S. H. さん(30代/東京都よりご参加) しゃくなげクラス
はじめて「本気」で泣きました。
今まではもらい泣きか、優月さんの優しさに触れて安心してホッとして泣いてただけ。
そして今朝、本当に体が疲れてる!
体が水分ばかり欲してくる。
これは、今までの WORKSHOP CLASS 後にはなかった症状です。
今日は、仕事を休んでゆっくりがっつり朝ごはんを食べ、掃除、洗濯。
空を見上げながらぼーっと出来る幸せ。
ベランダの植木の色をあれこれ考える幸せ。
どれもこれも、今までここにあったのに、幸せって思えなかった。
何故かいつも泣いてばかりでした。
ちいさな私がずっと欲しかったもの。
それは
「くつろげる家庭と、何でも言い合える家族」
それ以外は何も要らなかった。
この手に持っていない現実を受け止めることが出来なくて、傷つくのが耐えられなくて、ずっと大人の私が「見ないフリ」をしていたけど……。
だけど、これからの私なら、多分きっと近い将来、自分の手で2つ共手に入れられはず。
だからもう大丈夫。
ちいさなわたしに
「教えてくれてありがとう」
って言わなきゃですね。
今日も明日も明後日も、きっと先週と変わりない毎日が続いていくと思う。
仕事では押し付けられて悔しい思いしたり、言うに言えないことも、これからも変わらずあるはず。
だけど、少しだけ私は変わった。
だから全く同じじゃない。
劇的には変化しないかもしれないけど、一歩づつ一歩づつ、前に進んでいけるはず。
これからはそんな毎日を、実感しながら歩いていきたいです。
できるかな? ……できるよね? 私。
最後に、しゃくなげクラスのみなさん、一緒にランチしてくれた愛知県のHさん、北海道のAさん、今度いつお会い出来るかわからないけど、ずっと心はつながっているから、一緒に進んで行こうね!
P. S.
帰りに「ウチキパン」(* ワークショップ・クラス会場の近くにあるベーカリー/編集注)へ寄ったら、お昼あんなにあったパン達がみごとに無くなっていました。
優月さん、他のクラスの方が「帰りに買います♪」なんてこと言っていたら、お昼休みに買うことを強くおススメしてあげてください(笑)。
もちろん、優月さんも!
N. H. さん(東京都よりご参加) しゃくなげクラス
ワークショップ・クラスが終わって1日が過ぎました。
記憶が鮮明なうちに書いておきたいと思います。
まず、私にとって WORKSHOP CLASS はその前日から始まっていました。
意を決しての参加だったので、都内の自宅から会場までは1時間程度ですが、あえて WORKSHOP CLASS 前日、それから WORKSHOP CLASS 当日の夜は、会場近くのホテルに宿泊することにしました。
本当は思いきりリラックスして参加したい、と思っていたのですが、どうやら気合いが入りすぎていたようです。
持病の偏頭痛が出始めてしまいました。
それなのに、寝る前にスターバックスのベンティサイズのカプチーノを2杯もがぶ飲み。
今から思えば、私がコーヒーをがぶがぶと飲むときは、自分の気持ちをしっかり立てておかなくてはいけないときなんですよね。
翌日の WORKSOHP CLASS はリラックスして臨むもの、ってわかっていたのですが、どうやらリラックスすることを「頑張らなくちゃ!」という間違った方向にエネルギーを注いでいたようです(笑)。
WORKSHOP CLASS 当日の朝、一度6時過ぎに目が覚めたものの、カフェイン大量摂取のためか偏頭痛は取れておらず、二度寝。
8時過ぎに起きて頭痛が軽減しているのを確認して出かける準備をし、会場近くへと向かいました。
そしてまた更に、そこでもベンティのカプチーノ(笑)。
とにかく、できるだけ覚醒した状態で自分に集中するんだ! とものすごい暴走した気分だったのに違いありません。
会場へは受け付け開始の時間ぴったりに到着しました。
扉を開けると、初めてお目にかかる藤沢さんが暖かく迎えてくださりました。
緊張する私に明るく話しかけてくださって、どうもありがとうございました!
