2020.03月開催 「春の大勉強 & 大準備会[一般編]」しなみクラス

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Y. S. さん(40代以上/長野県よりご参加) しなみクラス



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今回、「春の大勉強 & 大準備会」一般編に参加できて、本当に良かった。
今の私にできること、できたこと、まだできていないこと、やろうとしていることが、はっきりしてきた。

まず、今の自分の立ち位置をクリアにして、これから1年の計画を立てることができ、嬉しい。
ただ漠然と「必要そうだから」とこれからワークショップを受けるのでなく、私の目標を達成するための手段としてワークショップを利用することができそうだ。目標が明確であれば、より効果も感じやすいと思う。


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そして、とても嬉しい気づきがあった。
私は、開始時間を間違え、時間より早く会場に着いてしまった。
やってしまった、と思ったが、藤沢さんから、「油断しているのは、安心しているから」と声をかけていただいた。

それを聞いて、私はとても嬉しかった。
私は、共依存から回復するのにとにかく必死で、ONSA WORKSHOP にも無我夢中で取り組み、途中、しんどくなってしまったこともあるが、何とか必死にしがみついていた。

できることは取り組み続けた。
そしていつの間にか、安心できるようになっていたようだった。


私は、そもそも誰かに助けを求めることがとても苦手だった。
私には助けが必要な状態だったのに、一歩踏み出すことが難しかった。

人を信頼するのが難しかった。
誰かに助けを求めて、また酷い目にあったらどうしよう、と恐れていた。とても怖かった。
それが私が経験してきたことだった。
だから、セラピーを受けるのも、ワークショップに参加するのも、一歩踏み出すのがとても怖かった。どうしようもなく苦しくなって、やっと何とか助けを求められた。


そんな私が、安心してワークショップに取り組めているとは。
私には、世界がひっくり返ったような衝撃だった。いつの間に。
そして間違えても、それを責められることはなかった。

私は、ほんの些細な間違いが命取りとなるような経験をしてきた。間違うことは、恐ろしいことだった。
それが、責められない。
ああ、ここは安全な場所なのだと、心から安心できた。


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家に戻って、Web. WORKSHOP の課題文を読んでいたら、泣けてきた。安心して回復のために取り組めていることが、本当に嬉しかった。
自分を大切に守るために必要なことに、ちゃんと取り組むことができている。
そして少しづつ、私は変わることができている。

もう、どうすることもできないと絶望しなくてもいいのだ。
できることはある。希望が感じられた。


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ONSA WORKSHOP では、共依存からの回復のための貴重な知識を得ることができたが、本当のことを知ることで、辛くなってしまったこともある。
原家族と共に生きていくのは、私には無理だということ。もう戻れないこと。私はそれが知りたくなくて、本当のことを見ようとしてこなかったのかもしれない。

けれど、本当のことを見ることで、私の本当の姿を知ることにもなった。
私は、共依存から回復することができる。
それをやるだけの力が私にはある。

私は、家族の問題には無力だったが、だからといって、私自身が無力な存在なのではない。
現実の世界を切り開く力が、私にはあるのだ。現家族との関係を続けるより、自分を信頼できる方が、ずっと良い。
私はこれからも、学び続け、本当のことをしっかり見ていこうと思う。


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お昼の休憩でランチに行ったお店で、宴会中のグループに会った。大盛り上がりで、ご機嫌な感じであちこちで歌が歌われていた。私はそれを聞いて、ああ、こういう、美味しく楽しく時間を過ごせる人生がいいな、と思った。
たまには大騒ぎして、仲間と沢山話して、些細なことで大笑いして、美味しいものを沢山食べて。私は、こちらの世界に行こう、と思った。
安心して安全に、ただただ楽しく過ごせる、健康な人たちのいる世界に行こうと思う。
そのためにできることをやっていく。
道のりは長いけれど、少しづつ、確実に、歩いて行こうと思う。


最後に、藤沢様、ONSA スタッフの皆様、お仲間さんの皆様、どうもありがとうございました。
参加できて、本当に良かったです。




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S. M. さん(40代以上/兵庫県よりご参加) しなみクラス



