A. Y. さん(30代/東京都よりご参加) しんにょクラス
今回のこのワークショップは、わたしにとってはとてもハイレベルなクラスだと感じました。
息切れしながらもなんとかついていくので精一杯、という感じでした。
きっと、それでいいんだと思います。それが今のわたしであり、そこがスタートなんだと思います。難しいからと言って、いつまでもやらないのでは、何も始まらないから。
手取り足取り助けてもらいながら、なんとか「健康な世界」というものを体験をしたのはとても貴重で、わたしにも現実にできる希望が持てることだと思えました。
「できた」、「できない」は置いといて、「それをした」、ということが今のわたしにとって大きな収穫だと思います。
自分が今までの人生の中で見たことのない世界。
体験したこともなければ、ましてや教わった覚えもない。
わたしにとってのそんな世界へは、いくら行きたいからと念じても、何もしなければ一生行けない場所だと思いました。
今回体験したことを一人でやろうとしても無理だと感じたし、どう考えても、このまま生きていたら訪れる世界だとも思えませんでした。
だから、こうして、自分の中にないものを、新たな情報として、さらには体験まで出来て、自分の中に取り入れることができたことは、自分にとって貴重なことだと思いました。
クラスの中のワークでは、慣れないことだらけでしたが、普段のコミュニケーションと比べると、断然省エネルギーで負担が少ないと感じました。
それは、自分の内側と、表現が一致しているからだと思っています。普段、内側と一致しない表現をするときのしんどさと比べたら雲泥の差だと思いました。
人と触れ合ったときの感覚、
「その人は、さわやか? ねちっこい? おもたい?」
今、わたしはそんな感触を大切にして、普段接している人とどう関わっていくかの基準にしています。
自分の時間を無駄には使っていられません。
クラスの中で、「もし、自分自身のような人が相手だったらどう感じる?」という質問がとても印象に残り、その後の一週間心に留まっていました。
仕事中にふと思い出して、ねちっこい自分に気づいたり、おもたい自分に気づいたり、圧力をかけている自分に気づき、自分なりに体制を整え直して相手に話し始めるようになりました。相手がどういった感触を受けているかは、相手のことなのでわかりませんが、わたしが傷つくことが減ったり、疲労度が減ったと感じてます。
今回のワークショップ・クラスで体験したこと、
まだまだ……本当にまだまだ一週間経っても、消化しきれていません。
たぶん、やっと消化し始めたくらいです、飲み込むのにあと1年くらいかかりそうです(笑)。
もしかしたら、今のわたしには早すぎるトピックだったのかもしれませんが、飛び込んでよかったと思いました。このクラスを来年取るのと、今年取るのとでは本当に大違い!
飛び込んだわたしの勇気に、拍手!
