2019.10月開催 「怒りのワークショップ」でぃるクラス

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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) でぃるクラス



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わたしへ

今回もお疲れさまでした。
よく参加してくれました。
ありがとね。


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今回のワークショップも難しかったです。
「怒り」は自分にとって本当に難しいものだと思いました。

私にとって「怒り」とは、感じてはいけないもので、表現してもいけないものだった。
だから、どれが「怒り」なのかわからなかった。

ワークショップに参加して感じたことは、自分の中は「怒りで満ち溢れている」のではないか、ということ。

そして、原家族から受け継いだ「怒り」の扱い方で、大事な人を傷つけ、自分も傷つけていたということにも気づけた。
このことは、ずっと心に引っかかっていた。

大きくはないと思っていたけれど、なぜか忘れられなかった。
きっと自分にとって大きな出来事だったのだということにもいまさらながらに気づくことができた。
ショックだったけれど、やっと引っかかっていたものが取れた気がした。


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ワークショップ・クラスでは「怒り」を感じたときの対処法を具体的にワークすることが出来たこともよかった。
ワークの中で、身体にたまった怒りのエネルギーを解放するために歩いた。

その中で、身体の力が抜ける瞬間、リラックスできる瞬間があった。
その時に初めて、自分が普段ずっと力が入った状態が続いていたのだと気づいた。

力が抜けてからは、なんだか楽しい気分になった。
最後の方は力が抜けた首から肩が痛くなるくらいだった。

今までも歩いたりしたことはあったけれど、ずっとグルグルと考えながら歩いていたので身体の力は入ったままだったのだということも発見だった。


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私は、まだ「私の中の怒り」についてよくわからない。
というより、「その怒りを本当に認めてしまう」ことが怖かったのだと思う。
だから、まず「怒りに気づく」ことから始めたいと思う。


クラスのみなさん、お疲れさまでした。
とてもきつくて、とても疲れたけれど、楽しかったです。

みなさんとご一緒出来て本当に嬉しかったです。
「ひとりじゃないよ」を改めて感じました。


藤沢さん、今回もありがとうございました。
いつも全力でぶつかってくれて感謝しています。
本当にありがとう。

スタッフのみなさん、いつも支えてくださってありがとうございます。

2年後のワークショップまで、ひとつずつ自分の怒りと向き合っていきたいと思います。

ありがとうございました。




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Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) でぃるクラス



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私にとって怒りは、とても怖くて、どう対処していいかわからないものでした。
そこに対処していく手順を知ることができたのは、とてもよかったです。

ロールプレイングで言い合った言葉には、涙が出て冷静に考えることのできない、恐怖で身体が固まる感覚がありました。
(お相手の方、本当にありがとうございました。)
そして、そのあと外に出て歩いて、じっくり植物などをひとつひとつ見ていくと、ふっと身体から力が抜けていく瞬間があって、今ここに戻る感覚を知れたことは、大きかったです。

今までは、怒りに対して我慢を重ねたり、状況がよくなるのを待っていたりしていたのですが、自分で動いて決めていくことが重要だと思いました。
そして、身体をもっと動かしていこうと思いました。

今回も藤沢さん、ONSA のスタッフの方々、ご一緒したクラスのみなさん、ありがとうございました。



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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) でぃるクラス



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このクラスで学ぶまで、私にとって怒りは道徳的なもの、人格的なものでした。

なので怒りに対する私の対処は
「怒るのは、よくない」
で押さえ込むばかりだったり、
「ストレスや怒りを感じたら発散しないと気が済まない」
「怒りには、怒りで返してやりたい(やられっぱなしはいやだ!)」
…でも、実際にはそんなことはやれなくて、怒りの行きどころもなくたまるばかり…で、とてもじゃないけど扱い切れていませんでした。

でも、このクラスで私の「怒り」への理解は大きく変わりました。
怒りは身体とつながっているもの。
そして怒りの解決法は、自分の環境や行動を変えることが必須。
ぶつけて終わるものでは、ない。
私がイメージしていたものと、まったくちがう世界でした。