いよいよワークが始まりました。
最初の理論的な説明のところは、今まで自分で本を読んだりカウンセラーの先生から聞いていたことから知識として知ってはいましたが、改めて自分の立場を踏まえながら聞いていると、胸の奥の方で疼くものを感じ始めました。
ペアワークが始まるころには、心臓が鷲掴みにされるような、体が硬直していくような緊張を感じていました。
そして、また少し偏頭痛を感じるようになりました。
初対面の方とお話しをする緊張感ではなく、心の中の何かが暴れ出したのをコントロールしようとして力が入ったのだと思います。
前半 ~ 後半を通して、正直、あまり記憶がはっきりしない頃のことだったのですが、それでも親から聞いていた情報や、その後自分が体験することになる家庭環境から推察するに、赤ちゃんの自分が何をどんなふうに肌で感じていたか、少しずつわかったような気がしてきました。
今回分かった大きなことがいくつかあるのですが、まず一つは
「わかってほしい」
という気持ちの正体。
私が今、パートナーに対して抱えている気持ちにも、またずっと長いこと親に対して抱いていた気持ちにも、共通して言える強いメッセージがありました。
それが、
「わかってほしい」
「どうしてわかってくれないの」
という気持ち。
ただ、それは相手に何をどうわかってほしいと思っているのかはっきりせず、まったく具体化されないままに、メッセージとしてだけ私の中でずっと響いていました。
今回のワークをやって、自分が置かれた家庭環境の中で
「怖かった」
「寂しかった」
という事実は当然ながら、そこで生きていくために、私は何食わぬ顔で嵐が去るのを待たなくてはいけなかった、ということに気づいたのです。
怖がって泣いたりすれば、今度は矛先がこちらに向きます。
泣くな! と怒鳴られる。
子供のいたずらに過ぎないことを、激しく叱責される(← もちろん、客観的に見れば必要なしつけだったのかもしれませんが、ここではあえてその客観性は捨てます)。
そこで起きていることについて、本当はびくびくして体が震えているのに、それをぐっとこらえて、何事もないかのようにしなくてはいけなかった。
私が親の前で、恐怖感から泣いた最後の記憶は3歳前後だったように思います。
その時は耐え切れなくなったのか、泣いても良い理由があったのか分かりませんが、とにかく弱い自分を見せてはいけない、常に自分をしっかり保つ、という習慣が、小さな子供の時からしっかり板についてしまっていたようです。
「わかってほしい」
「どうしてわかってくれないの」
という気持ちは、そんな「しっかりした私」をデフォルト設定の私だと思って、そのつもりで扱ってくる親やパートナーに対して、
「私はこんなに頑張って今の自分を保ってるんだよ、これは本当の私じゃないんだよ! 気づいて! わかって!」
というメッセージだったのではないかと、今は思っています。
これは、実際にペアワークをして両親に語りかけるというのをやったときに出てきました。
この「わかってほしい」というメッセージは、長いこと自分の中で大きな声だったので、その正体がわかって少し安心しています。
2つ目は、この「わかってほしい」ことの対象となっている事象で、
「子供らしくあることを制限されていた」
ということです。
それは、家庭環境の中でそうせざるを得なかった、ということもあるのですが、同時に両親は積極的に、子供の私を「大人扱い」していたのではないかということに気づきました。
正確には、彼らがどういうつもりだったのかは私には判断ができないので、子供の私なりにそのように察知していた、ということだと思います。
3つ目に……、これはまだ自分でもはっきりしないのですが、瞑想の際に小さいころの自分を見て感じた気持ちというのが、とても特徴的でした。
この子をなんとか守ってあげなくてはいけない、大切にしてあげなくてはいけないという強い使命感のようなものを感じたのですが、不思議なことに、これは初めて感じた感情ではありませんでした。
全く同じ、というわけではないですが、性質として、私はこの気持ちを今のパートナーに対して感じているような気がするのです。
更に言えば、自分の遺伝子を分けた実の子供は要らないけれど、家庭に恵まれない子を引き取りたいと考えることや、そういった施設でのボランティアに参加する動機などにも関係することがあるような気がしています。
恐らく、自分が抱えていたのと似たような孤独感を抱えている人を察知し、その相手に自分を投影しているのではないかという気がしてなりません。
そしてこれが、共依存を生んでいる原因の一つになっているような気もしています。
このあたりは今後もう少し向き合っていく必要があるかもしれませんが……。
なんとなく、視界の端でとらえてはいたものの、なかなか焦点の合わなかったものが、ようやくはっきり見え始めてきている、という感じがします。
回復に至るまでには、まだまだ、WORKSHOP やカウンセラーさんなどの力を借りながら、再訓練をしていく必要があると思いますが、どんなところに働きかけながら取り組んだら良いのかが分かってきたような気がしているし、そのとっかかりの部分を知る上ではとても貴重な体験だったように思います。
始まる前は、カプチーノをがぶ飲みしていましたが、お昼休憩とそれ以降の時間、私は無意識に、ハーブティーなどの非カフェイン系のものを選んでました(笑)。
肩の荷が少し降りた証拠でしょうか。
そんなに頑張らなくていいんだ、ってわかったせいかもしれません。
クレンジング・リアクションは、頭がどんより重い感じ、睡眠時間を十分取ったにも関わらずぼんやりと頭が重い感じでしょうか。
初めての参加だったので、WORKSHOP CLASS 翌日と、更にその翌日も有給取りました。
これで正解だったなと思っています。
一緒にペアワークをしてくださった方々、そしてこの WORKSHOP にご一緒させていただいたみなさん、貴重な時間を分かち合えたことを心から嬉しく思っています。
そして、このような機会を提供してくださった藤沢さん、ONSAスタッフの皆様にも心から感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。
