M. I. さん(40代以上/福岡県よりご参加) ふなばらよしのクラス
ONSA で自分の家族のルーツや、自分が結びやすい関係性を見つめて、数年がたちました。
この大切な数年分の時間をかけて、そのかたちを大分、つかめるようになったと思います。
そして、これからどうするのか。
そのことを確認したくて、今回、勉強会へ参加しました。
勉強会に参加してわかったのは、「わたし」という人間の、唯一無二の、こんなに近くにいるのに、感覚として浮き上がるのをつかむのが難しい、この「わたし」のかたちを掘り出していくプロセスにいるということ。
こうしてことばに書けば、タイプすれば文字として浮かび上がるのに、それを体感しながらこの人生に浮かび上がらせるのは、すぐにはたどりつけないことなのだ、ということはわかりました。
そのために、じゃあ、何をしなくてはいけないのか。
自己対話だけじゃ、もちろん足りない。
わたしの家族のあり方を、少しは客観的に浮かびあがらせるのにこの数年が必要だったように、おさえてしまって忘れてしまった、無理してちがうかたちに作り直そうとしてしまった、そのなかで触れられなくなった「わたし」を掘り出すのは、相当な時間と忍耐力がいるでしょう。
そして、一番、わたしがしたいのは、いのちがあるあいだに、その「わたし」に触れて、いろいろと否定してしまったけれど、それがどんなわたしであろうと、YES と言いたい、この人生を受け止めたい、ということです。
まだまだ道は続くし、わたしがどんな道へいこうと、今の回復のなかで時に感じる苦しさ、そのなかでの迷いもふくめて、わたしはわたしの人生しか生きられないのだ、とあらためて、その思いを強くしました。
この数年、自分がやってきたことはけっしてむだじゃないと思っています。
その整理をするポイントに、この勉強会があったことを幸運に思います。
当日は、ONSA スタッフのみなさま、藤沢さまにサポートいただき、ありがとうございました。
そして、お仲間のみなさんも、お疲れさまでした。
M. M. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) ふなばらよしのクラス
ずっと暖冬で、今日もこんなに温かい日だったのに、よりによって…。
当日の天気予報は冷たい雨。
最高気温は朝が一番高く、だんだん下がるというもので、日中は6度とか7度。
実はワークショップ・クラスへ行くことを「重く」感じていました。
年度末で仕事が忙しく、この状況で、この天気というのは、行かないで家で休んだら? ということではないか? とも思った。
そう思いながらも、ワークショップ・クラス当日の準備をしている自分がいた。
寒さ対策も万全に!
「寒くて辛かった」という時間・場所には絶対したくない! と思っていた。
いつもはペットボトルのお水(常温)だが、
「そうだ! 水筒に温っかい、ほうじ茶を入れていこう!!」
少しワクワクしてきました。
「温かい」を第一に服装を選び、レッグウォーマーやウルトラダウンも持った。
寒いのが苦手だから、いろんな小技を持っている自分。
カイロもたくさん貼っていった。
そうして参加した、ワークショップ・クラス会場は、本当に心から温かいと感じる場所となった。
ONSA WORKSHOP(対面式)は久しぶりな感じもしていて、緊張していたこともあったんだと思う。
初めての ONSA WORKSHOP(対面式)では、知識はいろいろ得ることができたけれど、たぶん実感はあまり得られず、不完全燃焼で、モヤモヤとしてもどかしい気持ちがあったんだと思います。
実際の日常に、すぐに変化が起きるというわけでもないから。
当時は、「すぐに! ちゃっちゃと変化させないとぉーーーっ!!!」って、切羽詰まった事情もあったしね。
(そこの事情自体は今も変化はしてないんだけどね。)
初めて、Web. WORKSHOP「コース0/STEP.1」を受けてから、約1年。
続けてきた Web. WORKSHOP では、自分の成長を感じ始めていた。
自分の「気持ち」に対する感度が上がってると感じられるようになった。
自分が自分で抑え込んでいる気持ちを、そのまんま、見つけることができるようになってきたのだ。
今回の春の WORKSHOP では、
「知識と自分の気持ちがつながることが大事」
