2016.1-2月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(0)コース0/STEP.1」みなみのうおクラス

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R. N. さん(40代以上/東京都よりご参加) みなみのうおクラス





私は自分が、こういう子どもであってほしいという型枠に、粘土をぎゅうぎゅうにつめこむみたいな育てられ方をした、と思っています。実際はどうだかわかりませんが、私の、個人的な感じ方ではそうなのです。
その型枠からはみ出る部分は、大人に叱られるか冷たくされるかして望まれないので、なるべく嫌な思いをしないで、うまく生きられるように、小さい子どものころに処世術を練り上げました。
それはこんな感じです。

・人の機嫌を損ねたらいけない。怒らせてはいけない。
・人より優秀で、よくできて、物知りでなくてはいけない(人より下になるのはダメ)。
・ばたばた騒いだり、慌てふためいたり、動揺を表に出してはいけない。
・感情のままに人前で泣いたりするのは良くない。
・動作は早くして、遅い、ゆっくり、のろいのはダメ。
・美人・可愛い子が良い、人に好かれる(そうでないと良くない)。
・間違ったり、ミスしたり、失敗したりするのは良くない(恥ずかしいこと)。
・ハナが詰まってるのは良くない、血行が悪い、姿勢が悪いのも良くない。
などなど…。(なんだこれ? っていうのもありますが)

今だからここまで書けるほど、はっきりわかりますが、わかるまではこういう処世術を持っていることに無自覚でした。


こういう「これは良い」「これは良くない」というルールがたくさんあって、「良い」にあてはまる場合は、安心感・優越感を感じます。
が、たとえば勉強や仕事ができて優秀でいられるうちはいいけど、そうでなくなったらパニックを感じるぐらい不安になったりしていました。
「良くない」にあてはまる場合は、いつももやっとして、どこか暗い気持ちで、ああ、やっぱり私はそもそも何かがダメで良くないんだよな…なんて落ち込むか、それを紛らわすために他の楽しいことをしたりしていました。

そして、いつもいつもこのルールにあてはまってるかチェックしないといけないので、毎日、毎時間、緊張し、どこかあせっていて、不安でした。体もいつも硬くて、血行が良くなくて、緊張がとれなくて、特に理由がないのにすごく疲れたりしていました。


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さて、それで今回のこのコースで私がまず学んだことは、
「『私が私のままでいることは、大切に、尊重されなければいけない』ということが、絶対に守られなければならない基本ルールである」ということ。
目からウロコが、ドサバサ、です。
そのままの自分でいいということを励まされて育てられてこなかったので、「えっ、心理学の知識ではそうなのか」とびっくりしました。


それから、もやっとするとき、自分を責めている時、私の世界の中心が、今の大人の私ではなく、子どものときに作り上げた処世術、つまり、「古い考え方」になっていることも学びました。
子どもは今の大人の私より、弱いし未熟だしお世話も必要だから、真実じゃないことも思い込んじゃうことがあるみたいです。
誤解なんですけど、今もそれが体に染みついちゃってるんですね。


そこで、このコースで、いったん立ち止まって、大人の私に「ほんとうにそう思う?」と聞いてみる練習をしました。

たとえば、
失敗するのって、ほんとうにそんなにダメ? 
緊張して体を硬くして一瞬たりとも油断しないで、「失敗しないように!!」って思ってないとダメなほど?
人の機嫌を損ねることは? 絶対にダメ? 
人の考えはそれぞれだから、私の責任の及ぶ範囲じゃないのではない?
早いのがいつも必要かな? 
ゆっくりでもていねいにやった方がいいこともあるよね。
とか。

大人の私は、けっこう柔軟で、心の中にほんとうに聞いたら、そうでもないかも、ということがほとんどでした。

とにかく思い込んでる処世術、私の「古い考え方」は習慣になっているので、早くて自動でドンと来て、体感にも大きく影響します。
もやっとしたり不安になったり、ヤバイヤバイヤバイマズイマズイ早く早くなんとかしなくちゃなんとかしなくちゃ、と、ハムスターがカラカラ車を回すみたいです。

いったん立ち止まって、大人の私に聞いてみる。
「ほんとうにそう思う?」
意識がいりますが、効果は大きいです。


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さて、このコースで気がついたこと、たくさんありますが、私にとってとても大きかったことが二つあります。