……私の問題は、おそらく「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」で取り扱う期間に、より集中している気がしているので、後期日程もしっかり取り組ませていただこうと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
M. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) しゃくなげクラス
藤沢さん、しゃくなげクラスのみなさん
「インナーチャイルド・ワークショップ(前期日程)」お疲れさまでした。
みなさんとご一緒できたこと、うれしく思います。
ありがとうございました。
ワークをする中で、3歳頃のエピソードが思いがけず出てきました。
ずっと忘れていた、あのときの傘。
それは、引越しで古い家にお気に入りの傘を忘れてしまい、新居への移動中に気づいた私は、取りに戻ってもらいたいと両親にお願いしたけど、叶えられなかったという思い出です。
どうして戻ってもらえなかったのかは、今となってはわかりません。
でも、当時の私はとても悲しかったんだと思います。
悲しい。
そして私の要求は尊重してもらえないんだ、私の大切なものを両親は大切にしてくれないんだ、私のことなんて可愛くないんだ。
それを説明したいんだけど、大人になった今でも出てくる言葉は
「なんで、なんで……」
でした。
今となっては両親の事情が理解できる部分と、やっぱりわからない部分があって、思い出したことでチクリと胸は痛くなりましたが、悲しかったということに気づいて認めてあげられたのは、とても大きな経験でした。
そして「あのときの傘」ということにして、新しい傘を買いました。
大切にしたいなぁ、としみじみ思いました。
ワークショップに参加できて、気づけてよかったです。
ありがとうございました。
M. S. さん(30代/神奈川県よりご参加) しゃくなげクラス
ワークショップ・クラスを受けてなんとなくですが、
「生きるのは大変だな。」
というイヤな感じがしなくなってきました。
今まで、周囲に受け入れられなくなってしまって、孤独になるくらいなら表面的にでもつながっている方がいいと思って、自分の本当の願いを捻じ曲げてきたのかなと思います。
インナーチャイルドのワークで幼い頃の自分に出会った時、無条件に幼い頃の自分を愛おしく、その子の幸せを願う大人の自分がいました。
その子が幸せに生きていけることを、心から願う自分がいました。
とっても不思議な感覚でした。
まだ自分がどういう変化をしている最中か、しっかりとはつかめていないのですが、アフターワークをして、今までとは違った感覚で生きて行きたいと思います。
人と一緒にいたいのに、人が怖いという感覚。
友達になりたいと思う人に、
「自分はこの人に鬱陶しいと思われたりしていないだろうか」
と漠然と不安になる感覚。
この感覚といつか上手にさよならできる日がくるといいなと思います。
K. K. さん(40代以上/宮城県よりご参加) しゃくなげクラス
この WORKSHOP にはずっと参加したいと思っていました。
私がして欲しかったことを親はわかってくれなかったし、十分にはしてくれなかったけれど、
私のことを一番わかっている自分がちゃんと味方になるって決めたから、もう大丈夫。
瞑想していた時に感じた身体の変な痛みと感覚に、残っている何かの存在も感じて、やれやれまだあったのかいとも思うけれど、
赤ちゃんの自分がおとなの私に
「わかってくれてあんしん」
「赤ちゃんの味方をしてくれて嬉しい」
と言ってくれたから、やるしかないな、と。
もう少し、粘ります。
A. I. さん(20代/茨城県よりご参加) しゃくなげクラス
1番心に響いたのは、
「あなたが自分で感じたことは正しい」
という藤沢さんの言葉。
今までの私は、無意識のうちに自分の気持ちを閉じ込めていたのかもしれない。
むしろ、そう思ってしまう私が悪いんだ、親にだって事情はあったし親なりに頑張って育児をしようとしてたし絶対悪気はなかったはずだから……なのにこんな事を思うなんて私は親不孝だ、と自分の気持ちを否定し裁いていた。
罪悪感も感じていた。
こんな事を思ってしまう私は、きっとひねくれているに違いない、私はなんて自分中心にしか物事を考えられない小さな人間なのだろう、と。
あとは
「父の感情に振り回され心身共に暴力を受けていた」
という事実を、無かった事にしてしまっていた。
これも、藤沢さんがおっしゃるまで気づかなかった。
しかし正直今でも、この事実を丸々認めたくはない感じがある。
私は総じて、主観を疎かにして否定し、許可していなかったと気付いた。
ひょっとしたら、父から
「お前は自己中だ、人の気持ちを考えろ。そんな性格じゃ周りから誰も居なくなるぞ」
と言われ続けてきた影響が大きいのかもしれない。
そして、
「自分を受け入れる」
ということは、
「自分の主観を受け入れる、許可する」
に等しいという事に気付けた。
この「許可する」という感覚を、ワークを通じて体感し、身を持って知ることが出来たので良かった。
よく考えれば、誰のものでもない「私」の人生なのに「私」という主観が無かったら、この体と心は誰の体と心で、この人生は誰のものになってしまうのだろう。
藤沢さんの生の声を聞き、私の感情は間違ってないんだ、もう自分の感情に罪悪感を感じて責める必要はないんだ、と心から思えた。
少し救われたような感じがした。
本当にありがとうございます。
乳幼児期と歩行期は、正直特別嫌な出来事は思い出せなかったし、思い出した記憶もはたしてその時期のものなのか、確証はない。
でもワーク中は、なぜか涙が止まらなかった。
記憶は無くても、どこかに蓋をされて隠してあったその時の感情が出てきたんだと思う。
赤ちゃんの頃の自分や3才頃の自分に会いに行った時は、とても愛おしく感じた。
時間軸でみれば自分と同一人物ということなんだけれども、そんな感じはしなかった。
何と表現したら良いか分からないのが悔しいが、自分ではないみたいだった。
自分な事には変わりないが、自分の時間軸から切り離された単体のよう、別人のようだった。