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ほんとうに参加してよかった。
そこに全て集約されている、今の気持ち。
あの会場での時間そのものが、全て身体に浸透していった感じでした。

ただただ、知ってよかった。
今思えばあいまいな位置にあったピースが、今またこれほどまでにピシッとはまったことに、心地よささえ感じています。


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それと同時に自分の歴史も並行して流れていて、その酷さ、何とも言えないその仕組みに、もう閉口してしまいそう。
とんでもないものに、巻き込まれていました。
言っちゃ悪いけど、そこら辺のよくある悩みなんて薄い、と思ってしまった(念のため、悩みに重い軽いをつけてるのではなくて)。
薄いというか、例え表面同じ悩みだったとしても、こちらは「成り立ちと質」が、ぜんぜん違うってこと。

どうもその辺が、今まで自分の中で違和感だったのだけど、納得。
日々接する色んなやり取りとの間で、わたしには決定的に違う何かがあるという感じ、そういうぼんやりしてたものがくっきりしてきました。


過去に一度意を決して人を選んで言った悩みが、相手の返答が(わたしにとったら)軽く薄く感じるし、今いち相手にニュアンスも伝わってなさそうだし、でもそのニュアンスを言葉にするには自分でも難しいし、で結局モヤモヤしたまま終わったのを思い出しました。
もう8年か9年前の話だけど。

当時のわたしとしてはただガッカリしたのと、自分の考えすぎのせい(ハイ出た、考えすぎのせいってやつ)かなあなんて思い、あるいはますます混乱もしたけれど、ようやく今、明らかになったって、一つの側面では安心できた。
わたしの納得できる、わたしの歴史に合う、この背景。


ああ、これが、そうなんだ、わたしの歴史の背景なんだ、って。
これは、要らないどころか、ずっと欲しかったもの。


だからこそ、ね、お仲間さんがいて、ほんとにほんとによかった、って涙出てくる。
だってこれ、ほんと、世界でわたしただ一人だけ、だったらどうするよ?! って話じゃないか。

さらに先行く心強き優月さんなんているんだよ、もう、ここを知ってなかったら、わたしどうなってたんだろう。と何年目にしてまた思う命拾い。


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歴史にあらたに光明が差すと同時に、また陰も濃くなります。
その陰が今はすごくしんどい。

背景の仕組みだけでもしんどいけれど、一番しんどくて辛いのは、その背景に翻弄され続けて構築されたもの。それがわたしの中にあること。

やるせねえよ、もう、こんなに不公平なことはある? こんな不条理なこと、ある? 
そして、それがクリアになるにつれて、「絶対に取り戻せないもの」というものもはっきりわかるようになりました。
それを声に出すと涙が出てきます。

そういうので、ずっと沈んでいたここ数日、今は、同時に少し、その分の軽さの兆しも出てきています。
「確かに不条理で許せんが、それを意識して外したら、ほんとに、わたしは、充分で、そのままでよかったんだ」と。


だからこれで終わりだとはぜんぜん思いません、むしろ、これからもっとやることが増えた感じ。
意識して、蓄えて、戻る、意識して、鍛錬積んで、戻る、失敗する、でも戻る…。

以前からも同じようなことを書いたりしてたけど、言葉は同じでも、バージョンアップ度が違います。
だから、最新を知れてよかったね、って声かけてあげたい。

以前だったら、過去に吠えてた自分を恥ずかしいと思ってただろうけど、いや、ちょっとは今だって「はずいっ」って思ったけど、うん、こうやって、少しづつ進むのだなと、進んでいるのは過去のわたしがコツコツやってきてくれてるからだもの。
ほんとに、めげないなあ、静かに強いわ、わたし。


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後半は、だから「おおぅ!」と感嘆、それも一人でやってるのでは絶対に出てこなかった発見。

あの場で、みんなでやって、みんなの声があって、優月さんがコネコネとほぐしていってくれたからこそ。
そのほぐし具合の段階が、その悪習慣そのものを逆に行ってる感じだったなあって、今感じています。
だから、そもそもが「真逆」になってるのか、って。

