2022.06-09月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」はちすがクラス

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タイトルはじまり目印

M. S. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) はちすがクラス



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季節をなぞるように進んだ三ヶ月でした。
コースが始まった6月は、ほんとに気持ちにカビが生えたようにジメジメしてたのがわかる。

そこから天日干しの毎日だったと思う。
課題を出しては、干す。その繰り返し。

今、秋の気配になってきて思うのは、すごくいい夏だった。ということ。
こんなことが言えるのも、毎日自分なりに少しずつやってきたからだと思う。


文節区切りの線

この道を始めて数年経ったけど、その数年前には戻りたくないのは、ほんとにそう。
そして、この三ヶ月前にだって、戻るつもりもない。

変化を今までより実感している。
ようやく腰を据えてきたなと自分で思う。
最高に悩まされてきたものとその感覚と、そして、奪われてきたもの。
それらを再び掴むことができたと思う。


文節区切りの線

「わたしは、これを真剣にやんないといけなかったんだ。これを子どものときから試して検証して形づくらないといけなかったんだ。」
という、これを思い出したような感じがしたことがあった。


これ=わたしは、自分の持ってる能力で、どんな人生、どれくらいの人生なら、できそうかな。
自分のできることはどれくらいで、できないことはどれくらいだろう。
どうやったら「どれくらい」を思う存分やって楽しめるだろうか。


なぜか、書いててとても泣けてくる。
たぶん、周りの身近な大切な存在がいなければ、その存在のことを勉強しなければ、わたしは気づかなかったかもしれない。
何が起こるか、人生ほんとわかんないよね。


この夏は、ほんとにとてもいい夏だった。
そして、この夏のものを持って、次の季節に行こうと思う。
三ヶ月、ありがとうございました。




タイトルはじまり目印

A. S. さん(30代/新潟県よりご参加) はちすがクラス



タイトル下の線


今週、下の子どもがコロナの濃厚接触者扱いで休園になりました。これで3回目くらいです。
いつも、「ああ、大変だ、時間がとられる…」とがっかりするのですが、今回は少し変わりました。

「さて、じゃあ何して遊ぼうか?」と今日は切り替えることができました。
家の周りを散歩して、普段上の子もいてあまり撮れてなかった写真を撮り、涼しい風を浴びながら楽しく過ごしました。

「遊ぶこと」が人生にとってとても重要事項だという認識がないと、子育てはただただ苦しくなる。私の中で「遊ぶ」の認識と優先順位がガラッと変わったことが、一番の収穫でした。

コースを通して、私にはこんなに好きなことがたくさんあったじゃないか! と気づけて嬉しい。
楽しい。ワクワクする。


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「これは本当はやりたくないのにやってしまう」というグレー時間も、徐々に減っている。
やりたいことで埋めればいい、というのは本当にその通り。

あとは、体調を保って意識を清明にしておくことも大事だと思う。
ぼんやりした頭になると、その頭でもできるような受動的な行為に走りたくなるから。


手帳に「海」とずっと書いていたので、今週はまた海に行くことができた。
暑い中、浜焼きを食べる塩味の美味しさ。爽やかに晴れた空を見上げながら、涼しい海風を浴びる。

子どもも浮き輪で泳いで楽しそう。
下の子はまだ怖がって私にくっついていて、こちらも可愛い。

「遊ぶ」って本当にいいなあ。
五感が一気に覚醒していく。


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コースが始まった6月、私は退院したばかりで主に家で休んで過ごしていました。
この3ヶ月の劇的な回復を思うと、本当に時間って侮れないと感じます。

3ヶ月という時間を自分を壊すことに使っても、自分を再構築することに使っても、同じ3ヶ月。
でも結果は全く違う。


今の私は入院前より元気です。
この生活のペースを守って生きていくのだと決意しています。
そこだけはもう滑りたくないです。


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今までやりたいと思って後回しにしてきた、健康の見直し、食事の見直し、お金の見直し、生活の基盤となることの見直しを、この期間にやってきました。
そうやってコツコツ築き上げたものは、そうかんたんに揺らがない。
その感覚もよくわかります。

ONSA WORKSHOP(対面式)のプレワークも、仕事をしている時よりもよりじっくりと取り組むことができて、その分しっかり感情を味わい噛み締め、悔し涙を流して浄化することができました。


「無理だ」と思っていた、遠方の医療機関への受診も、2回できました。
無理なんてことはない。
ちゃんとしかるべき時間を自分に与えればいいだけだったんだ。


食事の質と出費とのバランスをとることも、難しいと感じていたけど、具体的に考えて取り組んでみると、案外できる。
適切に「考える時間」「実行する時間」を自分に与えることが自信につながる。