…でも、だから「あぁ、そうか」と私は腑に落ちました。
これまでの私の「怒りへの対処法」は、なんとも自己流・手探りなものだった。
だから、自分なりに必死で対処しようとするけれど、なにひとつ根本解決せず、ますます怒りの問題はふくれあがるばかり。


正しい知識、正しい対処法を知ることは何にも勝る時短だし、私の心や時間を守ってくれる。
「誰かのため」とか「世間にあわせて」でもないし、演技でもコントロールでも、予定調和でもない。
私の幸せをつくっていくのに、力を貸してくれるもの。
そう、ひしひしと感じました。

そもそも、怒りを生み出すような環境・人に近づかない。
大原則だなと、思いました。
時間や命の貴重さを知ってしまった今となっては、そんな程度の低いやりとりに、これ以上私の時間も心も燃やしていたくない。
相手は変わらない。
変わるのは、私。
どのワークショップでも教わるこのことが、改めて胸に染みました。


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怒りの、殺生にも関わるほどのエネルギー。
それを私は、10才にも満たないような小さな頃から無防備なままで、親に好き勝手に投げつけられて、どれほどの恐怖、どれほどの痛みを味わったか。
そのことが心に浮かんで、涙が出てきました。

ワークショップ・クラス中のロープレですら、怒りは浴びてみるとすごいエネルギーだった。
それを、何も知らない、何にも守ってもらえない小さな子どもだった私があんなにも大量に、日常的に浴びていたのかと思うと、悲しくてたまらない。
仕方がなかったこととはいえ、こんなこと、あってはならない。
ひどすぎる…と思いました。


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怒りの浄化は、本当に大変で、クラスのロープレで数回やっただけで、もうヘトヘトになりました。

「割に合わない」まさにその通りでした。
だったらもう、こんなことに私の人生を消費していてはいけない。
怒りの場から、自分から出る。

それは負けでも逃げでもない。
私のためにできる、勇気と意志ある撤退なのだと思います。
そもそも、そんな勝ち負けで自分を誇示しようとする、そんな人との付き合いは、私はもううんざりです。
私は、もっと平和でやさしい人生を生きたい。


不毛な怒りのやりとりは、本当に「無駄」だとわかったからそんなことに関わってるくらいなら、もっと楽しいことをしよう。
私はそう思えるようになりました。
これは気休めでも、問題に目をつぶることでもなく、無駄だとはっきりわかったからこその判断であり、決意です。


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怒りについて書き出していくワークでは「実際のところ、私は何を言われていたの?」と、相手の非言語メッセージを読み解くことをしました。
私はそこで、いくつかの怒りに対し、共通して「私をバカにしている」という非言語を発見しました。

そうか、私はこれがイヤでイヤでたまらなかったんだ。
私は、私をバカにし、私の境界線や資源を踏みにじってくる人たちに怒りを覚えていた。

その正体がわかれば、もういい。
私は、あの人たちを相手にするという、それこそバカバカしいやりとりから手を引く。
私は私を誇りに思うから、それを守ることをやる。
それが私が私にしてあげられる、現実的で力強いことです。


怒りは、私にたくさんのことを教えてくれました。
まだまだ、私の謎解きは続きます。
でもこれからは、確かな知識と判断のよりどころ、対処の仕方がわかっているから、安心して、私に積み重なる手が打てます。
そのことが、私はなによりうれしいし、ありがたいです。

優月さん、スタッフのみなさん、クラスメイトのみなさん。
本当にありがとうございました!




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) でぃるクラス



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今回は初めての開催で初めての参加だった。
私にとって「怒り」はやっかいなもので、できることなら感じたくないものだった。

ワークをしていて、「怒り」は本当に危ないもので、扱いにきちんと対処しないととんでもないことになると思った。
ストップをかけられなければ怒鳴るのを止められなかっただろうし、身体がカーッと熱くなる感じもあったし、頭がシャットダウンして、論理的なことが考えられなくて、ただ目の前の相手を負かしたいってことしか頭にない感覚がなったように感じる。

でも、10秒物を見つめたり、「今ここ」に戻ることで無になれる感覚があって、冷静になれることも自分でできるのだと感じられた。


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プレワークで子供時代を見つめ直したときも感じたけれど、怒りにさらされた時、自分も確かにそれによって怒りを感じていることを自覚しようと思う。
そして、その怒りを放っておかず、今回のワークのようなことをして対処しようと思う。

