Y. M. さん(30代/千葉県よりご参加) ひめあじさいクラス
今回、初めてワークショップに参加しました。
思ったよりも少人数で緊張しましたが、思い切って参加して良かったです。
4つの約束も、ふんふんと読んで理解することと、実際にやってみることでこんなに違うなんて…と思いました。
『夢かな手帳』を使用してもう何年経つのかな? 「今、ここ」を意識して過ごしているはずでしたが、実は全然集中していない。
1つの考え方でぐるぐる、堂々巡りだなと感じていましたが、それは無意識にしているセルフトークが原因かもと気づきました。
これは、ワークショップ・クラスが始まる前にノートをしまってと言われたから気づけたこと。
無意識にメモを取る習慣が…仕事中も日記を書いている時も、もしかしたらセルフトークをものすごくしていたみたい。
「メモをとらない」ただそれだけなのに、耳鳴りもざわざわした感じも消えて音が静かになって、心もゆったりできて集中できる。
久しぶりの穏やかさに、始まる前からちょっと驚きました。
参加したから気づいたことをもう1つ。
自分でおさえてしまった気持ちがあって、自分自身を感じることができなくなっていること。
だから上手く言葉にできない。「心をひらくこと」も「呼吸すること」も今は難しい。
思っていたよりもずっと小さく縮こまっている私を発見しました。
おかしいな、いつものびのびしているはずなのに。
のびのびな私と縮こまる私。私が2人いていつもアンバランス。
TEGエゴグラムをする時も「そう思う私」と「そう思わない私」がいて実は大変でした。
みんなもそうなのかと思っていたら、意外とそんなことはないことも気づけました。
今回は「境界線(バウンダリー)ワークショップ」。本を読むよりもすんなり心に落ちてきました。
やっぱり健康な境界線じゃなかったな、侵入されているから心が落ち着かない。自分が見えない。
当たり前に長い間侵入されていたからか、過干渉な状況で私も依存していたからなのか、健康な境界の人と接すると、少し冷たく感じてしまっていたのかなという気がしました。
境界線を知ったから、今の私の反応がわかる、気付ける。
まだまだ最初の1歩を踏み出したばかりですが、20才を過ぎているので、自分の人生に責任を持って、逃げ出さずに進みたいと思います。
K. O. さん(30代/神奈川県よりご参加) ひめあじさいクラス
今回、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」 は二回目の受講でした。
申し込んで正解だったね。
一回目は Web. WORKSHOP の受講条件だったから受けて、気持ちとしては準備ができてない中の受講でした。
そのときはあまりぴんとこず、自分の中では他のワークショップに比べてあまり逼迫していない内容なのかなと勘違いしていました。
その後、Web. WORKSHOP を受け続けていく中で、No をいうことができていないって実感として気づいたので今回再び受講しました。
多分、同じ内容だったと思うのですが、理解が全く違いました。
優月さんの説明を自分の経験や自分の家族と照らし合わせることができたからだと思います。
それでも、実践のところでは、まだまだだ、と感じるところがあったので、タイミングがきたらもう一回受けようと思っています。
私はすぐに油断するので、未来の私のためにここに書いておきます。
忘れないでね。
できるまで何回でも受けていいんだよ。
そして、身体を緩めること、チェアワークの重要性も忘れないでね。
「今ここ」に戻ってくるんだよ。
一回目受けたとき、他人から言われたら嫌な言葉がうまく思いつきませんでした。
今回も思いつかなかったので、実際に言われたことではなくて、言われないようにしている言葉を選びました。
家に帰ってきてから思いつかない理由がわかりました。
実際、私は親からひどい言葉を直接言われる経験はおそらくそんなにしていないんです。
今のところあまり思い出せない。
でも、親が他人のことをひどい言葉でこき下ろすのを間接的に聞き続けてきたことに思い当たりました。
それを身近で聞いていた幼い自分は見えないプレッシャー、怖さを感じ、自分はそんな風には絶対になってはならないと、おそらく決心したのです。
そして大人になっても私はそうならないように、また、他人からそうなっていると思われたりしないように必死で頑張り続けていました。
コントロールが強く働いていたことに気づけました。
もう、自分に対して人間的でない完璧さを求めて縛るのはやめにしたいなと思いました。
もういいんだよ。
ダメ人間でも、欠陥があっても、できない子でも私は私なんだ。
それでも私は充分に素晴らしい存在なんだ。それだけは絶対に揺るがないよ。