インナーチャイルドの事は本で読んだため、頭で理屈は分かっていたが、いまいち感覚がつかめなかった。
でも、ワークを通じて
「インナーチャイルドってこうゆうことなのか」
と体感できたのが、私の中で大きな収穫だった。
私の中に居る、もう1人の存在をちゃんと感じた。
少し不思議な体験だった。
あれから約1週間、日常生活で時々子どもの私(インナーチャイルド)が顔をのぞかせても、
「これは今の私ではないな、子どもの○○ちゃんが出てきたな」
と、しっかり区別をつけられるようになった。
そのため、罪悪感を感じる事も以前より少なくなった。
これからも、インナーチャイルドの存在を許可し受け入れてあげる事を続け、
「大人の私が守ってあげるから大丈夫だよ」
と心の中で話しかけてあげることによって、徐々に私の問題を乗り越えていきたい。
N. S. さん(30代/宮城県よりご参加) しゃくなげクラス
久しぶりに対面式のワークショップに参加して、緊張しました。
場所も新しくなったし、今回このワークショップに参加するべきか非常に迷っていました。
今「Web. WORKSHOP」にも取り組んでいる最中なので、どちらも中途半端になってしまったらどうしようと不安があったからです。
次回開催は11月だし気になるなら参加しよう、と締切直前まで悩みました。
悩んだけど、参加してみて本当に良かったと思います。
色々な気づきがありました。
私は今回、課題などの提出期限を守るということを一番に考えました。
なぜかというと、いつも
「今は仕事が忙しいから、課題提出が遅れてもしょうがない」
などと言い訳をして、提出に間に合わない自分が嫌だったからです。
ワークショップ・クラスの新会場は駅直結なので雨に濡れることもなく、便利な場所でした。
とても集中できる環境でした。
ワークショップ・クラスの休憩に、カフェに行きました。
会場の近くにはカフェやレストランも沢山あり、海も近かったです。
これからの季節は、海を眺めながらの「灯台の時間」もいいだろうなとワクワクしました。
私がこのワークショップに参加しようと思ったのは、
「何か分からないけど小さい頃にトラウマにあった気がする」
という直感と、そのトラウマから解放されたいと思ったからです。
それから、結婚して自分の家庭を持ちたいという夢に向かっている最中なのですが、
「結婚相手をどうやって選べばいいのか分からない」
という壁に直面していました。
人を好きになったことがないからときめかないし、出会いの場を重ねても進展もなく、ただ疲れて家路に着くということを繰り返していました。
「感情は心の声」
という優月さんの言葉を信じ、ワークショップ・クラス中は思いっきり泣きました。
涙が溢れて止まらなくなり、声をつまらせながら泣き続けました。
初めは泣くということを封印してきたので、自分が泣けるとは思いませんでした。
人前で泣くことは恥ずかしくて、ダメなことと幼いころから教わってきたので、今までとにかく泣くのを必死で我慢してきました。
私は「ママ」「パパ」という単語を自分の口から発することに、とても抵抗を感じていました。
物心つく頃に
「パパ、ママって呼んではダメ」
と怒られた記憶があります。
だから、二人一組でロールプレイングを行っている時に勇気をだして「ママ」「パパ」と言ってみたら、涙が止まらなくなりました。
ああ、私はずっと甘えるのを我慢していたんだなと思いました。
赤ちゃんの私は、パパとママにもっと私の側に居てほしかったと、大人の私に訴えてきました。
おばあちゃんとおじいちゃんじゃなくて、パパとママの側にずっと居たかったんだよって、何度も何度も訴えてきました。
私は寂しかった、もっと甘えたかったと。
それから、パパとおじいちゃんの仲を取り持つために、いい子でいるように頑張っていたことも思い出しました。
それから、弟なんて要らなかった。
パパとママにはずっと私のことを見ていて欲しかったという願望も、小さな私が訴えていました。
もっと私と遊んで欲しかった。
私はパパとママが大好きなのに、全然近くに居てくれなかったと何度も何度も叫んでいました。
優月さんがロールプレイング終了の合図とともに、
「出てきた感情をそのままキープして」
という言葉を何度か言っていて、その中のある時に、
「ママは跡継ぎだったから、好きでもないパパをお婿さんにしてお見合い結婚したんだ。パパとの間に生まれた私も、ママは好きじゃないんだ。私は愛し合って生まれた子ではなく、ましてや男の子でもないから、跡継ぎにもなれない役立たずの子なんだ」
という考えが私の頭の中に過りました。
そしたら本当に悲しくて辛くて、涙が止まらなくなりました。
本当に悲しくて。
でも、本当に心から泣いたら、なぜかすっきりしました。
頭はガンガンに痛くて放心状態だったけど、心に仕舞い込んでいた感情、私の場合は「泣く」ということを通して解放された気分になりました。
そして、私はインナーチャイルドに
「もう我慢しなくていいよ。そのままの私でいいからね」
と手紙を書きました。
私は私と歩んでいくしかない、誰かに答えを求めて一気に解決する、誰かの真似をするという方法を手放したいと本気で思いました。
しゃくなげクラスの皆さん。
皆さんがご自分に対して誠実に自分と向き合っている空間だから、私も自分をさらけ出して本当の自分の感情に向き合うことができたと思っています。
皆さんに感謝したいと思います。
ありがとうございます。
優月さん。
いつもワークショップ・クラスに参加するときドキドキするのですが、ドアを開けると「こんにちは」と皆に声を掛けて下さる時ほっとします。
再訓練をしながら、前向きに自分のインナーチャイルドと仲良くやって行きたいと思いました。
N. Y. さん(30代/千葉県よりご参加) しゃくなげクラス
藤沢さん、メールを確認してくださったスタッフさん、
そして、しゃくなげクラスのみなさま。
当日は受け入れてくださってありがとうございました。
気管支炎でずっとマスクを着用していた者です。
藤沢さんからご指摘いただいた、呼吸器の不調の示す意味を聞いたとき、
はじめは実は少し後ろめたい気持ちでした。