ちょっと正直言うと、ワクワクリストにライフサークルはここ最近行き詰っていて、書くのにペンが進まない感じになってて、ちょうど苦手な科目のテスト勉強をする感じでした。
問題集は机の上にバーンとあれど、うう、進まないよー、でもやらないと…で、「真面目」にやろうとする。けれど、手が動きにくい、のような。

それが、また一つ、開けました。最大の敵はその「真面目さ」。
3度目ぐらいのほぐしで、楽しくなってきたー、って小さいわたしが言ってました。
「優月塾」凄かったです。


宿題がたくさん増えたよーとなったけど、その課題がわかった(今はまだ整理中ですが)というのが大収穫です。
それを手に、また一つ一つ、進んでいきます。
わたしにとっては、しんどさもあるけれど、晴れた春の始まりです。




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A. Y. さん(40代以上/東京都よりご参加) しなみクラス



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生きていると、いろんな気持ちになるものなんだ。

わたしの夢はとても素朴なことだった。自分の望んでいたこと。
それは普通に普通の人生を歩むことだったんじゃないかと思う。


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わたしは幼稚園の時にもうつまづいていた。協調できなかった。
多分一番最初に友達とぶつかったりして仲良くすることを学ぶ時期なのに、それができなかった。
そこからずっとつまづきつづけているんだ。

「普通」に仲良くなりたかったんだと思った。
みんなの中で生きる自分、逸脱していない、協調して輪の中に入れる安心感。入ってる感じ。そういう感じを自分の納得のいく形で得たいと思ってるのだと思った。

このことが一番のポイントだと思った。
他人からの認定ではなくて、自分自身が認定できることが一番ののぞみなんだと思った。


受け皿がなかったことと過度の干渉。わたしはわたしを確認することができなかった人生だった。
とてもショックだけれど、ものすごく歪んだ価値観を土台にして、わたしは今までを生きてきたんじゃないかと思い当たったら、ものすごく怖くなってしまった。
それと同時に自分自身に対して、愕然とした気持ちが湧いてきた。

無理して笑ってるわたし。
必死で頑張っているわたし。


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困難な道のりを、精一杯生きてきた自分。どんな思いでそれをつないできたのか。どんな気持ちで今もそれを切望しているのか。

わたしはよくやっている。
そして変え難いものを変えようと挑んでいる。
とても勇敢。本当に勇敢だ。
そのことをわたしが一番忘れないでいたい。いつも覚えていたい。


そして、つまづいて、当然なのだということも合わせて理解して忘れないでいてあげたい。
仕組みがあってそうなっているのだから、当然なんだということ。
だからわたしは責められない。
仕組みを理解すればするほど、そのことがはっきりしてくる。

より深く自分の味方になれるように、わたしは自分に対して思いやりと優しさを持っていたいと思う。それをますます深めてゆきたいと思う。


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今回気がついた一番大きなことは、結局どのみち父からは全てを否定されたんだろう、ということだった。
そこに気づいたとき、力が抜ける感じがあった。

かけられていた圧力や干渉がいかに自分に関係のないものだったかということ。
自分の声ではなくて、人の声に振り回される、ということ。

自分の声をきく、と言うことを知らずに人の言うことを一生懸命に聞きいれようと努力していたんだ、ということ。
路頭に迷って当然だった。


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家の外で自分が身につけたルール通りに振舞ってとても傷つく経験をし、家の中では自発的な行動が元で傷つく経験をしてきた。
小さい頃からずっと何度も何度も自信を失ってた。
今もそれを繰り返すサイクルに陥りがちなんだ。

わたしは自分で自分のルールを、自分にとって安全なルールを一つずつ身につけて腑に落としていこうと思う。
自分にとって安全であると言うことはひいては周りの人にとっても安全なのではないだろうか。

それは自分の利益に固執すると言うことではないんだと思った。
子育てしたんだから立派な社会人だよ、と言ってくださる方もたくさんいらしたが、他の人からどんなに認めてもらっても、結局はわたし自身が自分のルールに納得がいってないのだった。人から言われても納得がいかないのだった。
自分がそうだと理解したい、お腹で納得したいのだ。



