A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) まーしゅクラス
大切な大切なわたしへ。
今まで自分には見えないハンディがあるって感じて生きてきました。
そしてそのことを誰にも分かってもらえなくて、とても辛かった。
普通に生きるというそのことが人よりも何倍も大変だっていうこと。
そのことを説明しようにもできず理解されず、だけど苦しい気持ちはここにあって、どうすることもできなかった。
人間の変容の成り立ちを学ぶことができて、その辛さの謎がようやく解けるとともに、同じ辛さを知っている仲間の存在を知りました。
見えないハンディは確かにあるものだった。
それを説明することも理解することもできる。
ただ、経験した人にしかその味は分からない。
そしてわたし一人がそれを経験していたのではなかった。
その痛みを分かりあえる人がたくさんいました。
人生の階段が穴だらけだった。
それでも成長の段階を登ってきたんだなぁ。
よくやってきたなぁわたし、すごいすごい。
これはこれで、とてもすごいことではないか。
そんな風に思います。
わたしにとって「みんなはできるのにわたしはできないこと」は、確かにそれをやるチャンスのない環境で、それをやることなしに大きくなったからでした。
外からは見えないその大きなハンディを負ったまま人生を先に進めるしかなかったわたし。
ありがとう、ここまでの道のりを歩いてきてくれて。
本当に本当にありがとう。
どんなにどんなに辛かったかをわたしは全部知っています。
だから、もう止まっていいよ。
荷物も全部おろしていいよって言います。
大切なわたしへ。
もう止まっていいよ。
これ以上そんな重荷を背負ったままで歩き続けなくってもいいよ。
荷物を全部おろしてもいいよ。
ここからはわたしが歩くから。
あなたはもうこれ以上自分をいじめないでいいんだよ。
無理に周りのやることに合わせたりしなくていいんだよ。
できないことをできるフリをしなくてもいいんだよ。
もう無理に体裁を整えることをしなくてもいいんだよ。
形だけを必死で維持しようとしないでいいんだよ。
ありのままのあなたでいていいよ。
何も変えなくていいよ。
あなたはあなたのそのままでいい。
これからは必要なことはわたしが覚えてゆく。
あなたのことをわたしが守るから。
その間にあなたはあなたが受け取って、当然だったものを。
今日、今、ここから、この場所から受け取っていいんだよ。
あなたは生まれてきてよかった。
あなたはここにいてくれてよかった。
あなたの好きなことをわたしは知りたい。
あなたが好きなことをすることがわたしの幸せ。
あなたの本音を知りたい。
好きも嫌も、どんな感情でも。
やってみたいと思うこと。
やりたくないと感じること。
何がいい感じで何に嫌な感じがするのか。
どんな時に幸せでどんな時に惨めなのか。
全部全部大切にしようね。
全部全部大切なあなただから。
あなたの夢を全部全部叶えてほしい。叶えたい。
気持ちを知ることはわがままなことじゃない。
その反対なんだよ。
今ここ、この場所からあなたの心地よさを大切にしようね。
あなたの不快感を無視しないでいようね。
どちらも同じぐらいに大切にしようね。
辛いほうへ行くことが頑張ることだと思って生きてきたけど、頑張るときって嬉しいよ。
頑張るときって楽しいよ。
勇気があって底力を感じるんだよ。
繰り返し試してみたくなるし時間をおいてみることもやってみたくなるんだよ。
実際にやってみるってそういうことなんだ。
生きるってそういうことなんだ。
我慢なんかしなくていいんだよ。
感じるのを我慢したりしなくっていいんだよ。
嫌なことに付き合う必要なんかないんだ。
好きなことを知っていることの方がよほど大切なんだ。
あなたがどれほど辛かったのか、わたしは知っているよ。
だからもう無理はしないでね。
もう我慢なんかしないでね。
自分に嘘をつくのをやめようね。
嫌なものは嫌って思っていい。
嫌なものを好きと思うことなんかできないし、しなくていいんだよ。
無理に無理を重ねて生きてきたあなたへ。
大切な大切なあなたへ。
もう止まっていいんだ。
もう全てを投げ出していいんだ。
やらなきゃいけないって思ってたことを全部やらなくなっていいんだ。
ぎゅっと握った手のひらをゆっくりゆっくり開いてゆこうね。
大丈夫。
大人のわたしがついているから。
