語ることは、多かれ少なかれ、gift や問題の当事者としての言葉にされていく。
口にするほど汎用化され、よくあることに飲み込まれて、はみ出たものはお前の気のせいだと告げられる――。
じゃあ、なんで私は私じゃなきゃならないんだ。
それが、ワークショップで訴えた私の悲しみであり、重い「器」を包んでいたものでした。
そうして「器」をひっくり返すしかなくなった時、一気にあふれたのは悲しみの涙ではなく、身を灼き焦がすほどの悔しさでした。
プレワークでは一切出てこなかったその感情に、私はようやく、自分を痛めつけていた理由を悟ったのです。
それは、満足に能力をふるえない悔しさであり、それを許さない自分や環境への悔しさであり、感じたままであることが否定され続ける悔しさでした。
縛られなければどこまでも遠くへ行けるのに、社会で生きるために矯められなければならないことへの反発であり、人とありたいがためにそうできない悔しさでした。
私はただ、何に属さなくても、感じたままを受け入れ形にすることを、許されたかった。
当事者だからではなく、被害者だからでもなく、ただ私の感覚や思考を、私のものとして聞いてほしかった。
多数には迷惑な考え方だとされ、口にすればありがちか気のせいと弾かれる、諸々のことをただ認めてほしかったのです。
そのための手段だった夢を、手離した後も。
クレンジング・リアクションを越えて、今はひどく心もとない気持ちでいます。
かさぶたを剥いだばかりの肌みたいに、すぅすぅする。
脱皮したばかりのやどかりは、こんな気分なのかもしれません。
ずいぶん長くなりましたが、最後にもう少しだけ。
ワークショップ前半の方。
感情を話している時と感想の時、声のトーンが違うことに、実はびっくりしていました。
たくさんお話してくれてありがとう。
あなたの怒りを語る声は、あなたの心の強さだと私は思います。
ワークショップ後半の方。
発表も含め、たくさんのフィードバックをありがとうございました。
心を開く、というずっとわからなかった感覚が自分なりにつかめたのは、あなたのおかげです。
引きあわせていただいた S さん。
曖昧な話を、ただ受け止めていただいて、ありがとうございました。
思い返せば似たようなパターンが、結構いっぱいありました(汗)。
アドバイスを受け止めつつ、歩いてみようと思います。
藤沢さん、田宮さん。
まずは安全な空間と、大量の「鼻セレブ」をありがとうございました。
前回以上にべしょべしょだったので、実は割と本気で使いきるかと思いました……。
ワークショップ・クラスの2日ほど前から、何となくそーだろうなー、と思っていたことを藤沢さんに指摘されたので、安堵したような、気まずかったような、複雑な気持ちです(笑)。
頭の声と心の声の区別がつくようになってきたので、心もとないながらも次の道を探しています。
特性からオーダーメイドなんですから、余計に聞いてやらないと、ですよね。
もういいよね、と言えるように、楽しみながら頑張っていくことにします。
ありがとうございました。
最後に、ここまで読んで下さってありがとうございました。
Y. S. さん はなみずきクラス
優月さん、田宮さん、ご一緒した皆さま
お疲れさまでした。
この1週間、とても長かったような気がします。
(まだ1週間しかたっていないんだ、という気持ちです。)
プレワークの最中は、イライラがピークに達して「何で申し込んでしまったのだろう」と、思っていました。
そして、しっかりと出来ていないことに不安を覚えていました。
こんな状態で、ワークショップを受ける準備が整っているのだろうか、という気持ちも持っていました。
現実に、いま起こっていることの感情というより、むかしあったことに対する想いばかりが浮かんできてしまうのです。
ワークショップ・クラスの当日の朝も、大泣きしました。
そして、悲しみの感情ばかりで、怒りの感情が出てこないことにも、とまどいがありました。
私にとっては、人を怒れるということが大切なことだ、という思いがあったからです。
それでも、出てくるものは悲しみ以外になかったです。
