M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) らんさークラス
色彩豊かな3ヶ月でした。
ほんとの季節のように、夏の色から秋の色へじんわりと移行するような。
このコース、3回目のチャレンジの今回、1回目・2回目よりは、とっても濃密だったと思います。
だいたい、PAY FORWARD は言いたいことだらけで早く言いたい! ってよくなるのだけど、今回、実はあまり言葉が出てこなくて(WORKSHOP 中に言いまくってたからもあるかも)。
それで、1回目と2回目の自分の PAY FORWARD を読み直してみて、1回目の自分の「何とか頑張ってついていけました、それだけでも OK」のようなゼェゼェ感を思い出し。
ああ、このころに比べたら、うん、この登山コースの筋力はだいぶついたんだな、とあらためて確認をしました。
それは余裕で軽くてへっちゃらなわけではなくて、景色を眺める余裕はあったかなという感じ。
最初の頃に、
「『自分から』動くことなんてことは、とてもじゃないけどできなかった。」
と書いてて、途中で、
「『自分から』やろうとすることは、ロクな結果にならない。」
と書いてて、それでいても、なぜか、「自分から」やったことをしていて、それらのことを書いてて。
うん、ロクな結果には、今のところなってない、と、実際に周りをキョロキョロ見て確認。
この一連の感じに、今は自分で驚いたり、ちょっと失笑してしまったり、この WORKSHOP の凄さにあらためてビックリしたり(だってだって、読み返して気づいたんだもの、まったく意図してなかったのに!)、自分の変化をとても感じました。
それらは…
・「怖い」を扱えたこと。
・「自分との仲直り」の感じをつかめたこと。実感したこと。
・限られた頭脳をフル回転して(笑)、自分の気持ちに近い表現で伝えれたこと。
・「感情」も、人のものに揺らぐ部分はまだあるけれど(その度手放す)、中性的な感じになってきたこと。
感情の話をするのは、いいこと。
と、どこかで聞いたけど、それのいったい何がどう良いのか、皆目見当もつかないでいたけれど(特にネガティブな感じの方)、この3ヶ月を終えた今、ようやくその感じがわかってきたように思います。
むしろ、しないでいるから病気になるとわかったぐらい。
それは、日々「感じ方」をバンバン伝えてくれる存在が側にいるから。
ある意味、とっても先輩な小さくて大きな存在。
どっちが先か、たぶん、自分のものの方が先なのかな、自分のネガティブっぽいような感じのものをつかめて見れるようになると、人のそういうものも、やんわりと見れるような、そういう感じがします。
それは、決して悪いものでもないし、何かを破壊するものでもないし、わたしを壊そうと否定するものでもないし、ただ自分を知ることのできるものなんだと、そう思いました。
・「安心」は自分の中に築いていくもの、ということ。
そこにはとっても積極性が含まれてる感じ。
体裁とかジャッジとか余計なプライドとか言い訳の素材でガチガチに壁を築くことでなくて、柔らかく芯のある感じ。
たぶん、ほんとの優しさも含まれてそう。
・「個人」と「役割」のバランス(これは、よく0か100になってんなあ)。
いい感じのバランスはまだ模索中やけど、やっぱり「個人」が先であると実感中。
そこから出発してると思うのね、だから世の中同じ立場の人でもいろんな人がいるんだと思ってる。
そして、そこが楽しいところだと思ってる。
それでもって、わたしは自分ではこれでフツウで、なぜかみんなそうだろぐらいに思ってて、そしてなぜか「きらめくような特別な感じがないとダメだ。」とか思ってるのだけど、もしかして、あのー…みんなそうではない、そうじゃない感じがとてもしてる。
その「フツウ」部分って、すごく気づきにくいのだけど、たぶん、そこを個性と言うのかなと思ったりした。
3ヶ月あったことややってきたことを振り返って、この、わたしの思ったことやとった行動とかは、もしかすると(と書きながら確信中)、唯一無二のもので、他の人なら、違う感じ方や違う行動をとったかもしれなくて。
それは「どれが正しいか」「どれが効率いいか」「どれが上手くやり遂げてるか」、そういうジャッジなしに見れば(そもそもそういうジャッジは要らないんだとも思ってる)、ああ、これらが、どこにもないとっても自分のオリジナルストーリーのような、そういう感じがとてもして。
そういうのが、たぶん、自分の時間を生きるってことなのかなあと、じんわりきています。
