Y. T. さん(30代/兵庫県よりご参加) のゔぁーりすクラス
このコースを歩き切った私へ
三ヶ月間、お疲れ様だったね、ほんとお疲れさん。
三ヶ月間の投稿を読み返していると、今までの歩いてきたコースの時は、いっぱい忘れていた事があったのだけど、今回は、どの出来事も覚えていました。
出来事の振れ幅が、以前は大波のようだったのが、ちゃんと軌道修正出来るぐらいの波になったんだな…と、感無量です。
あー、私は、等身大の私の現実を生きているんだ。誰かの為に、誰かからのいい評価の為にではなくて。私が私を生きている感覚と、それに見合った生活。
それが、とてもとても愛おしい。と感じました。
最初に、「育児がしんどい。ほかのママさんはこんなにしんどいのか?!」と言っていました。
そして、最後には、「しんどい。そして、それにはちゃんと理由があった。」と思う様になりました。
たった三ヶ月、されど三ヶ月…なんでした。
三ヶ月前の私には、想像すら出来なかった「今、ここ」が、目の前に広がっています。
それは、魔法でもなくって、誰かの力でもなくって、この私が、私の人生に向き合って生まれた「今、ここ」だということ。
もう、絶対に、この安堵感や安心感を手放すもんか! って、強く強く思っています。
出来なかった事をあげればきりがなくって。
この三ヶ月は、ただただ必死にしがみつくだけで精いっぱいだった。
そして、それで、OK だった。
それぐらい、私は私でいいってこと。
出来た事を、いっぱい見つけよう。そう思える様になったこと。
そんな自分が愛おしいんです。
回復を始めた頃なんて、こんな気持ちになれるのかって、想像も出来なかった。
きっと、こんな気持ちが本当にあるなんて信じれなかったな。
よく歩いてきたね、私。
そして、これからは、これからも、歩いていくのだ。私の人生の道を一歩一歩。
一歩一歩行こう。疲れたら休んで、また、立ち上がろう。
その方が、よろよろしないで、ちゃんと前を見て歩けるから。
今日も、明日も、この私で生きていこう。
無理に背伸びしたりせずに…。
共に歩いたお仲間さん。
皆さんと一緒に歩けて、本当によかったです。
温かかった。
どうもありがとうございました。また、お会いする日まで、お元気で。
ONSA スタッフさま、いつもありがとうございます。
藤沢さん、今回も見守ってくださりありがとうございました。
次回も宜しくお願いいたします。
C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) のゔぁーりすクラス
これから、今と未来の私への手紙を書きます。
(読みにくいかと思いますが、許して下さい。)
いつも思うことだけれど、3か月間あっという間だったね。
11週目まで終わって感じた事は、正直「難しかった!」「出来なかった」「歯が立たなかった」ってこと。とても消化するところまでいかなかった。
そして、おぼろげながら「私はこういう人かも?」と分かってきた自己像も又揺らいでしまった。
「これは、性格なのか? それとも、役割なのか?」分からなくなった。
何をしても、何を学んでも、「自分は何か? 誰か?」という問いにぶつかる。
すっきりした気持ちで PAY FORWARD なんか書けない。
そう思っていた。
事実、現実の中ではまだ傷ついた子供を抱えながら、健全な処世術もあやしいままトライ&エラーを繰り返している。
知れば知るほど先へ進めば進むほど、苦しい。
まるで、胸までの雪か泥の中を、必死にかき分けながら歩いているみたいだ。
そして、3か月の記録を振り返った今。
苦しい気持ちは消えないけれど、やりっぱなしにしないからこそ気付くことがある。
確かに、私は学んだことをすぐ飲み込めなかったけれど、この3か月よくやっていたよ。
このコースの課題に、ONSA WORKSHOP(対面式)、カウンセリング。
回復の本を読み、自分の楽しみの為の本も読み、新しいことも始めて…。
自分を助けるため、時間を充実させるため、不器用だけど充分真摯だった。
課題を振り返って、私も仲間もあまりにいじらしくて泣けてしまった。
「出来たこと」より「出来ないこと」に注目する、古い習慣が出ちゃってたね。
私は、回復を始めるまで、自分がどんなにがんばっても、どんなに手に入れても満足出来なかった。
自分がどれだけ自分に厳しいか、知らなかった。
今は、忘れてしまっても、こうやって立ち止まって気付くことが出来る。
それに、「出来なくても・分からなくても」、学んだこと・現実から目をそらしていない。
(だからこそ、苦しいんだと思う。この苦しさ・重さは、現実の重みだと思う。)
その事実を「評価しないで、ありのままに見る」を思い出している。
(これは、カウンセリングで何度も出てきたことだ。)
今回出来なくても、今までやってきたことの全てが無駄になった訳ではないと分かっている。
時々嫌になって脱線しても、必ず戻って来ている。
「ダメじゃないし、なかったことにしない」と思っているからこそ、この先も回復を続けようと思っている。
回復を始めた頃は、ワークショップが終わると共依存的な「手っ取り早く自分を上げること」をせっせとしていたけれど、今はもう、それでは空しいのだと知っている。
正直、周期的に「回復できたとしても、私の人生はもう変わらないよ」って虚無的な気分になって、落ち込んでもいる。
でも、あきらめない。
自分の為に勇気を出しているし、こうして自分を励ますことも出来る。
充分、筋力がついてきたんじゃないだろうか?