それもふまえて、他人の無言の期待に対して No をいう練習がしたいと思いました。その場合、ロールプレイで相手の方にどんな言葉を言ってもらうのがいいのか、次回受講までに考えておこうと思います。
ワークショップ・クラス後からずっとクレンジングリアクションが続いてだるくて寝てばかりいます。
心と感情がたくさん動いたからだと思います。
いつもながら思うのですが、ONSA の対面式の破壊力はすさまじいです! 四日目の今日ようやく元気がでてきて、冷静な自分も復活してきました。
ONSA は優しくもあり、厳しくもあるので、私の心はぐわーっと今回も揺れました。
発達障害、パーソナリティ障害を検査するアドバイスを胸にとめようと思いつつも、嫌だ! という思いもでてきてグルグルしていました。
時間をおいて冷静に考えて、今まで親の言いなりだった自分に嫌気がさしていたことに気がつきました。
さらに、検査に対する自分の怖れが見えてきました。
私は、優月さんに言われたから自動的にすぐそれに従うのではなくて、自分の怖れと向き合って、自分で選択していこうと思います。自分に重心を戻せたとき、心が楽になるのを感じました。
優月さん、スタッフの皆様、いつも見守っていただきありがとうございます。
ONSA は、真剣だから、そして本気だから厳しいのだ。
それがいいか悪いかではなく、ただそう感じとることができました。ブログだけではわからないことも対面すると伝わってきました。
そして、ひめあじさいクラスの皆さん、お疲れ様でした。ともに、ゆっくり確実に進んでいきましょう!
R. S. さん(30代/千葉県よりご参加) ひめあじさいクラス
今回はじめて、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」に参加しました。
参加して、本当に良かったです。
正直、「ONSA ワークショップに参加したい」と思う理由が、自分でもよくわからなかったんです。
でも参加してみたら、自分と、自分をとりまく状況が、何となく見えてきたんです。
過去に身体をこわした原因も、ずっと感じていたもやもやの正体も。
その他にも、色々な発見がいっぱいありました。
エゴグラムで、自分の行動パターンがわかったこと。
参加者の方とペアになって、お互いの心に刺さるセリフを言い合うワークで、私は、怒りの感情に恐怖を持っていることが分かったこと。同時に、そのきっかけになった出来事に心あたりがあること。
その日ペアになったお二人に感謝しています。おかげさまで、何とか取り組むことができました。
後半のチェアワークと境界線を張る練習でも発見がありました。
チェアワークを何度か繰り返しているうちに、身体の内側が温かく、柔らかくなっていくのを感じました。胸とお腹が、コードで繋がったような感じでした。
普段、どれだけ身体がこわばっているのかを実感しました。
もうひとつ自分で感じたのは、お腹に溜まっているであろう怒り・うらみのマグマです。チェアワークで身体がほぐれて、お腹の底から言葉を出した時、自分の中で、重いマグマ溜まりを感じました。
「熱い」のではなく、「重い」マグマです。
優月さんが「ヤバい」とおっしゃったのはこの事かな、と思いました。
すすめられて、ONSA ブログの「いい子は、しんどい。」を、ワークショップ・クラスからの帰宅後すぐに読みました。
あてはまることが、いくつも入っていました。
「ダブルバインド」。ずっと感じていたもやもやの正体だと思いました。
正体が見つかって、嬉しかった。
涙が出ました。
自己紹介でお話した通りに、病院で検査を受けます。もう予約を取りました。
自分を良く知るには良い機会だと思って、色々調べてみます。
今回のワークショップ・クラスでは、優月さんと、参加された皆様から勇気をもらいました。本当にありがとうございます。
機会があれば、他の対面式ワークショップも参加してみようと思っています。
M. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) ひめあじさいクラス
「境界線(バウンダリー)ワークショップ」クラスの皆さま、お疲れさまでした。
ワークショップ・クラスが終わって1週間、身体が何となくだるかったり、精神的に不安定な感じでしたが、週末になって大分落ち着きました。
ワークショップを受け、自分の持っている傷がいかに深いものか、改めて理解することができました。
もっと自分を大切にしようと思いました。
これからも自分との対話と勉強を続け、自分の人生を大切に生きて行きたいと思います。
ありがとうございました。
Y. E. さん(30代/茨城県よりご参加) ひめあじさいクラス
ワークショップ・クラスが終わって1週間が経ちましたが、優月さん、当日参加された皆さん、お元気ですか?