と書かれてあり、「そうなんだよな」と感じる自分がいた。
より目的意識を明確にできている自分を感じる一方で、結果が得られなかったら失望しちゃうな、という恐れや今現在の混乱に巻き込まれちゃっててて、がっかりな自分を、さらにがっかりさせるのも怖かったのかも。
そんないろいろな不安も感じながら参加したワークショップ・クラス。
その必要はまったくなかった。
というより、
「不安を感じてる自分を、自分が受け止めてあげればいいですよー」
でした。
それに、優月さんが、たくさんたくさん褒めてくれて、
「いつもいつも本当に頑張っていますよ。なのに、ここにいる人たちは『そうでもない』って思う人達ばかりなんだから~」
と。
ワークショップ・クラスでは、1年の総復習ができたように思う。
自分がここまで頑張って、しがみついて、
続けてきたから得られる「実感」だと思った。
そして、自分の今年のテーマも見つけられた。
境界線 → そのためには、まず「自分」堀り。
様々な問題の根っこが、ここ(自分がないこと)にあると、感じた。
他人の評価を気にして、他人の評価で生きていること。
他人に渡されたかもしれない責任感。
他人がよいとする生き方、行動。
これらに「本当?」と時々でも、疑問を持ちながら、生活してみよう。
そうして、日常に戻って、やはり巻き込まれた状況の数日間。
そのなかで、すでに「ん? これは??」という「気づき」とまでは言えないけど、違和感を感じ、その原因が境界線の問題にあるな、という勘が働き、結局「自分」がないことが原因だと感じています。
現実的に対処可能な課題なんだろうな、と、ほんのほんのちょっとだけど感じられていることに今、「小さな希望」を感じられています。
開催が危ぶまれるような状況のなか、足が遠のくような天候。
そのせいで(おかげで)、ランチの場所をあまりうろうろしないで決められて、ガラガラだったから、窓際の眺めのいい席に座ることができました。
ランチ中に、雪が舞い始めたときには、笑っちゃいました。
ワークショップ・クラスの終わりに、
「今日はまっすぐ帰らずに、どこかで一人で今日の振り返りをする時間をとってください」
と(いつもそうですが)言われてスタバによると、やはり、ここもガラガラでした!
ここでも窓際の席を選んで座り、雪の混じった冷たい雨を、あたたかなココアをのみながら眺めていて、思いました。
今日のこの悪天候は、「行かない方がいいよ」ではなく、ちょっとやそっとじゃ自分のことを褒めようとしない自分のために
「ほら! いつもこれくらい頑張ってるんだよ。エライ!!」
と思わせるために、わざわざ越えられる程度にハードルあげてくれたかのように感じることができました。
方向音痴の私は、お店選びでいつもならウロウロして疲れちゃうけど、今回、どこもガラガラで、そこのハードルは下がってたしね。
優月さん、皆さん、とてもとても温かな一日でした。
ありがとうございました。
T. M. さん(40代以上/東京都よりご参加) ふなばらよしのクラス
ワークショップ・クラス、お疲れ様でした。
日程の都合もあり初級編のみの参加だったけれど、すごく濃厚だった。
そして、これまで取り組んできた回復の道のりを、知識も、体験も含め自分のこととして本当によい意味で振り返ることができたと感じている。
PAY FORWARD 提出までの時間も、どーっと疲れを感じたりイライラしたりとクレンジングリアクションもちゃんとあってしんどかったけれど、それがどういうことを意味しているのかなということを、身体と心をもって感じることができたと思う。
私が ONSA に本格的につながったのは、出戻りからだった。
その当時のこともはっきりと思い出す。
叱られるんじゃないかな…と恐怖を抱えての参加からだったから。
その時の私はいろいろなことに怖がっていた。
その歩みから6年が過ぎ、ようやく私の身体と心で体感することと知識とがつながってくるようになった、と改めて気づく機会になった。
今言えること、本当にしがみついていてよかったということ。
あきらめずにやるぞという根性論みたいな枕詞抜きに、気持ちが晴れの日も曇りの日も、雨の日もただただしがみついてやってきた。
私にできたことはそれだけだった。
でもこのでこぼこ道の歩みが、今の私であり、それが私を揺るぎなく支えてくれていることにつながっていると思える。
基本に立ち返ると、見えてきた。