これは、ここまでの大きさの壁にぶち当たって一度ストップしなければ、できなかったことだと思います。


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些細なことでも自分なりに調べてから決めるという習慣もできてきた。

子ども用の虫刺され薬の成分、水道水の中身…。
そうすることで確かに一時的に時間はかかる。

でも一度調べて自分で決めた対応は、その後長い間、効力を発揮し、私の人生を運んでいく。
結果的に調べた分の時間のもとはとれる。


仕事の再開は、本当に慎重に、無理のないペースで始めた。これも本当によかった。
私のペースを守ってあげられたという自信につながっている。

さまざまなトラブルやイベントも発生したが、それを踏まえても休めるような無理のないスケジュールで安心して過ごすことができた。

嫌なことを嫌だと感じられるようになってきた。
それを安全に表現できる、この場があることは本当に心の支えになっている。


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ONSA を始めて1年ちょっと。
ワークショップと生活を並行することに慣れてきて、手帳の年間表や月リストで予め検算をした上で、仕事の休みをいつとるか決める、ということもできるようになっている。


例えば ONSA WORKSHOP(対面式)の翌日は休みをとる、とか、Web. WORKSHOP と ONSA WORKSHOP(対面式)のワークが重なってる時期は忙しいから予定をこれ以上入れない、などと工夫するようになった。
これを決める作業は大事なので、必ずチェアワークも行っている。


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6月くらい、人目を気にして我慢するということがまだあった。
今、だいぶ減っている。ちょっとずつ、我慢ができなくなってきた。

お腹が空いたら食べたい。のどが渇いたら飲みたい。
トイレに行きたい。
かきこまずにゆっくり食べたい。

嫌なことをされたら、喧嘩にならない程度に指摘する。
少しずつ言えるようになってきたし、率先して行動するようになってきた。
ぶっ通しで何かに過集中、も減ってきた。


「私は料理が苦手だ」という思い込みも、全然違ったということに気づいている。
もちろん手のこんだ料理はあまりやりたいと思わない(夫から「豚の角煮が食べたい」と言われて困った顔をしたら、引き下がった)。

けどだから料理全般が嫌いだということではなかった。
しかるべき時間を自分に与えれば、ある程度できるし楽しめる。時間を与えてこなかっただけなんだ。


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少しずつ、“私が” ともに生きていきたいと思える人と、そうでもない人が見えてきている。
まだはっきりはしないけれども、輪郭を掴み始めている感覚がある。

明らかに原家族との関わりは減っている。
いい調子。


「適当にやる」が少しずつできるようになってきている。
趣味だと思ってきたことも、今までだいぶ「頑張って」しまっていたのだと気づいた。

永遠の「達成」の沼から抜け出して、少し楽になり始めている。
達成を目標にしなくても、人生は楽しめるんだなと気づいた。


「やりたい」という気持ちは自然に湧いてくるもの、ということもよくわかった。
入院前後はただ生きていればいいと思っていたが、だんだん、どうせ食べるならあれを食べたい、とか、少し着るもののことを考えてみたい、とか、欲が湧いてくる。
欲は自然なもの、と、ONSA の知識で知っていたから、こういう自分を受け入れることができる。


文節区切りの線

第1週の自己紹介文を読んでいると、ワークショップに来た当初の自分がいかに「達成」に重きをおいて過ごしてきたのかということがよくわかる。

過去の出来事に対する自分の評価も、当時と今とでは全然変わっている。
当時「いい」と思っていたことが、今や「有害」になっているものも多い。


自己紹介で毎回自分のテーマを書く。これも定点観測のような役割をしているなと思う。
読み返すと、そのテーマが3か月のうちにかなり解決していることがわかる。「書くとかなう」は本当だ。


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私の父に対しての意識が変わっている。
ONSA に来る前から母が問題なのはよくわかっていたが、父は母を支えてくれていたし私にも優しかったという認識だった。

何回も自己紹介を読み、さまざまなエピソードを思い出すたびに、父もかなり問題のある人だということがわかってきている。
そして、父に似た特性を持つ夫についても、問題意識を持ちつつある。

ぱっと見、父と夫は全く違う性格の人に見える。
違う人を選んだつもりだった。
それでもどこか、似たようなところが見えてくる。
父に対して、一緒にいるとどこか落ち着くと感じていた私は、似たような特性を持つ人を配偶者に選んでしまったのかもしれない。


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コース中、何回も、i – message で自分のニーズを確認する練習をした。
これはものすごく効く。
とにかく練習。習慣づけだと思う。


私はただ、親から得るはずだった関心を、他人から得ようとしていただけだったのだ。
そのためだけに、自分を大変な状況に追い込み「大変だね、頑張っているね」と言われることから抜け出せなかったのだ。

