C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) おおやまざきクラス
私へ
この3ヶ月の間、本当に色々なことがあったね。
始まった頃は、私はまた自分のことが分からなくなっていて、信じられなくなっていた。
今まで自分と思っていた自分。
自分の感情・能力。
全てが揺らいでいた。
今も、知らなくては(確かめなくては)前に進めないものがある。
でも、結局どんな自分であれ、私はこの私とやっていく。
知って、感じて、考え、確認しながら。
分からなければ人の力も借りて、出来るようになる。
問題を解決していく。
自分の心の声・感情を聞きながら進んで行くしかない、と思っている。
それは、この3か月間やり続けたことと同じことだ。
私は、私とやっていく。私を幸せにしたい。
3ヶ月の間に私がしてきたことを振り返ると、必要なこと・やるべきことがやっぱり断然多かった。
でも、そんな中、小さくやってみたいこと・今楽しいと感じることもやっていた。
よし!
そうしたら、運動は全て苦手で好きじゃなくて、完全にインドア人間だと思っていた今までの自分と違う面が見えてきた。
私は、もっとバランスの取れた生活をしたいと思っている。
そして、やっぱり私に取ってあきらめられないものがある、と分かった。
痛い気付きだったけれど、私は「遊ぶ・楽しいことをする」と「消費行動」=過去のパターンが混ざっていて、だから行動パターンが変わらなかったのかもしれないとも分かった。
遊ぶって、偉大だ。遊ばないで、どうやって自分を知れると思ったんだろう?
実際にやってみることって、本当に大事だ。
今は、もっと色々な視点から自分を知りたい・自分の違う面をもっと知りたいって欲? も出て来た気がする。
私に取っては、すごいことかも?
この期間に、仕事に関して大きな決断を迫られる機会があった。
私は「残る」と決めた。
正直、「職場に家族を求めてない?」「自分が何かをしたら認められる場に、しがみついているだけじゃないの?」という声も聞こえた。
でも、私の羅針盤は、今出て行く方には動かなかった。
そして、「失うかもしれない」と思って、初めて気付いたことがあった。
私は、今まで心の底では「特に資格のいる仕事でもないし」「選びようがなくて始めた仕事だし」と、自分の仕事に価値を感じられなかった。
でも、出来るようになるまで時間とエネルギーをかけ、時間をかけて改善もしてきた仕事や、長年苦楽を共にした気心の知れた仲間を、私は大切に思っていた。
大切なものは、簡単には投げ捨ててはいけないと感じた。
それを無価値にしていたのは、私自身というか、私のとらえ方や習慣だった。
今、私を無価値なままにしているのも、私自身だ…。
ただ、残るなら、今までと同じではいけない。
私に取っての「自立」。
「好きなことで自立する」というと、ハードルが高く感じられる。
今している仕事は「好きなことで」とまでは言い切れない。
でも、その中には好きな要素もある。
それに、今している仕事は、私に取って「今出来ること・出来ていること」だ。
自分が何を好きで得意か。何が出来るのか。
自立も「私は」からスタートしなければ、始まらない。
私は「していない」のではなくて、「無価値」と思い込んだまま、あやふやなままになっているのかもしれない。
もっと具体的に知ることが、自分に取っての自立を確認することになるかもしれない。
「好きなこと・得意なことを掘り出して、徐々にその範囲を広げていく」位の方が、気が楽で取組みやすいかもしれない。
会社勤めでも、仕事を請け負うという姿勢だけではなく、自分で自分の仕事を作っていく姿勢も必要だと感じている。
それにしても、「私=価値がない」という思い込みは、本当に根強かった。
もうそんなこと思っていないと思っていたのに、何層にもわたって私の中にしみついていた。
そして、私の見ること・聞くこと・感じること・考えること・行動の全てにわたって、影響を与えていた。
「私=価値がない」から、「私の感情・ニーズ・していること・持っているもの・したいこと・興味あること・住んでいる所 etc…=価値がない」と波及していたのかもしれない。
今は手放していると思っているけれど、私はずっと、「優秀になれば・知識を得て賢くなれば・特別な存在になれば・きれいになれば(それで、誰かに認められれば)、幸せになれる」と思い込んでいた。
それは、「今の私=無価値・ダメ」を前提としたコントロールだったのかもしれない。
でも、それは本当に間違っていた。
そして、自分で自分を認められるようにならないと、いつまでも変われないし、終わらないかもしれない。
私の幸せを私が理解しないと、ゴールも見えないかもしれない。
人に良いと言ってもらったり(そうするようコントロールして)、人と比較したり、自分より優れている(と思われる)人といることで、自分を良いと思えるようにはならない。
それでは、本当に自分を肯定出来ない。
それよりも、自分の内側を大切にすること。
自分の人生に集中すること。
ただシンプルに「私の好きなこと・したいこと・得意なことをする、感情とニーズを大切にする、今目の前にある自分に取って大切なものを受入れ、大切にする。素直な気持ちで感情を分かち合う」「自分のいい所・出来ることに注目する」こんなんで良かったのかな…と思う。
(正確には、それが腑に落ちて来た・分かりかけて来た感じ?)
