2014.06月開催 「境界線ワークショップ」きいちごクラス

画像
タイトルはじまり目印

H. W. さん(10代/宮崎県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


お疲れ様、私。よく会場まで行ってくれたね! 周りじゃなくて、自分の都合を優先させたのも、偉いと思う。
ワークショップ・クラスに参加すること自体が夢みたいだった。少し前までは、想像もつかなかった。

今、また日常が戻ってきて、ワークショップ・クラスでの出来事が、なんだか夢みたい。
でも、ワークショップ・クラスで吸収したこと、ちゃんと私がいる現実で生きてる。夢じゃないよ。
日常は変わらないまま進んでいて、周りの人たちは何も変わらずそのまんまで、私が今まで、「なんでこんな嫌な人たちが平気で生きていってるの? なんで変わらないの?」ってずっと、相手にエネルギー割いてたけど、優月さんから「それこそが共依存」というようなことを聞いて、「ああ、私がっつり共依存だ・・・」って思った。

日常では相変わらず嫌な人たちは嫌な人たちのままだけど、まだ少し気になるけど、前より気にならなくなって、自分の人生を生きるっていう感覚が、何となく、ちゃんとわかってきたね。
大丈夫。これからは、全く気にならなくなって、自分のために自分の時間を使えるようになってくるよ。

大丈夫だよ、私。焦らない焦らない。
今日は何だかいっぱい嫌な人たちと会った気がするけど、境界線、まだビクッてなって、うまく引けた気がしなかったけど、でも、ちゃんとそのあとは切り替えて、自分のことに集中できたね。
できなかったことが、できるようになってるよ。すごいよ私!
自分を守るっていう感覚が、何となくわかった気がする。

でも、ワークショップ・クラス中の、境界線を引く練習で、強く境界線を引く、相手を攻撃するんじゃなくて、自分を強く守るっていう感覚が、今の私にはよくわからなかった。
「いいのかな」「相手の言ってることが、正しいんじゃないかな」って、反射的に思ってた。これは、私の家が原因で、こうなったんだと思う。
悲しいけど、私、いろんな感覚がマヒしてると思う。たぶん。


文節区切りの線

ワークショップ・クラスが終わって、いろいろ考えて、謎が解けたり、つじつまがあって、分かったことがいっぱいあったね。
私の家は、私の存在自体が、暗に否定されている家だと思った。
それが原因で、「私には価値がない、私はこんな目にあって当然なんだ、私が悪いから、こんな目に合うんだ、これは罰なんだ」って、自分で本気で思い込んで、侵入されるのを許していたし、そこの抜けが出ていたんだって、分かった。

危ない目にあっても、小さいころからずっと、私自体が放置されてきて、守ってくれるところがどこにもなかったのも分かった。
あと、昔、家でされてしまった出来事が原因で、私の体が脅かされるような、危ない目に何回かあってきたことも思い出した。思い出すだけで、ぞっとする。怖い。

私の家は、私の家族一人一人の境界線というものがなくて、いくつか融合していたり、どこかで混じっていたり、おかしくて気持ちが悪い状態っていうことにも、気づいた。
実家に帰ると「何か違和感ある、感覚的に、なんだか気持ち悪いし居心地悪い」って思っていたから、この感覚は、あたってたんだな~って、今なら思える。
昨日までなら気づかなかったことが、気づけるようになってきてる。成長してるよ!


文節区切りの線

ワークショップ・クラスが終わるまで、「私の今までいた環境が悪くて、私の家には問題ないんじゃないかな・・・」って、本気で思ってたけど、家で何かが起きている、何かが起こってしまっているから、外で共依存者に囲まれるんだよ、巻き込まれるんだよって、今は思う。
ちゃんと、私が今まで見てきた事実を見て!! 私の主観で、物事を考えて!! 練習しよう。私が共依存者で、私の家は機能不全家族っていうことが分かったこと、すごいよ! 進歩したよ私!
ワークショップ・クラスに思い切って参加して、本当によかった。


文節区切りの線

私にはまだ、自分に何が起こっているのか、私の家では何が起きているのか、何に巻き込まれてるのか、全然わからない。まだ表面だけを撫でてる感じ。
これから次のワークまでの空いた期間で、ONSA で勧められている本をしっかり読みこんで、お金をためて、次につなげようと思います。
私には時間がない、時間を無駄にできないってわかった。

私の問題は、自分で思っているより根が深いみたい。そのことを、本当にわかる時が来ると思うから、今はわからないけど、その時に備えて、今できることをちゃんと一つずつしようと思います。
周りの空気に流されないでね、私。

私には、周りを気にしてる暇なんてない。この問題は、本気で、私だけの問題じゃない。何年っていう単位で時間がかかる問題だけど、しっかり解決させなきゃ。計画を立てなくちゃ。
私のこの共依存問題に、私は全力で、私の時間を注ぎ込みます。
ワークショップ・クラスでご一緒させていただいた皆さん、優月さん、ありがとうございました。勇気出してよかったです。次もよろしくお願いします。




タイトルはじまり目印

A. T. さん(30代/東京都よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


今回の「境界線ワークショップ」、本当に参加できて良かったです。

一番ショッキングだったのは、境界線問題とは、つまるところ「自分がない」と言われたこと。
私はこれまでずっと自分をしっかりと持っていると思っていたし逆に自分のことを意識しすぎている(自意識過剰)な所があると思っていたから「自分がない」と言われたことはすごくショックで恐ろしくなってしまった。
私が一番恐れていた NG ワードを言われような、秘密にしていたことがバレてしまったような、そんな感覚になった。


文節区切りの線

今思うと、私のこれまでの人生は「自分がない」と指摘されることをずっと恐れて、それがバレないように行動してきたように思う。

なんで私は自分があるように振る舞い続けて来たんだろう?
なんで強い自分を見せなきゃいけなかったんだろう?
何から私を守ってきたんだろう?
すべて自分の選んだ選択だと信じたかった理由って何だろう?

たぶん、こう思う。

幼い私。本当は自分を持ちたかった、表現したかった。
でもそれが許されなかったし、認めて貰えなかったから、親から認めてもらえそうな価値や基準を手っ取り早く自分の中に取り入れて認めてもらうしかなかった。
それを自分と信じていたけど、心は嘘をつけなくて、ずっと苦しいままだった。だから逆らいもした。
どこかでアンバランスを感じながらも、認めてもらえないよりはマシだったから他人の価値や基準を自分のものとして生き続けた。
自分を強くみせることで(実際は強いわけではないのに)自分さえも欺いていたのは、弱くて、傷つきやすくて、辛い気持ちから目をそらしたかったから。

「自分がない」と認めてしまえば、私は一体誰なのよ? って話になってしまう。
自分であることも認めてもらえず、今のあなたも自分がないのよと言われてしまったら、どこに私の居場所があるんだろう?