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していいと言われなくて、覚えられなかったたくさんのこと。大人っぽい振る舞い、他者の前で自制することや思いやりのある言動をすることや相手の気持ちを知ろうとすることは今でも嘘っぽく感じ、怖くて苦手だ。
自分の気持ちがわからないから相手の気持ちもよくわからないのだ。

家では例えば、怒られたら、ごめんなさいということが禁止された。基本型のパターンが否定されていた。
でも、繰り返すけれど、結局はなんでもダメだったんだ。
そういうことだと今は思う。

そしてそうだとしたら、本当にとても理不尽だと思う。
一生懸命に悩んできた自分は本当にかわいそうだと思う。


あれをするな、とこれをしろ、との間でがんじがらめになった子ども時代だった。
わたしの意思も気持ちも存在を認めてもらえた気がしなかった。
だから今もそれがどこにあるのかがわからないでいるんだ。


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「春の大勉強 & 大準備会」で大きく俯瞰して、作戦をたてる、ということの意味や大切さのことを考えた。

目的、目標、ゴールが明確かどうか?
それは、自分の気持ちをはっきりさせる、ということだった。
それはいつも、今この瞬間で一番大切なことなんだ。


わたしは今日桜を見上げながら、また嬉しい気持ちになれた。
数年前の、この今の瞬間の経験を自分が享受していいんだ、とは思えなかった日々には、こんな気持ちになれると、こんな気持ちを感じられると思っていなかった。


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わたしのゴールは「ふつう」です。

わたしは家からは「特別であれ」という圧力をかけられていた気がする。普通であってはならなかったし、普通の人の中に紛れてもいけなかった。
今その圧力から生み出された習慣がわたしを日々苦しめている。

だからこれはもういらないものとして、新しく本当に自分のためになることを身につけていこう。
自分が納得して選べるものを選んで取り入れていこう。
自分に聞こう。


ひとりぼっちで生きるのは、とても辛くてとても疲れてしまう。

わたしは自分の傷みを自分のものとして感じたい。
何度やってもうまくいかない悔しさとか、わかりたいのにわからないもどかしさとか、伝えたいことが伝わらない歯がゆさとか、自分が望むことを実現することに伴う困難や苦痛をちゃんと味わって受け止めて、同じようにみんなそういう苦労をしながら生きているんだということを忘れないでいられる人間でありたい。


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今回も貴重な気づきをいただきました。ありがとうございました。
いただいた視点のお陰でたくさん気づくことがありとても感謝しています。
これを深く消化して、今後に役立ててゆきたいと思います。

お仲間さんの中ではわたしは方向性が真逆だったようで、それを一緒に笑ってもらえた時、とてもホッとしました。
方向性が逆でも、同じゴールを目指している仲間。
わたしはみなさんから学ぶこともまだまだたくさんあるのだと気づきました。
ありがとうございました。




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A. M. さん(30代/愛知県よりご参加) しなみクラス



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回復のためのゴールを設定して、そのための計画を立てる。
言葉にすればたったそれだけなのに、そのためにはすることが実は山のようにあるし、全然その道のりをわかってなかったと感じています。

上っ面だけで何となくやり過ごしてきたのをやめて、自分と本気で向き合っていくことはやり方というか仕組みから違うみたい…知らなかった。
そもそもゴールを決められない…自分がないから。
計画が立てられない…はじめから諦めてしまっている。


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想像よりずっと深刻で、方法を教えてもらったらできてOK! なんて度合いではないのが、自分のつまずき具合で強く感じました。

私は私のことしか知らないので、比べたり照らし合わせてわかることが多いのに驚いています。
驚くしどうしたらいいか困惑してしまうけど、知らなかったふりをしてもしんどいままなんだと悲しくなります。
怖いけど逃げずに、見ないふりをやめていこうとおもいます。

ありがとうございました。




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M. T. さん(40代以上/岐阜県よりご参加) しなみクラス



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わたしへ

まずは今回もお疲れさまでした。
ワークショップ・クラスに参加してから1週間が経ちますが、私は今のあなたが結構好きです。
素直にそう思います。

こう書いていて、ちょっと涙ぐんだりしています。
自分で自分がうれしい。


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今回のワークショップで個人的にとても大きな気づきをもらった気がします。
根本的に滑っていたというか、道がそれていましたことがわかりました。
それだけ「共依存」が根深く奥深いということも。


自分の人生をどう生きていきたいのか?
自分はどうしたいのか?

