2019.09月開催 「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」せいじクラス

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タイトルはじまり目印

T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) せいじクラス



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何度言われても驚くのだ。

私にとってこの世界は、苦労や苦痛、勤勉、努力、一時も休まることのない緊張感に満ちている。
世界はそれを土台にしたピラミッド型をしている。
幸せは、てっぺんのさきっちょの部分にほんの少しあるだけ。
それも、それを味わえるのは限られた人だけである。

私の身体にはそう染みついている。


違う。違うんだ。
この世界は、本当は、とても優しくて、あたたかくて、安心できる場所。
自分の足で、この世界を捉え直してゆくことこそが、私が、私の人生を歩んでいく過程そのものになる。


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私の母は、私の安全基地にはなれなかった。
私には、人生最初の安全基地がなかった。

だから、安全基地はこの私。
私の心を基地に、人生という冒険にこれからでてゆく。


ワークショップでご一緒した皆さま、優月さん、ONSA の皆さま、
今回も本当にありがとうございました。

私は一人ではないのだということに、勇気づけられます。
また一歩一歩前進していきたいと思います。




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M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) せいじクラス



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ワークショップで自分の心の中を声に出してみたら、小さな私が、両親に、祖父母にしてもらいたかったことが薄っすら見え始めた。
いろんなことがでてきたけど、まとめると
「私をみて! 私の成長をみて!」
だった。


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そして、ワークショップ・クラスから一週間たったころ。
(そろそろ PAY FORWARD をまとめなければと思っていたころ。)

偶然、電車の中での出来事。
小学校低学年の子数名のグループが乗っている。おそらく、下校中。
そして、同じ車両の離れた別の扉の所に、お母さんと幼稚園くらいの女の子が乗ってきた。

そしたら、その中の男の子二人が、この幼稚園くらいの女の子とお母さんに自分たちが座っていた席を譲ろうとしたのだ。
幼稚園の女の子はお母さんにしがみついて、恥ずかしそうに嬉しそうにしていた。
男の子たちも、嬉しそう。
誇らしげだった。

男の子たちは、まだ小さいのに自分なりの世界観を持っている。
自分より小さいものを守ろうとする。
あの子たちは、あの子なりの力で、生きている。
もう、それだけで、見てる私は涙ボロボロ。


その次の瞬間、たびたびワークで聞く「子供時代を生きる」ということと急に結びついて、私は私の子供時代を生きられなかったことがすごくよくわかってしまって、さらに涙がこらえられなくなった。
私は、同年代のお友達がいなかったし、皆で登下校なんてしなかった。

同級生の男の子があんなふうに優しさを持っているなんて気付きもしなかった。
あるいは、お母さんにしがみついて恥ずかしがったことも思い出せない。
お母さんを「独占」出来た時間だって本当に少ない。


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私は、子供時代、寂しかったんだ。心細かったんだ。
小さな子には辛く思えるのは、当然。生きることに精一杯で大変だったって、仕方ない。

鎧が必要だった。
そうやってしか生きることが出来なかった。

小さな私、よく頑張ったね。
あなたのがんばりは、私がちゃんと受け止めたよ。

今までがんばってくれてありがとうね。
これからは、私が一緒だよ。ここから一緒に未来をつくっていこうね。


この出来事は、感動と、私の気づきにもなった感謝すべき出来事。
きっとワークショップを受けていなければ、私はただただ「小さな子供だけで危ない」とか思っていただろう。
ワークショップに参加して本当に良かった。

優月さん、ワークショップで一緒だった皆さん、お疲れさまでした!!




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M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) せいじクラス



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心を開く。
自分の気持ちに正直になる。
自分に嘘をつかない。
自分の心に問いかける、優しく。
自分に向き合う。
自分の不安な気持ちに向き合う。

言葉は違うけど、同じことなのかなーと思う。
これが私の課題。
言葉ではわかるけど、ピンとこない。
それって具体的に何をすること?