そうすれば、そんなことしなくても、自分で自分を支えられる。
私は気持ちいいやり方で自分を支えたいし、「私=無価値」の先にある世界を見て見たい。
私には、「なかった・知らなかった・出来なかった」ものが沢山ある。
多くの人と和気あいあいと楽しむことも、そのひとつかもしれない。
子供の頃「出来ない・分からない」で止まっていたことも、今の大人の私が1つずつ手に取ってほどいてみれば、又違ったものになるだろうか?
そんな時間の積み重ねが、人生を豊かにするのかもしれない。
「出来ない・分からない」ことがあっても、自分を責めず、過去のパターンに巻かれず、留まろう。
新しい生き方のスキルを、身に付けよう。
今なら楽しいものは楽しいと感じられると思うし、自分の中のさびしさも認められる。
人と分かち合うことの大切さ・幸せも分かってきたから。
本当に自分で実際やらなければ。そして、出来るようにならなければ。
私はつい「何も進歩していない!」と思ってしまうけれど、長い目で見ると私にもいい変化があったことにも気付けた。
怒っている人は怖いは怖いけど、前みたく「自分が悪いからだ」とも「そうされても仕方ない」とも感じないこと。
健康な人・自分に取って大事な人でも、盲目的に信じることはなくなったこと。
そういう人との関わりで行き違いがあって怒りを感じた時、それを表現出来なくて、悔しい時もある。
でも、私はもう怒りも悔しさも押し殺すことはない。
自分の感情と共にある。
…小さなことだけど、大切なことだから書いておくね。
今は、「私はこの世でささやかな存在の1人。でも、私は私に取ってとても大切な存在で、私のニーズも大切なもの」「私は世界に受け入れられている。心を閉ざしていたのは、私の方」と感じられる時もある。
でも、何かあるとそんな思いも消えてしまう。
まるで、オセロの白と黒がひっくり返るように。
でも、きっとそれでいいんだと思う。
黒な自分も受け入れつつ、又白を増やせばいい。
最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、今回も温かいサポートを本当にありがとうございました。
そして、お仲間さん、一緒に「確認」しながら目の前の課題に取組めることがありがたかったし、勇気が出ました。
3か月間、本当にありがとうございました。
M. I. さん(40代以上/福岡県よりご参加) おおやまざきクラス
まずは、この12週を終えることができた自分に感謝したい。
今回は2周目だった。
前回よりも見えてきたところもあれば、たどり着く場所は同じところもあって、まだこれからも見える場所は変わっていくのだろうけど、ひとまず、今のわたしの力で課題に向き合えた。
現実のなかでも、家族の関係にゆがみが出てきて、自分が育ったルーツの影響の深さに、ああ、やっぱりな、と思うと同時に、現実の家族の姿を認めざるを得なかった。
これは、やっぱり、わたしの思い過ごしなんかじゃない。
毎週の課題を通して、わたしが身に付けられなかった生き方があるのを知る。
これから、どこまで歩くんだろう、って嘆息する。
その一方で自分の日常の行動、他人への気遣いへの疲れ、同時に、弱さを使ったコントロール、そのときのいてもたってもいられない心の動き、不安、こっちへ引き寄せようとする強い感情。
これだけ家族との過去につながっているって思ってもみなかった。
気づいたことへの驚きとともに、わたしにまとわりついて離れないでいたものの深さにわたしは、自分に与えられた時間のうちに、自由になれるんだろうか、と不安にもなる。
今は、正直にいうと、最終週までやりとげた安堵とともに、その不安は嘘じゃない。
だけど、わたしはこの現実に起こったひずみと、この課題でつなげた「今」と「過去」から、これが、わたしという人間の通ってきた道で、わたしはどれだけ否定したくても、この過去をこうやって生きてきて、今にいる、ということは認めざるを得ない。
全然、そんなこと望んでなかったにしろ、これが、わたしの過去の時間で、なにもわからず、通ってきた。
だから、その過去は現実として受け入れるほか、なにが過去にたいしてできる?
この12週で、わたしは健康的な習慣を知ったばかりで、実際の運用力は、まだまだだ。
この回復に限らず、先へ、先へ、と人生を進めることを救いとして急いで生きてきたけれど、奥へ奥へとシフトしてみようとはじめて思った。
そして、決めたこと。
先へ進もうとしていた足をちょっと止めてみる。
焦りもあるけど、自分の声を信じよう。
今回は、お仲間さんの声も、わたしには新しいことだった。
煮詰まったり、穴に入って見えなくなっていたりするとき、Cさんの声は、風のように、ふっと入ってきて、窓を開けたような気分を感じていた。
Cさん、ささやかな会話が、わたしをここに戻してくれていました。
ありがとうございました。
藤沢さん、スタッフのみなさん
この12週、ありがとうございました。
自分の歩みを確認する上で、感謝しています。