それを考えて日々を過ごしていたと思っていました。
その中に人間関係も入っているのだと思っていました。

私は職場のある人との人間関係にとらわれていました。
その人にどうやって「NO」というか。
その人とどのくらいの距離で接していくのか?

同じ職場だから、傷つけないように、雰囲気を壊さないように。
悪い子ではないのだから…。


今、書きながら「共依存」の「自分がない」状態であることに改めて気づきます。
でも、ワークショップに参加するまでそのことに全く気付いていませんでいた。
むしろ、
「境界線を覚えてきたから、練習練習。色々気づいてきたし。
動体視力もだいぶついてきたなあ…。」
「私は成長した!」
ぐらい思っていました。


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その人について知りたいことがあって、ワークショップ・クラス中に藤沢さんに質問しました。
その質問をすることが今回の参加の目的のひとつでもありました。
でも、藤沢さんの答えは私が知りたかった答えではありませんでした。

藤沢さんの答えは
「その人って、あなたの人生に関係あるの?」
「あなたはどう生きていきたいの?」
でした。

そう言われても私は
「でも、現実でその人とやっていかなくちゃいけないし…」
「わかるけど…、だって、…」
と、まだその答えを知りたがっていました。

藤沢さんは
「でも、だってじゃなくて、本当はあなたはどうしたいの?」
「そこにあなたはいるの?」
と何度も言ってくれました。


ようやく「ハッ」としました。
「自分はいません…」

「でも」「だって」じゃない…。
やっと目が覚めました。
また、自分を後回しにしていたと気づきました。


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自分の歩いている道に「大きな石」が落ちていたとして。
邪魔だったら避けて自分の道を歩き続けることが出来る。

それを避けられる道があるのに、わざわざ立ち止まって「どうどけるか?」と考え始める。
そして知らないうちに「どけること」が目的になる。

こわい。いつまでたっても進まない…。
そういうことを自分はしていたのだと思う。


本当に「あいたた…」では済まないほどの滑りっぷりでした。
ワークショップに参加しなければ気づくことはできませんでした。
質問しなければ、WEB でそのことを書いていなければ、気づくこともないまままた何か月も時が過ぎていたと思います。
本当に、自分よくやった…。あぶないあぶない…。


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そうして目覚めてから、午後のワークでは自分に向き直ることが出来ました。
今年はもっと自分のことを知っていきたいと思いました。

以前だと、それに対する具体的なアイディアがなかなか出てこなくて、漠然としていましたが、最近は出てくるようになりました。
そういうところも自分の成長を感じることができました。


帰ってきてから「自分のしたいことをしてみる(主に趣味)」をしています。
今までは「こんなことをしてていいんだろうか」と思っていたことでした。

そこには
「その年で」
「意味ないじゃん」
「時間がもったいない」
「もっといい趣味あるでしょ」
「恥ずかしい」
とか、自分を責める声がありました。
無意識です。

でも、「したいんだよ!」と「してみたかったこと」をしたらとても楽しかったです。
それに向かって時間をスケジュールしたりして、「こういうスケジュールの仕方だったら楽しいな」と思うことが出来ました。


そして、今までの「自分のしたいこと」と思っていたことはそうではなかったのかもしれないと思いました。
楽しさと、うれしさ、ワクワク感が全然違いました。

これも、ワークショップ・クラス中に藤沢さんが「自分がしたかったこと」の話をしてくださったからかもしれません。


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私はいまだに「回復」の期間はおとなしく、目立たないようにしていないといけない。黙々と回復作業をしないといけない。それは重く、つらいもの…と思い込んでいたように思います。
無意識レベルで。