「どうせ私は受け入れられない」ということを認めるのが辛かったんだ。
自分の存在そのものを脅かしかねないこの言葉を恐れていたんだと思う。

「自分がない」というこの言葉、今年2月に参加した「インナーチャイルド・ワークショップ」でも言われた気がする。この時と今と、また受け止め方が違った。
あの時はただ傷ついた自分を感じていた。
今は現実的に問題の中を見られるようになってきた感じ。

最近、この辛い事実を違う意味で受け入れられるようになったのは、前よりも自分で自分を守れると信じられたからだと思う。
それでも、優月さんに「自分がない」と言われるまで自分で気がつかなかったことに、この問題の根深さを再認識したし、ナメてかかってはいけないという理由が分かった気がする。


文節区切りの線

自分はこれこれこういう性格と思っているものは処世術だったということにも驚いた。
TEG の結果、私の処世術は「A」 「AC」が高い。(*「A」「AC」は交流分析の用語、以下同じ/編集注)
優月さんの説明であった「A」(嘘っ子大人)というのは、なるほどうなずけた。
他人の価値や基準にいちいち左右され振り回されてしまうことは、自分の中では大人的対処法だと思ってきたから。
その裏で2番目に「AC」(順応した子ども)が高いのも納得できる。

私は小さい頃から「大人になりなさい」と求められてきた。この前、家に遊びにきた母が「あなた達が小さい頃は早く大人になってくれないかな、と思いながら育ててきた」と言っていた。
そうか、やっぱり。そうなんだな。
私はそんな母の希望に無理して答えた結果、「AC」(順応した子ども)が高くて、「A」(嘘っ子大人)という処世術を身につけたんだと思った。


文節区切りの線

帰りの電車では、とにかく優月さんが言ってた事を忘れないように猛スピードで携帯にメモをとった。

焦らない、大道をしっかり行く、一歩一歩。
ずるっこしない、気持ちだけは18歳のつもりで、堅くなっている頭に注意する、人の話を聞く、近道はしない、すぐに外に答えを求めない、一発逆転はない。

まずは今日、ここにこられただけで OK。
境界線の概念を理解できたで OK。
もうできた、もっとうまくできたはず、とか出来るようになったと勘違いしないこと。
小さい事から取り組んでいくこと。

覚えていないとすぐに忘れてしまう。
すぐに自分を責めようとしたり、出来ていると勘違いして自分の限界を越えた決断をしようとする。
今回、本当に学んだこと、それは「自分には限界がある」ということ。
自分が思っている以上に、自分が今できることは小さいこと。
それは自分がダメだからじゃなくて、キャパが狭いからとかでもなくて、自分に優しいってことなんだと思った。
そして、モヤモヤしたらチェアワーク!

頭の中の95%は無意識で、その中には7世代前までの筋金入りの処世術がインプットされているらしい。
だったら、そんな頭で考えたってグルグルから抜け出せないわけだ。今回この知識も自分の中で大きな助けになった。
だから、チェアワークで「今、ここ」に戻ること。すごく大切だ。

私は昔のパターンに陥る事を恐れすぎているらしい。
そんな私にはチェアワークがピッタリだと思った。まだうまく出来ないんだけど、どんどんやろうと思う。


文節区切りの線

ワークショップ・クラスを終えて日常に戻ってから「今、ここ」を感じられる瞬間があった。
それは線路沿いの公園の緑の中を自転車で駆け抜けた時。
日光に照らされた木々の葉の緑のまぶしさと、ざわめきと、鳥のさえずりと、体いっぱいに感じる風。
ただそれを感じていた時、私は過去でも、未来でもなくて、今、ここ。一瞬の中にいると感じた。

私は小さい頃から自然の中で過ごすことが大好きだった。それはきっと、子どもの頃の私は「今、ここ」を感じられることを本能的に選んでしていたんではないかなと思った。
子どもの頃の私のほうが自分のための暇つぶしが上手だったんだなって(笑)。


文節区切りの線

感謝のワークの大切さ。

自分の境界線をもって目の前の共依存者をかわすことも大切だけど、世の中の75%が何らかの家族問題を抱えた共依存者だとしたら、かわすのにきりがない。
「境界線ワークショップ」で何度も言っていた「相手ではなくて自分」という言葉。

すべては自分なんだな。共依存をかわすだけではなくて幸せを選択するのも自分なんだって。
誰かの感謝を率先して受け取るなんてしてこなかった。謙遜するのが日本人だとも思っていたし。謙遜する文化だって。

そのうえ育った家庭でも好意を受け取ることは借りを作ることだと教わったから、なおさら受け取るのすごく下手。
感謝のワーク、なんどやっても「堅いなぁ~」って言われて、自分では「そうかなぁ?? 結構いい線いってたと思うけど・・・」なんて感じていたけど、何度も何度もやるうちに「ああ、なんとなくそういうことか。もっと素直に喜んでもいいんだな」って感じられた。


文節区切りの線

このワークショップ・クラスでは何度も何度も「自分」を意識させられた。
自分では分からないうちに嘘っ子大人になってる時もあった。
かなり集中しないと嘘っ子大人が顔をだしてしまうから、何度もお引き取り願った。
そうしていくうちに感じられる、やっぱり全部、自分なんだな。ということ。

相手は関係ないってこと=孤独になる じゃなかった。

自分に優しく、自分の為の選択をしても大丈夫な気がする。

だって、私は本当にもういい大人なんだから。
両親がいなければ生きていけないような不利な立場ではない。
自分の為に生きても存在できる世界。あるのかもしれない。そんな世界があるなんて知らなかったな。
機能不全家族で共依存にどっぷり浸かっていたからね。37年モノだよ。
いつか、自分と世界と仲直りしたい。


文節区切りの線

夢を叶えること。

私にはまだ遠い遠い未来のことのように思える。
今は自分の回復だけで精一杯だから。
だけど、夢がないということに焦りだって感じている。

私は主婦をしている。かなり重労働だし、年中無休。
旦那さんだってそのことを理解してくれている。
だけど旦那さんと私が対等であるとは思っていない。
主婦としての仕事は大変であっても、お金を稼いでいないことが自信につながらない。
そう、まるでボランティア活動。