その一方で、私は「今」「ここ」のこの現実の中で、実際に「出来る」ようにならないといけない、と強く感じている。
心に傷を抱えたまま、あやふやな処世術のまま生きて行くのは、危険すぎる。
別におどされた訳じゃないけれど、そう自覚出来たのは良かった。
(このコースはまだ早いんじゃないだろうかと思いながら始めたけれど、そう知れただけでもチャレンジした甲斐があった。)
今になって感じることだけれど、正直前期日程までは(過去をメインにやっているうちは)、「もう変えようがないから」「生まれながら与えられた環境に左右されていたから、仕方ない」と、どこか被害者のままいられた部分があった。
でも、今とこの先を生きて行かなければならないのは、今のこの自分。
話したら理解をもらえる病気や障害(決して、それらを軽く見ているとか、悪く言っている訳ではなく)とは違い、AC であることを回復の場にいる以外の人に話しても、おそらく分かってはもらえない。(相手が健全な人でも。健全な人だからこそ、か。)
孤独だ。
手術すれば治るというものではなく。
公的な補助がある訳でもなく。
今までが損なわれてきたからといって、待っていれば自動的にいいことが起こる訳ではなく。
AC だからといって手加減されない(どころか、AC でい続ければ危険度が増していく)この現実の中で。
私は、これからも生きて行かなければいけない。
回復を続けながら、自分の時間を充実させ、幸せにしていかなければならない。
(なんだか、又途方に暮れて、孤独になりそう…だからこそ、これからもしがみつき続ける。)
私に取っての幸せって?
調査票に何度となく「幸せとは?」を書いてきたけれど。
気付いてしまった。
本当のところ、私に取っての幸せは「愛されること」だった。
子供のように無条件に受け入れられ、関心とサポートを与えてもらうことだった。
ごく幼い頃失ってしまったものを、今も切実に求めている。
(私は東京にいた頃、家族や多くの人に愛されたと感じていて、幸せだった。
けれど、引っ越し後、それを失ってしまった。
だから、「家族から愛情を引き出すことが出来たら、又幸せになれる」と思って、家族問題・共依存のループにはまってしまった。
そして、そこまでしても、本当の意味で家族から又愛されることはなかった。
だから、「私は愛されなかった」=「幸せじゃない」「これからも、幸せになれない」になっていたのかもしれない。)
同時に、大人の私は、それは無力で受け身にならざるを得ない子供の考えだと分かってもいる。
そして、気付いている。
今、目の前に「私が何をしても受け止め、守ってくれる親のような絶対的な存在」や「理想の王子さま(もはや、ギャグにしかならないね)」がいたとしても、私が今本当に欲しいものは手に入らない、と。
私が今本当に欲しいのは、精神的にも経済的にも健全に自立すること。
自分自身を守れるようになること。
仕事や対人関係を含め、大人として自分の人生を全うするスキルと自信。
趣味・嗜好の合う気の置けない友人と、心置きなく楽しいことを話すこと。
「安心」や「幸せ」を感じること。そう感じる時間を増やすこと。
充実した時間を増やしていくこと。
(これって言葉を変えると、私が望む「幸せ」なんじゃないだろうか?)
