2020.12月開催 「冬の大勉強 & 大準備会[基礎編]」べにがくクラス

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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) べにがくクラス



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科学に基づいた知識を積み上げると、なぜ起きたのか仕組みがはっきりしているのがわかりました。
普段目にする所でふわっとしたポエムのような感じではなく、ちゃんとした知識に触れることがないので驚くことばかりです。

「わかる」ことで私のぼんやりとした感じがはっきりとした言葉になりました。
テキスト通りのことが自身に起こっている、運命とかそういう曖昧な話ではなくて現実問題の手順通り、仕組み通りのことが起こっているだけでした。


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なぜこんな当たり前のことが私にはなかったのか、ものすごく悔しく感じます。
どうして自動的に健全な方にならなかったのかを考えると悲しくなります。
けれど同時にこれから積み上げればなんとかなると言うのが、ちょっと救われます。

今ここ、この時を大事にしなくては。切に感じます。
ありがとうございました。




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M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) べにがくクラス



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私は、「i-message」を思ってたほどできてなかったんだなぁ、と気づくことができました。
このことが、今回の私の一番の成果です。

私は、自分に向き合うための気づきを得ることができたんだ、と思いたい。
私は、「できなかったこと」より「できるようになったこと」に注目しようと思う。

私は、自分の役にたつ習慣をもっともっと得たいから。
私は、もっともっと練習して、この苦しさから抜け出したい。


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私は、「正解」や「模範解答」を探してしまう癖がある。
このことを、自覚していこう。

私は、「正解」や「模範解答」の中に、自分はいないのだと肝に銘じていこう。
そうではなくて、私は、私の正直な心の声に耳を傾ける練習をしよう。

そして、私は、それが「本当に難しいんだよなー」と感じています。
私は、きっと、辛すぎて逃げてるんだと思う。
私は(無意識に)見ないようにしてるのかもしれない、と思う。


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私は今、とても「怖い」と感じている。
現実に向き合うことが。ひとりぼっちになることが。
そうだとしても、私は、あきらめずに行こうと決意しなくては、と思う。

自分の足で、ひとりで立つことを、諦めない。
現実的な課題解決の仕方を身につけたい。
私は、「自己嫌悪」せずに、課題を解決するスキルを身につけたい。


優月さん、お仲間さん、ご一緒できたこと、とても感謝しています。
ありがとうございました。




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S. M. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) べにがくクラス



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一年前、「冬の大勉強 & 大準備会」を受けて、そして今年。
この一年で自分が取り組んできたものと、今回の勉強会のものとで、さらに仕組みが深まったと思う。


仕組みを根源から知ることは、心にもとても優しいことだと思った。
ほんとに心が「YES, YES, YES!」の連続でした。

もちろん、その優しさの中には悲しさや失ってきた時間も含んでるけれど、それでも、わたしは受け入れるほうを選びます。
それが一番納得できるから。


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なんてところに生まれ落ちたんだろうと思う。
ずっと変な教育されてきたようなものだ。

わたし、日本語から勉強するわ! って、週明けに思った。
それぐらい、本来と違うもの。
失った重いもの。


どう生まれたかより、今からどう生きるか、です。
と過去にどこかで聞いたか読んだかしたのを思い出した。

けれど、「どういう環境、仕組みで生まれ育ったか」を知らずに、「今からどう生きるか」なんて答えられないってわたしは思う。
だから、それが解けて繋がってきた今だからこそ、わたしは今からどう生きるかに目を向けられる。
わたし、日本語から勉強するわ! って。

泣いたとしても、逃げたとしても、あきらめない。
あきらめないから続けてきたし、続いてきた。
だからこれからも続けていこうと思う。

今回もありがとうございました。




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M. K. さん(30代/福岡県よりご参加) べにがくクラス



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ZOOM でたくさんの本当は知らない人たち、参加しなければ会うことのなかった人たちの顔が映っていて、不思議な感じだった。

人間関係における、ルール、マナーなど。
説明を聞いてるとそういう人いるいるって、職場でもみたことあるよって。まるで人ごとのように聞いていた。

違う、お前の話だ。
今話されていることは私の話なんだって、途中から認識できた。
どうして人ごとと思えたんだろう。


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今までのなんとなく知っている、知識がある、その部分にしっかりと名前がついた感じ。
名前がついたということは正体がわかる、ということ。