怒りって大事だ。
今回のワークショップでわかったことは、怒りにさらされることも怒りを感じることも自分が恥ずかしいということではないということ。
それは私の間違った認識で、私は恥ずかしくない。

恥ずかしいと思っていることに気づいたことも、そうじゃないと実感できたことも、よかった。
それを感じられたことが自分にとって大きかったと思う。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) でぃるクラス



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ロープレでの怒鳴り声を聞いて、私は日常的にそういう中で生きてきたことを思い出した。
就職を機に自宅を出て、父と暮らさなくなって久しく、もうすっかり記憶の彼方になっていたけれど、幼い頃からずっとこういう中で生きてきたんだった、私。
それがどれだけ異常なことか。久しぶりに体がぎゅっと縮む思いがした。
プレワークに繰り返し出てきた文字の意味が、よくよく分かった。

怒りに触れて元に戻るまでの時間。その間の私の身体の凍りつき加減。
感じなくして生きるしかなかった幼い私。
本当に怖かったし、生きた心地がしなかった。


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こんな中で、私はよくここまで生き延びてきたよね。
もうただそれだけで私の勇気は称賛に価して、そういう私のことを、今まで以上に大切にしてあげなくては、と改めて強く思う。
そして、怒りに触れることで消耗するエネルギー、浄化するために必要なエネルギーを考えると、そういう環境がどれだけ割に合わないかということもつくづく分かった。

そんな人たちとは関わっている場合ではないのだ。
私の貴重な資源をこれ以上そんなことに無駄遣いしてはいけないのだ。

私の人生を阻害するような人たちとは縁を切って、距離を置いて、自分を守らなくてはいけない。そのことをひしひしと実感した。
怒りに付き合ってる必要なんて全くなくて、自分を無駄に摩耗させることもなくて、その責任は本来の場所へ戻そう。
今の私にはきっとできるはず。


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今までどれだけ私のエネルギーを無駄にしてきたかと思うと、怒りが湧いてくる。
この怒りには正当な理由があるのだ。

私は怒っていいし、他人の怒りに付き合わなくていい。
私にとって最善な道を探す。私は私のことを全力で守る。

また一歩進んだね、私。そしてさらに進んでいける。
私の優しさを大切にしながら、しなやかな強さも身に付けていこう。
そして自分のために自分の本当の人生を生きよう。


優月さんとスタッフの皆さん、新たな知識とパワフルなワークショップをありがとうございました。
一緒に多くのことを分かち合ったお仲間さん、今回も心強く楽しく一緒に過ごせたことに感謝しています。
皆さんと私の幸せを心から願っています。




タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) でぃるクラス



タイトル下の線


この「怒りのワークショップ」に参加できたこと、大変だったけどよかった。
怒りって、自分が思っていたものとあまりにもとらえ方が違った。覆されたような感じ。

怒りのもつパワーで(ちょっと練習しただけなのに)1週間、ぐったり。日々のペースも乱れがちになった。

それでも、やっていたよね。
崩しがちではあったけど、毎日に踏みとどまれたこと、ここまでやってきたからだと思う。得意不得意はあるけれど、基礎体力がついてきた。
そんなことも感じた。

怒りを新しい目で知れば知るほど、私が怒りの環境に身をと投じてしまっていることにも、気づくことから避けられないと思った。
なぜ、そうなっているのかにも、ちゃんとした理由があることを知り、私自身の共依存の根深さをまた違った角度から実感した。

ここまで回復にしがみついてきたからこそ、見えてくる景色が違う。
そして、だからこそ、その共依存が染み渡っていることを突きつけられる。


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怒りについても、毎日の中で、ひとつひとつ消化していきたい。
それは、怒りだけではなく、すべてのことに通じていると思うから。

そして、痛感するのは、“私はどうしたい?”。
これを、どんな些細な小さなことでもないがしろにしない、ということ。


私は、自分と向き合うことはもう怖くない。
だから、もっともっと私について掘り下げていきたいと思う。
そして、それを私が欲している。



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