だったら、私がしたいことはこれじゃないってことなのかな?
特にかっこいいものではなくて、世の中的に周りから評価されるものでもなく、長続きして、苦にならないもの・・・なんだろう???
自分が自分を食べさせていくために必要なこと見つけたい。
年金だって崩壊するなって聞いたら恐ろしくて焦って仕事探さなきゃって思う自分もいた。
いやいや、待って。まだ早いよ。
小さなことからコツコツだ。


文節区切りの線

世の中に存在する2つの時間、
「他人のための暇つぶし」と「自分のための暇つぶし」。

時間(の使い方)にはこの2つしかないらしい。
これまでの人生は他人のための暇つぶしばかりだった。
過去も現在も未来も他人のために空けてあった。それが当たり前だった。今思うとゾッとする。
今は、そのことに気がついたから、よし! だ。
いかに自分のための暇つぶしをするか、そこの勝負。

私はすでに結婚、出産と人生のビックイベントを自分の問題は放置したままで決定してしまった。
このことは変えようのない事実で、そこにフォーカスしてもどうしようもない。
身動きがとれない分、自分が共依存のいう病気から回復するためには根気と時間がいっぱいいるということを覚悟しないといけない。
もう若くはないから、限られた時間を迷いなく自分の為の暇つぶしに使いたい。
若い子が羨ましい。これからの人生に選択がいっぱいあるから。自分が問題を放置してきたことも悔やまれる。

でも、今気づけたから OK! それでいいんだよ。
知らずに死んでいく人だって沢山いるのだから。
残りの人生は自分のために生きてやるぞって気持ち。


文節区切りの線

この回復の道の途中で崩壊することがまだまだあると思う。
先週の私は崩壊を経験して、どうにかなってしまうんじゃないかと思うほど辛く苦しい時間を過ごしていた。
またあんな思いをするのかと思うと嫌だけど、あの崩壊とパニックを経験したことで必要なものが見えてきた。
だから必然だったんだって今は思う。

自分に「大丈夫だよ」って何度も言いたい。
ONSA WORKSHOP 、カウンセラー、チェアワーク。
今回のことを通して安全な場所が確保された。
もう1人でグルグルしなくて大丈夫。

自分の問題を問題として捉えられるようになった。
そうしたら、生まれて初めて「苦しいから助けてほしい」と言えた。
私、えらかったな。勇気だした。一歩踏み出した。
不思議とひとりじゃないっていう感覚が戻りはじめた。
だから大丈夫。


文節区切りの線

今日は2回目のカウンセリングの日だった。
先週一週間を振り返って自分の中で感じたことを話している時、また嘘っ子大人をやってる瞬間があった。
それと相手に認めて欲しいという気持ち。
私が理解したことを焦りながら説明している自分がいた。

自分に正直になることが大事。
間違えたって大丈夫。思い違いはあることだし、それを責めたりする人はいないから。
自分が知ってる以上に分かっているフリをしないこと。
それは自分の為にはならない。
カウンセリングも WORKSHOP もテストじゃないから、分からなくて OK なんだ。
分からないって思っている感情って実はすごく大切な気がする。その裏に答えが隠れているような気がしたから。

できない自分、分からない自分を OK とすること!
そこから始めること。

分かったフリは本当に自分のためにはならない。
私には限界がある。そして出来ることは毎日ほんの少し。
限られた時間を無駄にはしたくない。
だから自分に正直になること。
そして、落ち着いて! 焦らないで!
このことを毎日忘れないようにしたい。


文節区切りの線

「境界線ワークショップ」に参加した皆さま。
本当に本当にたくさんの気づきをありがとうございました!

そして、ペアを組んでくださったお二方。
お2人共、雰囲気が優しかったのでリラックスしてワークができました。
ペアを組むことができて良かったです。
ありがとうございました!

そして優月さん、ONSA STAFF の皆さん、
今回のワークショップ・クラスでは色々とご迷惑をおかけしました。
申込したことに後悔した日もありましたが参加できて良かったです。

先週までは死んだような日々を過ごしていましたが、優月さんに会ってもの凄いパワーと勇気をもらいました。
境界線の知識は本当に目からウロコのモノばかりでした!
すばらしいワークショップ・クラスをありがとうございました。
すべてに感謝しています!!

今回のワークショップ・クラス、本当に一人一人は違うのだなと実感しました。
これまでの人生、そういう一人一人にあわせようとして生きてきたのなら、うまくゆかないのも無理はないなと改めて思いました。
それなら自分に価値を置いて生きたほうがよっぽど現実的で安心なんですよね。

このワークショップ・クラスで、皆さんのひたむきな姿勢にたくさんの勇気と力をもらいました。
私はこのワークショップ・クラスに参加できてラッキーでした。

それぞれ住む場所も、抱えている悩みも違いますが、同じ空の下でそれぞれの人生を生きている皆さんの幸せを祈っています。

どうかくれぐれもお身体ご自愛ください。

ありがとうございました!




タイトルはじまり目印

Y. O. さん(30代/和歌山県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


藤沢さん、きいちごクラスの皆さん、先日はお世話になりありがとうございました。

「境界線ワークショップ」はいつかは受けてみたいと思っていましたが、難しそうで躊躇していたのですが、現在受講している Web. WORKSHOP を続けてゆきたい気持ちがあり、時期を考えるより今やってみようと思い参加を決めました。

私には Web. WORKSHOP との並行は難しかったのか思うようにプレワークに向き合う時間を取れなかったり、先週の仕事が気の重いものが多かったり、何となく落ち着かないままワークショップ・クラス当日を迎えてしまいました。
ワークショップ・クラス中もどこかぼんやりとしてしまって、すべてを活かしきれなかった気持ちもありますがとりあえず、無事に参加できたことを良かったと思っています。

そして内容も私にはボリュームがあって難しく藤沢さんのレクチャーが全て頭に入りきらなかったのですが、それでもレクチャー中に感情が動くのを感じられたことは参加できたことに意味があったのじゃないかと思っています。
藤沢さんが夢を持つことについてのお話をされている時、何か胸に迫るものがありました。

