T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) るかしあなクラス
仕事と家庭があるから、たくさん取り組める週も、そうでない週もあったけど、今回も自分で決めたことを、投げることなく3か月間やり遂げることができましたね。
よくがんばりました。
このワークショップがはじまったときの投稿を読んでも、3か月後の今の私には、もうピントが合わなくなっていた。
私の子ども時代は、そんな程度じゃなかったよ。
私は、与えられなかったのではない。
子どもへの愛も、成長を促し助ける気持ちも私の家族には、存在すらしなかったのだ。
それどころか大人である彼らは、自分の人生を切り開いていく力も責任をもつ心も持っていなかった。
異常な家族に産まれた、普通の私。
異常な家族に囲まれたら、普通の私こそが「家族の異常」。
真っ暗な世界のなか、息をひそめて生き抜いてきた私を大いに讃えたい。
そして、この世界からだしてあげたい。
人を信頼する心を育てたい。
世界を受け入れ、信じる気持ちを取り戻したい。
私を信じて、大切にする心をもっと育てたい。
人と関わる心を育てたい。
「振り返れば、ずいぶん進んできた」
昔はピンとこなかったこの言葉が、さらによくわかってきた。
私は、とても進んでいた。
私に何が足りないのか、何を欲しがっているのかが掴めてきた。
そして、そこがまた新たなスタート地点になっていく。
さぁ、一緒に手をつないで歩こう。
ときには走ろう。
幼い私に言ってあげる。
大丈夫、私がついているから。一緒に行こう。
M. I. さん(40代以上/福岡県よりご参加) るかしあなクラス
ワークショップを終えて。
がんばったなあ、というのが最初に思うこと。
今回は、「新しい生き方」を知った。
毎回、のみこめないところもありつつ、日々の中で一生懸命だった。
このワークショップは「過去」と「今」をつなげるけれど、忘れかけていた「過去」の感覚が、日常の中でふとよみがえってきて、わたしという人間は、歩いてきた道のりの果てに「今」を迎えているんだ、というのを実感する。
そして、「今」以上に過去を深く感じることになった12週。
そのうえで、わたしのここにある世界が、ことばとして立ち上がってきた。
わたしは、関係性のなかでの自分が、わたし、だった。
世間の価値や他人の反応を超えた、世界で唯一無二の、そのこと自体がすばらしい、ひとりの人間としての存在の、わたし、はわたしの世界のなかに、存在できていなかった。
こどもから大人になる成長の過程が、自分を消していく道だったことを親の未熟さを最初に与えられたものが完璧ではないことを世間の価値からは外れたものが個性のなかにあることを自分の人生で認めて受けとめてそこで生まれた痛みとともに歩いていく覚悟。
幼かったんだなあ。
わたしにとって、癒しは、痛みをてっとり早く排除することじゃないよ。
過去を悼みきることも、まだ終わっていないのかもしれない。
むしろ、悼むことの深さが増した。
届かなかったことへ、触れられなかったことへ、その寂しさを感じて、そのことを悼む。
寂しさと一緒にそれを抱きしめる。
そして、世界の様々な色が、やさしく存在できるように祈る。
寂しさと祈りは、ちょっと似ている。
また前のコースを歩くことにした。
今度は、もう少し肩の力を抜いて、ゆるみながら取り組みたい。
藤沢さん、スタッフのみなさん、そしてお仲間さん、今回もありがとうございました。