何度も同じこと学んでいるはずなのにと思うけど、それは、許容できるものしか受け入れられないという自分を守る大事な機能の所以という言葉の通りなんだなと。
今は、改めて、私がいかに毒されてきたかということをまた知るきっかけになったし、住んでいる水が違うと言われた自己肯定についても深いな…と再認識したり。
ここ最近、“反応” で対応してきたことについても考えていたところだっただけに、絶妙なタイミングで “反応” について学ぶこともできた。そこで、改めて、“自分” がいないということがどういうことなのか…を、感じていた1週間だった。
全てに通じているということも、あぁ、そういうことなのか…と気づいて、泣けてきたりした。
ワークショップ・クラスの安全空間から現実の世界に戻ってくると、感じ方がこれほどまでに違うんだということを、身体と心は教えてくれた。
現実世界で生きていく、毎日を回していく上で現実に合わせて対応することが必要なこともあるけれど、私が所属する職場は高刺激に満ちあふれていて、私が日々いかにどれだけのアドレナリンを放出しているのかを改めて知ったし、これまでそういう状態が数日続いても平気だったが、ワークショップ後の心も体も柔らかい状態だとその反応は違っていた。
アドレナリン放出後の翌日の午後にはもうエネルギーは残っていなかった。
身体の悲鳴だった。
これまではその悲鳴にも気づいてあげられないくらい、高刺激に染まっているのが当たり前過ぎたということなのかもしれない。
この1週間での気づき、これからの気づきを大事にしたい。
私からのメッセージをこれからもちゃんと受け取っていきたいと思う。
そして改めて、ひとりじゃないよ、の力の大きさも感じている。
優月さんはじめ、クラスの皆さんと学べることが、私にとって、とても心強く感じているということを。
今回、たくさんの気づきを共有できたことに感謝して。
優月さん、クラスの皆さん、ありがとうございました。
N. G. さん(30代/群馬県よりご参加) ふなばらよしのクラス
みなさまお疲れ様です。
参加してよかった、これが今の気持ちです。
新しい視点がもらえました。ひとりじゃきっと分からなかったです。
ひとりになるのはもう十分。
これからは助けをもらって、幸せに生きていきます。
これからもよろしくお願いします。
A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) ふなばらよしのクラス
今年1年のための準備をしたいと思い申し込みました。
プレワークでされる問いかけは簡単な風に見えて、実は意識して深掘りしたことがない事ばかりで難しかったです。私は自分が感じていること、心の中に強く願ってることをよくわかっていないようでした。
今回プレワークとワークショップ・クラスを通じて1番強く感じたのは
「自分の軸がない」
「共依存」
を自分の体感としてわかったという事です。
ずっと言葉や知識としては知っていたけどぼんやりしていましたが、納得できた感じです。
ポエムではない正確な知識は私の感じてることを整理してくれました。
自分の心も体もたくさんのサインを出していて、それをキャッチする知識がなかったこと。
感じないようにしてきたこと。
後付けの知識で自分で回復していくこと。
私の世界観と普通とのズレがどうして起こっているのか仕組みもわかりすごく納得しました。
また翻ってひとりではそのズレに気づけなかったと思います。
自分に何が起こってるのかが理解できたのは大収穫でした。
S. H. さん(40代以上/東京都よりご参加) ふなばらよしのクラス
今回は、本当に受講して良かったなぁと感じました。
最近感じていた違和感の原因が改めて理解出来た感じです。
長い間回復作業を続けてきたのに、最近しんどくなってきていて、どうしちゃったんだろう? と私は焦っていました。
ここ数年にしてきた自分の選択は、あんなに考えて悩んで出したことなのに全て間違っていたのか? 自分を責める気持ちと「またなの?」というがっかり感。
そして年齢を重ねている「焦燥感」。
見ないふり、考えないふりをしたいけど、その先のリスクを解っているだけにそれも出来ない。
でもどうしよう。
そんなぐるぐるのループでした。
だけど、回復はスパイラル。私が歩いてきた道は、無駄なんかじゃない。