私がしっかり刻み込まないといけないのは、誰かの話をしているのではなく、私の話だということ。
何度でも思い出そう。
私が生きているんだということ。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) べにがくクラス



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今回この「冬の大勉強 & 大準備会」に参加して、私は何度も同じワークショップに参加することの大事さを改めて感じました。

以前は、スタンプをもらうように「とりあえず、1回は」という感じで参加していました。
今思うと、それ自体が共依存の症状の「受け身」だったのだと思います。

その時はそれが自分に出来る精一杯のことだったのだと思いますが、熱量がある割に身につかない、空回りしている感じがありました。

それは、「参加した」ことで納得してしまっていたところがあったからのように思います。

「その先」がない。
「自分がどうしたいか」につながっていなかった。
というよりも、つなげ方がわからなかったというか。


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今年の私の後半は「私は…(i-message)」「自分がどうしたいか?」と向き合ってきました。
現実社会で
「自分は何が好きで何が嫌いか」
「何が心地よくて、何が不快なのか」
「自分はどういう生き方をしたいのか」
をトライ&エラーしてきました。

最近ですが、本当の意味での i-message も練習し始めました。
そして、私は自分の感情や自分のニーズが少しずつわかるようになってきました。


そうしているうちに、「知らないこと」「わからないこと」が怖い、もどかしいと感じるようになりました。
自分に今起きていること、今の自分の生き方が「共依存の環境にいたために自分に起こっている現象」なのだと本当の肌感覚で知ったとき、怖くて、悲しくて、悔しくなりました。

「知らないこと」「わからないこと」をどんなに想像してみても、体験してこなかったからわからない。
ただ、どうして良いのかわからずグルグルしてしまう。
そういう状態が続いていました。


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今までのワークショップでは、私はどちらかというと「聞いてほしい」という気持ちが大きかった気がします。
でも、今そういう状況になって私は初めて「知りたい」「教えてほしい」と強く思うようになりました。

それは「私がどうしたいか?」「私はどう生きていきたいのか?」、そして「そのためにはどうしたら良いのか?」と、やっと「その先」と結びついたからそう思うようになったのだと思います。


そして、そう思うようになったのは i-message を練習するようになったことが大きく関係しているように思います。
私にとってはものすごい威力があります。

逆に言えば、今までどれだけ「私」が不在だったのかということにもなりますが。
「私は…」の初心者の私にとっては「私は…」は自分の魂の叫びのように感じます。


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始めにも書きましたが、私にとっては何度も同じワークショップに参加することは、とても大事だと思いました。
その時の自分の状態で理解の深さ、得るものが全く違うのだと、今回は特に感じました。

優月さん、ご一緒したお仲間のみなさん、今回も安心して心を開けました。
あたたかい空間をありがとうございました。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) べにがくクラス



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今回の話を聞いて、わたしは自分が苦しかったのは、そして今も苦しいのは人間の生物としての生き残り戦略が正常に動作してないからなのか、と思った。

基本的な生き残り戦略と合致しない生き方になってますよーというサインがわたしの感じている苦しさなのかな、と思った。

生物として「生きてゆく」という方向に向かえていない、ということがわたしに起こってしまっていることなんだ。という風に感じた。
それを本来の「生きる」「生存してゆく」方向に変えてゆけたら、大変であっても心が廃れるような気持ちにはならないのではないかと思う。


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子どもだった頃のわたしは親に圧倒されていたけれど、今もうわたしは大人になっている。
わたしは自分の頭で考えられるし、自分で新しい知識を学べるんだよね。

そうやって大きな地図を俯瞰してみたら、わたしはわたしの立ち位置が冷静に理解できてきたと思う。
圧倒されていた立場とは違う視点で自分のことを見ることができることが自分を理解するということなんだとわたしは感じた。
その視点の精度がまた少し上がったワークショップだったと思う。


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大きく俯瞰してみた社会の成り立ち、人間の生き残り戦略という話の中で出てきた個性の話を聞いて、わたしは世界観がひっくり返る思いがした。