いまは、それは出すしかなかったのかなあと思います。
言われてイヤなことを言ってもらう時にも、言われて悲しいことにしか思考がいきませんでした。
でも、実際に言って貰ったら、全然悲しくありませんでした。
自分の頭の中で言うことばと、他の人の口を通して言うことばには、大きな違いがありました。
そして、私が気持ちを伝えて、感想をフィードバックして頂いた時には、大変申し訳ないことに(パートナーの方ごめんなさい)、
「何も分かっていないのに。分かったようなこと言わないでよ。」
という感情が上がってきました。
だけど、それも素直に書きとめておきました。
本当はこの気持ち、その当時に私が周りに抱いていた感情でした。
いまは、それが分かるから安心して、すっきりしています。
自分の感情を境界線の中にとどめて、相手に安全に伝えるという方法は、初めての知識でした。
がまんして言わないのではなく、自分の気持ちをしっかりつかまえて、感情ではなく気持ちを伝えるというのは、清々しい感じでした。
最初は、気持ちが溢れてしまって、相手の方から「戸惑った」という感想を返して貰いましたが、静かに気持ちを伝えた時に、相手の方が心で味わってくれたというのが表情で伝わってきたので、不思議な心境でした。
相手の方の話しを聞いた時は、言っている言葉が頭に入ってこなく、ぼや~っと靄がかかったようになってしまい、相手の方の単語には無かったはずなのに、ただぽつりと「悲しい」という感情が残りました。
その方が、もう一度伝える言葉を考え直された後に、私が最初に感じた想いと同じになっていたので、非言語メッセージだったのかなということと、「ああ、ちゃんと分かるんだ」と、いうこと。
自分の感覚を大切にしていいのだということに、安心しました。
「ポジティブメッセージ」は、思い出すたびに心が温かくなります。
相手の方の素敵な笑顔が、心にずっと残っています。
「ありがとう」ということに対して、「どういたしまして」と、お互い心を開いてやり取りしただけなのに、表情が和らいで幸せな気持ちになりました。
私もきっと同じかおをしていたのかな。
あの笑顔を思い出すたびに、胸があたたかくなります。
この1週間は、ぼ~っと色んなことを思い出すことが多く、何かに集中したりする事とかが難しかったです。
ただ、気持ちは精力的に動いている感じで、人といる時にも自分をもって穏やかにいれたし、母ともたくさん話す機会がありました。
日々のこつこつに関しては、まだ訓練が必要だな……と思うのですが、自分の中での変化はちゃんと前に進んでいるみたいです。
それは、とても嬉しいです。
皆さんと一緒に、受講できたこともとても嬉しいです。
あのクラスの時間を思い出すと、楽しくなります。
実際は、たくさん泣いていたのに~(笑)。
またワークショップ・クラスでお会いできるかなと、顔を思い浮かべてみるのも楽しい余韻です。
皆さまの一歩も守られたものでありますように。
私も、もう一歩あるいてみたいです。
ありがとうございました。
A. Y. さん はなみずきクラス
藤沢さん、田宮さん、ご一緒した皆様、先日はありがとうございました。
PAY FOWARD の提出が遅くなり、申し訳ありませんでした。
ワークショップの感想からは少し外れてしまうかもしれませんが、ワークショップ・クラス後に感情を大きく揺さぶられる出来事があったので、そこで感じた事を PAY FOWARD に代えさせてください。
実は、ワークショップ・クラスの翌日に、叔父が亡くなったという知らせを受けました。
母からの電話でその事を聞いた時、自分でも驚く位の感情のうねりがこみあげて、涙が止まりませんでした。
泣きながら、「なぜ私はこんなに泣いているのだろう?」と自分でも不思議に思うくらいの涙で、そして同時に、お通夜とお葬式に行きたいと思いました。
叔父の訃報を聞いてから1日経ち、あんなに涙がこみあげてきたのは、彼の甥っ子の事があったからじゃないかと、ふと思いました。