人として、決して大それたことを望んでいる訳じゃない。
こういったことを、普通に出来るようになりたい。
「実際に、自分が出来るようになること」
それを、私以外の人が私に与えることは、無理だ。
それは私にしか出来ないことだし、自分の責任でそうなるしかない。
人に「幸せ」にしてもらうのは、無理なのだ。
楽してなろうったって、なれない。
当たり前のことかもしれないし、頭では分かっていたつもりだったけれど、このコースで初めて腑に落ちたような気分だった。
ここまで書いてきて感じた。
ああ、本当に。私はもう2度と戻って来ない「2017年の夏」という時間を、このコースと仲間と共に過ごしてきたんだな…。
最近、ほんの少しだけど、家族のことがいい意味で「どうでもいい」になってきた気がする。
ちょっとまとまりはつかないけれど、その他にこのコースで感じたことも書いておくね。
実感としてはもう薄れてしまった部分もあるけれど、大事なことだし感じられたこと自体すごいと思うから。
- ・回復を始めた頃は「正しい決まった答えがある」と思っていたし、最近まで「自分の中の正しいと思われる答えに向けて、自分の感情の方を合わせて行く」のが決めることだと思っていた。
最近やっと、おぼろげながら「あらかじめ決まった答えがある訳ではない」と分かって来た気がする。
「自分の感情の動きを見ながら、少しずつ軌道修正していく」
だから、「最初から答えが分からないのが当たり前」。
分からないから不安になるのは、自然なこと。
「結論は、自分で作っていくもの」だということ。 - ・少し前まで、「回復最優先だから、自分の持ち時間全てをワークに捧げる位の勢いでやる」「ワークは『出来るまで』やる」のが、回復優先だと思っていた(出来ていたかどうかは別として)。
今は、それは無理なんだと分かった。
それでは、回復だけでは、私は苦しい。続かない。
「回復にかけられる持ち時間は限られている。その限られた時間の中で、最善をつくせば OK。」 - ・「(自分の)やさしさ(良心)なんて、じゃまだ」と思ったことがある。
「やさしくなければ、期待されないのに。私が出来なかった時は責められるのに、日頃優しくない人がちょっと優しくすると評価されるのは、不公平だ。」って思っていた。
でも、私に「良心」があるから、私は私を大切にしようと思えるのかも? - ・「ダメなものは、ダメ」「無理なものは、無理」「出来ない物は、出来ない」
どうしようもないこともあるし、そもそも人の問題はその人の問題なのだ。私の負うものじゃない。
私が負えると思う方が、傲慢だと思う。
そうやって何か自分が特別になったような気になるのは、思い上がりだ。
今までと違う意味で、いい意味で、「仕方ない」「あきらめるしかない」と割り切ることも大事なんだろう。
今こう思っていても、私はきっとこの感覚をすぐに忘れてしまうだろう。
でも、だからこそ、何度でも思い出したい。 - ・これまでの私の「行動する」が不発で、もう何をする気力もわかないほど疲れ切っていたのは、「『自分を知る』すっとばして『トライ&エラー』を疲れ切るまでやった」からだったのかもしれない(思いっきり、世の中の共依存の仕組みにはまっていたのかも…)。
「行動」の本質を知らず、練習出来ず、出来なかったから起こっていたことだったのかもしれない。
1回では到底、すぐ自分を知ったり出来るようになったりは出来ないと思う。
「行動」には時間がかかること。
だから、「行動」の前にしっかり自分を知らなければならないこと。
そうしないと、不本意な「行動」を繰り返している内に、本当に満足出来る行動をする前に「時間切れ」になってしまうこと(これ、まさに自分のことだ…)。
振り返りと、細かな軌道修正が必要なこと。
忘れずに意識し続けたい。
たった1人しかいない、大切な私。
これからも、宜しくね。
最後になりましたが、藤沢さん、スタッフの皆様、常にサポートして下さりありがとうございます。
これからもお世話になりますので、宜しくお願いします。
それから、共に歩んだ皆さん。
皆さんとても優しい方たちだったので、私は安心して自分と向き合えました。
うまく言葉に表せなくてもどかしいですが、本当にありがとうございました。
皆さんの幸せも、心からお祈りしています。
またどこかで、逢えますように。
K. M. さん(40代以上/京都府よりご参加) のゔぁーりすクラス
のゔぁーりすのみんな、そして、私。
3ヶ月、お疲れさまでした!
「コース1」から「コース2」…1年程一緒にやってきた仲間もいて、本当にびっくりです。
毎日毎日ワークに向かって、みんなで自分の感情や時間を大切にしてきました。
本当よくやりましたよね、私たち。
「コース2/STEP.2(前期日程)」、「コース2/STEP.2(後期日程)」は後半まだ難しいところがあって、消化しきれていません。「コース3」に行くまで、後1、2年かかるかな…。
ONSA WORKSHOP(対面式)も次の1年は Web. WORKSHOP と組み合わせて、まだまだ訓練が必要です。
このコースの最初はとっても怠惰な自分からスタートしました。
なぜだかわからないけれど、とってもやる気が出ない自分でした。時期もあるけれど、体調もよく崩しました。それでも毎週、ワークに取り組みました。
その中で頭がクラクラするような事実を知りました。
良心をもたない人達が多くいるという事実。そして、私達は、その良心があるからこそ悩み、ここにいて、その良心があるからこそ、愛情を感じることができるということ。
それはとっても幸せなこと。私達の宝物。このコースでは、それに気づかせてもらいました。
良心のない人は、平気で私達の持ってるもの、宝物を持って行く。共依存の私たちだから、取りやすい。自分の良心を守るために、ノーということがどれほど大事か、共依存をなおすことがどれほど大事か、知りました。
共依存者の問題に基づく生き方から、相互依存者の機会に基づく生き方への訓練。
そして、健康的な交渉する、責任をとる訓練。
とってもとっても大切なことをしてきました。もっとやりたい。身に付けたいです。
ここまで一度、みんなとたどり着けたこと、本当に嬉しく思います。みんなや優月さん、スタッフのみなさんのおかげです。ありがとうございました。
この3ヶ月、エラーに強くなってきました。そして、やりたこともたくさんあります。
自分を褒めることも上手くなってきました。
あと何度かまたここに戻ってくることで、どんな自分になっているか、楽しみです。
そんな自分で、またみんなとどこかで会えること、楽しみに、ワーク続けていきますね!
では、それまで!
自分を大切に、焦らず、比べず…ですね。