2020.10月開催 「トラウマケア・セッション セルフケア・トレーニング」きゃっとにっぷクラス

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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) きゃっとにっぷクラス



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今回の「トラウマケア・セッション」は私にとっては別の意味を持つものになりました。

確かに今回も、自分にグルグルに巻き付いていたものが、TAT によって私の中から出ていきました。

「どうして、あんなに悩んでいたんだろう?」とも思えました。
久しぶりに、自分の中の小さなキラキラした「かけら」に会うこともできました。


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確かに、私の中にはトラウマがある。

でも、トラウマではないものもある。
今回わかったことは、今の自分はその「トラウマではないもの」で悩んでグルグルして動けなくなっていたということ。

それは、ライフスキルの圧倒的な不足からくる自信のなさや、不安や怖さからくるものだった。


「頭で考えて動けなくなるのではなく、とにかく動いてみる」
と、今回アドバイスをもらった。

これも、もう何度目だろう。
ライフスキルの不足は練習していくしかない。

そして、慣れるまでは怖いのが当たり前、うまく出来なくて当たり前なのだ。


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私は怖くて、うまく出来なくて、「弱いまま」でいたかったのかもしれない。
私は「トラウマがあるから仕方がないんです」といつまでも被害者でいたかったのかもしれない。
辛くなると、そちら側に逃げ込んで丸くなっていた。


でも、それは1ミリも自分のためにはならない。
ただ、時間が過ぎて行くだけ。


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怖いけど、自分のために練習していきたいと思います。

一歩踏み出せば怖くなくなることも知っているから。
練習すれば出来るようになることも知っているから。

ありがとうございました。




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T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) きゃっとにっぷクラス



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本当にお疲れ様。

TAT セッションに続くセルフケアセッションの参加で、感じたことのない重みを感じたままの参加だったね。

私を生きるって、こんなにも身体に重みを感じるんだ、と初めて知った。
私は、どれだけ私自身を心と体を切り離して生きてきたのか、の表れだと思った。


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TAT セルフケアセッションで、セルフケアの重要性を聞いて、私の仕事柄セルフケアはとても身近だったのに、私自身がセルフケアから遠くにいたことに初めて気づかされた。

そもそものセルフケアの土台の認識が違っていた。
衣食住を整える…なんて、考えてもこなかった。

一方で、衣食住を整えることは、私が手に入れたいことでもあったと、気づいた。
生活改善とも言われ、痛かった。
(人には言っているのに、当の本人が気づいていなかったことに)


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セッション後は、私は食事を元々たくさん食べる方だとずっと思っていたけれど、私の腹八分目は意外に少ないと思った。
それに、食べること、口を動かすこと一つ一つが重くて…びっくりした。

それから、これまでは食べておかないと仕事でもたない、とか、今のうちに食べておかないと…と流し込むように食べていた。

それに、子どもの時から残すことはダメなこと、たくさん食べることが求められていて、気づけば、私は自分の食事の適正量を全く知らなかったんだと、初めて知った。


仕事の後の甘い物を欲するのも、仕事終わって疲れれば必然だと思っていたけれど、セッション後しばらくは全くほしいと思わなかった。
その後は、たまに食べるけれど、このワークショップに参加する前みたいに食べなくなった。
一方で、イライラが募ったりすると、食べたくなってしまうことが、より鮮明にわかるようになった。


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2つの TAT 後は、なんて言うのか、私にとっての真実というか、物事の本質というかが見えていたように思う。

自分に対して嘘がないというか、そんな感じがした。
だから、私が私に隠そうとしていたことが、より浮き彫りになって見えてきたような気がした。

私が私を生きるを経験してこなかったから、こういうふうに感じたことがどうなのかわからないけれど、私を生きるようになれば、こんなふうに感じられるのかなと思うととても希望がもてるし、何より私が本当にずっとずっと心の奥底で望んでいたことそのもののなのだと思った。


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今は、チェアワークと10秒瞑想で、とにかく今に戻ることをやっている。
私には、今に戻ることが必要だから。そこから始まると思うから。


TAT の後に体験したことを、日常に変えていきたい。
そして、本当に目の前のことひとつずつしかできない。本当に悔しいくらいに。

でも、それが頭の中で一足飛びにやれると信じていたことが虚構であることだというへの気づきであるとともに、私がひとつずつ行動をすることの力を信じたい。


優月さん、クラスの皆さんの力を借りて、ここまでこれました。
本当にありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) きゃっとにっぷクラス