わからなくていい、転んでいい、失敗していい。
これはわたしが、身につける必要があるスキルに間違いはないんだから。
できるようになるまで、練習します。
M. K. さん(20代/東京都よりご参加) しんにょクラス
ワークショップ・クラスが終わってから2、3日は、とてもつらかったです。
だけど、水曜日頃からクレンジングリアクションが、あー抜けて行ったなあと感じて、
体が軽く、ぐるぐる考えていることもなくなったし、気持ち悪いーって思いもしなくなりましたが、
ちょっと早くないか? それはそれで困るとも思いました。
うへー共依存まみれだ、共依存な自分も他人も気持ちが悪く、自分のことしか考えていない(自分がどう得るか、傷つかないか、自分の価値が保証されるかといったこと)自分が致命的に痛い、恥ずかしい人に思える感覚は、もう同じことをしないで生きて行くために大切な感覚だと思うから。
それが消えてしまい、ここが分かれ道だ…と思う今です。
私にとってこのワークショップの内容は交渉に臨む姿勢の話が断然役に立ちました。
私にはこの姿勢が8-9割大事で、伝え方はおまけにすら感じられました。
伝え方はとにかく繰り返し練習すればいい。でも心にそってなければいくら練習したところで意味がない。
だからプレワークにも書いてありましたが、自分の内面の整理がほんと大切で、私はまだまだ今ある現実じゃない過去の似たような状況で現実の事態を見て、そのことで伝えることに支障がでて、伝えることにつまずく感覚があるから、自分の中にある傷をを取り除いていくことは根気よく続けようと思います。
姿勢の話を聞かずして1年過ごしてたら、きっと覚悟をもって決めない、できそうなことだけを選んで決めていく人生を送っていたと思う。
回復の道を歩いていれば、自然と自分の人生が見えてくるように思っていたけど、そんなことない。何が自分にとって必要で、自分がどんな人生を望んでいるか、自分が知ってそのために選ぶことをしなければ、またそのために選ばないこともしなければ自分の人生はつくっていけないのだと思いました。
でも、それにしても。こんなにやってきたのに、こんなに共依存な自分にショック、衝撃を受けるとはどういうことなんだろう。
回復の道をこんなに歩いてきた、と思ってるからだろうなあと思います。
でも、現実は共依存な人に引っかかるし、自分の心には穴が空いていて、ひとりではとてもさびしいし、傷や恥ずかしさでまだまだいっぱいなのです。そうして、私は心の中がからっぽで、そもそも自ら人に分けて人と一緒にやっていく、自分の中の資源がないと気づきました。
そのこともとてもつらいです。共依存の世界も、相互依存の世界にもどっちにも行けない状態です。
また現実感覚のなさにも気づきました。
問題に取り組むから解決するということから逃げていると思いました。
私は仕事、成果を出さないと(何ができるのか、どう貢献したか)転職はできないだろうなあと思っていたけど、ずっとそれを後回しにして、どこかもうちょっとしたらできるようになる自分になる、今はできないと考えていた。
それに、大きなことをしなければいけないようにも考えていたけれど。そんな日は永遠にこないパターンにはまっていました。
それに、仕事場で共依存者のマインドで長らくいた。これも自分痛い人だと思って、いたたまれない気持ちになります。
「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」のワークショップを受けてから、またそれ以前も会社では上司の発言から、どうも世の中の前提が、私が思っているのとは違くて、私がひとりきりきりしたり、気を揉んだりしなくても、なんかうまくまわっていくみたいだから、私の考え方がおかしくて余計みたい…って思ってたのだけど。原因は共依存の取り合いの世界観だったのかって、なんか自分だけが自分のことよく見えてなくてそれも恥ずかしい。
仕事場は自分の能力を提供し、みんなで力を合わせて事業、サービスをお客様に提供して喜んでもらい、利益をあげるところだよね。
そんな当たり前のことも、共依存の世界観では自分の取り分が減らないか、安全かとかそいうことにしか注意がいかない。
悲しいかな、でもそれが現実。でも、そういう世界で育ったのだからしょうがない。自分を引いてみると痛々しくて恥ずかしいけど!!