といいますのも、プレワークの期間、ワークシートも『未来日記』も毎日持ち歩いていたのに
全くといっていいほど取り組むことができず、すぐには結びつかなかったからです。
私は、今も実家で両親と暮らしているのですが、ワークが届くと同時に祖父が家にやってきました。
(祖父は年に数回、気が向くと家にやってきて、一緒に暮らしているのです。)
私は祖父が大好きで、一緒にいるとほっとするのと、
祖父も「〇〇(私のこと)が居ると家が明るくなる」と言ってくれるので、
おそらく生き辛さの元であろう、自分の想いを引っ張りだして、向き合うことができなかったのです。
ただ、祖父がこちらから聞かずとも、ぽつりぽつりと、それこそ私の「乳児期」「歩行期」のことを
呟いているので、それを元に書けたことがいくつかありました。
でも、提出締切日の3日前に、私は母と、とあることで大喧嘩をしてしまい、
プレワークはそのときに一気に書き上げたものでした。
クラス当日は、お父さんとお母さんに望んでいたことを言うワークのとき、
「私自身が、父と母に」望んでいることが何も見つかりませんでした。
それは、満ち足りている、というのとは全くちがう感覚でした。
赤ちゃんなのに、やっと歩き始めた子どもなのに、
その子は静かに「何も望まない」そう言っていました。
そして、インナーチャイルドの瞑想のときには
私のなかの子どもも、迎えにいった大人の私も、存在そのものが消えてしまいました。
強く想像してはみるのだけれど、いつのまにか透明人間のように、薄くなって消えてしまう。
その代わりに、母がどんな想いで私を育ててきたのか、意識はそのことにすり替わってしまうのでした。
これって、藤沢さんがおっしゃっていた呼吸器の不調の意味、
「自分がこの世界に存在することを許していない」
そのものではないかと思うのです。
あれから一週間が経ち、私はまず、朝起きてすぐ、自分自身に
「生きていていいんだよ、この世に存在していいんだよ」
そう言い聞かせることからはじめることにしました。
過去の参加者の方の PAY FORWARD を読んでいて気づいたのですが、
朝、目覚めることが嬉しいと思ったことが、私には一度もなかったような気がするのです。
苦痛、というわけではないけれど、目覚めることが嬉しいという感覚を知らないのです。
でも、そう言い聞かせることで、少しだけど、
苦痛ではなく優しい方向へ、心の焦点を合わせられるようになった気がします。
クラスの2日後に、祖父は自宅に帰っていきました。
母とは(自分の心の深い葛藤はともかく)仲直りし、
たぶん、十数年ぶりに、母の、私への優しさを素直に受け止められるようになりつつあります。
私は、私に与えられる、受け取っていいはずの母の愛を、
きっとはじめは遠慮して、そして次第に遠慮も面倒になり
拒絶して受け取らなくなってしまったのではないかと気づきました。
今回、はじめての参加でしたが、一度に全てが変わるわけではないけれど、
でも着実に、ものごとの捉え方が変わりはじめています。
少しずつだけどこれは気休めなんかではない、ほんものの変化だな、と感じています。
もう少し大きくなった私のなかの子どもには、秋になったら会いにいこうと思います。
大きくなったこの子には、言いたいことがたくさんあるから。
言葉にならない身体の声も、ちゃんと聞きに行こうと思います。
最後に……
藤沢さんが迎えてくださったとき
「来ればいいのに~ってスタッフと話してたんですよ」
と言ってくださって、ホッとしました。
ペアを組んでくださった方、お昼休みに話しかけてくださった方、
帰りに「男梅キャンディー」くださった方、この場をお借りして、ありがとうございました。
そして、クラスのみなさま、それぞれに幸せへの変化がおとづれますように。
M. T. さん(20代/広島県よりご参加) しゃくなげクラス
しゃくなげクラスのみなさん、いかがお過ごしですか。
私はクレンジング・リアクションの中、なんとか今週を終えたところです。
今回、私は「境界線(バウンダリー)ワークショップ」や「Web. WORKSHOP」と悩んでいました。
終わった今では、やはり直感は正しかったと感じています。
幼い、小さい、生まれたばかりの「私」は、自分を救ってくれる人をずっと待っていたのですから。
「ああ、やっと助けが現れた!」
乳児期の瞑想のとき、声にならないその声を、私ははっきり受け止めました。
何かが見える、という想像が私には難しいのですが、感触としてならすぐに浮かびました。
ぎゅっと服をつかむ感覚も、腕の中の壊れそうなほどのやわらかさも。
「私」からのメッセージは、見えるものと見えないものの入り交じる、自分の視界でした。
ものだから影だとは限らない、光だから見えるとは限らない、だんだらな世界がその子の始まりでした。
「私」は乳児期のそこで、ずっとずっと待っていたのです。
自分のために、自分の方法で、安全にしつけられることを。
ところで、私は5年ほど前に、高機能の発達障害だと診断されています。
さらに、藤沢さんに家族問題を指摘されてから1年以上ワークショップに通い、自分や他人と向き合うための知識をつけてきました。
同時に発達障害についても学びながら、私はだんだんと違和感を抱くようになっていきました。
子供を育てる上で、ONSA で教わる知識が重要なのは、参加してきた方ならわかってもらえるかと思います。
ただ、発達障害を抱えていると、その特性に寄り添ったコミュニケーション方法が必要になってくるようなのです。
しつけるために教えていくことが、ともすれば虐待に転じてしまう……残念ながら、そういったことが簡単に起きてしまいます。
幼児期の私は、「普通」はこう教えればわかるだろう、こんなペースで育っていくだろう、という暗黙の期待 ――それは親にとってかすかな、無意識のものだったかもしれませんが―― に縛られ、自分のペースというものが許されているとさえ思っていなかった子供でした。
もの達の思い出は鮮やかに残っていますが、そこには人はなく、雰囲気だけ、場の空気だけがありました。
また、自分の中の「声」、感覚が強すぎて、境界線を作ることができない、言うことも防ぐこともできない状態だったようです。
自分を取り巻く「空気」への干渉―― それが幼児期の私のしてきたことのようでした。