また今回のワークショップ・クラスへの参加が2回目以降の方からの感想を聞くことができ、一回ですべて理解ができなくても大丈夫と思えたことや、その後の変化についてお話を頂けたことで少し希望が持てました。
今の私にとって希望が持てるということがすごく大切なことのように思います。


文節区切りの線

「AC」が最高値であることにショックを受けていたのですが、グラフをなだらかにすることと問題が解決することは違うということを聞いてそれは問題を知るためのものなのだと思えました。 (*「AC」は交流分析の用語/編集注)
また、性格と処世術は違うというお話だったので実際の私の性格はどんなものなのか知りたいと思いました。

幼い頃の処世術、ずっと我慢していたらここから救われるのだと根本ではまだ信じ込んでいるのだと思うと悲しくなりました。
冷静に考えて辛い思いを我慢していれば、我慢すれば上手くいくなんて思えないです。
周りから教わり、身に付けた処世術以外の方法を私がもっているのか、大人の私で対処していけるのかまだちょっと不安です。

相手に境界線を伝えるワークでは練習を通じてペアを組んでくださった方の境界線を感じることができました。
冷静に境界線を伝えるということがどういうことなのか少し感覚を感じることができました。
私自身は三段階を調節するのが難しかったです。何となく力がこもって語尾が強くなってしまいがちだったように思います。

最後の感謝を伝えるワークでは日頃、人からもらうありがとうの言葉に無自覚すぎてきちんと心を込めて受け取れていなかったことに気づきました。
受け取ってもらえると嬉しいから自分もそうできるようになりたいと思います。

最近、職場でのストレスがひどく、感情が爆発しないかと不安になることがあるのですがワーク中にお話のあった境界線を侵犯してくる相手と組み合わない、という言葉を心に念じて過ごしています。

帰りに藤沢さんにお話を頂いた際の会話を通じて私はまだ自分の感覚を信じることを良しとしていないのだなと実感しました。
気が進まないのならそれが私の感じていることで一つの判断にしてよいのに、それでいいのかと迷ってしまう。

カウンセラーを探す労力や対面して自分の問題を人に話すエネルギーを考えるとしり込みしてしまう気持ちがあって勇気がでないというか億劫になっていましたができるかどうかわからない・・・という思いで立ち止まってしまわないでトライ&エラーにチャレンジすることをもう少し気持ちを楽に臨めたらと思います。
今回もいろいろな気付きを頂くことができました。ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. Y. さん(30代/東京都よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


きいちごクラスのみなさん、いかがお過ごしですか?

今回の対面式ワークショップ。私にとっては、とても自分に集中できた回ではないかと思いました。
正直、生理1日目による、体調の崩れや、1日無事過ごせるかという不安などで、緊張したり、呼吸が浅くなったりで、意識が遠くにいってしまいそうな瞬間が何度かありました。
過去に起きたことがまた起こるのではないかとグルグルしていたんだと思います。

もしかすると、そんな自分の状態を認めてしまうと、本当にそうなってしまう事にも恐れがあったかもしれません。
自分のなかで、そんな事は起きてないと言わんばかりに、ワークショップ・クラスを受けていました。自分の事を、隠していました。

私、自分の体調について、人に何を言っていいのかわからないんです。言うタイミングも、言わないでいいのかも、言ったらいいのかも、さっぱりわからない。
これから、取り組む課題のひとつだなぁと、改めて今回思いました。

こんな事を書いていると、前言に信憑性がなくなってしまいそうですが、ギリギリの気持ちだからこそ、周りに注意する余裕がない結果、少ない自分のエネルギーを自分に集中する事に優先できたのではないかと思いました。
もう、あの日は、自分の事で精一杯でした。


文節区切りの線

前回参加したときは、仕事していませんでした。
今回は、仕事を始めてから、初めての「境界線ワークショップ」。
優月さんの話を聞いていると、とても日常にリンクする部分があって、境界線と私の日常がこんなにも密接なんだと納得しました。

・「過去に覚えた処世術」で、今この現実に起きている問題に対処しようとしている。

今回、この事に関して大きな理解を一歩進められた気がしました。
そして、それは私にとってどんな処世術なんだろう。と、自分の事として受け止められた気がします。

前回の私は、「ふ~ん」と、どこか他人事で、「私は上手くやってるもん」なんて思ってたように感じます。
今回は、私がどんな行動を普段していて、それのどこが「うまくいかない処世術」なのか気づけたし、なにより、受け入れる事ができた気がします。
そして、他にどんな処世術が私の中にあるんだろうと、興味もわきました。

同時に、この事に理解が深まったからこそ、

・問題は、目の前にいる相手ではなく、「自分」

という事が、前より理解できたのだと思いました。
これまでなら、「そうはいっても、そんなのきれいごとだよ。」とか、「そんなの納得いかない、私が悪いって言うの?」「ずるいよ! わたしは、何も悪くないもん!」という声が私の中に、渦巻いていました。
今回は、「そうか、そうだよね」と、冷静にこの事を受け入れる事ができました。

ひとつの理解をきっかけに、今まで別々だと思っていた事がつながったり、別の事への理解にも影響が与えられた気がしました。

目の前の相手によって反応しているのは、私の中にある過去。
目の前の相手とは関係ない。

何度聞いても理解できなかったこの事が、「そうか!」と思えたことに、自分の成長を感じました。


文節区切りの線

それから、「A」についての理解にも、きらっと光る希望を持てました。(*「A」は交流分析の用語、以下同じ/編集注)
私の理解の中で、「A」は、自分がもともと持っているもの。
本来持っている力。
もうすでにあるもの。

まだ確信まではいってないし、あくまで、私が「ハッ」っとひらめきで思った事なのですが。
もしかしたら、これが、

「みんな、もうすでに持っている。」

「外側に何かを身につけようとしなくとも、すでに全て持っている。」

という事なのかもしれないと、思いました。
今、現時点での私の理解です。

そして、もし、そうだとしたら、
「私がこれまで想像してた事と全然違う~!! こんなとこに落ちてたのか~、このヒント! そりゃ気づけないわ~。」と思いました。
右ばっかり見てたら、実は左側の目の前にあった。
みたいな感覚です(笑)。

そして、そうであるとしたら、もう自分が持っている事を、このワークショップ・クラスで体験できている!
そう思って、心が「キラン!」となりました。


文節区切りの線

帰り際、優月さんからいただいたアドバイス。
これまでの私の道のりに、励ましをもらいながら、「で、同時にね、私は、社会に出ていないときは、(ワークショップの参加回数)カウントしてないからね。」
というような内容を言われた瞬間、無防備だった自分に軽くジャブを入れられた気がして、一瞬で涙が出てきそうになりました。
私は、その涙をこらえるのに、そして、言葉を受け取るのに必死で、その言われた内容を優月さんに確認するまでもなく、「なんとなく理解」のまま、その場を立ち去りました。
ホームに向かう途中に、何度も乗り降りするエスカレーターを移動しながら、徐々に冷静さを取り戻しました。

アドバイスを言われた瞬間、自分が何を感じていたのか思い返しました。
私は、これまでの私を否定されていると感じていました。
これまでの全てのワークショップへの参加が、無駄だったの? そうゆう事?
そもそも、働いてなかった私って、そうとうダメだったって事? 恥ずかしい!
わたしが甘く考えているの、見抜かれた! バレないようにしてたのに(笑)!