ちゃんと前に進んでいる。
それに気が付くことができました。また、これから取り組むべき道も明確になりました。
「まじか! はぁ…。」という心の声が大きく聞こえてきたけど(笑)。
これから取り組むことは母とのこと。激しすぎた父の陰に隠れて片手間で向き合っていた母に焦点をあててがっつり向き合っていきたいと思いました。
最短で、確実に取り組みます。
多分、しんどい時間が増えるのではないかと思います。
おそらく回復作業の最中で逝ってしまうだろう母。
(今、闘病中です)
そんな母にちゃんと怒りを感じることはできるのだろうか? 感情を丸出しにできるのだろうか? 考えるともう、何も出来なくなります。
なんらかの機能障害だったのに、納税や行政とのやりとり、銀行とのやりとりやら、こなしていた(ように見えた)大人の母と、話をしても見当違いの返答ばかりだったりしてた母。
ずっと感情をフリーズさせて生きてきたであろう母。
私は、ずっと母を守ってあげなければとどこかで思って生きてきた感があり、そんな自分に気が付くことができました。
これからの時間を考えると、正直ため息が出る。
だけど私は、今が人生の分岐点なのではないか、そんな気がします。
もう、頭のなかでぐるぐるするだけの時間は少しづつ終わりにしたい。
自分の中の怒り、ストレス、感情を解凍して、今を、この毎日を平和に過ごしていきたい。
何かをしたらちゃんと報われる社会を実感したい。
そう思います。
優月さん、みなさん。
ご一緒できて嬉しかったです。
次回お会いする時は、世の中も少し落ち着いて景気も回復していて欲しいですね。
今回は、本当にありがとうございました。
H. T. さん(40代以上/東京都よりご参加) ふなばらよしのクラス
ごちゃごちゃしていますが、思い付くまま書かせて頂きますね。
Web. WORKSHOP を受講していた時から、自分が二重になっているような、眼鏡を取ると視界がぼやける様な感じが続いていました。
木のお話しのように、私はどんぐりでどんぐりが好きなのに、母から「みんなが桜なんだから桜でないとおかしい、さくらんぼの方がみんな好きなんだからどんぐりはおかしい」と言われ続けてきた! とハッとしました。
そうだよ、私はどんぐりなんだよ、と。
母は文字通り、0か100思考の人で、幼稚園時代にエレクトーンを習いたい、と言った時、「自分で決めた事なんだから絶対に辞めちゃだめ。それでも出来るか」と雨の中エレクトーン教室の前に連れていかれた事が忘れられません。
辞めたいといっても、自分で始めた事でしょ? と言われ、渋々続けた事、新しいことを始めたくても腰があがらなくなってしまった事。
みんなほどほどの中で暮らしていると聞き、私が軽はずみで怠け者だったわけではなかったんだ、よかったと思いました。
(そもそも、軽はずみでも度を越さなければ問題ないですよね…。)
私が生きづらさに気づいたのは、産後子どもを育てている中でした。
子どもと接していく中で、例えば、道路に飛びだしたら車が来て危ないよ、というのはしっくりくるが、すいてる電車で子どもに「座りたい」と言われた時「そうだね、座ろう」と言いながら、モヤっとしてしまう…子供の頃、母から「子どもは電車賃が半分だから【絶対に】椅子に座ってはいけない」と言われていたからです。
こういう小さな事が積み重なり、だんだん自分が良くわからなくなっていったんだと思います。
自分が良くわからなくなった事や善人で可愛がってもらった祖母が亡くなった後、なぜかとても解放感があったことや、結婚して感じた自由感にも、名前があり科学的な裏付けがあったことを知り、とてもびっくりしました。
また、相手の雰囲気を察することをせず、自分の意見ばかりぶつけてくる人に
「どうして? どっかおかしいんじゃないの?」
と思っていたのが、ヅケヅケ側が健康的な人でおかしいのが自分と知った時は、鏡に映っているとみていた世界が本当の世界で自分のいる世界が鏡の中だった、みたいな衝撃をうけました。
勉強後、過去の色々なモヤっとした出来事が次々と頭に浮かび、モヤっとした事に答えがあるんだ! 伏線を回収していく推理小説を読んでいるような興奮が続き、よく眠れませんでした。
でも次の日、目を覚ました時、「安心」ってこういう事なんだ…と体感できたのです。
これも、嫌な事や人とは物理的に距離をとって良いと教えて貰ったからです。