あなたは何にも心配しないでいいからね。
きっときっと大丈夫だよ。
たくさんのお仲間さんへ。
今まで遠くで生きてきてそれぞれに知り合うことはなかったけど、同じ痛みを離れた場所で感じていたこと。
そして今はそのことを分かり合える大切なお仲間さんです。
遠くからいつでも大きなエールを送ります。
ありがとうございました。
遠くにいてもお仲間さんがいるというそのことだけで、わたしはとっても心強いです。
そして優月さん。
心からありがとうございます。
見つけてくださったこと、諦めずにいてくださること、何よりも楽しいワークショップをほんとうにありがとうございます。
感謝の気持ちを回復で、行動で形にしてゆきます。
スタッフの皆さん。
いつもいつも見えないところで支えていてくださること、そのことがどんなに心強いか。
改めて言葉にすることができないけれど、支えてもらってしか歩けないことと、その支えに出会えたこと。
自分の幸運にちゃんと応えたい。
わたしは優月さんとみなさんのおかげで自分を取り戻すことができそうです。
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) まーしゅクラス
私へ
ONSA WORKSHOP(対面式)2週目、お疲れさまでした。
「何を落っことして来たのか」
そして、私には「苦しさの原因を理解する」「アイデンティテイへ行けなかったのは、なぜなのか?」も、テーマだった。
正直なところ、1週間経った今、分かったのか分からなかったのか、自信が持てない。
今までの自分が揺らいでいて、混乱している。
でも、思っているだけじゃ分からないから、今感じていること・思い出したこと・思いついたことを、ただ書いてみよう。
母から聞いていた、赤ちゃんの頃やほんの小さい頃の姉と私の話を想い出した。
姉は「夜泣きもせず、良く眠って良く母乳を飲んで、いい子だった」。
私は「夜泣きもするし、すぐ体調を崩す、手のかかる子だった」。
私が覚えている、そして周りから聞いている2~3才の頃の私は、キティちゃんが好きで、色はピンクと赤が好きで、スカートが好きでズボンが嫌い、幼稚園が好きでT先生が好きで、たまに遊びに来る年の離れたいとこやおばが好きだった。
うさぎと犬が好きで飼いたかった。
「自分でやる!」が口ぐせで、イヤ・欲しい・したいがはっきりしていた気がする。
すごく、イヤイヤ言っていた気がする。
でも、全てではないかもしれないけれど、「がまんしない」で終わったり、嫌だと言ったことを無理やりやらされた記憶がある。
家族で公演に散歩に行った時、ジュースが飲みたいのに「がまんしなさい」と言われたのに納得しなくて、落ちているジュースの缶を拾って飲もうとしたのに中に何も入っていなかったから、ジュースの缶を振って大泣きしたこともあったらしい。
何というか、私に取ってこの頃世界は鮮やかだった。
次に思い出したのは、小学校1年頃の私。
学校であったことを一生懸命母に話すけれど、聞いてもらえなかった。
言っても、何も言葉が返ってこなかった。私に無関心だった。
「言っても聞いてもらえない、分かって欲しいのに、分かってもらえない」
「私の存在は、大切じゃない」
私は、次第に自分のいいたいことを話すことをやめてしまった。
分かってもらおうとすることを、あきらめたのかもしれない。
私は今も、無関心にあうこと・人から拒絶されることが、とても怖い。
そうされることが怖いから、今も心がどこか引きこもっている。
信頼の段階は「母との応答の中で、自分がはっきりしていく」「感情を学ぶ」「自分の個性を自覚していき、はっきりしていく」そうだけれど、私には難しかったのかもしれない。
次に蘇ったのは、小学校5~6年ごろの私。
あの頃、私は大人になるのが怖かった。
私に取って、「大人になること」=「得体の知れない怖いこと」だった。
両親は、私に取って人生モデルではなかった。ならないことを、どこか分かっていた。
それでも私は、将来について相談したことがあったけれど、手ごたえのある答えは返ってこなかった。
モデルもなく、少しずつ母と確認して積み上げるはずの「自己肯定感」のコップは空のままで。
両親からは、
「大人=苦しい。つらい。苦労ばかり。」
という非言語メッセージを受取り続けて。
「大人になりたくない。子供のままいれば、苦しいことにあわなくて済むかもしれない。」
と感じても、無理ないことだったんじゃないだろうか?