同時に、わたしは、優月さんに認めてもらう事、褒めてもらうを求めている事にも気づきました。
こんな風に言ってほしかった。
これくらい褒めてほしかった。

そして思いました。
そっか、そうだよね、わたし、それだけがんばってきたんだよね、これまで。
それだけの分、わたしは、私を認めてなかったなぁ、と思いました。
わたしが、優月さんに対して求めていた、承認。それは、質、量、共に私が私にする必要のある事だと思いました。

そのあと何度も、優月さんからの言葉を、自分の納得いくまで咀嚼しました。
優月さんは、これまでの私の道のりを認めてくれていた。そう感じなかったのは、私が私を認めてなかったからかもしれない。
そして、あの時の言葉には、「i-message」も「yes, and」も含まれてたなぁ。と感心とともに、実生活でも本当に使うんだという、体験を感じながらも、なお衝撃が高いのはなんでだろうと思いました。
それは、「肯定的な NO」だったのかもしれないと思いました。

耳が痛い。けど、私のためになる言葉。
これを聞くのになれていないから、衝撃度が大きかったのかもしれません。


文節区切りの線

優月さんのアドバイスは、数日の日にちを経るうちに、
私の中でゆっくり波紋を作り、じわじわと気持ちが変化していくような気がしました。
やがて、「よし、またここからスタートだ。」と、自分が立ち上がるのを目の当たりにし、自分の頼もしさを感じ、これまでにない早い立ち直りに、自分の成長も感じました。

今後の私の歩む道を選択するサポートをしてくれた事、感謝します。

私は、これからも、歩き続けます。
より、自分が持つ賢さを活かして、回復の道を選びたいと思います。

優月さん、ワークショップ・クラスを支えてくださっているスタッフの皆様、そして、きいちごクラスの皆様。

今回(も)みなさんと、過ごせた時間は、かけがいのない私の財産です。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


7日前の今。
私は私の境界線を取り戻すためにワークショップ・クラス会場に足を踏み入れました。

2回目の「境界線ワークショップ」。
1回目を受けてからちょうど1年と2か月。

1回目のワークショップ・クラスで、自分の境界線が透明で出入り自由だったと気づきました。
親との関係性を基本に、家を一歩出た社会でも親と同じように対処していたと気づくこともできました。

今回のワークショップ・クラスで知識を受け取りながら、私は自分の境界線や人との関係性について1回目よりも気づきが深まっていると実感しました。
と同時に、1年前にワークショップ・クラスを受けたからといって一足飛びに「できる」ようにはならないんだ・・・と感じました。
正直ちょっとショックでした。
1年前の私と比べて、境界線を保ちつつ生活できている、そう思っていました。
確かにそう思えるんだけれど・・・
それ以上に私にしみついた習慣は、とてつもなく手ごわいということを強烈に感じたからです。

「知ればできる」「受ければ変わる」「やればできる」
私の中にあるインスタントな思考です。
1回参加すれば、できるようになる。
1回受ければ、変われる。
そんな生やさしいものじゃない・・・そう痛感しました。

私は、
~ 自分さえガマンすれば・私が何とかしなければ・私がお世話しないと ~
この処世術で生きている。
だから、それに見合う相手を引き寄せてしまう。
そして、処世術を使って生きてきた年数分、無意識に反射的に反応してしまう。
このことを再確認することができました。

ワークショップ・クラスを終え、火曜日までは調子よく過ごしていました。
今回、クレンジングリアクションはないのかなと思っていたくらいです。
がしかし、水曜日から強烈に身体に出てきました。
仕事を早退し、寝る・寝る・寝る。

そして今日になって分かりました。
私は本当に頑張っていたことを。
私の一部どころか全部にまでしみついている処世術。
そして引き寄せてしまう相手。
そんな中、境界線を保とう・自分を守ろうと、無意識に身体に力を入れて戦っていたことを。
戦ってたから、こんなに疲れてしまったんだ。
そう思いました。

あらためて自分と約束します。私は、チェアワークをやり続けます。
そして、大人の私で対処します。
コツコツコツコツ、時間をかけて私の境界線を取り戻していきます。

優月さん、今回も本当にお世話になりました。
自分自身に向き合うことができました。
ご一緒したワークショップ・クラスのみなさん、同じテーマで集えたこと、共に取り組めたこと。
一人じゃないと感じることができました。
優月さんとみなさんに心から感謝しています。

そして今回も、ワークショップ・クラスに参加した私自身に感謝!!




タイトルはじまり目印

Y. S. さん(30代/大阪府よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


「境界線ワークショップ」を終えたばかりなのに、今一番思うのは、「『境界線ワークショップ』、受けないと!!!」です。
今まで見えていなかった、自分の境界線の薄さに、より目がいくようになりました。
自分の境界線の中にどれだけたくさんの人がいるのかも、以前よりずっとわかるようになりました。

もし、私の境界線の中から、他人がいなくなったら・・・きっと、私の人生は変わります。

今は、境界線の中にたくさんの人がいて、私は、時間や自分を消費しています。
以前なら、わからなかったけど、今はわかります。
わかる状態にしてくれて、ありがとうございます。
もう遅いかもしれない、でも、私はやり続けます。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. N. さん(30代/千葉県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


こんにちは。

まず、優月さん、ONSA の皆様、お世話になりました。
ワークショップ・クラスでご一緒した皆様、ありがとうございました。
心より御礼申し上げます。


今回、また新たな気付きを得ました。
自分では弱味を見せまいとして外側を繕ってるつもりが、実際には95%の非言語メッセージで「私はここに自信がないですよ」とふれ廻っているようなものだということに驚きました。