今は「この世界は本当に、自分のしたいことをしていいんだ…」とぼんやりと感じ始めています。
この感覚を大事にしたいと思いました。

そして当たり前なのかもしれないけど、本当に「自分のしたいこと」は立派とか関係なくて、他人も一切関係ない、ただ「自分が喜ぶもの」なんだなあ…と思いました。


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クラスのみなさん、お会いできてうれしかったです。
いつも、ホッとしています。
みなさんにお会いして「よし、また歩くか」とそれぞれがそれぞれの道に帰っていく姿を見るのがとても好きです。

自分も「よしっ」って思います。
また、お会いできるのを楽しみにしています。


藤沢さん。今回もありがとうございました。
痛い気づきも、「共依存」に対する自分の認識不足もまだまだいっぱいありました。
引き戻してくださってありがとうございました。
流されないように、ていねいに歩いていこうと思います。

ありがとうございました。




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M. N. さん(40代以上/千葉県よりご参加) しなみクラス



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大勉強会。まさに。
今回もワークショップでたっくさんの新しい知識を得て、そして、新しい習慣を体験することができました。

これまでの歩みで覚えた言葉や専門用語の正確な理解を確認し、再度確認するだけでも私には十分な勉強になりましたが、さらに、正確さから得られる気づきや効果というのも身をもって肌の感覚で知る機会となりました。
また、通常のワークショップ以上に設けられた質問タイムでは、私自身が感じた質問や感想であっても、他の参加者さんからの質問や感想によって紐解かれていって、ひとつひとつしっかりとしたまた新たな知識として、気づきとすることができました。


「らせん状に回復していく」、「ひとりじゃないよ」、「できたことを認める」いくつものメッセージに、なるほど、ほんとうにそのとおりだなあ。


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ワークショップ・クラス中に仮設で打ち出した「生きたい人生のビジョン」から今後の作戦を立てる。
やみくもにむかうのではない。
わたしが人生で本当に欲しいものを求める、それがあっての作戦。


春、スタート地点にて、がんばりや焦る気持ちが気負いになっていたことに気付かされました。

このワークショップは、温かな気持ちと、希望と、回復作業中であっても私は私を楽しんでよいんだよ、という優しく穏やかな応援のように聞こえました。
昨年の歩みのリセットでもない、これも、らせん状だな。羅針盤の見つけ方を学ぶことができました。

すばらしい会となりました。
参加できて本当によかった。


参加者の皆さま、優月さん、関係者の皆さま、ほんとうに大変にお疲れさまでした。
すばらしい会をありがとうございました。




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S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) しなみクラス



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たくさんの知識、そのほとんどは今までも知り得ていたこと。
わかったと思っていたが、あらためて問われて言葉として出力できない自分がいた。
その理由は三つある。

ひとつは、わかったつもりになっていたから。
もうひとつは、正しい答えを発言する必要があるという自分の中の思いグセから。
さらに、知識よりもまずは日々の生活をやっていくためのスキル重視から。


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私にとってあまりに膨大な知識だった。
その時に疑問に思う余裕もなく、ただただ聴いて理解しようと必死だった。

ワークショップ・クラスを終え、時間の経過とともに私の中に生じる疑問や違和感。
噛み砕いて咀嚼して自分のものにするには半日では到底ムリだったな…今はそう思う。

そんなふうに1週間前の私に思いを馳せたとき、ふと思い出した。
「得た情報を鵜呑みにせず、自分なりに理解しようとする」
「自分なりに噛み砕こう、咀嚼しようとする」
これらは、昔から私にある傾向だ…。

そうだ、私は得た情報や知識を鵜呑みにせず、自分なりに理解しようとする。
自分の言葉で出力できるよう噛み砕こう、咀嚼しようとする。

自分に起こったことや起きていること、日常の出来事と関連付けて理解しようとする。
だから、大人達の一方的な説明や与えられる知識に付随する後付けの要求や期待
「これは、こう」
「はい、〜ということ」
「(つべこべ言わず、とにかく)覚えて」
「(覚えて)その通りにすればいい」
「言われた通りに(やりさえ)すれば幸せになる」
「言われた通りに動けばいい」
には、即座に応じられなかった。