これは本コースでの大きな気づきだった。
これに気づかないと、泥沼から抜けられない。

以前はうまく言葉にできなかった自分の気持ちや自己主張も、少しずつできてきていて進歩を感じる。


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自分の感情を消化したり、さまざまな現実的な工夫を重ねることで、コース中のピーク時に比べて、今の私は子どもを怒る頻度が減っているなと思う。

怒る、というより意識的に叱る、方にシフトできている感じがある。
これは、私自身が私の体調を優先していることと、感情を大切にするようになった効果だと思う。


私が「問題だ」と感じたことを、放っておかずに解決するための具体的な一歩を踏み出している。

誰かから提示された問題を機械的に解決していくのではなく、私が私の問題に向き合うことができている。
すごくいい流れ。


文節区切りの線

12週になると毎度思うことだが、本当に私は私が頑張ったことをすぐに忘れてしまう。
自分の努力のゼロ見積もりを一瞬でしてしまう。

7月に猛烈に頑張った1週間があって、反動で動けなくなっていた日があった。
そんなことも、すっかり忘れてしまっていた。

読んでいて、涙が出てきた。
めちゃくちゃ頑張ってるんじゃん。
そこから、気づいたことも反省したこともいっぱいあったじゃん。

それを忘れてしまうって、怖い。またやってしまいそうだ。


今週すでに、もともと多めだった予定に色々予定外が立て込んで頑張るモードに入っている。
ちょっとやばいかな。
私が倒れたら本末転倒なんだって。

身体に正直でいいから、心の声を殺さなくていいから、それより大切なことはないから、サボっても休んでもいいから、自分のペースをどうか崩さないで。
維持してあげて。


文節区切りの線

私もやりたくないし子どももやりたくないことなのに、「やらなければ」とやって、寝不足になって疲れてイライラしてくる。
これは本当にまずいパターン。


「コントロール」は根深い問題だと痛感する。それでも、自覚できるようになっただけでもこのコースでは一歩踏み出すことができている。

読み返して、コースの最中にはあまり自覚してこなかったが、「私は子どもをコントロールしている」と感じた。
「この子はこういう流れで動かないと不機嫌になるから、先回りしてこうしておこう」ということをよくやっている。
ただそのコントロールと、「察して環境整備する」という子育ての基本との線引きがよくわからない。

「相手を誘導したり、自分の思うままに動かそうという意図(コントロールの発想)なしに、目の前の、状況を見ること。」
これを、なかなか子どもに対してできていない。


文節区切りの線

私は、好きなことを仕事にしなければいけないと思っていて、好きなものを仕事にしたからには、仕事が人生の中心でなければいけないと思い込んでいた。
そう簡単に変えてもいけないものだと思っていた。

生き方は多分もっと多様だ。
学生時代の知人に、日中は市役所で働いている公務員で、夜に劇団での演劇の稽古を頑張っている人がいた。
この人は明らかに夜の方の活動を人生のメインに据えていた。

自分の好きなことやりたいことを続けるために、自分を養うための仕事もちゃんとやる。
それも立派な生き方だと思う。

小学校時代の友人の中にも、美容師になりたくてやってみたら、手荒れがひどくて続けられず、別の仕事に転職した人がいた。

このように自分の身体に合わせて仕事の内容を検討する、というのが本来の自然な形だと思う。
仕事に合わせて自分をぎゅうぎゅうに変形させて生きていたら、いずれ心身が壊れてしまうだろう。


文節区切りの線

今回、特に夫に対する疑問が噴出するコースであった。
彼が赤ちゃんを見た時の反応、というのにも疑問を感じる。

まず、他人の子どもでも、「可愛い」とは言わない。
そして、自分の子どもであっても、赤ちゃんを可愛いと思っていないのがよくわかった。
それは、2人の子ども両方に対してそうだった。

もちろん、赤ちゃんが可愛くないなんて本人は言えない。対外的に印象がよくないからだろう。
写真を撮るときだけは抱っこして、まるで可愛がっていた証拠でも撮るように笑顔で映る。

他人と会うときは、まるで普段からよく関わっているかのように振る舞う。
でもそこじゃない。私はちゃんと普段を見ている。


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基本的に赤ちゃん時代も単身赴任の期間が長かった夫は、週末だけ帰ってくる。
その割に、帰ってきたときの赤ちゃんに対する反応がものすごく、薄い。

ちらっと見て、「あ、いるな」くらいを確認して終わり。
人間として認知していないような感じを受ける。


実母や姉も、私の夫がそういう反応であることを指摘していたが、「まあ、男の人ってそういう人もいるわよね。パパ(私の父)もそうだったし。成長して子どもから反応が返ってくるようになれば可愛くなってくるわよ」と話していた。

