2018.11-2019.02月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」おどらてぃしまむクラス

画像
タイトルはじまり目印

Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) おどらてぃしまむクラス



タイトル下の線


この3ヶ月も、私はたくさんの波に揺れた。

課題に取り組んでは、自分のしぶといパターンに「うう…」となり、周りの人の不健康さをまざまざと実感して、くそー! となったり、でも、他人より、私だよね…と思ったり。

手帳を振り返ると、仕事の予定はみっしり書き込まれてるのに、プライベートの、私の人生の時間になるとすっかすかで、書きたいのに、書けない。
そのもどかしさを何度も感じた。
なかなか超えられない、私の壁。

「灯台の時間」では、『未来日記』にぐしゃぐしゃの字でたくさんのことを書いた。
日々、職場で起きる理不尽な出来事に「はぁ?」「ふざけんな」と怒り、疲れ果て、むなしい…と力なく書いて止まってしまう日もあった。
悲しい、悲しみでいっぱいで、吐き出したいのに、うまく出せなくて、くるしい…。
そんなことも、何度もあった。
今だって、ある。

でもいつでも、私は、私にもどって、ほっとしていった。
素直な私がいつでも原点だって、心と身体で何度も確かめた。
それでいいし、それがいいと、心からそう思った。

そんな3ヶ月だった。


文節区切りの線

私は、たくさんの ONSA WORKSHOP(対面式)と、Web. WORKSHOP に参加してきた。

その過程を振り返ってみると、この3ヶ月の『未来日記』がいちばん、私に素直になっている。
私の、感じたままの感情が、たくさん散りばめられている。

私の、うれしい、ほっとする、たのしい、これが好き、こういうのがしたい…もあるし、くやしい、腹が立つ、むかつく、もどかしい、悲しい、さみしい、つらい…も、ある。

なかでも「くやしい」が、私には印象的だった。
折に触れて、私はよく感じた。

それは、課題を通じて学んだり、気づいたりすることで
「もう、これまでの古い生き方はイヤ」
「新しい、私らしい生き方がしたい」
のどっちも芽生えてきてるのに、実際、じゃあどうすればいいか?
そこで、止まってしまう。


文節区切りの線

まだその、プロセスの途中ゆえの「くやしい」を私はたくさん感じた。
だからこれは、くやしいし、早く何とかしたいけど、私にとっては前進してる「くやしい」なんだ。

私は、新しい世界を予感してて、その空気を生きたい。
その願いからの、くやしい。
手帳に自分の希望を書けなくてもどかしいのだって、そうだよね。

私は、私をもっと生きたいと、思っている。
心から、願っているんだ。


文節区切りの線

そして「むかつく」も、私はたくさん感じた。
それは、主に職場の人にされる、理不尽な扱いや言動に対しての
「腹が立つ!」「やめてよ!」だった。

でも、その中身が、少し変わってきたのを、私は感じている。
これまではひたすら、外部(他人)からの攻撃や刺激への反応(防御)としての
「怒り」だった。

でも今は、最近は、上部のケースももちろんあるけど、私の中で
「私は、私を大切にしたい」
「私を誇りに思っている」
だからこそ、そんな雑な扱いは、私はいやだ、受け入れたくない。

そういう、私への自信と尊重が生まれてきたが故の「怒り」。
かつて「私なんて…」でちっとも自信なんて持てなかった、私。
持っていいとすら、思えないくらい重症だった、私。
その頃の私と比べたら、なんて遠いところにまで、私は来れたんだろう。
こけながら、悩みながらも歩いてきた道のりが、私に、揺るぎない自信をくれた。

「あの時も私はものすごくしんどかった。でもそこから自分の力で立ち上がることができた。
だからきっと、この山も、時間はかかっても超えてゆける。」

そう、私は信じることができる。
だってそれは、思い込みでも暗示でも、きれいごとでもない。
私が実際にチャレンジして、体験したことだからだ。
私は、自分を信じられる自分になれた。


文節区切りの線

この3ヶ月で、私は、どんどん、素直になってきている。
くやしい、腹が立つ、もじゃんじゃん書けるようになってきたし、またそう感じることも「そうだよね、そう感じて自然だよ」と、私に許せるようになってきた。

そしてまた、私に素直になることの、何とも言えない喜びと安心感を、全身で感じている。
どんな苦境にあっても、ここに戻ってくれば、まずほっとするし、落ち着く。
出来事のあれこれがすっと遠のいて、シンプルな状態で、私にとって本当に大切なものだけを感じ直すことができる。

自分に素直に生きることが、すべてのはじまりだな。
本当に、私は心からそう思う。
私は、もっともっと、私に素直になりたい。
素直な私で、この人生を生きてみたい。


文節区切りの線

この PAY FORWARD を書くにあたって、私の中で湧いてきたのは「まとめたくない」という気持ちだった。
きっと、これまでの私なら、この3ヶ月で何に気づいて、これからどうして生きたいのか、細かに分析し、整理して書いて、それで一区切りとしたかったように思う。

でも、今の私はちがう。
今の私は、理屈や理論で、この3ヶ月のプロセスをまとめたくない。
まとめてしまうと、それは今の私の変化とは、ちがうものになってしまうからだ。