以前は一歩家の外に出たら、まるで戦場にいるかのような緊張感で過ごしていました。
でも、気を張ってばかりでは自分に無理をさせ続けることになり、結局体調を大きく崩し、気を張ることすら出来なくなりました。

今まで「これをやらないと外に出て格好悪く見られたり、誰かに攻撃をされる」と思って続けていた努力の数々が出来ず、自分としてはあり得ない格好で外に出ることになり、とても恥ずかしかったり辛かったりしました。

しかし、その経験がありのままでいることを教えてくれました。
出来ないときは仕方がないと自分を受け入れることも大事だし、それでも何も持たない私を受け入れてくれる人もいるんだと知り、とてもありがたく思えました。

自分を受け入れられない時期を経て、今は少しだけ生きやすいし、他人から攻撃を受けても、そういう人もいるけれど、自分はこのままで大丈夫なんだとも思えます。
他人を OK と思う前に、まず自分を OK と思うこと、そこが揺らがなければ、後はなんとかなります。


文節区切りの線

私は「境界線ワークショップ」を受けるまで、

誰かの面倒をみること=社会に認められた、誰かの役に立つ大人の私

と思っていましたが、それは共依存の人が陥りやすい関係で、本当は、

誰かの面倒をみること=「脆くて崩れそうな私の価値」を底上げする根拠にはならない

という事実、とても重たく受け止めました。

私は私自身の手でしか救えない。
そしてそのプロセスは決して短縮できるものではない。

重い現実だけれど、受け止めないと前に進めません。


以前にも書きましたが、ロールプレイで相手の言われたくない言葉を言う側も、相当のエネルギーを使います。
現実でも多分、上手くいかない相手も、自分との関係が近いほど、負のエネルギーを傾けているのではないかと感じました。

だからこそ、放置したままでは、お互いに幸せになれない。
深みに嵌まって動けなくなる前に対処することは、単に私の幸せを追求するだけに留まらず、周囲の不適切な関係を在るべき位置に戻すことにもなる、そう信じます。


文節区切りの線

今回、私は「境界線ワークショップ」2回目でした。
1回目は周囲で何かと煩わしいことがあり、家族とも時々意見がぶつかって、とても生きにくいように感じていました。
その2年後に受けた今回の「境界線ワークショップ」ですが、今の私の状況としては、家族との諍いが殆どなくなっています。

火種になりそうな話も、自分の心の中で咀嚼(そしゃく)してから話すようになったり、相手と意見が合わない時にも、諦めずに互いの妥協点を探したりしているうちに、知人から「Aさんの所って夫婦喧嘩無さそうだよね~」と言われて、そういえば最後に卓袱台返しやったのいつだっけというくらい、派手な諍いから遠ざかっていました。

伝えたいことを伝えた上で、これからのことを落ち着いて話し合うことが出来るようになっていました。
まぁ、全ての人とうまくいくという意味ではないのですが、大事な人とはうまくいっています。

ちなみに家族からは、2年前に比べて体調が安定してきたと言われました。
昨年末から今のところ風邪も長引かず、以前、「身体のワークショップ」で「風邪を引くのは精神が混乱しているから」と習ったことと照らし合わせると、ワークショップ・クラスで学んだ後、心の平和を望み、自分との時間を大事にするようになったから、心も体調も安定したのかなと思います。


最後に、ペアになって下さった方に。
私達、似たような言葉が苦手だったようで、正直、言うのは良心が咎めました。
でも、遠慮するのはお互いの為にならないと思い直して、務めさせて貰いました。
ワークショップ・クラスが終わった後、お疲れさまの挨拶しか出来ませんでしたが、私から見たら、とても素敵な方だと思いました。
これから、笑顔の溢れる未来に進まれますよう、お祈りしています。

ご一緒して戴き、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

C. N. さん(40代以上/愛知県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


先週末、バウンダリーの対面式ワークショップに参加しました。
正直、混乱しています。

40代にして全く、自分の事をわかっていなかったのだろうか??
エゴグラムでは「FC」 が一番高かったです。(*「FC」は交流分析の用語/編集注)
問題があると逃げ出すタイプだということです。

他人の事はあまり気にならないし、
マイペースすぎるぐらいだと思っていたけれど。
20年働いてきて転職を一回もしていないし、上司などから、ねばり強いと言われたこともあるので、逃げ出している自覚は全くなかった。
むしろ、より幸せな暮らしを目指して、自分の好きな事を仕事にするべきではと思っているぐらい。

やはり、40代は気づきが遅すぎるのかなと考えてはいけないことをつい思ってしまいますが、知らないまま一生を終える方もたくさんいらっしゃるということなので、よしとします。


文節区切りの線

両親は完全にバウンダリーが壊れている人たちだったからだとわかったけれど、もう十分すぎるほど私は大人だし、一人暮らしをして、経済的にも独立しており、仕事も以前は毎日最終電車の生活だった事もあったけれど、今は余裕があるので、自分の好きな事を詰め込みすぎなぐらいしています。
そのため、今が一番幸せだと実感しているし、もっと周りに感謝しなきゃって思っていました。
両親には親孝行のためにはもっと会った方がよいのかもと思ったりもしますが、今は自分の時間を優先させちゃっている気がします。

でも、私は立派な重症な共依存ということでした。
対面式ワークショップは再訓練のためのワークショップ・クラスなので、対面式ワークショップではなく、セラピーが必要なほど重症だということでした。

それは、私が一番に社会的境界線を守っていないからです。
もっと、端的にいうと不倫をしているからです。
それだけじゃないのかもしれないけれど、それが一番だよと言われたと感じました。


文節区切りの線

はっきりいって、私は甘くとらえていたのかもしれないです。
私も最初は不倫なんてありえない、弱い人がすることだと思っていました。
しかし、事故にあったように恋に落ち、たぶん生まれ変わっても同じ状況でバウンダリーをしらなかったら、同じ事をするのではと思います。
意外に周りにも多いってわかったのも影響しているかもしれません。

今は、年月もたち、恋に落ちたときのような熱も完全に冷め、お互いに忙しいし、お互い様でたまに付き合っているぐらいなので、別れてもいいけれど、わざわざ別れるのが面倒ぐらいに思っていました。