自分の本当の気持ちなのか、そのように洗脳されて思わされているのかも?
と思ったり、自分の気持ちがわからなくなっている。

自分の気持ちなのに、わからない、と気づくたび辛くなる。


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だけど、考えたら、以前は自分の気持ちがわからなくなっていることにすら気づいていなかった。
恐ろしいことに。

自分の考えだと思っていたことは、「こう考えなさい」と植え付けられていたことだったようだ。

(あなたの考えたように)考えてはいけません。
そう考えるのは間違っています。

自分の考えは言葉で表さない場合でも(言外で)否定されていたのだった。

自分が欲しいものでも、親が望んだものでないものは、欲しいと言えない。
言っちゃいけない。

必要なものであっても、親が必要と思わないのであれば、自分の力で手にいれるしかなかった。


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そのことが、普通ではない、と気づきはじめたのは、自分が親になってから。
「親になって始めて、親の有り難さを知る」と自分が親になった時、人から聞いたけど…。
私が親になって知ったのは、自分の親がこんな親だったのだと、知り、絶望した。

母の息子への接し方を見て、私はこんな風に育てられていたんだ、と悲しくなった。
悲しくて悲しくて、雨の降る日に、傘で涙を隠して泣きながら里帰りしていた実家の近所をウロウロと散歩した。
あの日の悲しさ…。

たまたま見た Net News の記事では、出産後、退院した家に、母が来て家事を中心に手伝ってくれて、孫への接し方を見て、私はこんな風に育てられていたんだ、と母と自分を重ね合わせた光景を、漫画で表現されていた。

普通はこうなんだなーと、あの日のことが思い出されて涙がでた。


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知らなかったら、こんな風に悲しくなることもなかったかもしれない。
なんとなく、(自分が)おかしいと感じているだけだったかもしれない。
いや、きっと訳のわからない苦しさに悩まされ、崩壊してたんだろう。

ちゃんと悲しんで、ちゃんと乗り越えていこう。
ちゃんと自分の気持ちに向き合おう。
向き合えるようになろう。
自分のことを癒していけるよう力をつけていこう。


1人じゃない。

優月さん、みなさん、
ありがとうございました。




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) せいじクラス



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私に必要だと思いつつ、再び参加する機会を中々見つけられずにいた。
幼い頃の記憶が曖昧で、あまり思い出せないし、それはきっと思い出したくないということで、正直なところ気が進まなかった。

私は感情を出すのを恐れてた。自分では気付いていなかったけれど。
優月さんに何度も言われて、ようやく出てきた言葉の強さに自分が驚いた。

私の人生をことごとく壊し続けてきた父に、これ以上大事な人生をぶち壊されたくない。
何度立て直してもぶち壊されるあの感じ、あの疲弊感や絶望感をもう味わいたくない。


私はそのことに恐怖を感じていて、もう関わり合いたくもないのだと、改めて思った。
私がどれだけ酷い目に遭ってきたのか。私がどれだけのものを奪われてきたのか。
かけがえのない人生で、かけがえのないものを、最も守られるはずの人に搾取され続けてきた。

そのことを知れば知るほど、私の感情は当然のことだ。
だけどそれを口にすることが私には中々できなかった。
押し込めて、出さないように知られないようにしてきたから。


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小さい私は、とても怖かった。暗い中で息を潜めるように生きていた。
さみしくて悲しかったけど、泣くことさえ許されなかった。
自分の無力感に虚しくなるだけだった。
だから私は感じないことを選んだ。それしか選択肢がなかった。

ワークショップ・クラス後半はもう眠くて仕方がなかった。
前日のワークショップ・クラスで既にぐったりというのもあったけど、途中でもうクタクタになったのは、それだけ重たかったんだろうな。私、よく頑張ったね。


もうこれ以上私の人生を持っていかれない。
方法は色々あるよと優月さんも言ってくれた。本気で探そう。
何より安心で安全な中でこれからの私の人生を築いていきたい。

私は本気で幸せになりたい。
私がこれまで失ってきた幸せを手に入れていくためなら、私は全力で行動しよう。

私には知識も知恵も行動力もあるから。
自分で考え動いていくことができるから。


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あの日、あの会場で、小さな私とその場にいた小さなお仲間さんたちのこと、ぎゅーっと抱きしめてあげたい気持ちになった。
よしよし、よくここまで頑張ってきたね、と言ってあげたくなった。
小さな私に寄りそう大人の私がそこにいた。