愛おしさも感じるぐらい。
知識的なガイドはまだ必要だから(あっ! また “BE” を忘れてたでしょ! どこ行ったんだよ! とよくなってたりする。)、これからもコツコツやっていこうと思います。
「となりの芝生の青さ」も、そう気にならなくなってきた自分に気づいたり。
ほんとに、もうそれはそれはほんとのマジに、「ここ、実はすごいコミュニケーションいるとこちゃうん?!」ってビックリしたり。
その「実はすごくいる部分」を「とっても端折ってた」その端折り具合の穴を覗いたり(大きい、ブラックホールみたい)。
優越感と劣等感の往復では、ほんとには幸せになれないんだと実感したり。
いや、よーくわかってたつもりだったけど、だって、すごく騙されるから、こやつらには。
天性の詐欺師やわ、って思う。優越感と劣等感。
そして、3ヶ月共に歩いたお仲間さんたちもありがとう。
実際にお会いしてお話してるのではないけれど、もうゼッタイ(ここは “ゼッタイ”)みんなすてきな方たちだと感じます。
誇りも感じます。
みんなの想いの言葉を読んで、涙することもあったり共感することもたくさんでした。
わたしはまだまだ勉強中で偉そうなことは言えないし、自分の選択肢やその結果やそれを維持してくことや、これからの選択肢なんかを考えるので精一杯だけど(みなさんも、世の方たちもみんな本来そうなのだと思います)、こんなにすてきなんだから、「不健康なんかに付き合うのがもったいないよ」って、自分へのエールも込めて想っています。
H. M. さん(30代/広島県よりご参加) らんさークラス
私へ。
この12週間、真剣に自分について考えてくれてありがとう。
自分と向き合ってくれてありがとう。
課題を読み返してみて、私は今まで、いかに外側だけをよく見せようと自分を偽って内側をないがしろにしてきたか、ということがよくわかりました。
自分が育っておらず、自分がわかっていないのです。
その状態が今の問題や混乱を招いているということもわかりました。
その状態を目をそらさずに、やっと受け止める覚悟が出来たということが、自分にとって成長だと思っています。
このワークショップ期間中は、バタバタとした日常の中に、人生の転機のような出来事もあり、心が激しく揺れた期間となりました。
自分の人生が、神様が、「今だ!」「変われ!」「自立せよ!」と言っているようです。
私は、心を大事に生きていきたいです。
私にもその権利があるのです。
私も幸せになっていいのです。
皆さん、12週間ありがとうございました。
A. Y. さん(30代/神奈川県よりご参加) らんさークラス
今回の PAY FORWARD、なかなか書き出せない。
言葉が浮かばない。
「それなり」の言葉も見つからない。
「私は3ヶ月、真剣に取り組んだのだろうか?」
久しぶりにそんな問いを自分にしています。
なんとか言葉のきっかけを探そうと、『夢かな手帳』も、『未来日記』も、自分の投稿文も、端から端まで読みました。色々と思うこと、感じたことをメモするのですが、やはり PAY FORWARD に書こうとすると、言葉が消えてしまう。
自分に厳しくなっていて、色々浮かんでは否定し、消去していっている状態なのか。
はたまた、何かに疲れきっていて、それどころではないのか。
他のことで頭がいっぱいなのか…。
そうこうしていても、時間は刻々と刻まれてゆく。
だから、今の私の言葉をそのまま残しておきます。
Web. WORKSHOP に直接関係ないけれど、振り返っていて思ったのは、「この3ヶ月、よくこんなにもいろんなことをして来れたなぁ、乗り越えて来れたなぁ。」ということ。
そう、全力で人生を生きたことには自信があります。
自分の人生、自分の時間、これを精一杯生きたことは、自信を持って言えます。
だから大丈夫、私。
Web. WORKSHOP もちゃんと取り組めていたんだよ。
誰の評価でもなく、私が自分を評価することが大事。
ちゃんとやったことを認められることが大切なんだよね。
そうだ、そうだった。
そう、だから、私は今回もよく取り組んだんだ。
私は、自分のことをそう思える。
誰の評価も待たなくていい。
私が私を認められるように私はなったんだから。
Web. WORKSHOP に限ったことではなく、他のことに関しても。
そろそろ認めようよ自分のこと、私。
私認めたい、自分のこと。
認めてあげようよ、自分のこと。
だって、こんなにも毎日一生懸命生きてるんだから。
こんなにも誠実に、素直に、前を向いて生きてるんだから。
何をそんなに、厳しくする必要があるの?