そこには親はいなかった。
守られるための存在は、私にとって無いのと同じだった。
幼児期の私はひとつひとつ体当たりしながら、何が正しくて間違っているのか、自分で考えていくしかなかったのです。
ましてその世界で、他者と安全にやっていく社会性が育つ基盤など、無いに等しいようでした。
世界は「私」に満ちていて、「あなた」と切り離すことが難しかったのですから。
クレンジング・リアクションとして、長い喪失感と疲労、注意散漫のための凡ミスによる精神的ダメージが蓄積されています。
今回のことがすべて言葉にできるようになるまで、もうしばらくかかるのでしょう。
なお、極端な完璧主義からくる責め立てはなくなってきましたが、それでも自分の有能を信じたい欲というか、「この程度のことで!」と思ってしまうのは、私にはなかなか改めにくいようです。
私は後期日程 → 前期日程の順でこの「インナーチャイルド・ワークショップ」を受けました。
後期日程のことを思い出すと、私は学童前期や学童期のあたりでようやく「自分ではないもの」の存在に気づき、しかしその遅れのためにおびえていたようでした。
知能の高さで適応していた(少なくともそう見えた)私にとって、「普通に」育てというメッセージは、相当のプレッシャーだったのでしょう。
まして当時の私には、他者にたずねるという方法そのものが知識になかったのですから。
これらのことと、乳幼児期に自分と「空気」しかなかったことを思うと、個人的には納得がいくのです。
理想としては前期日程を先に受けた方がいいのでしょうが、後期日程からの参加でもつながりは得られるようです。
藤沢さん、スタッフの皆様、そしてしゃくなげクラスの皆様、安全な時間と空間をありがとうございました。
インナーチャイルドに時間の全てをかけられるかはわかりませんが(自分でそう感じたし感じられていた)、ゆっくり自分のペースで力をつけていこうと、カウンセリングに申し込みました。
専門機関にかかることは、実は最初のワークショップから勧められていたのですけれど(苦笑)、結局対面ワークショップのほぼ全てを受けてからになりました。
それが遅かったとか今更とかは感じません。
私には言葉にされた知識や実際の体験が必要だったし、それが私のペースだったというだけ。
だから、遅いとか間に合わないとか考えないで―― 傷ついたのなら癒されることが必要なのだと、それをあなたが許せればいいなと、私は考えています。
H. E. さん(30代/愛知県よりご参加) しゃくなげクラス
しゃくなげクラスのみなさま、先週は、本当にすてきなお時間を共有させてくださって、心から、どうもありがとうございました。
クラスの時間も、ランチのお時間まで、思い返すと、本当に私は楽しかったと思います ^^
クラスのあとで、中学生くらいになってハタと気がついてから、頭にこびりついて離れなかった
「私って、お母さんに愛されたことがないんじゃないのかな?」
っていう疑問が浮上してきて、
「うん、そうだ、私がそう思うのなら、私は、愛されていなかったんだ」
と思いました。
「私という存在は、ずっと、世界で唯一だった私の母に愛されていなかった」(という衝撃的な私の中の真実)
もやもやと感じていたことを、はっきり言葉にすると、改めてショックだ~と思ってたくさん泣いたけど、この事を明らかに受け入れることができて、私はとてもほっとしています。
私の心が、
「痛いよ~」
「でも、どうしてもそんな気がするんだよ~」
って言っていた疑いの種を、そんなコトない! って押さえつけて、放置して忘れかけてた過去に気がつけました。
勇気を出して疑問を確かめた時
「冗談言わないで!」
と一刀両断されて、腑に落ちないまま、でも都合よく
「そうだよ、私はちゃんと愛されていたよ」
と自分に言い聞かせて、痛みを無視しないとやり過ごせなかったあの頃とは違って、今の私はあの頃よりは少しだけ成長できていて(それって本当に ONSA 各ワークショップのプログラムのサポートのおかげです ><)、その私が感じていた気持ちを、そのまま、受け入れられた、そんな感じ。
長く抱えてた私には大きかった荷物を、またひとつ、降ろせそうな気がしていて、本当に嬉しい気持ちがします。
そして、
「私は、母に愛されていなかった。ショックだ」
って発言する今の私は、同情がほしくて「不幸自慢」をしているわけではない。
こんなの大した痛みではないわって、私の気持ちを小さく軽く扱っているつもりもない。
しっかり胸が痛いけれど、この痛みを癒していくのは、はっきりと、明らかに、「私」なんだわっていうこの実感と、改めてハラを据えて取り組んでいこう、みたいな感覚。
怒りも悔しさもあるけれど、どこかすっきりしていて、今は、とても前向きな気持ちです。
超!怖かったのだけれど、参加させていただけて、よかったな。
(あ、優月さんの「そうでしょうとも~! ^^」って声が聞こえるような気がします/笑。よかったです! ありがとうございました!)
そして、それでも、私の中の、世間の声が、何度も、何度も、とがめてくる。
大丈夫、何回でも、今の私が思うことを、確認しよう。
愛のない人間なんていない、それは分かってる。
でも、心の奥底に愛を持っていることと、その愛を健全に誠実に表現し続けていく = 愛するって行為は、全く別のもの。
必要十分なお世話という目にみえる「形」、物質や時間をあげることとも、全然違う。
全然違う、別のことだと、私は思う。
この世界に生まれてきた以上、小さかった私も含めて、子どもって、等しく、愛されるべき存在なのだと、私の中で、もう一歩、実感が深まりました。
本当に、よかったな。
……残った時間の全ての時間、二度と、本当にもう二度と、私は私から離れたくないと思います。
根気強く、だけど全力で、楽しく、いこうね。
そう、心から「楽しく」、この世界を歩いていけるように、私はなりたい。
「返せ!」っていくら世界に叫んでも、決して返ってこない私の過去の時間です。
そして、まだ、どうしても、慣れたパターンに流れていく私の「今ここ」の時間でもあります……。