一つは、私どんだけ自分を責めてた!? と驚くくらい、ものすごくものすごく、毎瞬毎瞬、自分を責めていたことに気がつけたこと。

自分を責めてることには前から気がついていたんですが、気づいていた部分は氷山の一角で、もうもう、意識に上っていた量とはくらべものにならないくらい、毎日、毎時間私は自分にダメ出ししていました。
~だからダメ、○○になったらダメ、そしてそうやって責める私もダメって。

毎時間そんなことしてたら、そりゃ緊張もするし、疲れますよね。
このことに気がついたとき、何年ぶり? いつ以来? というくらい体がほわ~っとゆるんだことを覚えています。


もう一つは、父にしろ母にしろ、子どもの時に「権威」であって、私の「古い考え方」の元になっている人たちについて。
コースを受けている時期に、魔法がとけるように、こう思いました。

この人たちも自分の処世術を使って生きている普通の人。
尊敬できるところも、できないところも、嫌いなところもある。なんでそんな普通の人を、他人を、私の世界の中心にしないといけないのか。大人になったこの私の……と、怒りとともに感じました。
父も母も、実際にはそう望んでいるわけではないですし、誰にも益のないことはもうやめようと思いました。


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一週目の自己紹介の課題で、「どういう風に変化したいですか?」という設問に、
「心を自由にしたい。つけてなくていいコルセットで苦しくなってる自分に、もうそれつけてなくていいんだよ! といって外してあげたい」
と書きました。
ほんとうにその通りに進んできています。
まだまだコルセットは外せていないですが、ボタン一個くらいははずせたかな? そもそもコルセット着けてたことに気がつけたね! という感じです。

何十年も染みついてた処世術や古い考え方は、一ヶ月や一年ではなくならないです。
体も一時的にゆるんでも、またすぐに元に戻ってしまいました。ほんとにちょっとずつ、段差の少ない階段をひとつのぼっては体になじむまで数週間、またひとつのぼっては数週間…みたいな感じですね。

それでも少しずつ、薄紙一枚ずつ、はがせていけたらいいなあと思います。
そしてこれは、何もしないで時間にまかせていても、はがれていかないものなんですね。

意識して、自分と向き合う時間を作って、プロの手もお借りして。
これからも自分と対話しつづけていきたいと思います。




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M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) みなみのうおクラス





静かな、ひたむきな、1ヶ月でした。

それは、年末年始のような、どこか高揚さと新鮮さもある、
そして、私には「原家族」から続いてる、今の自分の良くない習慣を意識することもあるそういう時間から、
「はい、今日から日常です。」といきなり手渡されたものの中で、
ただただ整理整頓するような、そういう1ヶ月。

去年末、次のステップのコースへそのまま進もうかな、とも思ったけど、
なぜか、「ここらでちょっと、『コース0/STEP.1』やってみない?」という自分からのお誘いに乗ったわけで。

そして、それは、角がバラバラになってる書類を、トントンと机の上でそろえていくような、
これは要らないかな、というものはシュレッダーにかけるような、
一度、シャキッとさせるような感覚がありました。


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今回3回目のチャレンジで、
ボリューム満点の内容なのは憶えてたつもりだったけど、
やはり、今回も「すっごいボリューム!」と思わずにはいられない、このコース。

そして、3回目にして、ようやくつかめた新しい感覚もあった。
だから、何事も1回じゃできないのだよね、とまた新たにつかんだり。

1回目は1回目で、そのときの大切な感覚があり、
それは、そのときの私でできた素晴らしいことで、決して1回目が3回目より劣ってるってことじゃなく、
なんでも、こうやってそのときの私で最大にがんばってきたってことだ。
また、「人や周りでなく、自分へ向かっている感覚」に、「しめたっ!」という喜びもあったり。


「つかむ」「今までなかった感覚」(今まで入る余地がなかった、とも言えるかもしれない)、
それは、ほんとに外からみたら、「見えない」ことで、
そこに、派手さや、サクセスストーリー的なガラッと感は決してないけれど、
もう、私の中では、お祝い、お祭り、パレード。
静かさとひたむきさの中で、盛大に祝われてたりしてるのです。クラッカー用意して! って。