後は、自分も得意なことも分からず全てに自信をなくし、消極的なままだった。
いつの間にか、すごく受け身になってしまっていた。
すっかり忘れてしまっていた。
もしかしたら、私はそのことを心にしまったまま、無意識にずっと「変わらない」を選んで、変容の流れに逆らってきたのかもしれない。
もしかしたら、親のルールにしばられたまま?
今も、人生を変えたい・変わりたいと思いながら、同時に同じ強さで「変わりたくない・変わるのが怖い」「変わることは出来ない」と思っているのかもしれない。
「変わらないこと」に力を使ってきたのかもしれない。
…そう気付いたら、胸の奥にある石みたいに硬いこわばりが、ゆるんだ気がした。
少し話はずれるけれど、私は「楽しい」「好き」ということを見失っていた気がする。
想い出してみると、高校の頃から楽しかったことには、一緒に楽しんでくれる人たちの存在があった。
あの人たちは、私に取って「楽しさ・好き」を「確認」してくれる人たちだったのかもしれない。
もしかしたら、その人たちと距離が出来て、私は「楽しさ・好き」を分からなくなったのかもしれない。
私は今も、母親に求めるように「確認」を人に求めているのかもしれない。
でも、「楽しい」を発展させられたのはあの人たちのおかげだけれど、あの人たちと縁が出来たのは、私が元々そのことに興味を持ったり好きだったりしたからだ。
だから、「好き・楽しい」でつながれた。
今の私の中にも、「好き・楽しい」はきっとあるはず。
もしかしたら、私は「好き・楽しい」だけじゃなく、感情全般がおざなりになっていたかもしれない?
「感情ワークショップ」で感情を名付ける練習をして、出来るようになったと思っていた。
でも、いつの間にか日常を(生活や仕事、もしかしたらワークさえも)、感情を感じずに無味乾燥に「こなして」いるだけになっていたかもしれない。
忙しいからと、人と話すことも少なかったかもしれない。
そして、自分に沢山制限をかけてもいた。
苦しくて力が出ないのも、当たり前かも。
そもそも、私に「人生の原動力」はあったのだろうか?
1つ思い出したことがあった。
私は、小学・中学・高校時代と、又アイデンティテイに向かい出した20代の一時期、自分の描いたイラストをよく人に見せていた。
(絵を描くことは、子供の頃得意なことだった。)
自分の描いたものに興味を持ってもらえたり、認めてもらえるのが嬉しかった。
そして、高校の時、多分人生で初めて自分から声をかけて友達になった子は、イラストを描く子だった。
その時私は、「好きを共有出来そう」「分かり合えそう」と感じていたから、勇気を出せた気がする。
そんなことも、いつの間にか「私くらいのレベルは沢山いる」ってあきらめていたっけ。
(今は、「子供の頃、唯一母からやっていいと認められたもの」になっていて、好きかどうかは微妙なところ。)
私は、自分に沢山うそをついてきた。
…自分にうそをつくことが自然なんじゃないかという位に。
ズキズキ心が痛む。
もしかしたら、そのうそは「変わるのが怖いから」ついてきたのかもしれない。
私は、すごく自分を狭い考えでしばっていた。
チェアワークの後、「今ここ」の自分で感じたこと。
「これ、とても苦しいし、私を幸せにしない。多分、やる気も起こらないよ。もうちょっと、苦しい考えをやめてみよう?」
「ほんの小さいことでも、具体的に動いてみたら?」
「1歩だけ、自分から歩み寄ってみたら?」
自分で「感じた」ことなら、安全なんじゃないかな?
