2017.04-07月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(後期日程)」がくひめクラス

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Y. T. さん(30代/島根県よりご参加) がくひめクラス



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このコースは3回目の参加でしたが、「そうだったのか」と目から鱗が落ちるような気づきがたくさんありました。
やはり、私はまず、土台作りからしなければならないと分かりました。
役に立たない、ためにならない習慣や思い込みを変えないで、健康に生きることなんてできるわけないんだって思いました。

だけど、まだどこかで、私を変えてくれる誰かを待っていたり、期待している私もいます。習慣とは、根深くて、本当に本当に手強いものだと痛感します。
そういうものと、逃げたくなっても向き合い続けている私を褒めたいです。


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私が今、共依存の世界で生きていて、役に立たない、ためにならない習慣を身につけているのは、私の性格が悪いからとか、私がダメな人間だから、という理由ではなかったことが、ようやく腑に落ちました。

知らず知らずのうちに不健康な生き方を学んだうえ、健康に生きる方法を知りませんでした。
私の知っている世界しか知りませんでした。

どうして何かを選んでも、何かしらの行動を取っても、ぐるっと回って元に戻るような感じがするのか、そのからくりが少しずつ解けてきました。


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回復には時間がかかることも、受け入れられるようになってきました。
以前の私は、時間がかかることは、絶望と同じことでした。
すぐに結果が出ることが良いことだと信じていました。

でも、今は、できるようになるまでやることも苦ではなくなってきました。
回復を始めた頃は、健康へのハードルはすごく高いと感じていましたが、今は低くなってきたように思います。

少しずつ健康に近づいてきているのかな?
そうだとしたら嬉しいです。


それからもうひとつ、最初の自己紹介で、「自己肯定感を上げたい」と書いていたのですが、今の時点で、自己肯定感がぐっと一気に上がってはいないけど、下がらなくなったことに気づきました。

気持ちの浮き沈みが激しかったときと比べて、時間も精神的にも安定してきたように思います。
これだけでも、私には大きな収穫です。


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ひとつずつ視界がクリアになっていくたびに、私は、私との信頼を取り戻していっている感じがします。

ようやくここまできた。
歩き続けて良かった。
もう簡単に手放したくはないです。

このコースを終えて、新しいスタート地点に立ったな、という気持ちです。

最後になりましたが、「がくひめクラス」の皆さま、優月さん、ONSA スタッフの皆さま、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) がくひめクラス



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芽吹くような3ヶ月でした。

今、12週目にして疲れがまた出てきたのだけど(最近またぐるぐるしてたからなあ、ともわかる)、3ヶ月分の書き込みを読み返してく中で、自分で自分に励まされることもたくさんありました。

おお、それ偉い。
ああ、そういうことあったけどそんな風にわたしできたんだ。
これ何回思い出しても面白いよね。

うわっ、すっごいこと気づいてたくせに、今忘れかけてなかったー? 汗。
そうそう、こういうの好きだったなあ。やっぱ好きやなあ。
これは、そう、悔しいし腹が立つよね、今思い出してもそうだ。その裏返しがやっぱり真実だから。
そういうことがたくさんあった3ヶ月。


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手帳やノートも、今見返せば、よくこんなにやってきたなあって思う。
早い流れの時間の最中では、とっても気づきにくいし、こうやって振りかえなければ即座に「当たり前」で「何でもないこと」になってしまうけど。

「何でもないこと」なら、たぶんまだマシで、「こんなの誰でもできる、もっとできるはず、もっと他の人ならうまくできるはず、もっとできる方法があったはず、わたしは何にもできてない。」になってたんだろうなって思う。
「振り返り、止まってみる」が「できない・する習慣がない」と、これはとてつもなくしんどいんだって、その差に驚いてる。
無意識さが一番怖いな、無意識にずーっと「何でもない、何にもできてない。」って自分に呪いかけてるようなもんだし。


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そして、そこには、否定しようのない「プロセス」がいました。
全部、プロセスやなあ、って。
今までそう見えたことって、あったかなあって。

プロセスすぎるぐらい、プロセス。一つ、一つ。
何でも、その一つ。
そこを大事にするか、し続けるか、
カンペキという名の詐欺師に引っかかるか、
その違いなんかなあ。

世界はすっぱり2分化できないし、わたしという人だっていろんな面があって2分化できないけど、その違いは、きっちり2つに分かれてそうな気がした。
でも、まだまだ、後で気づいたりするんだよね「また引っかかってたー!」って。
それもプロセスの一部みたい。


自分でやってく、って、ほんとに正解ってないみたいで、自分を信用できてなかったんだろうなってよくわかるのが、
「わたしよりも、わたしの考えよりも、この状況をうまいことできる方法があるはずで、それを探すことがきちんとできることになる。」
って、なってたと思うけど、そこに「わたしの思い・意見」はどこにもいなくて、どこにもないままきたから、いつまでたってもしっかりとしたものにならなかったんだ。


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この3ヶ月間、やってきたことをいろいろ書いてきたけど、そのどれも、もしかしたら「もっとうまくやれた方法」があったのかもしれない。
他の人なら、もっと上手にやりこなしたりできるんかもしれんけど(こうしたらいいのに、とか思っちゃうんだよな、自分も他人)、そんな方法を探すことはもう要らないかなあって思う。

あったとしても、たぶん自分が納得できんし。
ヘタなりに、自分でやってくほうが、いいんかなって思ってる。

また別の詐欺師もいるしね、「相互依存的な意見探し」のような。
だから、読み返しても、グダグダなりにそうした自分、に納得できる。
でも、「聞かない」わけでもないわけ。
“我流” の焼き増しの怖さもわかりだしたから。