帰りの機内は、台風のために最終便となって混雑していたのに、私の隣だけは奇跡的に空席。
失ったものを噛みしめて、涙がこぼれた。窓側を向いた右の頬にだけ涙が流れ続けた。
私こんな器用だったかなとぼんやり思いながら、ただただ悲しかった。
喪失感の中を漂っていた。

真っ暗な空の中で、ふと海の中にいるような気がした。
深い深い海の底で、暗くて前も見えず、水圧が苦しくて息もできない。
そんな中で、ずっと私は生きてきた。ただ必死で。

感じることができるようになったつもりの感情を口にできないまま。
それを口にする権利があるのだと、優月さんに言われた。
それを口にしていいと自分に許可を出すのだと。

ガマンしてるつもりもなかったけど、私は自分を抑えてた。
そのことに気付かないまま。


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私はあとどれだけ過去を悼むのだろう。
どれだけ悼めばよいのだろう。
何度でも悼み、そして前を向く。

ここまで歩いてきた道のりの長さ、かけがえのなさ。
ここまで辿り着いた自分への愛おしさ。様々な思いがないまぜに交差する。


翌日の夕方は、目が覚めるような鮮やかな夕焼けが広がって、日が沈むまでベランダから眺め続けた。
私の未来には希望があふれていると思えて、また涙がこぼれた。世界は美しいと感じた。

私は私の人生をより良くしていく方法を知っている。新しい知識で私を上書きしていく。
そして、私だけの私らしい人生を生きていこう。
小さい私と共に。


優月さんとスタッフの皆さん。
ペアを組んでいただいたお仲間さん、温かな空間を分かち合ったお仲間さん。
かけがえのない時間を、今回もありがとうございました。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) せいじクラス



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「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」では、わたしの知らなかった母との関係に焦点が当たっていた。
ああ、土台からだったんだとわかったことはとても悲しく辛いことだった。
まさか母との最初の関係ににそもそもの原因があったとは、考えてたこともなかったから。

そしてうまくゆかないことが腑に落ちた。
わたしが透明な入れ物の中からしか生きて居ないように感じてきたことも。

そして「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」は、わたしにとってもっともっと比重が高いものだった。
全身が吐き気で震えるぐらい。
それは父との関係。
あまりにも多くのエピソード記憶の連なり。
破壊されてきたわたしの時間わたしの本質。
我慢してきた気持ち悪い感じの数々。


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今わたしがわたしだと思って生きてるものの、ほとんどの要素がわたしなんかじゃないってこと。
優月さんのいうように、落ち葉をかき分けるようにしてほってほって、掘り続けて見なければ、一生たどり着くことのない深みに埋め込まれて、閉じ込められているわたし。

だから掘る習慣を決してやめてしまってはいけないんだ。
掘り続ける時間が命の源なんだ。
わたしにとっての命綱になっているんだ。
そのことの意味をさらに深く理解できる気がした。


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本当に楽しいことというのをわたしはまだ知らないでいる。
わからないでいる。
それは自分を持つ楽しさ。
自分を積み上げてゆく楽しさなんだと想像する。

やったことないからわからない。
それをやっていいとは到底思えないでいる。
ものすごく怖いと感じている。
でもやるぞって今は思ってる。


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わたしが自分だと思って生きてきた要素のそのほとんどが他人のものだったということを受け入れるのはすごく勇気がいる。
アイデンティティの喪失ってそういうことなんだ。

その言葉が自分と関係があると思えていなかった。
自分には自分という感覚があったから。
だけどこの感覚は、生き延びるすべであって、自分ではないみたいだ。

自分がほとんど人のために生きてるということも、自分が自分だと思っている部分が人のものだということも、あまりにも理不尽で信じがたい。
わたしは尻込みしている。
そんなことにうんといってしまったら、わたしはどうなってしまうのかと思うと勇気が出ない。