でもなんとなくおかしい、と思ってたことに言葉が与えられて、すっきり納得がいきました。またそう思うと、仕事で自分にできることがあるというのも見えてきて、前より安心して取り組めるなと感じています。
どうやら、世界はそもそも安心できて、自分の価値を問わなくていい場所で、自分の価値はそもそも認められている前提で物事は進められていることに私はとても安心しています。
私が交渉相手として選んだ人のことは、まだ時々頭に浮かびます。もうこれまでに散々考えたから、考えることに時間を費やすことはないですが、どうしてもふっきれない自分がいつもいるから、それが困るなって思っています。
自分でも何度も得るもの、失うものそういえばやってきてたのですが、相手は私のことに興味がなくて、だから私は自分の時間を浪費しているとわかっていても、ここにいるのが自分でも頭がおかしいじゃないか、もうやめようぜって何度も思うんだけどここにいることをし続けてきた。のだけど、もう考えることに時間を使うこと自体無意味だからやめます。
それに、私は自分がこんなにも空っぽだと気づいたからそのことに取り組みたいし、今はとても、自分にとって新しい世界や人に出会うことは刺激が強くてできそうにないです。
今はこれまでとは違う道を歩むための、岐路に立っているからこそ。
この一年を一区切りに、どれだけ望む自分に変われるかをやってみたいです。
望む自分とは、自分であることを健康的に表すことができること、与えられる人であること、自分にも人にも温かい気持ちで生きていけるように。
少しでも、自分の中から湧くものを積み上げて、自分の資源をつくっていきたいと思います。
自分の資源というのは、自分が好きなこと、得意なこととか、自分の能力をもっと自分が知ってそれを磨くとかそういうことです。で、そのためには自分を癒すことにまずは最大限力を注ぎます。
なんだかとりとめなく書いてしまいましたが、今正直に書ける全てを書きました。
私は1年後また参加するつもりです。
ご一緒したみなさん、藤沢さん、ありがとうございました。
A. M. さん(30代/東京都よりご参加) しんにょクラス
ワークショップ中、私は、様々な事実に直面させられ、頭が締め付けられるような、重だるいような感覚に襲われていました。
私って、いつも受け身だったな、私はいつの間にか仕事への積極性を欠いていたなと再度確認し、気付きを得ました。
今まで私は、手当たり次第に交渉のようなことをしていたけれど、まずは自分がどうしたいのか分かっていないと交渉をすることができない、交渉する相手によって交渉の仕方が変わってくることを知り、今まで上手く行かなかったわけが分かりました。当たり前のようだけれど、私にとっては、今までまったく意識できていないことでした。
私は今まで、自分のためにならない人ばかりに時間を割いていたかも知れないと気が付きました。自分のためになる人を探すという発想もなかったので、なるほど! と思いました。
ワークをしてみて、私は意外と交渉ができると感じました。思い返してみれば、私のしていた仕事は交渉をしないと事が進まないのでした。
職場での交渉は、時にケンカのようになることもあり、一筋縄では行かないことがほとんどでした。それでも私は、あの職場に対応するために必死だったのだと思いました。すごく大変だったけど、よく頑張っていたなと思いました。あんなことでも私の内なる力になっているのだなと感じました。
また、自分がどうしたいのか決めるのには時間がかかるということも分かりました。
ワークショップ・クラス中に取り上げたことを、まだ私は決め切れて居ません。ワークではプランAとBを比較していましたが、合法的な選択のプランCというのもあって、たぶんそれに決めると思います。
あとは相手に伝えるだけ…それがとても勇気がいります。私にとっては。
きっと伝えてしまえば、あっけないほど簡単なことだったと思うのでしょうが。
じっくり作戦を練って決めたいと思います。
私は、今まで15年(内1年産休・育休)勤めた会社を体調不良で休職し、退職しました。
カウンセラーさんやお医者さんは、直接そうとはおっしゃいませんでしたが、辞めない方がいいのではという雰囲気を漂わせていました。私自身も、もう少し粘って働き続けたい気持ちもあったのですが、思考と感情がバラバラになってしまったような気分で、以前のように仕事をしていく自信がなく、復帰を断念してしまいました。会社から与えられた休職期間は3ヶ月しかなく、気分や体調を回復するまでには至りませんでした。