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ワークショップ・クラスが終わって、2週間。
今の私は「ただ、泣けてくる」ことが増えてきました。


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ワークショップ・クラス後も、自分が詰んでしまった人生が今まで以上にありありと見えて、ずしんと全身にのしかかってきて、とても苦しくて、私は泣いていました。

それでも翌日から仕事に行けば、いつもの仕事の忙しさにまぎれて良くない意味で「自分を落ち着かせて」しまっていました。

せっかく学んだり、自分の問題点を教えてもらったのに、こんなにたやすく戻ってしまうの? と不安にもさいなまれましたが、それ以上に
「あぁ、不快ではあるけれど、なじんだコントロールができる状況。ここに戻っていたい、ここでひとまず、やり過ごしていたい」
という自分の逃げを感じ、それもまた苦しく感じていました。


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「とにかく、できることを1つでもやろう」という優月さんの言葉だけは忘れずに、仕事中も10秒瞑想やチェアワークをして区切る、衣食住を豊かにする、など、できることを少しずつやってなんとか、ワークショップで学んだことを日常につなぎとめようとして、それだけで必死だった、2週間でした。

自分なりにやれることをやってはいたものの、決定打になるような行動はまだとれていなくて、それがもどかしく、自分を情けないと私は思っていました。


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ワークショップ・クラス後に「動く」ことを実践して、気づきや、やってよかったことも、たくさんありました。
でもそれ以上に、ふとした折りに「もう止まりたい」と心も身体も動かなくなってしまうことがあり、それがとてもしんどくて、苦しくて、助けてほしいと私は何度も思いました。


でもそのしんどさをくぐり抜けていく先で、私は「私がしようとしてたことに、自分への愛はなかったな」ということが突然、ふっとわかりました。


自分を幸せにするため、守るために「こうしよう」と思っていたこと。

でもそれへの取り組みで私は、内心自分に
「さっさとやれよ」
「どうせ無理だよ」
「私なんて、こんなもんだよ」
「世間でうまくやっていけるわけがない」
「大きなことを願うな」…
そんな罵声や批判ばかりを浴びせ続けていました。


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私は、私に関心なんてもっていない。
ただ「早く、ちゃんと、立派にやれ」という命令だけでした。

だから私は不満だったし、心の片隅で抵抗して「やりたくない」だったんだ。
そのことが感じられたら「あぁ、そうだよね、そうだったんだ…」と深く納得できました。


自分を幸せにしようとして、でもその取り組み自体が、全然幸せなものじゃなかった。

そのことに全身で気づいたらなんだか、心と体がようやく結びついた感覚があって、あぁ、この感じだったんだと、不思議にほっとしました。

そうやって、少しずつ私の感覚や「これでいいんだ」と感じられる部分が増えていったら、その分、悲しみがこみあげてくることが増えました。


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クラスの中で優月さんに「分析しなくていいよ」と言ってもらい、最初の頃はまだできませんでしたがようやく最近、ただ泣くことができるようになってきました。

思えば、ただ泣くことすら、私はできなかったんだな…。
そんなにも私は私をコントロールして、生きていたんだな。

こんなに簡単なことすら、私は「許された」感覚がどこにもなかったんだな。


そんなことも感じ、ますます泣けてきます。
自分の現状の重さを痛感するにつれ、やはりそれまでの人生がいかに損なわれていたか、どれだけ台無しにされてきたかも、より実感をもって感じられてますます、悲しくなる。


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衣食住を豊かにしようと思って外に出て、お店をめぐったり、気になったものやほしいものを買ってみる。
そんな行動をしてみると、「みんなは、当たり前にこういうことを楽しんでいたんだ」という気持ちにもなります。

自分だけが世界を閉じていて、こんな近くにある幸せにも気づけなかった。
こんなにも私は、私を後回しにしていたんだ。
そういうギャップも感じて、それもまた、泣けてくる。


今は、ただただ泣けてくる時期のようです。
でもそれも、私にとっては「ようやくできるようになったこと」。

揺れる心と身体はしんどくもありますが、コントロールせずに体験して
私は、もっと自分を知りたいと考えています。


優月さん、お仲間のみなさん
ありがとうございました。