Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) へーぜるなっつクラス
久しぶりの参加となった、このコース。
途中から、ワークショップと自分に向き合うことがつらくてたまらなくなりました。
私が今までしてきたことは全部無駄だったのか?
私は何か大きく勘違いをしているのではないのか?
私はもう、色々なことをあきらめた方がいいのではないか?
そんなことを考えて、暗闇の中にいるように感じました。
細い糸だけでワークショップとこの世界に何とかつながっているような感じでした。
「もう歩けないかも…」と思いつつ、それでも何とか最後までたどり着きました。
今回は、もうそれだけで良しとします。
暗闇の中で、そもそも私は、なぜ ONSA のワークショップに参加し始めたのか? と振り返りました。
私は、自分の足元を見つめ直したかった。
時間の使い方を学びたかった。
私の時間、人生をより豊かにしたかった。
だけど、すっかり忘れていました。
思い返せば、私の時間をもっと豊かにしたいと思って、仕事の内容は好きだったけど、仕事ばかりで忙しすぎて疲れ切ってしまった仕事を辞めて、今の仕事を選んだのだった。
今の仕事は、収入は減ったけど、プライベートを大事にできる時間がある。
ある意味、夢をかなえている。
そして、すべて私が決めてきたことでもある。
そのこともすっかり忘れ、ないものねだりをしていました。
私に必要なのは、「視点を変える」ということでした。
視点を変えてみると、不安や恐怖心が強いのも、「慎重である」ということ。
自分にとても厳しいのも、「変わりたい」という気持ちが強いということ。
ただ、あまりに変わりたい気持ちが強すぎて、強欲になっているとも思う。
それがまた、ないものねだりにもつながっている。
また、視点を変えてみると、もうできたことも見えてきました。
手帳は毎日開いて書き込んでいる。
「灯台の時間」は、すっかりなじんでいる。
「yes, and」コミュニケーションも「i-message」も意識できるようになってきて、気づきも早くなってきた。
嫌なことも、怒りや悲しみもスルーしないように心がけるようになった。
体調を大きく崩すこともほとんどなくなった。
どれも、いつもうまくはできないけれど。
足元を見つめ直すこと、時間を豊かにすることに必要なのは、理想の私になるとかいうことではなく、ただ、視点を変えるというシンプルなことでした。
そして、今の私は、どういう状況であれ、すべて私が決めてきたことの結果だということ。
いいことも悪いことも、積極的なことも、消極的なことも。
私のことは、私が責任を取る。
ごく当たり前のことで、シンプルなことなのに、こんがらがっていました。
もう一度、私のことは私が決める、と決意する。
そうしたら、不思議とお腹からふつふつと私に対する誇りを感じました。
その誇りは、私の生きるエネルギーともつながっているような気がします。
3ヶ月、ありがとうございました。
N. I. さん(30代/広島県よりご参加) へーぜるなっつクラス
ONSA のワークショップに参加して、調子良く課題に取り組めた時もあったし、ペースが崩れて思うように取り組めない日もあってジタバタしたけれど。
振り返ってみると小さな気付きが必ずあったんだなぁと思いました。
それは私にとっては意識して記録しておかないと、雪のように記憶から溶けて流れて無くなってしまうようなものばかりでした。
コツコツと出来るところから自分と向き合って、記録して、そうして振り返ると、私は意識していなかったけど辛い時間を過ごしてきたんだな…とか、良くも悪くも私がその時知りうる限りの対処法で何とか生きようとしてきたんだな…とか、素直に自分を労わりたいと思いました。
他の方の投稿にも度々でてきたし、課題文にもあった
「私が悪いわけではない。私のやり方が良くないだけ」
という言葉に私は何度も頷き、何か失敗する度に思い出しています。
そうだ、そうだった。
私が悪いことは無い。私が用いた方法やこれまでの習慣がよくなかっただけ。
私はもう古いやり方や習慣を、平和で穏やかであたたかいものにするって決めたんだ。
すぐには慣れなくて失敗だらけでも、ワークショップで教えていただいたことを日々練習していこう、それでいいのだ。
そんな風に自分を励ますことができるようになってきたのは、このコースに何度もチャレンジしたからかな、と思っています。
それからいつも思うことは、同じワークショップに参加されているお仲間さんから勇気をもらっているな、ということです。
私は他人に良く見てもらいたいという気持ちが強いので、文章を整えたり取り繕ったりしそうになるけれど、お仲間さんの投稿を読んでは「私ももっと素直に感じたことを投稿しよう。投稿する勇気を持とう」と思い直します。
M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) へーぜるなっつクラス
できていないことがたくさんある。
あー、まただ。
やっぱり私は…。
と「…」に、ネガティブな、自分虐めの言葉を綴ろうとして、「…」に書き替えた。
頭の中で考えてた時は、「…」はネガティブな言葉がで、自己否定のぐるぐる状態!
そして、こうして「書く」という作業を始めると。
すると、「ヤバい! 本当になっちゃ大変!」とおもいとどまった。
書き始めたのは、完璧に書くことはやめて、兎に角、行動することを優先しようと思ったから。
整理してからでないとと、思ってたら時間切れになりそう。
そうなるくらいなら、何か足跡を残そう。
もっともっと出来ないとダメ!
もっともっとやりたい!