もちろん、今までも知っていたし、理解したつもりではあったのですが、母から「おじいちゃん(母の実父)が怒るから」とか「おばあちゃん(母の実母)が悲しむでしょ?」と常に私が自分の世界へ飛び出すことや、年相応の家族と距離を取る事を許してもらえなかった環境に身をおかされていたので、自分に許可する権利が無いと刷り込まれていたことに気づきませんでした。
正直、古き良き日本的なサザエさんの様な家庭で育ったので、母や祖母がしてくれた事は善意からと思っていた事が、その裏には自分たちの身を守るため、自分たちが暮らしやすくするためだけと気づき、悲しいしショックです。
イイ人ぶらずに率直に話してくれていたら、もっと早くループから抜け出せたのに、私だけが自由で幸せな道を進む事がどこか許せないと無意識でも思っていたんだろうなと悔しい気持ちでいっぱいです。
身体がとても疲れやすいのも、年齢的なもの、と思っていましたが、記憶のない位小さい頃から気持ちをすり減らしてすり減らしてきた結果なんですよね…。
愛と勇気だけが友達と歌っているアンパンマンだって、一緒に戦ってくれる食パンマンやカレーパンマンがいるし、顔が汚れればジャムおじさんが新しい顔を作ってくれてバタコさんが届けてくれる。
敵のバイキンマンには堂々と「許さない!」とアンパンチもできる。
なのに、私は顔が汚れても身がほとんど無くなってもマントが破れてもひたすら一人頑張り続けてきたんだと思うと、自分で自分が可哀そう、本当にお疲れ様だったね。起き上れるまでゆっくり休ませてあげたい。
一番身近で信頼していた母から人生を奪われていた事を理解した今も、ショックは大きいし、ハイになったり落ち込んだり、頭も心も体もとても消耗しています。
また、知ったことによって、こんな私が子どもを育てていいのか、不安で不安で眠れなくなってしまう時もあります。
まずはいままでの自分をねぎらいつつ、落ち込んだ時はキラキラした未来を夢みて。
この年齢からでも、夢を持つことが出来た事にワクワクします。
健康で穏やかな日常生活を取り戻せますように。
T. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) ふなばらよしのクラス
今回、もう一度始めた頃にわたしが感じていたことを感じてみたくて、そして、回復の土台の知識を確認したくて、このワークショップを受講した。
回復を始めたばかりの頃、今までやってきたことが何一つ自分の意志ではなかったのでは? という疑いがめばえた。
その恐怖から逃げるように早く回復したい、何が何でもやりたい、そんな焦りや恐怖があった。それが最近薄れて、日常の不快感に慣れているような気がしていた。
プレワークで、改めて自分に問い直すと、出てくる、出てくる。
今までもや Web. WORKSHOP や日記で散々書いてきたけど、まだまだたくさん出てきた。
今には今の悩みが、自分に求めたいものが、そして、向かいたい先がたくさんあった。
どうそこに到達すればいいのか、自分の変わらなさにイライラする自分を感じていた。
いつも自分自身を足りないと感じている自分、自分に自分のことをちゃんと聞いてもらえてない自分がいた。
そして、当日。
まずはもう一度、基本を言葉で、概念で理解していった。
思えば、わたしが私に示しているサインはたくさんある。
心で感じていることは、いつも書き連ねているけれど、それ以外にも、身体に出ている症状、そして、今目の前にある現実。
そういうものをもう一度冷静に受け止めてみた。
私は体の症状や、現実そのものに教えてもらっていることを、結構軽視しているんだということにも気づいた。もっと丁寧にケアしてあげなければならないのに、「我慢できる程度」だから我慢しているのだ。
これは、今までやってきた機能しない方法だ。今までの私と何ら変わりがない。
わたしのケアをできるのは、私しかいないのに、感情ばかりが大きく膨らみ、それ以外にあまり注意していなかったことを改めて知った。
そして、本来どうあるはずだったのか、という基本的な知識。
もう、笑ってしまうぐらい、あるはずの状態は原家族にはなかった。
大切な愛着についても、両親は多分スキンシップという程度のものとしか理解していなかったと思う。
私自身ものすごくアバウトにしか理解していなかった。
これをしっかり言葉で、理解できたのは収穫だった。