最初から、経済的にも完全に独立しているし、私も相手の生活を脅かす気は全くないし、彼との結婚は望んでいないので、万が一法律的に何かあっても、責任はフィフティ・フィフティだと思っていました。

でも、そういう問題じゃないのかもしれない。
私は、それで自分の人生の大事な時代を棒にふったのだし。

でも、今考えてもそれではあの時どうしたらよかったのかわからない。
仕事でものすごく辛かった時に相談にのってもらったため、彼がいなかったら乗り切れなかっただろうと思う。
親より、私の事をわかってくれているため心の支えになっていたのも事実。
彼と出会って命拾いしたと思っていた。

でも、もうお互い十分すぎるほど大人だし、自分が自分の事を考えるしかないってわかったし、今はつきあっているともいえないぐらいしか会ってないので、別れてもやっていけると思っているけれど、実際に完全に別れていないってことはやはり共依存なのかな。
別れることは自分にとって、ちゃぶ台返しにあたるのかな。

知っている友達も知らないふりをしてくれている人たちも別れなさいってはっきり言わないのは、自分の人生ではないからで、当たり前だと思っていたけれど、誰もN0と言ってくれない事をもう一度自覚する必要があると感じた。
今回、優月さんがはっきりN0って敢えて言ってくれたんだと感じました。


文節区切りの線

「境界線ワークショップ」でペアになった方に言われたら一番ショックな事を言ってもらうのですが、私は思い付けませんでした。
そのため、「あなたなんていてもいなくてもいい」っていってもらいなさいとアドバイスをもらいました。

これはこういう扱いを受けていた事と同じことなのでしょうか?
周りに実際に言われたこともないし、そこまでの事を思われていると実感したことは一回もないけれど、自分がそう思っていたのかもと思いあたりました。

もう一回、生まれ変わったら1からやり直したいなって思っていたからです。
このように考える事は優月さんの意図とは違っているかもしれません。

チェアワークを今回きちんと教えていただきました。
仕事もつい、根を詰めてトイレに行くことも忘れてしまっているぐらいなので、ぜひやりたいと思っています。

何だかだらだらとわけのわからない事を書いてしまって、すいません。
悪い例としてでも参考になれば読んでくださった意味があるかもぐらいに思って頂けると助かります。
私は40代にしてよくわかっていないのかもしれないので、まずは本で勉強したいと思っていますが、それでは到底追いつかなくて一刻も早くセラピーをさがすべきなのかもしれません。
ただ、わけがわからなくなってしまったのと、やりたい事の予定をこなしたいので、セラピーを探す気にまだなれていません。

最後に優月さんに実際にお会いできてとてもうれしかったです。
一緒にワークショップ・クラスを受けられた方にも感謝です。ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

H. M. さん(30代/広島県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


参加させていただいて本当にありがとうございました。行ってよかったです。本当に。

自分だけの為に一日丸々使うなんて、いつぶりだろう、と思うくらい久しぶりの一人でした。
飛行機に乗って、身軽に(おむつや着替えやおもちゃを持たずに)動き回れるなんて。
ママでも妻でもなくて、「私」でいられるなんて。
おっぱいを我慢して保育園に行った9か月の息子、パパと二人で過ごした4歳の娘、そして何より「行って来れば」と快諾し子どもの世話をしてくれた夫のお陰で素敵な時間が過ごせました。
こんなにも理解ある夫なのに、日ごろ小さなことでイライラしてあたってしまって申し訳ないと素直に思いました。


文節区切りの線

会場に向かうまでは就職の面接を受けるような気分でドキドキしていましたが、ワークショップ・クラスが始まると、ドキドキを感じている暇もないくらいあっという間に時間が過ぎました。
初めての受講の為、見ること聞くことすべて新しく、前半が終わった時は頭がパンパンで、あと半分持つかな、と不安になりましたが、無事受けられて良かったです。
理解する、というところまでは出来ていないですが、その場のパワー、雰囲気に身を置けたというだけで、私としてはまずは上出来です。

後半のワークは、苦しくて、正直早く終わらないかな、と思いましたが、色々と気づく点がありました。
言われて傷つく言葉を言ってくれたペアの方は、まるで私自身を見ているように見えてビックリしました。
今まで言われて嫌だと思っていましたが、私が相手を追い詰め、私が相手に言わせていたのかもしれません。

ワークショップ・クラス全体を通して感じたことは、私は、境界線を引くことに自信が持てない、ということです。
それはつまり、自分の感情や判断に自信が持てない、ということであり、結局のところ、「自分が無い」という現状に行きつくのです。共依存から回復しなくちゃ、と深く思いました。

それから、「大人」について。
年齢的には十分いい大人なのですが、大人になりきれていない自分がいます。
いつも誰かに判断を委ね、あの人がこう言っていたから私はこうしたんだ、と誰かのせいにしてしまう、嫌な自分、自分に責任を持てない子どもの自分です。
大人にならないと、とは思うのですが、大人になりたいとは正直思えないのです。
小さい頃から大人になりたくない思いがありました。それこそが私の問題で、自分のルーツと向き合う必要があるのだと感じました。

最後に、当日お会いしたみなさん、本当に有難うございました。
一緒にワークが出来て良かったです。「仲間」がいるっていいなぁと思いました。




タイトルはじまり目印

R. E. さん(30代/神奈川県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


優月さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

1週間が過ぎ、とにかく疲れています。
7月から新しい部署での仕事が始まり、作業には慣れていない中での疲れと、心の中がグルグルしている感じの両方で、とにかくゆっくり休みたいとしか思えないところです。

去年、「身体のワークショップ」に出た後は、とてもいい状態になったと思い込んでいましたが、段々前に戻って、もうどうにもならない状態で、臨みました。

今回参加して納得したことは、まだまだ続く道のりの始まり、ということです。
どれだけかかるか分からないけど、始めないよりは、ずっといい。
30年かけて作った今だから、ちょっとずつ進んでいくしかない。


文節区切りの線

今週、夜遅い電車の中、隣の席の人が眠りながら寄りかかってきました。
今までの私なら、よけまくって、益々寄りかかられて途方にくれる、でしたが、思い切って、押し返してみました。
相手は反対方向に動きました。
また寄りかかられてきて押し返す、が何度か続きました。
自分がずっと我慢するのではなく、押し返せばいいんだ、境界線ってこういうことなんだ、と体感しました。
この時期に起きてくれて、よかったと思いました。


優月さんに指摘された、別の可能性について、本を読み始めました。
その内容も自分の状況にとてもあてはまって、この方向でも勉強していこうと思います。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