あと3ヶ月休めたら、復帰していたかも知れないと思うこともありますが、自分で決めた結果を受け止めたいと思います。
私は、このクラスで、私の仕事に対する情熱のようなものを思い出しました。今まで必死すぎて、忙しすぎて、仕事を辞めたい、ということしか考えられませんでしたが、それでも私なりに情熱をもって働いてきたし、私が今までやってきた仕事自体、働くこと自体は私は好きなのだと感じました。
また、職場の人たちも根っからの悪人ではなく、優しくしてもらったことや助けてもらったこともたくさんあったと思い出しました。
そして、あの頃の私には分かりませんでしたが、私は期待をかけて育ててもらってもいたのだと思います。そんなことに、職場から離れてみて改めて気が付きました。
もうあんな大変な仕事なんかするもんかと思っていましたが、また働きたいなという気持ちが湧いてきました。
どう働くのか、どう働きたいのかは、これからじっくり考えていきたいです。
このクラスは「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」を受けてからの参加が条件ですが、私は前向き表現を身につくまで練習する必要があると強く感じました。
私の苦手な、褒めること、お礼を言うこと、謝ること、これらを自然にできるようになりたいなと思いました。
これらは私の原家族には無かったことです。私はこれらを親からは教わっていません。悲しいことに。
私は少し前まで、褒められるとなぜかバカにされているか、何か下心があるのではと感じてしまっていました。誰かから褒められたことはあったのかもしれませんが、気にとめないように無意識の反応が働いていたように思います。褒め言葉受容体とでもいうものが私の中にはまったく無かったのだと思います。
ワーク中も、相手を褒めていないことに気が付かないほど、褒めないことが私にとっては自然なことになってしまっていました。
私は親からこのことを学べなかったので、後天的に学ぶ必要があるのですね。それでも、学んで身につけることができるのはとても救われる思いです。
まずは、夫や子どもを意識して褒めるところから始めていこうかと思います。
しんにょクラスの皆さま、お疲れさまでした。
皆さまとクラスをご一緒できて嬉しかったです。
またお会いできるのを楽しみにしています。
優月さん、今このクラスを体験することができてよかったです。
開催していただいたことを感謝いたします。
これから練習を積み重ねて、少しずつでもできるようになっていきたいです。できるようになるまでやりたいです。
ありがとうございました!
Y. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しんにょクラス
「交渉のためのアサーティブ・トレーニング」は、私にとって超難関のクラスでした。
まず、プレワークが終わりませんでした。そもそも交渉というものが解っていなかったので、これは交渉に入る出来事なのか、ただの一方通行の要求なのか、それともそれも自己表現なので交渉になるのかと訳が分からなくなっていました。
クラスでレクチャーを受け、交渉についての事実が明らかになってくると、今までの私の中にはなかったことだらけのことで愕然としました。
一番びっくりしたのは、OK 牧場の枠を使った話を聞いていて、私は主人も共依存で問題があると思い込んでいたのですが、問題のある青い枠で囲んだ部分にいるのは私で、主人は健康で OK の赤い枠にいるのではないかということです。
原家族のパターンを考えたときは、私は母にされて嫌だったことを今自分がしていることに気づきました。
親にされたことを私が子供にしてしまっているということは、「インナーチャイルド・ワークショップ」に出たときに気づいたので、そこは自分では抜け出ているつもりでした。
私はいろいろと見誤っていたんだと感じました。
そして、本題の「交渉」は、「難しい!!!!!」かったです。
「前向き表現のアサーティブ・トレーニング」の時は、心を込めてということにも意識できたので、ロールプレイもやっているうちに楽しくなってきたのですが、今回はついていくのに必死すぎて心ここにあらずのような頭だけで何とかまとめようとしてしまった気がします。
そして、言葉が全然足りません。