実際、夫は反応が出てきた長女のことはとても可愛がるようになった。
そこで私は安心した。


でも、「男の人だから赤ちゃんを可愛がらない」は本当かな。
私は、赤ちゃんを可愛がる男性も、周囲で何人も見ている。
赤ちゃんは言葉を返さないけど、それでも赤ちゃんに話しかけるのを楽しんでいる男性がたくさんいる。

もしかして、夫は、言語外の、表情や仕草だけでしかコミュニケーションが取れない生き物=赤ちゃんをうまく理解できないのかな。


文節区切りの線

今週、海に行った時に私が「いいねー! 楽しいね! 最高!」と言うと、夫が「よし、ハワイに行こう!」と言い始めて少し興ざめする。

「地元でこんなに楽しめるから十分じゃん!」と私が言うと、「グアムか沖縄くらいでいいかね、グアムだったら沖縄でいい気がする」と。
いや、そういうことではないのだよ…。

夫の旅行は「どこか有名な観光地に行きたい」という形重心なんだよな。
私は、私のニーズや安全安心を基に、遊ぶ内容を決めたい。


いろんなことが繋がってくる。

「まともな認識の人は、ちゃんと世の中に存在するのだなと安心した。

私は身体に正直に、安全に生きたい。
そして似たような考えの人と繋がっていきたい。」という自分の書き込みを見つけ、とても大切なことなのでメモしておく。
ワクワクリストにも書き留める。


文節区切りの線

夫と距離を置きたい、と思ってしまうあまり、距離感の取り方も今はぐらぐらしている。
子どもと遊びで塗ったマニキュアを「お、塗ってるね」と夫に気づいてもらえたのに、私は「うん」とつっけんどんに返事だけしてしまった。

後になってから、「そう、子ども用のマニキュアでも、結構本格的にできるでしょ。だんだん塗るのが上手になってきたんだよ」とか、もっとちゃんと話したかったなあと思う。
(まあ、しかしそもそも、おそらく夫は私の返事がつっけんどんだとも感じなかったのではないかと思う。そこまでの微妙な変化を察することは彼には難しいだろう)


ひとまず夫との関係はすぐに決着のつく問題ではなく、しばらくは適度な距離でやっていく相手なのである。

普通の話くらいは楽しくしてもよかったかなあなどと思う。
ここも1〜99の使い所なのかなあ。


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前回の PAY FORWARD でアンパンマンのことを書いた。
今回の期間中に、子どもと一緒に、偶然、アンパンマンの生い立ちの動画を見たことを思い出した。

アンパンマンは最初からあんなに立派じゃなかったし、強くもなかった。
一生懸命作ったパンに、ある日命が宿った。
赤ちゃんのアンパンマンの誕生を、ジャムおじさんはそれはそれは喜んだ。

最初はうまく飛べなかったし、よちよち歩きだったけど、ジャムおじさんがずっと見守ってくれていた。
できそうなお手伝いがあって、本人がやりたいと言うと、やらせてあげた。
それも失敗するのだけど、そういうことにもジャムおじさんはフォローしてあげるのだ。


そうして大人になると、アンパンマンは当たり前のように人々に「貢献」していく。
私はそれを見て、ジャムおじさんの母性に泣きそうになった。


アンパンマンに「人の役に立て」なんて説教は一度もしない。
ただ、よく見てあげる、支えてあげる。
自分自身も、パンを作るという仕事で社会と関わる。

そういう家庭がいい。
原家族にはいなかった「まともな大人」がこんなところにいる。
こんなことに気付けるのも、勉強の賜物だ。


文節区切りの線

期間中、仕事でアイメイクをしたら、まぶたがヒリヒリ痛くなってしまった日があった。

そういえば、私のメイク用品はほとんどが3年以上前に買ったものだった。
普段化粧をしないので減りが遅い。
ひどいものは中学生の時に遊びで買ったものまで使い続けている。

あまりに減らないので、使い切るために仕事の日だけメイクをしていたのだった。
思い切ってほぼ全部捨てた。そもそも成分的にいいものは使ってなかっただろうし、劣化もしているだろうし、劣化していないのならば保存料がたっぷりということで、それはそれで怖い。

ここで「もったいない」とか言わずに自分の身体に合わせてすっぱり捨てたのは英断だなと我ながら思う。
仕事上、そこまでメイクが絶対に必要ではないので、しばらくは化粧下地とアイブロウだけにしてみる。
その間、そもそも“私は“化粧をどのくらいしたいと思っているのか、ということを見つめていきたい。

代わりの化粧品について調べてみて、オーガニックのいいものがたくさんあるのだなということはわかった。
また一通り揃えたくなる衝動に駆られそうになり、止まる。
金銭的なストップもある。
「ここで買いたいと思っているのは、本当に私?」と、いちいち問い直したい。

急がない。
考えて感じて、決めたい。