何か書き足りないような、書き残したこともあるような気がする。
何か分かったような、でも、曖昧な感じもする。
それでも、これが今の精いっぱい。
お疲れさま。よくやったね。
最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、ご一緒した皆さん、今回も本当にありがとうございました。
M. N. さん(30代/千葉県よりご参加) まーしゅクラス
私が、自分の年齢的なことで、人生やキャリアについてふと考えたときに、繰り返し気になっていた、どこかこの年齢がなんとなくの節目のような気がしてならない感覚。
今やっておかないときっと後悔してしまいそうだけど、でも、いったい何がかはわからないでいた。
とにかく私を徹底的に癒そうと思って参加した。
大正解だった。
人生には大きなライフステージがあることを知って、私が自分の発しているサインに気づけたことが、本当に嬉しくなった。
私は私の背中を押せている。私は私とちゃんと歩んでいる。
焦らずにゆこう、私!
クラスの皆様、お疲れさまでした!
M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) まーしゅクラス
PAY FORWARD 提出の締切日、どうしよう、何を書いたらよいか、わからなくなってしまった。
ワークショップ・クラス後の数日間は、いろいろな思いが沸き上がり、電車の中とかで、涙があふれてしまうこともあった。
感じてることを書きとめておくのが大変でした。
で、少したって、日常に流され始める…。
大切なことを、忘れて、置き去りにして、日々が過ぎ去ってしまう。
そんな、怠け者の私にも、ワークショップ・クラス後、「変化」はあった。
なんだか心がどうしようもなく、苦しくなってしまう。
今までの私は、そこに確実に問題は存在するのに、問題をなかったことにしようとしていたんだ。
箱に入れて、しっかり蓋を閉じて、心の奥へ奥へとしまっていたんだと思う。
ワークショップで、その箱の蓋が開くところまではいけなかったようだけど、小さい穴が開いたような、で、そこから、声がして
「助けて! ちゃんと見て!」
と私の心が言ってるような感じがした。
私の古くて良くない習慣
→ 自分の心の声を聴かず、なかったことにする。
他人(例えば、子供の頃は母、大人になってからは上司や力のあるママ友)の声に従う。
何か困ったことがあると、何か(例えば、世間体や本)に答えを求める。
自分に嘘をつく。
これからの私の習慣
→ 自分の心の声をしっかりと聴く! 受け入れる。
嘘のない自分の声を聴く! 自分の嘘に敏感になる。
まだ、よくわからないけど、他人に相談するのは、自分の腹が決まってからなのかもしれないね。
相談ではなく、求めるのは具体的な支援。
「自分についている嘘を書き出してください」というワーク。
ワークショップ・クラスのなかでは思いつかなかったけど、クラス後の日常の中で大きな嘘を発見した。
「本当はぜんぜん大丈夫じゃないのに、苦しくて、悔しくて、悲しくて仕方がないのに、私、平気ですっていう嘘」
10年、20年、つき続けてきた嘘だった。
そりゃ、嘘ついてたってわかんなくなってくるよねー。
根性ありすぎだな、私。
その根性! 問題を解決するために使おう!!
ただ、それは、実際やるのはなかなか難しくて。
すぐ古い習慣の誘惑に駆られてしまう。何かにすがろうと、探してしまう。
どこか外にではなく、答えは自分の心の中にある。
というか、ワークショップ・クラスで何度も言われた。
「正解はないです。」
「答え」なんてないんだ。
「心を開く」
「心をしっかり見る」
「受け入れる」
いろんな言葉で自分を励ましながら、新たな習慣を身に着けていきたい。
PAY FORWARD に何、書こう?
って考えた時、私はつい昔の習慣で、過去の他人の PAY FORWARD を見て「正解」を探していた。
私の PAY FORWARD(感想)は、私の心の中にあるものなのに。
こういうことに気づけるようになったことがワークショップで得られた大切なものです。
で、気づいたところで止めないで、続けていくよ!
訓練! 訓練あるのみ! 私、根性はきっとあるからさ!!