これ以上自分を厳しくして、何を目指すの?
私、そんなに否定されるほどの生き方してるかしら??
本当??
自分を認められないほど、私は何か悪いことしたかしら?
自分を痛めつけるほど厳しくしなければならないほど、私は悪い子??
ねぇ、私。
「私は、もう充分足りている素敵な人。」
そろそろ、認めてみない?
認めても、大丈夫なんじゃない?
認めたら起きてしまう「こわい」こと。
今の私なら、もし起きたとしても対処できると思うよ。
もう元に戻るなんてことは、起きないと思うから。
今感じている「認めること」。
「これを認めたら」の「これ」が具体的にわからないけど、でも、その「これ」を勇気を出して認めたら、ガラッと景色が変わる気がする。
新しい扉を開ける気がする。
それくらい、今私は何か大きなものを感じている。
私を、認める。
そう、「これ」は「私」かもしれない。
私を認めるって、こんなにも「大きいこと」なの?
こんなにも、「勇気のいること」だったの??
私は、私を認めたい。
でも、認めたら、これまで認めないことで得ていたものも手放す必要があると、即座に思った。もう、言い訳は言えない。
でも、これからの人生も言い訳をして生きて行きたくはない。
でも、これまで愛用してきた言い訳がないのはこわい。
……。
えーい!!
そんなのいい!
もう何十年も使ってきた生き方。
もう充分でしょ。
これまで愛用してきた言い訳は、これからの私にはもういらない。
私の「なりたい私」に、その言い訳は必要なし!
私は、私を認めます。
よし。
それでは、さっそく…。
私がここまで走り続けてきたこと。私、認めます。
だから、次の Web. WORKSHOP が始まるまでの数週間、ひと休みしてきます。
自分に「休んでもいい」と、思いっきり許可を出したいと思います。
「できるかな??」という自分の意地悪な部分の声が…。
いいんです。できなくてもいいです。
それでも、「自分に許可を出す」をしたいと思います。
また、元気に戻ってきたいと思います。
「らんさークラス」のお仲間さん。
優月さん。
スタッフの皆様。
3ヶ月間ありがとうございました。
ここがあるから、今の私は元気に生きていれます。
A. K. さん(20代/静岡県よりご参加) らんさークラス
課題や日記で向き合っていく中で、私の人生について考える時、何が正しいか探すことや他の人の言うことよりも、「私がどうしたいかを」問うていく方がずっと大事だと何度も感じました。
私のニーズを満たす代わりに、他の人の反応を気にしたり、そのニーズを満たすことにエネルギーや時間を使っていたら、それは満足できないはずだと改めて気付けた。
そして、そんなのはもう嫌だと思ったし、私は、私がどうしたいかもっと知っていきたいと今、より強く思っています。
私の境界線、限界、ニーズ。
どれも大切で、何度も練習していきたいと思いました。
失敗は怖いものというイメージがついていたけれど、課題をして、振り返るということを続けていくうちに、失敗したからダメだ、で終わることが減って、そこから学んでいこうという風に思えるようになったことは良かったと思う。
特に感情やコントロールに関しては、私はまだまだ向き合う必要が多くあると感じました。道のりは長そうだと感じて少し落ち込んだりもしたけれど、少しずつやっていきたいです。
この3ヶ月で、頭での「~が大切らしい。」という判断 →「やろう」から、私の現状や感じたことで「こうしたい」という思いが前より出てきたのはかなり進歩だと思う。
それから「遊び」について、私の思っていたこととは認識が違うようだと今回気が付けて良かった。
私は、「遊ぶこと」や「休むこと」もなんだか他の人の目を気にしたり、どこか許可待ちみたいなところがあったことに気付けた。
自分のやりたいことにもっと OK を出せるようになりたいと思いました。
この3ヶ月もまたあっという間でしたが、「らんさークラス」のみなさま、藤沢さん、ありがとうございました。