さらに「自分で考えて行動しなさい」、そう言われ、行動・出力すると叱責。
その背後には大人達の求める答え(行動・出力)が前提にあり、沿うことが正解。
失敗から学ぶとか、うまくいかない時にどうするかとか、そんな再挑戦や試行錯誤できる環境ではなかった。

子どもだった私にとって、大人達の圧力は影響大で絶対的。
そんな中、それでも自分で考えてやってみるという選択肢は私にはなかった。


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ここからは、これからは、
「私がもっている力・私に備わっている力」
「私が今まで培ってきた力」
「知り得た知識(もっと咀嚼して自分のなかに落とし込み、活用できるまで熟成させて)」
これらを使って、何回でも実践して試行錯誤して、日々の実践を記録して振り返って、その作業をコツコツと積み重ねて、自分の足で歩いていこう。




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N. T. さん(30代/東京都よりご参加) しなみクラス



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あれから1週間。
外側は変わらないけれど、心の中ではいろんな思いがめぐりめぐって、いろんな変化をとげていました。

プレワークは、今までにないぐらいやりきった。
そう言いきれるぐらい、必死に取り組みました。

なかなかの量だったけど、今までの「じかんのきろく」を振り返ることで、自分がどんどん変わっていることに気づいた。
この道を始めた頃に比べて、わずらわされることが減っていって、荷をおろしていて、回復していること。確実に私はステップを踏んで進んでいるんだと思う。
それと同時に、足りないものや課題もみえてきて、振り返るって本当に大事だなと思う。


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そして、当日。
衝撃なことが大きすぎて、残酷すぎて、とても受けとめきれないと思った。
それを、「冬の大勉強 & 大準備会」でも言われたけれど、その時より理解の染み込み具合が違って、だからこそ衝撃が大きかった。

なんで私? なんで私なの?
どうしてこんなに苦しまなくちゃいけないの?
しかもまだ頑張らなくちゃいけないの?
もうボロボロだよ。

私だって普通に生まれたかった。
でも、もしかしたらあの家で死んでいたかもしれない。
ぐるぐるぐるぐる。
ブラックホールに放りこまれたよう。

冬のときから葛藤していて、そしてこれから何度もそれを繰り返し、何度もその事実に戻るだろう。
今も葛藤している。

何度も何度も私が生まれてきた意味を考え、私が何者かを知るためにあがくと思う。
そして、それでいいと思う。というか、それしかない。


今の私にできることは、ひたすらあがいて、夢をかなえていくこと、やりたいことをやって、この人生を全うすることだ。
正直、今は私は私を受け入れられない。
でも、それは今であって、これからいっぱいあがいて、経験をしていく中ではわからない。

受け入れられず、ずっと葛藤していくのかもしれないけれど、それでも私は生きているから。
やれるだけのことはやっていこう。


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当日の夢を書いていくワークは、なかなか書けなくて、優月さんにもみほぐしてもらって、書けたは書けたけれど、周りと比べてしまっていた。

でも、「夢は頭で考えるものじゃない」と知って、少しキラキラするような、楽しくワクワクするような気持ちを感じた。
やりたいこと、なりたいイメージはすぐにはわからない、だから「灯台の時間」をとって少しずつふくらませていけばいいんだと、当日は思えなかったけれど、今なら思える。


これからどうしていけばいいか、やりたいことは何か、わからなくて当日は焦ったけれど、後日落ち着いて自分と向き合って考えたら、出てきた。
この1週間でライフサークルもスケール評価も1つ1つ取り組んだら、書けた。

「私はこれが不足。これがダメ。だから~」じゃなくて、
「私は~したい! その為に何が必要かな」と考える。

すぐ前者に戻ってしまいそうなので、その都度意識するようにしよう。
何かを受けとめたり、自分の中におとしこんだり、おとしこんで考えられるようになるには時間がかかる。
でも、ちゃんと時間をかければわかるしできるから、大丈夫。