だけど、だから、長く長く積み重ねてきた「本当は私のためにならない」習慣を、速攻! 今すぐにでも「ゼロ」にしなくちゃ! なんて、思うのは、もう止めようと思いました。
逃げたい私と、格闘するのは、もう、本当にやめよう。
なぜかというと、「逃げたいダメな私」にも、そういう私になる「理由…経緯」が、必ずあるって分かったから。
そして、思えば、その理由を色んなヒントをひろって過去に探すことも、少しずつ解決に向けて小さなトライを重ねていくことも、ひとりが大変だと思ったら助けてもらうことも、ぜんぶ、ちょっとずつ練習してきたこと。
だから、もう、過去の私がどんな私であっても、私は、闘わなくっていいのです。
そんな必要なく、きっと、やさしく、あたたかく、やっていける。
そうして、ひとつずつ、解決していける。
いま私がテーマにしていることは、「私と仲良くなることを『やめない』」こと。
色々なところで、ダンナさんとか、子どもとか、彼氏のお話しを聞くと
「いいな、うらやましいな」
って寂しくなるときもあるけれども……(つまり、それを聞いて連想するものが、私もきっと欲しいのね)。
いま歩いている「私と仲良くなろう」という道も、とても素敵な道です。
道は私のこころ次第で、穏やかなときも、荒れ狂ってるときもあって(笑)、そこを歩く私も、スキップしてるときも、もうだめだ~!!! って言いながら這いずっていたりもするけれど(笑)、たぶん、私のために用意されていた、ああ、私が歩きたかったのは、この道なんだって思っています。
まだまだ荷物いっぱいで重いけれど、いっこずつおろしながら、今ここの一歩も、大事に、味わいながら、そうして歩いていけるようになりたい。
生きてて荷物がなくなることは無いのだろうけど、軽くすることはできるはず。
そのために、私がいま出来ると思うことが、「私と仲良くなることを『やめない』」こと、です。
去年の今ごろ、海なのかプールなのかも分からない波の中を、私はアップアップして溺れかけながら、何とかすすんでいる? 気がする? そんな感覚もあったけれど、今は、何とか陸の上……道を歩いてる感覚です。
人間だから、泳ぐより前に、しっかりと歩けるようになった方が、順番としては正しいよね。
なんと? 私ちゃんと歩けていなかったのか! というのも衝撃だけど、
「私と仲良くなること = 私を知ること」
……そういうことだと思います。
そして、私の時間の習慣も、整えていくこと。
それはイコールで、理由を知って解決していくことと合わせて、「私」のよくない習慣を、新しい習慣に置き換えていくことに、チャレンジしていくことと言い換えることもできる。
諦めずに、続けていこうね。
大丈夫、30数年やってなかったことに取り組んでいるのだから、これも急にできなくたっていいのです。
習慣って、何年もかけて、時間を積み重ねていくものだったでしょう。
……よくない習慣の方で、だけども、身に染みてるよね。
だから、いつもできなくても、それでもいい。
どんな小さいことも、しっかり褒めて、認めていくからね。
だから、何度も、何度も、諦めないで、続けていこう。
日々の時間の中で、素晴らしいサポートを提供してくださる ONSA の優月さんや、スタッフさんに、折にふれて、ふんわりだったり、じんわりだったり、感謝を感じます。
うまく伝わる言葉か分からないけれど……、この折にふれて感じる、健全であたたかい距離感みたいなものにも、私はとても助けられていて……そのことにも、とても感謝しています。
ランチをご一緒したお2人にも、後半、WORK を一緒してくださった方にも、たくさん心を開いて、お話しができて、嬉しかったです。
思い出すと、楽しかったし嬉しかったな、と思って、とても、あったかい気持ちです。
それから、「Web. WORKSHOP」の STEP01 でご一緒していた方や、STEP02 で、いまご一緒している方にも、お会いできて、それもすごく嬉しかった!
お名前が一緒ですなのですけどって、それは私の勘違いだったけれど、勇気を出して尋ねることができて、お話しできて、それも嬉しかったです。
それぞれ、本当に、ありがとうございました。
そうして、最後に、クラスの中で、それぞれ会いに行った、2人の私へ。
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◆「ゆっくりでいいよ」「ずっといっしょにいるからね」「大好き」ってメッセージをくれた乳児期の私へ
赤ちゃんの体温の高さまで、私に届けてくれたみたいな気がするよ。
この世界に、私として生まれてきてくれて、本当に、本当に、ありがとう。
赤ちゃんだった私に、あらためて、言いたいな。
すばらしい可能性をたくさんもった赤ちゃんの私、この世界に、本当に、ようこそ。
こころも両手もいっぱいひろげて、たくさんの祝福を感じながら、あなたの命を歓迎します。
あなたに会えたことを、私は、とってもとっても嬉しく思います。
あなたが私であることを、本当に光栄に思います。
あなたがもって生まれてきたその命は、あなただけの尊いものです。
大事に、大事に、その命を育んでいきましょうね。
私は、ずっと、あなたの味方です。
私が、私のために、あなたに、そうしてあげたいと思います。
たくさん泣いてね。
たくさん笑ってね。
あなたは、それが許されるかけがえのない存在なのだって、いくらでも、いくらでも、確認してみてね。
私は、あなたがどんなあなたでも大好きです。
安心して、息をすって、はいてみてね。
この世界は安全な場所なのだって、いくらでも、確認してみてください。
あなたは、ただひとりの特別なあなたとして、この世界を生きる権利をもって生まれてきたのよ。
あなたの人生が、健やかで、そして、あなたが本当に望む光で満ち足りた素晴らしい一生となりますように。
あるがまま命であるあなたを、私を、そのまま大事に、大事に、私は感じていきたいと思います。
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◆「そのままのわたしでいいの?」「のびのびしていいの?」「どれくらいいいの?」「わたしは、ここからでたい」って言う歩行期の私へ。
うん、うん、そのままでいいのよ。
あなたは、私は、世界の、どこまで行きたかった?