優月さん、クラスの皆さま、ありがとうございました。
また、お会い出来たら、よろしくお願いします。
T. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) まーしゅクラス
プレワークの時から、とても重かった。
この「変容」という言葉。
プレワークの片隅には、乱れた字で「成長が怖い、責任がいやだ」と書いてある。
子供の頃から、能力以上の、存在以上のことを求められてきた日々。
それは、「早く大人になれ」ということでもあった。
そのために必死に生きた。
できないことでも出来るようになろうとし、できるふりをした。
一方、大人という年齢になってからも依存されるこの関係は、暗に「成長するな」とも伝えてきた。
いつまでも、自立せず、自分たちの都合のいい子供でいてくれ、と。
自分たちが理解できる範囲のものでいてくれ、と。
その相反するメッセージがいつも私の中でぶつかりあっていた。
ワークショップ・クラス当日、人生の発達段階を知った。
生まれてから育まれていく大切な発達の順番。
それぞれの段階で大切な自分の力を獲得し、次の段階で活かしていく。
そのひとつひとつの積み重ねが、大人への練習を重ねるということ。
小さい頃から、そんなことはしたこともなく、必要な生きるための知識もスキルも積み上げられもしなかった。
この自分をみたくなかったから、あんなにプレワークが重かったのかなと思った。
それでも進んでいく人生の時間。
その時々でやってくる成長のステージ。
私はそれをこなそうともがいた。どの段階も苦しかったように思う。
大人になることは、苦いことを経験しながら進むものだった。
そういう経験が大人になるということだと思っていた。
最初の石が積まれないうちに次々と石を積み続けた。
土台がないのだから、そのステップはいつも危うい。
年を経るにつれその倒れ方も盛大になっていった。
でもそれぞれのステージで、不器用ななりに自分を精一杯発揮した自分も感じられた。それは痛々しくて、でも健気な私なりの精一杯だった。
それを繰り返しながらここまで来た自分のことを大切に思った。
自分のことをそう捉えられた自分が新鮮だった。
ワークショップ・クラス後半、ワークをしてみて、自分の嘘を認めた。
それを自分で認めると、罪悪感が湧いてくるような気がして今までみないふりをしていた。
でもその自分、嘘をついて、極端なことを思い込んでいて、怖がっている自分を認めるのは、清々しいことだった。
そして、もういいんだという安心さえ感じた。
意外だった。
自分の意思で、日々人生を決めていくこと。
それは今の私にとっては怖いことだ。でもそうしてした選択は、私に実感を与えてくれる。
そこでは失敗も、快もダイレクトに感じることができる。
そして、自分を客観視することが自己肯定だということ。
自分を見つめる目を持つだけで、自分を認めることになる。
いつもジャッジする自分がいて、ただ自分を客観視する、そんな風に自分を見つめられたことは少なかった。
また、これから、少しづつライフステージで私が試したかったことを試してみるということ。
そしてライフスキルを育てていくということ。
それを今から自分にしていくんだ、それができるんだということは温かな希望だと思う。
大人になることが、本当に「快い」ものなら、成長し、できることが増えていくのは、喜びだ。
そして、負える責任の幅が広がることは、私の自由が広がるということ。
それは恐ろしいことではなく、それこそ私が望んできたことなんじゃないだろうか。
本当に自分が望んでいることだから、恐ろしく感じたのかもしれない。
そう気づいた時、「成長」と「責任」への恐れが少し軽くなった。
今は知識として「変容」する人生を知ったばかりだ。
それぞれの段階で獲得されるはずだった私の力は、今の私の中には充分にはない。
でも、命のサイクルを知り、自分に正直になれば、まだまだどんな変容も受け入れられると思った。
だって私たちは生きているから。
生きている限り、とどまらず、どんな状況も変わり続ける。
それなら私が望む方へ、変わっていこうと思った。
古いやり方を手放し、新しい人生のスキルを育てながら、生きてみようと思った。
その命が揺れている限り、私も、挑戦してみようと思う。
ワークショップでご一緒できた皆さん、感想やまっすぐな言葉にたくさん気付かされました。
いつも温かい言葉で支えてくださる優月さん、ONSA の皆様、今回も本当にありがとうございました。
M. Y. さん(40代以上/静岡県よりご参加) まーしゅクラス
優月さん、一緒にワークショップに参加した方々、そして、ワークショップを支えてくださっている ONSA の皆様、どうもありがとうございました。