一昨年、去年、今年の初めに Web. WORKSHOP を受け、今回初めて、ONSA ワークショップ(対面式)に参加しました。
当日はドキドキしていて、ワクワク半分、「どうしよう」という不安が半分、色んな感情がごちゃまぜになりながら会場入りしました。
しかし、会場入りしてレクチャーが始まると、そんな感情も無くなり、最初の2時間があっという間に終わりました。もちろん後半の2時間もあっという間に終わり、こんなに時間を気にせず、自分と向き合った一日は初めてでした。
初めて今回優月さんにお目にかかりましたが、ご本人はとてもハキハキしていて、パワフルでした。
本当にかつて、家族や共依存で苦しんでいたのかと思うくらい明るくて、ユーモラスで、リーダーシップがありました。正直、凄かったです。
とにかく、
「今聞いて! 今に集中。」
「書くのを止める!」
の一声で現実にすぐパッと戻り、話に集中することができました。
今まで授業とか講義もまともに聞いてなくて、ただ受動的にノートを書いてく、ということが多かったので、最初は慣れませんでしたが、優月さんの気持ちのこもった話は本当に「聞かなきゃマズイ!」という気にさせられました。
エゴグラムの結果は、私は一番 AC が高く、次に FC と、子供の頃から繰り返してきた思考・行動・感情パターンが非常に強いことが分かりました。説明も聞いていくと、当てはまる部分も結構ありましたし、私はとても危なっかしい処世術が強いんだなあと感じましたし、納得できました。今まで他人に言われた酷い言葉をずっと引きずってしまうし、その結果自己卑下してしまう。だけどこれは、「性格」ではなく「処世術」だから、特徴を知っているのと知らないとでは、差が大きい。
交流分析は色んな専門用語が多くて、本を読んでも「?」だったのですが、エゴグラムの結果と各 P・A・C の説明を受けてからは「こういうことか!」と分かって良かったです。
帰ってからはネットや本等、帰りにいただいた資料で知識をまた復習しました。
高すぎてもいけないし、低すぎてもいけない。それぞれの長所と短所を知ることが大切だと分かりました。
健康なバウンダリーと、歪んだバウンダリーの図も拝見しましたが、私と家族の関係が本当に歪んでいると、優月さんの説明を聞いて思いました。実際直接、
「思い当たるでしょ?」
と、聞かれて本当に感じました。
歪んでいるって。
DV や共依存というのは、知らない間にお互いがお互いを依存し、寄生し合っているということなんだと知って愕然としました。
私は自分が親にずっと攻撃されているとばかり思っていたけれど、私自身もまた、親にガッツリ寄生していると分かり、「やっぱりお互いに不健康だ!」と再確認できた。
たくさん出てきた、大切なこと。
「皆20歳以上の大人。自分に対して責任を持つ」
「バウンダリーを引くことは、自分の中にある、大人の力を出すこと」
「女は職業と貯金を手放すな!」
「共依存から回復するには相当な努力と時間が必要」
「何もしなければ悪くなる一方」
と、優月さんがおっしゃった言葉は重みがありました。
だけど私自身特に印象深かった言葉が、
「『夢が叶ったから、自分を認めてあげる』じゃない。自己肯定なしに夢は叶えられない」
ということ。
それまでは、「夢が叶えられなきゃ自分じゃない、ダメだ」と思い込んでいたから。自分がまだまだ好きじゃない私には、非常に耳の痛い言葉でした。
だけど、その考えは改めない限り、夢は叶えられないんだと分かった。ネガティブはやっぱりネガティブなままなんだって。習慣が変わらなければ、良くならないって。
自分をケアすることを、蔑ろにしてはいけない。
また、チェアワークも本当にすごかった。何度か繰り返しながら、ロールプレイを実践していくうちに、体の色んな「コリ』」を次々と実感しました。
こんなに体、緊張しまくっていたのか! 知らない間に、体はこんなにストレスを感じ取っていたんだなと。
帰ってからは3日ぐらい本当に肩や背中のコリがひどくて、色んなコリが首から腰まで、上半身がすごく重かったです。
腰に関しては、無駄な力がフッと抜けて軽くなったのですが、今もまだコリが肩・肩甲骨あたりに残っていて、「こんな所までこっていたの!?」と驚きも多かった。
『夢かな手帳』でチェアワークのやり方は載っていましたが、実際にやって、体で覚えると本当にすごい方法でした!