大丈夫、どこまででも、どれほど遠くまでも、望む世界まで、私と一緒に、チャレンジしてみましょう。
お布団にもぐると、ふわふわで、あたたかい大きな海みたいで安心したね。
休むときも、私は一緒にいるよ。
小さかった私。
悲しいことがあったら、悲しいって言っていいのよ。
嬉しいことがあったら、嬉しいって言っていいのよ。
楽しかったら、楽しいって言っていいのよ。
悔しいことがあったら、悔しいって言っていいのよ。
もちろん、腹がたったら、盛大に怒っていいのよ。
どれも、大事なあなたの感情だから、私はそれを感じるあなたを喜んで、認めて、尊重します。
感じてはいけない感情なんてないのです。
本当に、あなたは、あなたであればいいのです。
嫌だったら、嫌だと言っていいのよ。
痛かったら、痛いって言っていいのよ。
怖かったら、怖いって言っていいのよ。
私に、我慢なんか、絶対にしなくていいのよ。
どれも、あなたの命を守るための、大事な感覚。
あなたが、大事にしていかなければいけないもの。
だから、私も、それを大事にしていきます。
失敗したっていいのよ。
できなくたっていいのよ。
どんどんチャレンジしてみていいのよ。
あなたの成長に、その経験は、どれも貴重で必要で大切なことです。
私は、何にも責めないし、怒ったりしない。
そんなことは考えもしないことです。
私は、どんな小さいあなたのチャレンジも、理解して、褒めて、認めてあげたいと思っています。
だから安心してね。
何があっても、何をしても、私はいつもあなたのそばにいるからね。
私は、あなたのことをもっと知りたい。
私は、あなたのことをもっと好きになりたい。
あなたの成長をサポートしたい。
あなたへ、私へ、とてもとても愛をこめて、そう思っています。
A. S. さん(20代/北海道よりご参加) しゃくなげクラス
優月さん、しゃくなげクラスの皆様、お疲れ様でした。
今回初参加で、思い切って札幌から宿を取って参加した事、本当に良かったと思います。
皆様ありがとうございました。
終了後すぐに色々と書き始めたのですが、一週間経つ今でもまとまらず……な状態です。
行くまではどんな所でどんな感じなのかの緊張と不安と、とある経験の思い出とで、東京一人歩きはずっと涙ぐみながらの道中でした。
でも、いざ参加すると、優月さんの存在のなんと大きいこと!
生き生きとした Welcome♪ な雰囲気とあの笑顔、そして一人一人への声掛け。
それを発信し続けて頂けること。
それだけで大きな安心感が得られました。
一泊し、ゆっくり時間をとったのは正解でした。
クレンジング・リアクションはそんなになかったと思うのですが、家に帰っても一人の時間を持つことが難しいのと、まだ参加した感覚がしっかり残ったまま、時間を使って浸りながら振り返られたことが良かったのでした。
○参加して変化したこと
「ありのままの自分、感じるままの自分」
が素直にココに居ること。
「これ好きかも……でも他の人程じゃないしな。違ったら嫌だしな。だから表に出さずしまっておこう」
この「好き」は何でも当てはまりました。
得意でも、苦手でも、正しいかそうじゃないか、でも。
けど、人程じゃなくても間違ってても、自分が感じたことには変わりない。
なら、その気持ちを肯定してあげよう! 表に出してあげよう!
そう思える様になったことです。
これが日常でうまく反映されているのか、周囲の方々の想いを素直に受け取ることにも繋がりました。
○ ワークについて。
ペア組みと聞いて正直ちょっと嫌でした。
1対1って苦手なんです。
言葉にするのも苦手なんです。
ですが、ペアになった方どちらも、境遇は違えど共感できる部分があり、安心し心強くもありました。
ワークでの与えられた3分。
これは私には長く、言いたい事も一言で片付いてしまうので、残りの時間はお相手の方と苦笑い。
周りが解放されて行くけど、私はそんなに……と感じてしまいました。
(そう見てはいけないのですけどね……裁くのをやめるのは難しいです。)
2度目の3分で留まっていた所に優月さんからの声掛けを頂いて、改めて瞑想すると、ふっ、と過去の空間にワープしていました。
そして少し進んだところでタイムアウト。
やはり振り返ると自分自身、胸の中のひっかかりが取れなくて、素直に解放することは出来ませんでした。
それとどうしても「説明」になってしまう……。
思う以上にひっかかりが頑丈なのか、勇気がまだ出ませんでした。
ですが、フォローのお陰でこれから自分で振り返るときや、次回参加時に先へ進むきっかけになったと感じています。
優月さん、ありがとうございました。
最後、寝転がってリラックスしたとたんウトウトしてしまい、PAY FORWARD の〆が記憶からすっぽり(汗)。
それが唯一悔やまれるところです(涙)。
○ 次回は、すぐ6月の「インナーチャイルド・ワークショップ(後期日程)」に参加! と考えていたのですが、自分にとって一番慎重に、しっかり解決すべきなのが後半だと思い、少し遠回りをする事にしました。
もう少し自分の気持ちを柔軟にして、打ち明けて解決する為に、他のワークショップを受けて、大人の私の準備をしてから子供の私を迎えに行く事にします。
(ワーク内で「ここが気になったらこのワークショップを受けてみるといい」という説明が決め手になりました)
そしてもう一つ。
お昼に今回参加のお2人と偶然ご一緒できた事も、すごく嬉しかったです。
ぷらっと入ったお店で先に居らしてて、お邪魔したのですが、そこでのお話も共感できる事、大きな気付きがあり、今後参加するワークショップの参考にもなりました。
お二方、ありがとうございました。
最近起こった、そうそう経験しないであろう人生でのツライことがあって、不思議とたどり着いたココ。
行動派ではない自分が、思い切って参加したら、自分がずっと抱えて苦しんで、どう対処していいか分からなくて。
でもどうにかしないと人生ダメになる。
でもきっとこのままどうしようもなく苦しむのだろう……と悩んでいたものを、なんとかなるかも知れない! と感じたスゴい場所でした。
30代目前の私にとって今、人生初の休憩です。
(先日退職し、この先未定です)
真っさらで時間のある今だからこそ、ココで解決し新たな自分を得て、次の楽しい人生に進むために頑張って向き合っていきます!
一歩一歩小さくても着実に、進んでいきたいと思います!
本当に「今」ココに、皆様に出逢えたことが幸せで心強いです!
またご一緒する際は、どうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございました!!