この愛着という世界への呼びかけと応答という確信があるから、子供は世界を信頼するのだ。最初は母から、そしてそれが自然に自分を広げることになるのだろう。
そこにある安定性や、規則性や一貫性が自分を信頼する基盤になる。
私は特にこれがないなあと思った。
原家族の中では、望みようもなかったけれど。
今も、自分を信じられない。自分のニーズですら疑ってかかる。
世界に対していつも恐怖を抱いている。
そして、条件なしに肯定されること。これが当たり前であるということ。
こんなに大切なことが、ありえない現状がある。
私自身、他人の境界線に入り込んでいるところもあるなと自覚した。こんなに大事なことなのに、自分にはまだぜんぜん当たり前じゃない、と感じた。
初めて自分に向き合ったときの怖さ、私は、自分の意志で選んだ事は何一つないのかもしれない、という思いは、正しかった。
私は察知するのも、演じるのもうまかったので、誰にでも対応できたし、条件を満たし、目の前の状況を生き抜いてきた。
そうやって物事に反応して行動することを、自分が選択したことだと勘違いしていたんだ。
意思を持つことと勘違いしていたんだな。
今まで反応して生きてきて、ほとんどの場面で、選択したことがなかった。
そもそも、その違いにすら気づいていなかった。
人生がサバイバルだった。だからライブで生きたことなどなかったのかもしれない。
意志など持っていても、通らない。気持ちなど、受け止めてももらえない、そして、意志を持っていること自体が、危険。
自分の本当の感情を感じることが辛くなって、止めてしまったのだ。
なかったことにする方が、ラクだったんだ。そして、
それすら気付きたくなく、事実を湾曲するようになった。
私自身の自然な感情、それをとてもとても幼い時になくしたのだ。
自然な私は、気づかれると、危険と思っている。それはカモフラージュされた感情の奥の奥にいる。そうそう簡単に姿を見せない。とても小さな声、意外な声。
今それを育て直そうとしている。でも、うまくいかない。
ワクワクすること、楽しいことを思いつくと、すぐに支配する親が出てきて、本当にこれがやりたいことなの? こんなことをしていたって、お金になるわけじゃない。
これに何の意味があるの? もっと有意義に時間を使わなくちゃ。
そんなの絵空事だ、うまくいくはずがない。
とか、頭の中で聞こえてくる。
そういうことが積み重なると、イライラして楽しめなくなり、やめてしまう。
私は自分が思うようにコントロールしたいんだな。自分の身体や気持ちも。
今まで予定調和の世界しか知らなかったから、そこから出るのを恐れているから、コントロールしたくなるのかな。
そういう恐れがあるのは、いいことなのかもしれない。だって、それは少なくとも私が挑戦しているということだから。
今、イヤイヤ期みたいだ、と思った。
飽きたら、すぐ止めるし、昨日はこれがやりたいと思っても、今日は別のことがやりたいし、お金なんて二の次だし。時間なんていくらかかっても構わない。
子供ってそういうもんだ。
なのに、私はそれをコントロールして、予定調和に落とし込もうとしている。
そう、それは親にされて嫌だったこと。今は私が私にしている。
だから本当の声からはどんどん遠ざかる。悪循環。
ごめんねえ。何度も何度も。
何度も失敗するのよ。だってやったことないし。不安だし、怖いし。
早く結果を出さないといけない気がするし、意味のあるものじゃないといけない気がするのよ。
「そんなのどうだっていいよ」
本当にねえ。今やっと、そういうことが選べるようになったのにね。
頭で分かっていても、なかなか出来ないね。
「そんなの当たり前だよ」
そうだよね。失敗して、挑戦して、失敗するんだよね。
「そういうもんだ」
うん、そういうもんだ、ね。
もう一度、何度でも確認して、何度でも選び直していくよ。諦めないよ。
基本のこと、大事なこと。それを再確認できた貴重な機会だった。
自分のボタンのかけ違いにも気付けたし、それを選び直した大事な時間でもあった。
「ふなばらよしのクラス」の皆様、遠くからの参加でしたが、ご一緒できて本当に良かった。
ONSA の皆様、今回は開催くださり、本当にありがとうございました。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。