難しいなあと感じることも、
やり始めたからこその、感じであって、
始めなきゃ、難しいとも思わないはず。
そんなん簡単やん、思ってるうちは甘かったのです。
そして、ここまでくるのにも、時間がとてもかかる。
もちろん、そこに至るまでの地道でごっちゃらした時間があったからこそ。


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私の今は、私がつくってる。
手帳に書きとめた言葉やったけど、
どうがんばっても、それは変えられない事実のようで、
それでいて、現実の時間には、理想どおりにいかない自分や、かまってくる人や、いきなり入ってくる予定と違うものや、
たくさんあるけれど、
それに、のみこまれていては、のみこまれて言い訳にしてるのでは、
私のこうありたい今は、いつまでたってもやってこない。

もちろん、のみこまれることもあるし、えーっそりゃねえわってこともあるし、あー…また同じことでつまづいてる…ってこともあるけど、
何度でも、立ち止まり戻ろうと思う。


そして、何より、「今の私」が「良くない習慣の私」なら、「私の今」も当然その結果が出るわけで、
そこを変えていくことを、これからもあきらめたくない、強く思った。

「理想の自分」も、まったくの別人じゃないか、というぐらいのもので、
そうじゃない自分なんて、生きていけない、出ていけない、人からバカにされる、ってなってたけど、
どうがんばってもなれない、そもそも、そう見せようとしてもなれてもない気もして、
「そう見せたい」っていう、自分の欲か、
「人から見たら」なんてことも、操作できるものでないんだー。よく思うと、そう、人の感じ方には入れないのでした。


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あらためて「気づき」のすごさも実感した。
原点に戻ると、シンプルなことほど、威力があり難しくもあり奥深いんだと感じます。

「気づき」からつなげることができたこと、50パーセント解決する感じ、道にそれてたという感じ、
それすらも、自分のものとしてつかむのは難しいもので、
まだまだ私の知らないものがたくさんありそうで、
そして、いったんつなげることができれば、しめたっ! ときます。

その感じも、続けていかないと、すぐ自分の中で薄れていってしまうということのほうが、今は怖い。
せっかくつかみかけたものを離したくない。


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つなぐことができるのは、たぶん、「今の私」を軸にできてきたからだと思う。
この、あまり見たくない、こんなんじゃダメだーって言ってるような、いっけんものすごくダメに思えてしまう、この私。
ここ、認めないと、たぶん、次へ進めないじゃないかなと思った。

なんというか、「私って、自信ないんだよねえ。はあ~あ。」と友人に言ってるあたりでは、たぶん、他人事のような、そういう感じで、
「このほんとにグラグラとしている自信がないと感じているのが、今の私なんだ。」
怖さが含まれると、それが真実味を訴えてる感じがします。
「もうほんまお金ないで~。何かとお金かかるわ~。」と友人に言ってるあたりでは、どことなく、他人事のような、「他の家もだいたいそんなもの。」というのが入るけど、
(まあ、定型的な挨拶のような感じ、関西圏だけかもしれませんが、汗)
「今、現在、現実に、私の家にあるお金がこれなんだ。」となると、なんだかとても現実的になる。
どことなく、しっかりしようと思う。

その真実味のある方から始めないと、できないことをできると思ってたり(そして、引き受けちゃったり、人からの依頼だけでなく、自分の予定でも時間的に無理なのにつめこもうとしたり)、
わからないことをわかってると思ってたり(よくあった、まだありそう)、してしまうんじゃないかなと思った。

そして、その「いっけんこれではダメだと思ってしまう私」は、実は、ありのままで、それでいいのなら、
とても個人的に生きていけそうな気がした。
そして、どこか楽しそう。


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今回、「コース0/STEP.1」を選んでよかったです。
また、トントンと整理したくなったらお世話になろうとも思います。

ご一緒下さったお仲間さんも、感謝です。
私にとって WORKSHOP の時間は、小さくてささやかで優しい、それでいて大きなインパクトを含む時間(こっちのほうが大きいかも)ですが、
今回も、そういう時間を一緒に過ごせる仲間がいることがとてもうれしかったです。

この1ヶ月に、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。