帰ってから今も、チェアワーク毎日やり続けています!
心と体は、本当につながっているんですね。
受けてからは不思議と、自分を本当に正しい意味で、大切にしようと感じられるようになりました。
優月さん、すごくパワフルなワークショップ・クラスで、お会いできて良かったです。身に付けていらした「ハンサム」と書かれたペンダント、カッコよかったです! 硬軟織り交ぜながらの1日は、今年上半期の最大の思い出になりました。
体で覚えたことは、一生モノです。
安心して過ごせた場所と時間をくださって、ありがとうございます。
会場にいらっしゃった、ペアワークご一緒してくださった方、ご一緒にならなかった方、お昼と帰りに東京駅までご一緒してくださった方、ありがとうございました。
お会いできて、たくさん話せて、同じ思いを共有できて、嬉しかったです。本当に良かった!
とても充実した時間でした。皆さん大好きです。
R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) ひめあじさいクラス
初めての対面式ワークショップ参加でした。
どうも他人との間の境界線があいまいで、たとえば同じ空間(お店や電車の中など)に怒っている人がいると、赤の他人でも「どうにかしなくちゃ」と考えている自分がいたりして、このままではいけないと思っての参加でした。
ワークショップ・クラス当日はたくさんのことを経験し、その日はぐったり疲れて早く休みましたが、次の日から過去の記憶がたくさん出てきたりして、さらにいろいろなことが「そうだったんだ!」とわかった気がします。
ワークショップ・クラスでは、まずエゴグラムを使って自分の処世術(逃げパターン)を把握しました。
私は特に A が高くて、これにはとても納得。何か事にあたるとき、何でも把握していて冷静に対処する「大人役(しかし実はうそっこ大人)」をする。それで、自分を守るために、見られたくない部分、入ってこられたくない部分を巧妙に隠してきたんだなあと思いました。
その見られたくない部分は、「人から言われて一番イヤな(痛い)言葉」を書く時に出てきました。私が気になる言葉は「あなたって基本的になんかおかしい」。
これ実は、自分についての勉強を始めた十数年前、ある本で目にした言葉で、なぜだか読んだ瞬間どわーっと涙が出てすごい勢いで泣けてきて、自分でもびっくりしたのを覚えています。
慣れない職場に異動になって気持ちが不安定になり、心が壊れないように必死で、カウンセリングを受けたり、自分を少しでも楽にしてくれる本を読んだりしていた時期でした。その後も状況によって浮いたり沈んだりしつつ、細々と「自分を知る」勉強を続け、3~4年前に『未来日記』に出会ってからは定期的にノートに向かっています。
自分が本当は何を思っているのか、手で紙に書くという作業は、自分を知るのにほんとにほんとに効果的だなと思います。
しかし、やっぱり一番痛い言葉は相変わらず「あなたってなんかおかしい」。
これひどいよね(笑)って藤沢さんにも言われましたが。チェアワークをやる前は、そんなにひどい言葉とも思わず、パートナーの方に初めて言ってもらった感想は「うーん、やっぱりそうなのかも(私ってどっか変=良くないのかも)」というくらいでした。
そしてこの言葉、直接誰かに言われた記憶がまるでなく「なんでこの言葉がそんなにショックなんだろう?」とずっと疑問に思っていました。小学生のとき学校でいじめられていたことがあったので、そのとき同級生に言われたのかな? と。
でも今回、その理由がわかったような気がします。
ワークショップ・クラスの後、家に帰って「『いい子』はしんどい」という藤沢さんのブログの記事を読みました。ああ、うちの家族(そして私)はこれだ、と思いました。
私は親や周囲の大人から、あからさまな暴力も暴言もネグレクトもされたことはないのですが、ここに書かれていたような行為(失敗させてもらえない、親が正しいという考えを強要されるなど)も「虐待」に当たるのなら「そうか、私は虐待されたのかもな」と。