私の中には、褒める言葉も指示する言葉も、語彙が少なくてわかりづらい、伝わりづらいと感じました。
「インナーチャイルド・ワークショップ」や「感情ワークショップ」の時に聞いていた「語彙が少ない」ということがようやく理解できました。
そこには、「それぐらい察してよ」があったんだと思います。
私には、「これぐらい言ったらあとはあなたが察してね」の態度があったと思いました。
私は以前、一生懸命話しても「言っている意味が分からない」と言われることがあって、当時はどうしてこんなに話しているのにわかってくれないのかとすねていました。今回のクラスを通して、あれは言葉が足りなかったのかもしれないと感じました。だから伝わらなかったのかと。
そこに私の「察してよ」があったなら、更に伝わらないのは当然だと思えました。
それなら、方法を変えればいいのかと思えたことが、私の希望につながったことにホッとしました。
語彙を増やして、伝え方を考える。そして、相手を見極める。
今までのやり方を変えてみることで、状況が変わるのなら、私にもできそうだと思えました。
今までの私に交渉と呼べるものがあったとしたら、それは下準備も何もなく行き当たりばったりで、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる的なことだったと思います。いつも受け身だったので、交渉らしいことは避けていたとも思います。
交渉の下準備を考えるのも、今までにはない視点だったので、とても難しかったです。頭が痛くなりました。
でも、解決思考で相手のニーズも考えていくと、自分の不満や主張だけを言うのではなく、そこだけにとらわれるのではなく、前に進む感覚なんだということだけはつかめた気がしました。
私はどうしたいのかの答えを自分の中から見つけたうえで、自分の視点だけではなく、相手の視点に立って考えてみる下準備を練習していきたいと思います。
そのためにも、私の回復の進度を早めなければと感じました。ゆっくり急げでいきたいと思います。
藤沢さん、今回も本当にありがとうございました。
ストレートに言ってくださったことが心に温かく残っています。
ご一緒したクラスのみなさん、今回もありがとうございました。
皆さんの回答が、社会の中での交渉なんだと、とても勉強になりました。
ペアになったお二方、本当にありがとうございました。
N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) しんにょクラス
ワークショップ・クラスお疲れ様でした。
無事に参加出来ました。本当は参加する事に戸惑いがありました。
そこそこに楽しい毎日、それなりに何とかやってける現実。夢らしき目標も出来てきた。忙しく、ワークショップに参加するプレワークすら出来ない有様。
自分責めは前ほどではないけど、やっぱりある。
行く直前に新幹線をキャンセル仕掛けたけれど、出来てない自分の現状のままで参加してみようと重い腰をあげて新幹線に飛び乗りました。
どこか、気持ちも晴れやかではなく、後ろめたさがありました。
それでも、優月さんの言葉に耳を傾け、クラスの皆さんとロールプレイングをして、参加して良かったと思います。
健康な人の世界と、共依存者の世界。
共依存は病気なんだという事に、頭では分かっているのだけど、自分は違うと思ってしまう。
自分が共依存者とこの後に及んでも、認めたくなかったのかもしれません。
私は今の仕事(事務の仕事)は好きだし、効率よくする事を考えるのは好きです。
でも、責任感を利用され、いつも自分が損な役回りを押し付けられる事に腹が立っていました。
だから、適当に仕事しようと思っていました。
0か100か。こんな所にも、共依存の考え方が及んでいる事にビックリしてしまいました。
すぐに忘れてしまって、長続きしない自分。
それでも、みっともなくても、諦めずにしがみついている自分はやっぱり偉いと思います。
正直、自分がこんなにできない存在なんだと思うとめちゃくちゃ辛くなります。
でも、出来ない → 自分を責めるを繰り返した先に未来はないと思うし、それがまさに共依存者の考えなのだと思います。
何かを得るためには何かを犠牲にしなきゃいけない。そんなことしたくない。それもずっと思っていました。
でも、覚悟を決めるしかないのだと思います。
誰かを頼ろう、自分は責任を負いたくないし、そんな優秀な存在にはなれない。
自分がこうしたいという事をどれくらい表現してきただろうか?