彼の甥っ子は、数年前に小児性の白血病で若くして他界しているのですが、その時にどうしても仕事が抜けられず、お通夜とお葬式に参列できなかった事への申し訳なさを、ずっと感じていました。
普段はその気持ちは無意識に隠れていても、甥っ子の命日に彼とお墓参りに行くと、波が大きくなるという感じでした。
その当時、仕事で精神的にも肉体的にも追いつめられていて、当時の記憶は私にとってあまり思い出したくないものだったので、その事もあり、自分の中であまり感じないように凍結していたのだと思います。
今回、叔父の訃報を聞いた事で、叔父が亡くなった悲しみと一緒に、無意識の中で抑えていた彼の甥っ子への気持ちがこみあげてきたのだと感じました。
そして、叔父のお通夜とお葬式に参列したいという気持ちは、彼の甥っ子の時に出来なかった事をしたい、という代償に近い気持ちがあったと思います。
お葬式の時に叔母が、「遺影の写真は○○ちゃん(私)の結婚式の時の写真を加工してもらったの。だから○○ちゃん(私)が来てくれてうれしかった。」と私が来た事を喜んでくれて、不謹慎かもしれないけどうれしかった。
両祖父母の顔も見る事ができて、あぁ、来て良かったと思いました。
そして今日、ふと「この世で話せなかった分、私が甥っ子のいる世界に行った時に、いっぱい話をしよう。」と思えるようになりました。
藤沢さんの 3月11日のブログ(日々是好日「別れるということ。生きるということ。」/編集注)も、最初に読んだ時とは違う感覚で、じんわりと自分の中に広がっていくものを感じています。
叔父の訃報を聞く前に、「感情ワークショップ」に参加する事ができてよかった。
叔父の事も、そして時間はかかってしまったけど、彼の甥っ子の事も、ちゃんと悲しんで悼む事ができた気がします。
「お祝いの席は欠席しても後があるけど、お悔やみはその時を逃したらもうない。」
彼から、人から聞いて深く納得したという言葉を、今回彼から聞いて、私も深く納得しました。
命とのお別れの時には、その時自分のできる最大限の事をしたいと、今回の事で感じました。
またひとつ、自分の中の大きな山を越えられたような気がします。
ありがとうございました。
N. N. さん はなみずきクラス
はなみずきクラスに参加してみて、今回、実感として、指の隙間から落ちていくように心に残らなかったのは、何故なんだろう。
しんどかった気持ちだけが、覚えている。
心の声を聴くこと、出来なかったことも覚えている。
まだまだ、心の声を聴けていないな、私、自分を大切に出来てないなって思ったことも、覚えている。
そして、一番しっくりきていないのは、「感情ワークショップ」ってなんだろう?? ってことでした。
(ワークショップに参加してるのに!!)
クラスの後の、一週間とちょっと、ずっと、どうして? と思っていました。
PAY FORWARD を目の前にすると、こんなこと、書いていいのかな? と躊躇してしまい、なかなか書けない自分がいました。
でも、正直にいうなら。
「情報」なんだと思います。
心にもやもやを残したまま、クラスを後にした私。
今回のワークショップ・クラスで、私、何か持ち帰れたのかな?
何も残らなかったかもしれなかった。
それとも、気づいていないだけかもしれない。
でも、もやもやの原因もなんとなく、わかっているような気はする。
それとは別にして。
優月さんがワークショップ・クラスで、全身で伝えようとしてくれていること。
本やワークショップ、ブログでも伝えてくれていること。
繰り返し、繰り返し、仰ってくれていること。
どのワークショップでも、ひとつ、ひとつ、スキルを伝えようとしてくれていることは、ワークショップでワークの内容が異なっていても、言葉が違っていても、きっと根底にあることなんだろうな、と感じました。
「心で生きるために」
「心で生きたいから」
私も。
自分をもう少し生きやすくするために。
今は、そのもやもやを大事にして、『未来日記』に向き合っていこうと思います。
優月さん、田宮さん、そして、クラスの皆さん、ありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。