やれる自分になれたら! って思う。
現実とのギャップは大きいと感じてる。
出来たことにフォーカスしよう。
これがずいぶん上達したと思う。
ひとつは書くこと。
書くことを億劫に感じてたのが、ハードルがだんだんさがってきたこと。
書くことでの気付きが増えたこと。
気付きの感度が上がったと感じている。
「感じている」という表現増えたな。
「i-message」が増えてきたことの証拠だと思った。
「何々だ」は事実、現実を述べる表現。
「何々だ、と感じている」は、私が何々と感じている、ということ。
自分の感じ方、心にフォーカスする意識が増している気がする。
現実はどうであるかはわからないけど、私はこう感じてるんだなー、と意識するようになった。
他人の、世の中の人の、感じ方でなく、「私」はどう感じているのか、を意識する方向へシフトしている。
3ヶ月はあっという間に過ぎてしまった。
この中で、
・出来たことを見つけるのが、上手になってきたこと
・自分の気持ちにフォーカスするのが上手になってきたこと
が、できたとこ。
相変わらず、人のせいにしたり、言い訳もしてたよ。
今までと違うのは、それを、受け止めることができてきたからなのかなー、と思う。
いろいろできなかったこと、多いなと感じてる。
いつものように、「次は、次こそは!」ともおもっちゃう。
それでも、これまでの「次は、条件が整えば」とは違う「次は」、としたい!
するぞ!
という気持ちで、今、います。
クラスのみなさん、3ヶ月、ありがとうございました!
みなさんといたから、今、これを書けています。
今、ここに、たどり着けています。
ありがとう~!!
K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) へーぜるなっつクラス
もう終了! あっという間の3か月。
いろんなことがあって、課題を提出できなかったこともあったけど、それでも何とかしがみついてた。
正直、またこのレベルからやり直しかって、ちょっとがっかりしたけれど、以前にこのクラスだった時よりも、大分他人に振り回されなくなったことがわかってよかった。
今は自分をどうコントロールするかが課題かな。
モチベーションのあげ方とか、集中するためにはどうしたらいいのか、とか、どうやったら本音で手帳と向き合えるのか、とか。
物凄くバタバタしていて、上滑りしていた時期でもあったけど、振り返ってみれば案外いろんなことができていたし、楽しかったです。
一緒のクラスの皆さん、それぞれ頑張ったよね、お互いお疲れ様でした。
私より若い皆さんがいろんなことに気づいたり、考えている様子を見て、元気づけられました。
またお会いするまで、どうぞお元気で!
S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) へーぜるなっつクラス
この3カ月を振り返ってみると、沢山成長したなぁと本当に思います。
主に仕事面でですが(笑)。
でも、それに気が付けたのは ONSA での課題が毎回あったからだと思います。
自分自身のテーマでもあった、自分時間と責任感。
少しづつですが、全く見えなかった答えが、見えてくるようになりました。
ですが相変わらず、自分時間を積極的にとることが以前のように出来ないので、足踏みしたままになっています。
次回の Web. WORKSHOP は一旦お休みして、久しぶりの ONSA WORKSHOP(対面式)(「だいだい会」ははじめて!)の方に集中してまた「コース1」もしくは「コース0」から始めたいと思います。
私は、いつでも何度でもはじめたいと思います。
そういうところが私の強みであり、厚かましいところです(笑)。
「へーぜるなっつクラス」の皆さま。
また、どこかでお会い出来たら嬉しいです。
3カ月間、本当にありがとうございました!
T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) へーぜるなっつクラス
この3ヶ月間、お疲れさま。
振り返れば、あっという間で、そして濃かったと思う。
このコースは、何度も受講しているけれど、時間の重量感、質感の手応えを改めて実感した。
自分が、いかに日常の毎日が激流の中にいるのかということ、そして、その中で、日々行動で変えていくということ、そして、それが現実という時間なのだということを、突きつけられ、考えることになった。
正直、まだ一気に全部変わってくれないかな、という甘~い発想につられてしまいそうになることもある。
時に、もどかしさも感じることもある、こんなに自分を見捨てず頑張っているのに、なんでこんなにも進まないのか…と。
けど、翻って考えれば、やっぱり、変えていくのは、現実の、今という時間。
そして、時間は、私を現す鏡のひとつ。今回、それを初めて(ようやく)実感した。
何気ないように思える “私は…” の「i-message」。それが、相手に対してだけでなく、裏を返せば、どれほどまでに “私はどうしたいのか?” につながっているかということ。
それは、何も大きなことではなく、当たり前すぎる日常の小さなことや、ちょっと頑張ってやってみたほうがいいことたちにも、染み渡っていますか? ということを、考えさせられた。
そこを、なんとなくで流していませんか? と、突きつけられた気がする。
そう思うと、そこに、どれだけ “私” がいるのかということが、怪しくなってきた。
なんとなく、それっぽくやってしまうことは、これまでの習慣上お手のもの。
そこを、いちいち引っかかって(面倒くさいと感じる声もあるけど)、やっていけるか。
いや、やってみるということなんだよ。
と思うと、時間という資源を確保しないと…。
こんなにも、リンクしていたんだ…。
“時間” が、どれほどまでに重要であるかということ。
ふと、自分の仕事のことと絡んで、時間=人生=いのちということが浮かんできた。
もう少し、時間をかけて自分なりに落とし込んで、考えていきたいなと思った。
これからも時間の取り組みは、私の日常の中で続いていく、続けていく。
ひとつひとつだ。
いろいろな気づきを質感をもって感じられた、自分に感謝。
ひとりじゃないから、やってこられた。
仲間といつも伴走してくれている優月さんに
ありがとうの気持ちをこめて。