わたしが自分の家から引き継いでいるものはいろんな価値観が言葉はおんなじでも中身がぐちゃぐちゃになっていると思った。

わたしの中身は本当に混乱しているのだと思う。
わたしは飛び出すこと、目立つことを個性があることだと教わった。
しかもその上で「個性的であれ」と言われてきていた。

今まではまるでルールを破ることが自分を持つということだと勘違いしていたようなものだったのではないかと思い当たった時、わたしはとてもショックだった。

話を聞いてみるとそれは大きな勘違いだと思った。
いろんな場面でわたしの価値観は混乱していると思った。

原家族の中で、結論のない行き当たりばったりの字面だけがそれっぽくて一貫性のない価値観にわたしは翻弄され続けてきたんだと思う。
そして今も同じように他人のそういう一貫性のなさに翻弄されてしまいがちな自分がいると思う。

自分の中で価値観を積み上げることを良しとされてこず、さらにそこから逃げ続けてしまったわたしの中には「自分の価値観」と呼べるものがまだ積もっていない。
だから子どもの頃やっていた通りに「人から借りて」済ませてしまうんだと思う。

親子の関わり方とは違う他人との関わりの中で価値観を人から借りるようなことをしても根っこがわからないから一貫性がないし、そもそもそれは人のものだから、わたしの中の混乱は片付かないままさらに積み上がってしまう。
わたしはその流れを変えてゆかなければならないと感じた。


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わたしは社会の中でのマナーを丁寧に一から知りたい、学びたいと強く感じた。
長い年月をかけて丁寧に大切に守られてきた人間独自の作法を今のわたしはとても知りたいし、身に付けたいと感じている。


わたしは明文化されたルールを大切なものだと思っていなかったと思う。
そしてその文面を自分が理解できる、という風に思っていなかったように思う。

分からなかったら困るし、分からないってバレたら怖いから見なかったことにしよう。
そういう精神がわたしの意識の奥の中心を流れているような気がした。

明文化されないマナーの方についても、ルールについても、それを守ることを大切だと考える習慣はわたしにはなかったように思う。

世の中にあるルールはむしろ悪いものだとなんとなく信じ込んでいたような気がした。
極端な言い方をすれば、わたしは「ルールは破るべきもの」という信念がベースにあったかもしれないと思った。
それに加えて「ルールはわからないもの」「わたしはルールから外れるし、それでいい、その方がいい」ということも漠然と信じていたように思う。

個性の話とも通じるけれど「ルールを破ること、ルールから逸脱することがむしろ個性なのだ」という信念を結構根深く持ってしまっているかもしれないと思ったら、わたしは自分のことがとても怖いと思った。


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これからわたしがやることのおさらいもできた。

i-message の特訓。知識の獲得と再訓練。そしてシェア。
自分の輪郭を自分で確かめてゆくこと。体験、体感すること。
それらを振り返って、できたことを認めて数えて積み上げてゆくこと。

わたしは息子たちが剣道をやっていた頃とても剣道に憧れていた。
わたしもやってみたいと思いつつも思い切って始めることができなかった。

わたしはいま剣道はしないけれど、毎日素振りするように i-message を練習して、境界線の守り方も練習して、体で身につける一年にしたいと思う。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) べにがくクラス



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私へ

今回もお疲れさま。
色々なものが出てきて整理しきれないけれど、今書ける精一杯のことを、書き残したいと思います。


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「人間とは?」という大きな所から、ピンポイントへ。
まるで、高い所から地上を見渡したかのようだった。
大きなところから見ると、全体像がくっきりと見える。

聞いたことがある話も、言葉を変え、違う角度・視点から聞くと、腑に落ちる。
基礎を繰り返し聞くこと・全体から見ることはとても大切だと感じた。

そして、何が健康か知ることは、私にとってとても大事だと思う。
(私は、「人は、同じルールとマナーを共有出来れば、仲良くやっていける(気が合う・合わないでなく)」が、とても印象に残った)


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私が今まで「これが世界・これが人間」と思っていたものは、何だったんだろう?
私が今まで見てきたものは、何だったんだろう?