すぐに “土台” を間違える。そこは天性のスピードと言ってもよいのではないかと思うぐらい(こんな天性要らなかったんだけど)。
でも、この空間では、たとえ練りに練った間違い方をしても、そこには必ず行き止まりがあって、だからこそ、イヤでも(笑)土台を間違ったんだ、って気づくようになってる。

何度も何度も間違えてきたと思う。
そこもプロセスなんかなって思ってる。
だから練習してんだなあって、精度を上げる練習。


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努力、ってことも、最後の辺りに出てきたよね。
好きなようで、実は嫌い。嫌いだったんだなあってわかる。
これにすら、好きになろうと努力してたぐらい。
しても意味ない、って、実は心の奥底で思ってる、思ってた小さいわたしがいる。

でもね、違うみたいなんだよ。ほんとの努力って。
もっともっと質が違うんだ。

嫌いだった理由が今わかったよ、それなら嫌いになってもしょうがないよ、って優しく思う。
手元に残るもの、残らないもの。その違いなんだ。
残んないから、嫌い。残らない方法しか知らなかったから。
しても意味ない、が強化されることばっかだったんだね。
でもね、でもね、残ってきた感じの方がわかり出したから、そのことがわかってきただけで、今涙出てきた。


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けっこうシンプルなんだとも思ったし実感した。
いったいいくつ解けばどれが本当なのか、ってどこかにあったと思うけど、
もう、たくさんたくさん絡み合ったものを書いていけば(それはそれはもうしつこくしつこく…)、
「ああ、ただ単にこうだったんだ。」って、キラリと光ったものが出てきて、なんだ、わたし、そうだったんだ。
そう思ってて、そうわたしにわかってほしかったんだ。
そういうシンプルさ。
ふわっと軽くて優しくて、でもギュッと濃縮されてて、それでいてまぎれもない自分にとっての真実、みたいなの。


今回も、ONSA さん、優月さん、ご一緒だったお仲間さんもありがとう。
もっと奥深く知りたいし、次はもっと「身につけたい」。
夏の季節からもよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

Y. A. さん(20代/福岡県よりご参加) がくひめクラス



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「コース2/STEP.2(後期日程)」「がくひめクラス」のお仲間さん、お疲れ様でした。
本当に各自での考え方、感じ方、解釈の仕方で、仲間が居て心強いです。


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さて、「機能不全家族」での「相互依存」への新しい習慣を再訓練する。
というコースで、後期日程では「自分を認める力」「コントロールをある程度手放す力」「感情を感じる力」「ニーズを見分ける力」「限界と境界を設定する力」の練習をしていきました。

内、「感情を感じる力」はもう、言わなくても分かるでしょう、と言えるくらい日記へ感情を書くことがためらいがなくなっています。

「権利の目録」にある権利が満たされない「機能不全家族」では、
否認「話すな」「感じるな」「信頼するな」
孤独「本当のことを話せない」
硬直性「独善的で硬直的、もしくは一貫性のない状態(混乱を招く)」
シェイム(自己否定感・羞恥心)「出来損ない、間違っていると信じ込んでしまう」
が当たり前になり、大人になるにつれて「相互依存」の世界でのスキルは全く育たないので健全な成人になれない連鎖が続きます。

さらにそれぞれが家族間での役割が生じ、長所と短所が出てくる。
でもそのバランスが大事で、過去の経験上で続くので、「今、この瞬間」での判断ができなくなる。

それで、コース内での練習や観察がとても重要でした。


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私なりにこのコースに関わりましたが、1週を回っただけでは知識としては把握しても、とてもじゃないけれど習慣になったとはいえなかったです。

私もこの3ヶ月で一人暮らしのための引越し屋手続き、会社での後続者への指導や業務内容改善、夏の対面式ワークショップと平行での作業、どれを取っても私に取っては重要で外せないことでした。
今後するべきことが、また少しずつ見えて来たと思います。

過去を想い出すと、この「少しずつ、地道に」という手段なんてしていられないと思っていました。

でも、そんなことはなかった。
ちゃんと私の感情、私の思う気持ちを元に、人生に向き合ってよかったんだ。

それを本当は、「相互依存の家族」で始めからだったら良かったのに。と悔しい反面、「今から」やっていくしかない。


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ONSA のワークを始めて以来、ずっとずっと、そう考え直して、日々を送っています。

でもその分、色々な面で新鮮な日々を過ごすようになりました。
私の対応次第っていうのも、やっぱり大きい。
私で私の責任を持つのって、しんどいけれど、ちょっと楽しい。これに慣れていきたい。
ずっと難しい。休憩も挟んで、でも、生きやすくしていきたい。

そう思えるようになって、良かった。

でも、気は抜けません。これから様々な物事が大きくなる。
カウンセリングや自助グループのことも、自分で手配して、来たる物事に備えて、私の内側を変えていきたいです。


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家族との関わり方に、首をもたげてばかりですから。心苦しい。空虚。悲しみ。怒り。ないまぜのこの感情。

まだまだ私を知っていこうと思います。
というか、知りたい。知っていきたいです。


本コースでも、藤沢優月さん、ONSA スタッフの皆さん、お世話になりました。
ありがとうございました。

初夏の暑さは堪えますが、工夫して涼を感じるようにしていきたいですね。
お疲れ様でした。