この3ヶ月、私の感情を中心にしてあれこれ書いていくなかで、私は「回復って、こんな感じなんだ…」と、ぼんやり感じることがあった。

それが正解かどうか、そこは私にはわからない。
でもなんというか…。
これまでの私が思っていた「回復=絶対的な、揺るぎない何か」ではなく、
「こんなふうに、いろんな気持ちがたくさん湧いたり、おさまったりして、ゆらゆらと揺れて、どれも正解で、そのなかで、私が感じて、私がバランスを決めて、その時の最善を選んでいく」

なまものみたいな感じだなと、私は思った。
まさに、ライブ感。「生きる」だから。


文節区切りの線

そう思うと、これが絶対っていう正解なんてないし、ましては他人に「あってる」「あってない」なんて決めつけられるものなんかじゃ、ない。

私にすら、何が絶対に正しくて、間違いかなんて、きっと、決められない。

そのくらい、いろんな可能性があるなかで、ひたすら、私が感じて、私が選んで、進んでゆく。
そしてフィードバックして、気づいて、また選ぶ…。
そのくり返しと連続でできてゆく道が、私の人生なんだ。
なら、私が集中するべきは、集中できることは
「今、ここで私が感じる」
それしかない。

私は、そこまでは気づけた。
でもまだ、その「実践」はむずかしくて、わかっちゃいるけど、動けない日々に、悶々としている。
でも、少なくとも私はここまではこれた。
そのことに、精一杯の拍手を贈りたい。
よくがんばったね、私。


文節区切りの線

私は、まだ私の喜びも望みも、生きていない。
叶えられていない。

まだそれがなにか、ようやくおぼろげに見えてきたくらいで、まだまだ、私の模索の道は続く。

でも私は、もっともっと、私に素直になって、私の望みや幸せにも、素直に心を開いて「どんな夢だって、私は願ってもいいんだよ」って励まして、私の夢を、人生を、幸せなものにしていきたい。

私は、もっと私を生きてみたい。
私を生きることで、見えてくるもの、出来事、風景の色も、きっと変わってゆく。
そういう「私だから感じられるもの、世界」に私はたくさん出会いたい。

私だから生きられる人生、時間を大切に編んでいきたい。

たくさんの思いや気づきを投稿し続けて、私が辿り着いた場所は、ここです。
ここまでこれて、本当によかった。


優月さん、スタッフのみなさん、クラスメイトのみなさん
大切な3ヶ月を、ありがとうございました!




タイトルはじまり目印

H. S. さん(30代/大阪府よりご参加) おどらてぃしまむクラス



タイトル下の線


世界で一番大切なSちゃんへ

11月から始まって、年をまたいでの3カ月、12週間、長くて濃くて、でも本当にあっという間だったね。
その間、調子や機嫌がいい日も悪い日も、普通の日もあって、WORK も『未来日記』には書いたけど、投稿が間に合わない週もあり、投稿ができない週もあり、途中まで投稿出来たという週もあり、いろいろな週があったね。
まさに、優月さんのおっしゃる「回復してからが人生の本番ではなくて、今がもう練習で本番の人生」を歩んでいるな、と WORK や『未来日記』を振り返って感じたよ。

そして、しんどいけど頑張って自分の人生を生きているな、とも感心しているよ。
そして、Sちゃんが自分の人生をあきらめず、取り戻そう、生きようとふんばっている姿が人間らしくて、カッコいいなと思う。

WORK もせず、だらだらスマホ見て、頭痛くなって、うめいたりしている日には「何の苦行を自らに課しているんだ! 私なんてダメだ!!」と自責の念に駆られたりしたよ。
でも、3か月、12週間という長いスパンで見たら、一度ダメになったからと WORK を投げ出さず、WORK に戻って「また一歩、アリの歩みでもとりあえず一歩」としがみついてきた。
その七転八倒している姿がいい意味で人間くさくていいよ。
現実の世界を生きているなとしみじみ思うよ。

これも「ゼロか100か」ではなく、「完ぺき」ではなく、グレーゾーンも認められるようになってありのままの姿を受け入れるようになってきた、成長かもしれないね。
 
さて、WORK を読み返してみて、「消えたい」という言葉、考えですべての感情を飲み込んで、なかったことにして、感じなかった頃よりも、ずいぶん上手に感情を感じられるようになってきたな、と思ったよ。

そして、「痛い」や「怖い」と感じたことを泣くことで表していた小さな子どものころに、「五月蠅い! (お母さんを困らせるような感情を感じるな。表すな。)」と怒られていれば、私にとって感情を感じたまま感じることは恐いことで悪いことだと、感じただろうな、と悲しくも苦しくも思ったよ。
だから、もう十分に苦しんできたSちゃんを、私が裁いて「この感情は感じちゃダメ! こう感じなくちゃダメ!!」とこれ以上苦しめたくない。
Sちゃんにもっと優しくして甘やかしてもいいんじゃないか、とも思ったよ。

私がモヤッと感じる問題も、結局は、まわりの気持ちやニーズを優先して、どうにかしてあげようとして、「その相手に気に入られよう、認められよう」とする共依存者である私のクセ・習慣が問題の根本にありそうだ、と改めて感じたよ。

そして、自分の気持ちやニーズを見ようとすると、ヒトとは別のアルコールや食べ物、SNS などに依存して、慣れた状態に戻ろうとしてしまっているのではないか、と思った。

これら多くのことに気づけただけでも、このチャレンジした3カ月、12週間は実りある時間であり、とてもよく頑張って自分の人生を人間くさく生きた時間だったと私は思うよ。

最後になりましたが、この3カ月、12週間を一緒に歩んで下さった優月さん、お仲間さん、本当にありがとうございました。