さらに、そのことで親の得る「秘密の報酬」が、「立派な子どもを持った、子育てに成功しているという評価かもしれない」という箇所を読んだ時、パタパタといろんなことがわかった気がしました。
うちは田舎の町の代々続く古い家でしたが、両親はその家の長男(跡取り)として、嫁として、私はそのうちの子どもとして、「仕事に、子育てに、勉強(学校生活)に成功して立派にやっている人」じゃないといけないプレッシャーを感じてたんだなあと。
親も、同居する祖父母や親戚や町の人に対して、「うちは問題なく立派にやってないと(だめだ)」と、たぶん無意識に思っていたのでは、と。そしておそらく祖父母もその上の世代も、何代にも渡って、立派な○○家でなくてはならない重荷を背負っていたのかも・・・と。
他の人のことは推測ですが、少なくとも私はそうだったんだなあ、と何十年もたってようやくわかった気がしました。
そこで続いて思い出したのは、学校でいじめられた時、親が表立ってかばってくれなかった(と小さい私が感じた)こと、それどころか、○○(私)ならいじめられても仕方ないというか、非があるというか、もっとちゃんと友だちにやさしくしてなじみなさい、というようなことを言われた(か、言っているのを聞いた)記憶でした。
現在の大人の私にならわかる気がします。
自分の、学校で立派にやっていくはずの子どもがいじめられるなんてそんな外聞の悪いこと。
子育てに成功して立派でないといけない私の立場に傷がつくという親の無意識。
そしてそれは悪気があるのでも私を責めたいのでもなく、親なりの防衛の手段だったこと。
でも一方で小さい私はすごくショックだったはず。
一番の味方になってくれるはずの親に、いじめられるのはお前のせいだよ、お前が悪いから、お前がなにかおかしいからだよ。そのおかしいのをなんとか隠してうまくやっていかないとね。そんなんじゃ誰も友だちになってくれないよ。直接の言葉でなくても、そういう非言語のメッセージを受け取ったんだと思います。
ああ、だからいまだにこんなに痛い言葉だったんだとようやく実感できました。
チェアワーク後に、パートナーの方にその言葉を投げてもらって、「私はそうは思わない」と境界線を引く練習をしました。
初めて実際に教わったチェアワーク、すごい効果ですね。
私に決定的に足りなかったのは「体感」だった! と思い知りました。
体感は強力です。
チェアワーク後の、今ここにいる大人の私には、もはやその痛い言葉も、最後は「なにそれ? 何言ってんの?」(反感のないただの問いかけ)と問い返すくらいの、とるに足らないものになりました。
体感ってほんとうに大きかったです。
安全な空間で力を抜いて、できる限りコントロールを手放してみたら、言葉としては正しくないですが「なんだ。ぜんぜん安全だ。ぜんぜん大丈夫だ。」と感じられました。なにせ「いい子」で育ってきて頭ばっかり先行の私でも、体が先に安心すると、心も頭も素早く変化するんだと思いました。
今回、自分の中にまだまだまだまだ癒やされていない部分がたくさんあることを思い知りました。が、同時に、これまでの「自分を知る」作業もちゃんと役に立ってくれていたことを実感できました。
綱渡りの綱を必死で渡っていたような昔にくらべ、仕事を変え、家族を持ち、少しは地に足をつけて肯定的な気持ちで「自分掘り」できているような若干の自信も感じます。全部掘るには一生かかりますが、チェアワークをして、最新バージョンの大人の私とともにできるだけやっていきたいと思います。
藤沢さん。安全な空間を作ること、その中で最大限のものを学んで帰ってほしいという情熱を強く強く感じました。
分け与えてくださったたくさんのものに感謝します。ありがとうございました。
クラスメイトの皆さん。皆さんの優しい雰囲気が、時間中ずっと伝わってきていました。
気がつくと体に余計な力が入ってしまう私ですが、皆さんの顔や雰囲気を思い浮かべて「自分以外のものに委ねる」「委ねても大丈夫」な感覚を思い出しながら日々練習しています。
またワークショップの場でお目にかかれたら嬉しいです。お疲れ様でした。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。