自分を掘ろうとするも、掘っても掘っても出てくるのは他人ばかりに思える。
わたしなんか一生出てこないんじゃないかと思える。
今出てくるのは苦しい気持ちだけ。
吐き気と嫌悪感と悔しさと気持ち悪いという全身の反応みたいな。

こんなことをくぐり抜けられるのか。
自信がない。
やって行ける気がしない。
それでも歩かなきゃいけないと思うと悔しくて腹立たしくて、煮え繰り返る。


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わたしは自分自身の性の認識に混乱があると思う。
男と女が入れ子になっている気がする。
自分の身体と心の性のアイデンティティが混乱してる気がする。

男性に対して妙な仲間意識がある、親近感を感じている。
女性に対しては疎外感のようなものがある。仲間に入れないような感じ。
性性の混乱があって自分の立ち位置がよくわかっていない感じがする。
同性に安心感を求めても得られず、異性に性的な感覚で安心感を感じる混乱。


今のわたしにとって性は使うものであって自分の本質ではないみたいだ。
わたしは性を道具とみなしてしまっているような気がする。
大切にされるものとしての性ではなくて男性の道具、自分の道具みたいな性。

自分や相手の性を利用している。自分自身の本質としての性が感じられていない。
性的なやりとりの中に自分を埋没させる力があってそこに溺れてしまう。


とにかくわたしは無意識につい性的な感覚だけを求めてしまうんだと、自分のことは少し理解できた気がする。
そしてそれは自分で制御できないぐらいの無意識な動きだということ。
それが調律のラの音であるが如くに頼ってしまっていること。
それを軸にしようとしていると言うこと。

どうしてこうなっちゃった? というぐらいやっていることと認識がずれている。
そしてそのことがわたしの人生を狂わせる大きな損害だということ。
その自覚はあまりにもない。ということ。


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母との親密な一体感を得ることなく、父との間に性的な一体感が形成された。
そう言うことなのではないかと思う。

子ども時代のわたしにとって切望された安心感が、自分が男性の性的な興味や関心の対象だということから得られてしまったと言うこと。
それを使うと束の間望むものを得られるのだということ。
そういう風にインプットされてしまっているから、そうやって媚を売りくっついて守ってもらう。
わたしはそれを生きる手段としてやってしまってるんだと思う。


自分の人生を作りながら生きる代わりに、そうやってコバンザメのようにすることが生きるということだとインプットされてきたんだ。
そのことが悔しいと思うし吐き気がする。
そういうことをやっている自分のことを思うと、とても悲しいし恥ずかしいと思う。

わたしはただ大切にしてもらいたかった。
わたし自身もわたしの性も。
大切なものとして扱ってもらいたかった。


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心の中には「触らないで!」と言って大きな声で怒り狂っている小さな女の子がいた。
そしてこのワークショップでその子はやっぱりわたしなんだと理解する。
本当に嫌だったんだ。心の底から気持ち悪いと思っていたんだ。

会いに行った小さなわたしは何も知らず懸命にその日を生きていた。
怖い気持ちを隠したままそのことも知らないで。

小さな肩に乗せられたあまりのタスクに気絶しそうになる。
父母のお世話役。母親役と妻役。お店の手伝いと父の夢の実現と。
それが小さな子どものわたしに課せられていたこと。
必死で頑張って生きていた日々。


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わたしが20歳で子どもを生むことになったのは性的な混乱があったからなんだ。
ということ。
そのことにちゃんと自分が自覚的にならなければ、同じ問題が繰り返されてしまう。もっと深刻になる。
わたしが囚われているのは誤った感覚、認識。
正しい性の理解ではない。

自分に刷り込まれてしまっていることは普通ではない、正気ではない。
土台だと思っているものがゆがんでいるから。土台でもなんでもない。
ただただ、自分の気持ちはごまかして紛らわせ、相手のニーズに応え続けようとすることが自分にとっての人生になってる。
そこに性の問題が絡んでしまっている。