きいちごクラスの皆さん、優月さん
そして私
ワークショップ・クラスお疲れ様でした。

毎回感じる事なんですが、1週間前の事が何年も前のように感じています。
それだけ前と後では自分の感覚に変化が起きたということなのかな。
「境界線ワークショップ」を受けるのは2回目だけれど、前回よりも自分の事を知ることが出来たし、理解も深まったと感じています。

プレワークの時、自分のエゴグラムを前回受けた際のと比べてみてとても落ち込んでいました。
前回と今回で私のグラフはかなり違っていたのですが、その中の「A」の部分はほとんど変わらない状態でした。(*「A」は交流分析の用語/編集注)
その結果に私は「結局ぜんぜん成長していないじゃん!! 何してたんだろう」と悲しくて、自分を責めていました。
『未来日記』にも以前よりは向かうことができてるし、プレワークもずいぶん取り組めているのに、そんな事忘れてひたすら自分責め。
だからワークショップ・クラスに行くのも気が重かったです。


文節区切りの線

エゴグラムの話を改めて聞いて、とてもほっとしました。私の自分責めは責めてる事が的外れだとわかったから。グラフが意味していることを私はわかってなかったと思いました。
そしてエゴグラムは性格でなく処世術を表していると聞いて、処世術が変わっても根っこの問題がある限り、この苦しい感じは変わらないというが納得できました。
私のグラフは先にも書いたけど、前のと高い部分が変わってきている。
それでも私の息苦しさは変わっていないというのが、処世術では解決できないということなんですね。
ほっとした様な、問題の深さを見た様で不安にもなりました。

それからエゴグラムが処世術を表すと聞いて、自分が一体どういう人間なのかが自信がなくなり、不安になりました。
私が今まで自分の性格と思っていたものが処世術だった。
じゃあ本当は私ってどんな性格なの?? 今まで思ってきた私が崩れるようで、困惑しています。
私は私のことあまり知らないのかも。

処世術と境界線で弱い所を突かれるみたいな話の際に、優月さんが母親から習い事に行かないのを責められるというシチュエーションをした時、私が子供の頃に全く同じ責められ方をしていたので、とても驚きました。
子供の頃から私はそういう言い方をされると弱かったとは、そして今でもそれでしんどい目にあってるなんて辛いです。


文節区切りの線

ワークショップ・クラス後半の境界線を引くワークは、ようやく境界線を感じられてきた気がします。
プレワークとワークショップ・クラスを通じて、私には境界線を引くことに罪悪感があったように思います。
皆にやさしく役に立たなくてはいけないという思い込みがあり、それは自分の境界線を取っ払ってすべて差し出す事でした。

だから境界線を引いていいというのは不思議な感じがしました。
ワークを練習しているときも「いいの?」という戸惑いが大きかったです。

あと境界線をアピールする練習の時、私は戦う・勝つといった気持ちになりました。
私にとって境界線を主張することは侵入しようとする人と戦って負かしてやろうという事と同じなのかもしれない。戦って相手を変えなければ私は守れないと思っているようでした。
自分の境界線を守るようで実は相手の境界線に入っていたんですね。
強く引くことと、戦ったり怒ることは違うのがわかって良かったです。

最後にやった「ありがとう」を言ったり受けとるワークは、境界線を引くワークよりやり難かったです。
「ありがとう」はいえるけど、「どういたしまして」が言えない。相手からの言葉を素直に受け取れない自分に驚きました。
良い事なのに受け取れないなんて、そんなに慣れてないって本当に可哀想かも、私。
もっと練習したいな、と思います。

今回ワークショップ・クラスを受けて、まだまだ練習したり知識が必要なことが実感できました。
少しずつしか進まないし、進めないのだな。
投げ出さず、やっていこうと思います。

一緒にワークをしてくださった Y さん。
グラフや感じたことをシェアして下さったクラスの皆さん。
やさしく毅然と見守って下さる優月さん。

本当にありがとうございました。




タイトルはじまり目印

S. A. さん(20代/神奈川県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


不安をかかえたまま参加したワークショップ・クラスでしたが、参加してみて少しの安心と勇気にかわりました。
真剣に自分と向きあってから参加したらよかったと感じましたが、優月さんが参加しただけでも一歩前進とおっしゃっていたので、少し気持ちが楽になりました。

自分の周りには同じような処世術の癖を持つ人が集まると伺い衝撃でした。その上でどうしたらよいかの方法を教えていただいたのでよかったです。

これから、理想を語る人にならないよう行動していこうと思います。
当日、ペアワークで組んでくださった方にも優月さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

M. M. さん(40代以上/宮城県よりご参加) きいちごクラス



タイトル下の線


「境界線ワークショップ」に参加して、今まで感じていた違和感を理解することが出来ました。
ずっと、何かおかしいと感じていたことはこういうことだったのだと知識として実感することが出来ました。

ワークショップ・クラスに参加して今までだったら巻き込まれてしまう事も落ち着いて適度な距離を保って対応することが出来るようになってきました。
客観的に相手の意図を汲み取り、そういう話に近づくのを辞めました。
すぐに反応しないことが大切なことがわかってきました。

そして、境界線に入ってくる人に丁寧に目をみて伝えるようになってから、気持ちよくお付き合いできるような関係を築けるようになってきました。
今まで自分が境界線ではなく壁を張り巡らせて自分を一生懸命護っていて、相手に攻撃的になっていたり自分を良く見せようとしていたんだなぁと気づきました。


文節区切りの線

ワークショップ・クラスに参加してから、自分を大切にすることに気持ちを集中させました。
自分の気持ち、身体を大切にしたいと思いました。
今は自分のペースで生活できるようになって来ました。

今回の参加で指摘されていたカウンセリングに通うことにしました。
穏やかな方で家族問題や共依存などに詳しく、私も自分の気持ちや本音を言葉にして伝えやすい方にお願いできることになりました。

言われていやな言葉を言ってもらう練習のとき、優月さんが言葉にしっかり心をこめて言ってくださったおかげで、あのときたくさん泣くことができました。
あの言葉は、私の心からなくなりました。
ペアを組んでくださった方も言いづらい言葉を言ってくださってありがとうございました。


また、違うステージに移りますが参加された方々みんながそれぞれの幸せに包まれ笑顔でこれからの人生を生きていけますように。
そして、ありがとうございました。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。