Win-Win の関係を築けるようになりたい。
仕事を続けてお金も得たい。
家庭を持って、子供も持ちたい。
欲張りですね。
誰かの顔色を伺う事がおきまりのパターンだから、仕事における上司や職場のニーズを考えようと言われるとイラッとしてしまうのかもしれません。
なんで、今までこんなに我慢してきたのに、また誰かの顔色を伺わなきゃいけないの? と思ってしまう。
そもそも健康な人の考えに顔色を伺うという考え方がないのに、わたしが共依存的な味方から健康な世界で起きている物事を見ているから、納得できないし、自分にはできないと思ってしまうのだと思いました。
仕事をする上でのニーズと、共依存者のわたしの事を察してという空気感を混同して、気持ちが悪くなってまた、あの空気感に戻りたくないと思って逃げたしたくなったのかもしれません。
共依存からだいぶ逃れられたと思っていたのに、まだまだなぁと気付かされたワークショップでした。
なんだか、ふりだしに戻った感じがしています。
でもこうしている間にも、わたしの人生の時間は刻一刻と短くなっている訳で、途方に暮れていても仕方がないので、まずは今日ワークショップに参加した自分の勇敢さに拍手を送り、これからまた地道に進めたいと思います。
何回こけるんだろう? 何回も同じ所でこけてるよね、自分。
しゃあない。これが私なんだから。
お疲れ様。
T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) しんにょクラス
優月さん、スタッフのみなさん、そしてご一緒いただいた仲間のみなさん、貴重な時間をありがとうございました。
今回も参加できて良かった。たくさん知ることができた。
そして、自分はまだまだ挑戦できる。そう思って帰ってきました。
ずっと忙しさが続いていて、まるで年中年度末みたい。ひと息つく間もなく、120% の出力で走り続けるよう言われているような気がして、もしかしたら私はもう限界かもしれない。
最近、ずっと会社を辞めたくて仕方がなかった。どんなに忙しくてもどんなに辛くても、真剣に辞めたいと思ったことは今までなかったのに、ここしばらくは少し本気で辞めたかった。
そんな切羽詰まった状態でも、私にはまだ試してないことがある。
試せることはまだまだあるって分かって、何だか嬉しかった。新しい方法で解決できることが、きっとある。
だから、まずできることに挑戦してみて、それでもどうしようもなかったら、場所を変えるかどうか真剣に考えればいい。
そんな風に考えながら、心強く思いながら、温かい気持ちで帰ってきました。
これまで私は、健康な人とだけ交渉するなんて考えたこともなくて、むしろ不健康な人たちを何とかしようとばかりして、そこにムダなエネルギーを費やして、徒労感に終わってた。
私の周りにいる健康な人って誰だろう? そもそもいるの? とも思ったけれど、よくよく観察してみると、早速何人か発見できた。話しているとラクだし、こういう風に境界線を引くんだなって勉強になる。これからはそういう人を中心に関わっていこう。
社内外でイヤなことがあると、営業に出かける車内で運転しながら悪態を付く私なんて、誰にも見せられないと思ってた。こんな性格悪いと嫌われちゃうなって思ってた。
でも、それでいいんだ。性格悪いんじゃなくて、自分の身を守るために必要なことなんだ。
理想的な着地点を考えるというのも新たな視点。そもそも私にとって目指すゴールって何なのかって考えると、ムダな闘いにならないって、あれから日々実感してる。
そして相手のニーズを考えるっていうのも、これまで思いが至らなかった。
自分の主張を通そうとぶんぶん手を振り回してても、私の主張を聞いてくれないと地団駄踏んでても、何も解決しない。そんなことに改めて気付かされました。
結局、私は私のことを知らないと、前には進めない。
前回も学んだこと。
私のことを知ること、行動する前にまずは考えること、改めて大切なことを実感しました。
そして、私のことを知るには時間が必要。
スケジュール帳、ワクワクリスト、『未来日記』…。私にとって必要なこと、大切なもの。すべてつながってる。
だから、私は自分にできることをひとつずつ。
急がば回れ、だ。
そうやって、自分なりにまた一歩ずつ進んでいこうと思います。
一緒に歩いているみなさんが、それぞれの場所でひたむきに頑張っていることを励みに、私もまた歩いていきます。またどこかでご一緒できることを楽しみにしつつ。
ありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。