今生きていることを、やめない、あきらめない。
そして、妹に「私、ちゃんと生きてるよ」と言いたい。


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優月さん、お仲間さん、「Nちゃん」と迎えていただき、いつもあったかいです。
ありがとうございます。

ONSA のスタッフの皆様、いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。




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Y. W. さん(30代/愛知県よりご参加) しなみクラス



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私はこのクラスに参加して、とてもよかったです。

夢、思春期、自己主張…。
気になっていたことが、たくさん聞けた。

共依存やその定義、仕組みについても、改めて基礎をしっかり理解し直すことができて、よかった。
私の中の、あいまいになっていたところがどれかもわかって、より土台が強固になって、安定感が増した。


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私にとって夢は、数々の WORKSHOP を通じてずっと追いかけてきたものだったけど、今回の解説を聞いて
「そういうことだったのか!!」
と、ものすごく納得できた。

これなら、現実に機能する。
私の夢の位置づけでは、きっと、永遠に描くことはできても、着手ができない状態でとまっていただろうな…。
とても重要なヒントをいただいて、すごく嬉しかった。


1年の回復プランも「夢」ありきで考えること。
この目線も自分には欠けていたので、教えてもらえてありがたかった。

プレワークでは、「あれもこれも、現実に機能してない…」と落ち込んで途方に暮れていたけど、どんな時でも「私」「私の夢」を基準、起点にすればいいんだ。

それがわかったから、「春の大勉強 & 大準備会」の後の日常でも、自分で深めてゆける。
そのことが本当にありがたいです。


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思春期のことは、ずっと気になっていたことだったので、今回、質問して答えてもらえて、本当によかったです。
今後の道筋、よりどころとする考え方が見えて、とっても助かりました。

回復の最中、わからなくて知りたいけど、色々調べてもわからない…ということが聞けるのが「春の大勉強 & 大準備会」のありがたいところだと、今回も改めて思いました。


優月さん、お仲間さんに会えたことも、
とても励みになりました。

ひとりじゃないよって、すごく力になりますね。
ご一緒できて、本当に嬉しかったです。

ありがとうございました!




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T. S. さん(40代以上/北海道よりご参加) しなみクラス



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プレワークを通じて、私が学んできたこと、培ってきたスキルの多さに、改めて気が付く。
私にはすでに持っている財産がたくさんある。そこに、自分の叶えたいことに向けて足りないものを補っていく、という考え方を教わった。
夢から逆算して、足してゆくことで夢にさらに近付けるのなら、それはとても前向きで楽しいプロセスだ。


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ついつい一足飛びに行きたくなるけれど、それではうまくいかないことを知ってる。

そして、夢は結論から入れる。そうじゃないと、その間に幾つものプロセスを経ていかなければ…と、夢そのものを叶えることを結局ずいぶん先延ばしにしてしまう、と今回学んだ。

うーん、その加減が私には難しい…と思いながらも、本当に欲しいものをつい先送りにしてしまう自分にも、気付いてる。

二の足踏んだり迷ったり、そんなことしてるヒマなんてない。さっさとハラ決めて進まないとね。
私は今までさんざんガマンしてきた私の「ワガママ」を叶えてあげなくちゃ。


文節区切りの線

自分の手の届く範囲でおさまりの良さそうな夢を選びそうになる。
できていないことを並べ上げて、ひとつひとつクリアしてから、と思ってしまう。
本当にしたいことは後回しにして、やらなくてはいけないことで先に予定を埋めてしまう。

どれもこれも、ほんとは逆なんだけど。本当に欲しいものを先送りにする、ついそうしてしまう生き方を、私は変えていこう。

いつまでたっても一番欲しいものは手に入らない人生から抜け出そう。
人生なんてそういうもの、と諦めた生き方を上書きしよう。


私が生まれてきた意味を、私が生きていく意味を、私は知りたい。
私のかけがえのない人生を、私は精一杯生き抜きたい。

だから、今日も明日も、私は自分の足で立って、前を向いて、自分の意志で歩いてゆく。
これからもずっと、大切な私と一緒に歩き続ける。



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。