それはわたしの本質がおかしいということではなくて、わたしがゆがんだものしか与えられていなかったということ。
それを変えて行けるのはたった一人自分だけで。

しかもそれは自分が現状を正しく認識して歪みを見抜き、新しくて普通の良いものを見極めて、取り入れてゆくしかないということ。
その課題がいまの自分には大きすぎて圧倒されてしまう。
ただ今まではピンとこなかったものも今は少しだけ理解できる気がしてきている。


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わたしがずっと空回りしてきた原因は、幼少期からあったのだということ。
人生の始まりから土台がゆがんでいたということ。
そのことを思うと怒りがこみ上げて来る。

冗談じゃない。
悔しい。
まともな人生を歩みたかったのに。
そうではなかったということ。
そしてそのことを自分が認められなければ、一生横滑りしたままの人生でいってしまう。

それは悔しい。
そんなのはごめんだ。
なんでわたしがそうなった?
なんでなんでなんで?
理不尽で腹がたつ。
ともすれば無力感が襲ってくる。

そのことを見ようとすればするほど、ただただ怒りが湧いてきて、それに圧倒されてしまうのではないかと思う自分がいる。


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具体的に現実的にどうにかしたい。
だけど何をすればいいのか本当にできるのか。
自信がないイメージもわかない。

だからもどかしく悔しさが増す。
無力感も。それは多分逃げているから。変化を恐れて逃げている。
父母にそんなことをいってお前はまた私たちを悲しませるのか、そんな風にコントロールされることを恐れている。

わたしは父から見捨てられるのが怖かった。
もういいよと言って去ってゆくのが怖かった。

そうやってコントロールされているのだとは思わなかった。
相手が満たしてくれる状態を完全な状態だという誤った認識を植え付けられて、そこに安住してしまっているのがものすごく気持ち悪い。


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今もそれを無意識にやってしまう。
需要と供給みたいな逃げられないバランスの中に繰り返し身を置こうとする。
それを全身が吐きそうだといってる。

「わたしはあなたのもの」という役割を完璧に演じていれば問題は起こらなかった。
母親が殺されないように、全身全霊をかけて父の従順な妻の「役割」を担っていた。

母に対しては、母親の「役割」を担っていた。
落ち込んだ時に励ましてあげる存在。
くよくよした時に新しい視点をあげる存在。
やりきれない仕事を肩代わりしてあげる存在。
そして常に励まし褒めてあげる存在。

それを今も母は求めてくるしそれを重苦しいと感じている。
だからもう相手にしないと決めた。


文節区切りの線

今は父に対してもう以前の役を演じる余裕はない。
気持ち悪さと吐き気と嫌悪感があるから、でも会ったらどうなるかわからない。
だから、絶対に近くへ行きたくない会いたくない見たくない。
近づきたくない。触られたくない。顔も見たくない。
とても嫌な気持ちがあるから。

だけどそれを正直に告げることはできないでいた。
そこには傷つけるという罪悪感があるし、その罪悪感すら吐き気がするぐらい気持ち悪い。

父のことはずっと嫌だったけどそう表現できたことなんて一度もない。
リアルに命の危険を感じていたから。


文節区切りの線

その場を取り繕うためにいつも代わりに慕っているように振る舞った。
あまりに強く承認を求めてくる時にはだんまりを決めた。
でも本気でちゃんと拒否できたことなんかない。
そんなことをしたら家の中がどうしようもなくなってしまうと思っていた。
そうしておけば問題は回避できたから。

そしてそのことを今すごく気持ち悪いと思っている。
吐き気がするぐらい身の毛がよだつぐらい気持ち悪い。
それが本音なのだとワークショップでは感じられた。


今まで通りだと、相手を上げるためだけに生きてしまう。
それはどこへ言っても同じことなんだ。
それが生きるすべだったのだから。

生きるっていうこと自体がそういうことだったのだから。
生き延びるという切実さのための行動だったのだから。

そうやっていつも人を受け入れたり求めたりしながら自分の本音を押し殺すようにして、他人の価値観を借りて借りぐらしで生きてきたんだと思う。
そして本当はそのことをとても恥ずかしく思っている。