話される内容に、ドンという重さと圧を感じた。
正直、聞くことが辛かったけれど、未来の私の為には、きっと必要なことだったんだと思う。

私は勇気あったよね?
そして、今、聞けて良かったね。
これから又、時間をかけて消化していこう。


最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆さん、ご一緒した皆さん、今回も本当にありがとうございました。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) べにがくクラス



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この会に参加し、私は、習慣や洗脳、思い込みは本当に恐ろしい…と改めて思った。

私は大丈夫、冷静に、しらふに考えられていると自分では思っていても、その土台や足場が、そもそもくるっていたら、何をどう考えても、くるってしまうんだ。


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「わからない」って、混乱のもとだ。
私はそう思った。

それは、私の努力不足や、至らなさによるものではない。
私の親が知らなくて、私に教えられなかったこと。
そして経験も実感もないから、私が認識できないもの。

そもそも「わかる」ことができる環境にいなかったこと。
それが私の人生に、こんなにも大きなダメージを与えている。


知れば知るほど残酷で、私は苦しくなる。
でも、もしこの会に出ずに知らないまま、自己流と気休めでなんとかしようとしていたら…。
私は、どうにもできなかったと思う。


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人間関係の悩みというと、私はつい「あの人が…」「この人が…」という発想になりがちだ。
でも、本当は、他人が原因じゃない。
そういう人と、つい付き合ってしまう私の思考や習慣の方が、原因なんだ。

気を抜くと、私はすぐにずれた軸で考えてしまう。
私は、ずれていることにも気づけない。
(だってそれで私は何十年と生きてきたのだから!)

だからこそ、こういう場で、何度も何度も「あぁ、違った」「こっちだった」と確認する。
私にとって、とても貴重な場だ。


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今回参加して、私がとても印象的だったこと。
私の親は、子どもの私によく「お前はダメだ」ということを言っていた。
その言葉に子どもの私は、とても傷ついていた。

でも、今回のレクチャーを聴いているうちにあぁ、私の親の言葉は宇宙語だったんだ。
私とは違う言語でしゃべっていたんだ。
だから私の親の「お前はダメだ」は、真実じゃない。

そのことがストンと、腑に落ちました。

何度も何度も、聞いていたこと。
でもここで、こんなに納得するとは、思いませんでした。
この長年の呪いから解放されるだけでも、ものすごく大きいのでは…そう私は思いました。


親は親、私は私。
子どもの頃は、確かに親は「絶対」で私は抵抗や反論もできなかった。

でももう今は、私は「おかしい」と思ったことは「おかしい」と言っていい。
親の考えはあっても、私はそれに従わなくていい。
私は私の人生を、自分で選び、歩いていっていいんだ。
その感覚を、私はますます育てていきたい。


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今回の会で私は「親しい」ということについて質問できた。
私は、ずっとこのことが気になっていて、わからなさすぎて、困っていた。

そのことを質問し、答えてもらって、私はとても安心した。
わからないものの姿や輪郭が見えてくると、私はとても安心する。


そして、質問したおかげで私は「また私は、親しいということに、すごい理想を設定してたんだな」ということに気づけた。

私がよくやってしまう、「立派なことをしたら、そこから幸せになれる」という達成型の考え。
そこにまた私ははまっていたんだと気づけた。
こういうことにも気づけて、私は本当によかったなと思った。


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このワークショップ・クラスで教わったことを、1人になって改めて感じ直してみるとあまりに途方もない闇をどーんと感じて、私はたじろく。
こ、こんなものを私は立て直していけるの…? と私は不安でいっぱいになる。

私の課題は、とても大きい。
でも、だからこそ、私はリアルな一歩を大事にしよう。


先のことを考えるのは簡単にできて、不安や妄想は、どんどんふくらませることができる。

私は、自分がそうしてると思ったら、ストップして今ここで、私が感じることに、何度も戻ろう。

「今日、私は素直にしゃべれた」
「今日、私は食べたいものが食べれて嬉しかった」
「今日、私はこの人といて、楽しかった」

私の道のりは長くても、その途中でも「楽しい」「嬉しい」「幸せ」と感じられることはたくさん拾えるはず。
そしてそれを、私は感じていっていいんだ。


それは「そうすべき」というより「そうした方が私は心地いい」。
だから私は、そうする。

たくさんのことを発見した会でした。
優月さん、スタッフのみなさん、お仲間さん
ありがとうございました!



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。