初めて ONSA WORKSHOP(対面式)に参加したのですが、ふわーっとしてるうちに終わってしまった、と言うのが正直な感想です。
今まで何も知らなかったので、大切なことを一気に学んで、はぁーそうなんだぁー、と思っているうちに終わってしまいました。
私は、自分に起こっていたことがどういう事なのかをほとんど忘れていたので、優月さんや一緒に参加した方々の話を聞いていて、やっと、あーそういえば私もそうだった、と思い出すことが出来ました。
ちゃんと思い出せるって大切な事だな、と思いました。
だって、私が生きてきた時間は尊いものだから。
私だけのオリジナルだから。
辛いことやしんどいことが色々あったけれど、どれも私の人生の大切な時間だから。
今までも、これかも、全て丸ごとを慈しんで、感じて、味わって、大切に大切にして生きて行きたい。
そう思いました。
知識を与えて下さって、気づかせて下さって、共感して下さった優月さん。
一緒にあの場にいて、私一人ではないことを感じさせて下さって、大切なことを思い出させて下さった参加者の方々。
私の見えないところでいろんな準備をして下さり、支えて下さっている ONSA の皆様。
本当にどうもありがとうございました。
N. T. さん(30代/東京都よりご参加) まーしゅクラス
今回は2回目ということもあって、冷静に話を聞けた。
原家族、特に私の子供時代を思い出しながら聞いてた。
機能障害は、だいたい中学くらいで発達が止まるという。
父はそうだとわかっていたけれど、母もそうなのだと前日の「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」で実感し、今回も改めて感じた。
思えば、私が感情的な問題を抱えていてそれを訴えても、母は黙ったままだった。
多分、どう処理していいかわからなかったのだと思う。対応できなかったのだと思う。
それは、両親共にそうだ。
何か家族に問題があっても具体的な案を出さない、そのまま放置する。
これも機能障害があったために対応できなかったのだと思う。
私はこのことを「仕方なかった」とあきらめるのではなく、事実として受けとめ、本当はどうしてほしかったのかを探り、その他にも思いあたることはないか掘っていくことだと思う。
「仕方なかった」とあきらめることは、自分の痛みをみないことにすることだから。
前半話を聞きながら、「私まだ信頼できてないなぁ」と正直がっくりきたけど、昼休憩のときに1回目の PAY FORWARD を読み直して、その時の私とは違うことに気づいた。
大分自分を愛せてきているし、少しずつ自分を知ってきているし、だんだんやりたいこともみえてきた。
今はただ「信頼をつくらなきゃ」と思っていたときとちがい、「信頼」という基礎をもっと強くしつつ、自分を知ったり、やりたいことをみつけたりやっていくことを同時進行でやっていく。
機能障害の話も、何度も聞いてきたからか、染みこみ具合が変わってきた。
前はよく頭に入らない難しい話だったのに、今は理解が深まっていると思う。
後半のワークは、自分の嘘を洗い出していくワークで、私にとっては、身をけずる思いだった。
自分を愛したいのに、いまいちうまくいかない原因の一つが自分に嘘をついていることだと感じた。
私は、本当は今の私で十分だと思いたいのに、人に言われて傷つきたくないから、自分には魅力や価値がない、人より劣っていると自分に言い続けていた。
傷つきたくないのに、真っ先に自分を傷つけていた。
でも、そうやって自分に嘘をついていたら、嘘をついて何も行動しなかったら、何も起こらず歳だけとっていく。
正直な気持ちやこうしたいという気持ちを捻じ曲げていたら、前になんか進めない。
傷つくのが怖くても、行動しながら、自分を愛する実感を一つ一つ手にしていくしかないんだ。
挑戦したいことも、先延ばしにしない。
自分の中の嘘をやめて、正直になる。
だって、本当は、私は、充分魅力的で、いるだけで価値のある人間だから。
もっと自信をもっていいと、チェアワークをすることで思った。
チェアワークを続けて、「今ここ」に戻ろう。
そして、なにより正直になろう。
正直になったほうが、物事はうまくいく。
どうしても自信がつかなければ、色々やってみたらいい。挑戦してみたらいい。
成長し続けよう。
私に価値があるとか魅力的だとかは誰かが決めていくものじゃない。
「私」が、そう思えればいいんだ。
今回ワークショップが始まる前に優月さんに言われたアドバイスもしっかりやっていこう。
新しい世界に入っていくと、色々感じることがある。これに一つ一つ名前をつけていく。
これもやっていこう。
もっと自分を幸せに、楽にしていこう。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。