ほんとはそんな風にはしたいと思っていない。
だけどやめられないと感じてしまっている。
オートドライブみたいにシステムに組まれてしまってるみたいに。
だけど本当はすぐにでもやめられるんだ。
自分の問題だから。


文節区切りの線

その不毛なサイクルからは抜け出したい。
人を利用するような、人のものを借りて借り物で日々を賄うような、いやらしいやり方をしたくない。
とても恥ずかしいことだと思うから。

それが父からわたしが無理やりさせれたことだから。
吐き気がするし嫌悪感がある。


その嫌悪感をちゃんと味わわなくちゃいけない。
本当は嫌だということを自分に認めてあげられなければ、わたしはそこから離れることができない。

本当はすごく嫌だった。
気持ち悪かった。
居心地悪かった。
逃げ出したかった。
一秒も耐えられないぐらいに。
嫌な気持ちだった。


文節区切りの線

小さい時に何をされたのかは覚えていない。
だけどそれは繰り返された態度だった。
高校生の時に、忘れられない出来事が起こったことは覚えている。
ものすごく嫌だった。
気持ち悪かった。

お母さんは守ってくれなかった。
守って欲しかったのにけしかけるようにしてた。
そのくせライバル視してわたしをいじめる時もあった。

そういう用途で使われるタイの子供の小説を読んだ時。
耐えられなかった。
他人の気がしなかった。
わたしもそうだったと感じていた。
そして身の毛がよだつ思いがした。

何よりも気持ちが悪いのは、そのことをものすごく嫌っているのにあたかも好きなふりをし続けたわたしのこと。
男の人が怖いという気持ちとそこに引っ張られる気持ちが折り重なってねじれて気持ち悪い。
わたしはどうにかなりそうだと思う。

本当は嫌だったという気持ちと、もっともっともっと繋がりたい。


文節区切りの線

嫌な相手であればあるほど逆に愛想振りまいてしまうことさえある。
気持ち悪い気持ちをごまかして気づかれないようにしようとする。
それはとても危険なことなんだ。
そしてとても残酷なことだ。

「話ができないようになったら終わりだから」
繰り返し言われたこの言葉。
それがコントロールのための呪いの言葉だったとは思っていなかった。

妹はとっくに両親を見切っている。
わたしだけが嫌と言えないまま二人の機嫌を取り続けてきた。
それを止めることが怖かったから。

逆上される。
母にするようなことをわたしもされるかもしれない。
母も逆上する。
それが怖かったから。
一人で生きられる気がしなかったから。


今はもうそんなことない。
わたしは自分で生きることができるはずだ。
虐げられて利用されているのにそれに甘んじて生きたいとは思わない。

それを信じ踏ん張らなねば、気持ち悪かった。
嫌だった。
吐き気がした。


文節区切りの線

わたしは自分の信念を持ちたい。
自分の考えを持つと無視される、あの時の出来事に終止符を打ちたい。
もう過去にわたしの行動を縛られたくない。

あんな人たちに無視されたって本当は怖いことじゃない。
そんなことでわたしの尊厳に傷はつかない。


自分はどうしたいのか?
自分はどう感じているのか?
自分はどう納得しているのか?

自分の声を発掘する時間がものすごい命綱だから、絶対にやめてはいけないし、絶対に確保しないといけない時間。
どんな人生にしたいのか。
それを思い描くことでさえ躊躇われるぐらいだから。
だからこそ強制的にそう言う時間を取らなくちゃならないってこと。

他人の印象をコントロールしようとして、エネルギーを使ってしまう不毛な時間消費を終わらせる。
関わるたびにその人との健康な距離が保てない状態を終わらせたい。
そのために自分がなんとしても必要なんだ。


文節区切りの線

わたしはまだまだ身を守る術を知らないって言うことなんだ。
だからわたしは今日からそれを始めたらいいんだ。

健康な距離じゃないって思うなら、じゃあ自分にとって健康な距離や関係ってどんなものだろうか。
そうやって自分のものを見つけるんだ。
自分の価値観を育ててゆくんだ。
少しずつでも。


人から借りたもので暮らすのをやめて。
自分のものを発掘し作り出し見つけて認めて。
大切にしてゆくんだ。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。