C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) そめいよしのクラス
私へ。
今回も、今出来るだけのことをし続けたね。
いつも、本当にお疲れさま。
このクラスが始まったのは、まだ寒い2月だった。
あれから、3か月間。
季節は冬から「そめいよしの」の春へ、そして初夏へ変わっていた。
こうやって季節がめぐっていくのが、なんだか不思議に感じられる。
やっている内は、時間がびゅんびゅん過ぎる感覚だったけれど、こうやって振り返ってみると、何だかとても長かったようにも感じる。
振り返ってみると、共依存からの回復をしているというより、いかに自分が共依存かを思い知る日々だった。
「回復をしているはずなのに、進まない。どっぷり共依存を目の当たりにする。」
とても逆説的だと思う。
「人がいないと、私が分からない。存在しないかのように感じる状態。」
「人」がいないと「自分」が感じられない・分からなくなる。
その人がいなくなったら、私は何も出来ず・何物でもない。
自分で自分を確認できない…。
だから不安で、その「空白・何もない感じ」が怖くて、人や物を求めることがやめられない。
「好きだから」とか「一緒にやっていきたいから」という理由よりは、不安や恐れから人を求めてしまう。
去られる恐れから「自分の思い・都合・ニーズ」より、人を優先してしまう。
これが、私の身に起こっていた。
これは、本当に私のことだった。
まるで初めて知ったかのように、衝撃だった。
自分を肯定してもらうこと、関心をもらうこと、認めてもらうこと、そんな言葉を聞くこと。
自分は特別な存在だと思わせてくれる人。
一種の脳内麻薬だったのかもしれない。
分かっていても、引き寄せられていた。
「これさえやっておけば、安心」
共依存的発想じゃないだろうか?
こうやって、無為に時間とお金とエネルギーが流れていった。
でも、かりそめの安心と分かっていても、すがるものがないと自分を支えられなかった。
そして、私は「問題がなくなっては困るので、問題は決して解決されることはない」を、自分もやっていた。
そんなつもりはなかったのに、いつの間にか「先々の不安(問題)があるから、今の自分に必要なこと(夢・自立)に向き合うことが出来ない」になっていた。
人にこだわることを手放せてきたと思っていたのに、今度はこれだ。
がくぜんとした。
分かっているはずなのに、知らないうちにいつの間にか重心がズレてしまう、この不合理さ。
私の重心の逆転と合理化グセは、本当に根強かった。
なぜ、共依存の生き方を始めてしまったのか? 身に付けてしまったのか?
おそらく幼い頃、「相手からの関心がない」「私の存在を無視されること」が怖かったし、何よりつらかったから、子供なりに必死に自分に関心を向けてもらおうと始めて、続けてきてしまったのだと思う。
私は、学校だけじゃなく、家庭でも相当な無関心にさらされていたと思う。
具体的に思い出せた訳じゃないけれど、何となくもやもやとよみがえってきたものがあった。
その感覚を忘れないように、メモを抜き書きしてみる。
– – –
私はずっと愛されたくて、関心が欲しくて、私の存在を認めて欲しくて、「ここにいる」と叫んでいた。
欲しいものの根底は、いつも同じだった。
言う通りにすれば、役に立てば、ニーズを読めば、優秀になれば、きれいになれば、人格の高い人になれば…。
「人は、私の存在を認めてくれるかもしれない」
「私は、私の存在を認められるかもしれない」
気付けば、全てが条件づけになっていた。
ほんの子供の頃から、読んだ本の中から必死に解決方法を探していた。
「『幸福の王子』のようになれば(自己犠牲すれば)、神様がきっと助けてくれる。きっとうまくいくようになる。」
…神様しかすがれるものがなかった? ほんの子供だったのに?
それほどまでに、無関心な環境だったんだな。
それを忘れていたのは、私が私に隠していたからなのかもしれない。
無関心にされる自分が、あまりにみじめで恥ずかしかったから。
私を動かしていたのは、快でなく恐怖だった。まず恐怖ありきだった。
存在を無視される恐怖
心を傷つけられる恐怖
恥を感じさせられる恐怖
完璧でいなければならない恐怖
それがいつしか、現実に起こるかもしれない恐怖と結びついて、恐怖が拡大していった。
そして、大人になった今も、私の心は恐怖で固まったまま。
それほどまでにして、私は向き合いたくなかったのだろうか?
ありのままの自分の現実を直視するのが、辛かった? 怖かった?
「私の家族はおかしい!」と言えない代わりに、行動化して人を傷つけるのではなく、自分を恐怖でしばり傷つけることで、見ないようにする。
間接的に表現していたのかもしれない。
こんなに緊張感で一杯の日々を過ごしていた。
本当に、あれは虐待だった。
私は、ひたすらがんばってきた。
そうやって上を求めて背伸びし続けて、その先には何もなかった。
いつの間にか、「人がいないと、私が分からない。存在しないかのように感じる状態。」になっていた。
重ねた努力の割には、幸せにならなかった。だから空しい。
疲れ切った。
私のニーズ、感情でなく、「人ありき」だった。
本当に、全て発想が逆だった。
でも、それは違っていた。
やり方が間違っていた。
何をしなくても、がんばらなくても、私は私でいい。
ここにいていい感覚をつかみたい。
恐れが原動力じゃなく、行動出来るようになりたい。
思いついた一連のことをばーっと書いたら、不思議と心が穏やかになった。
私の心が納得している感じがする。
ということは、これは私に取っての正しいことだ。
– – –
自分の中の共依存ととことん向き合って、深く落ち込んだ。
「共依存であること」自体、本当に不毛だと感じきった。
そうしたら、なぜか安心して「回復のコマを先に進めていい」という気持ちになった。
自分で自分に GO サインを出している?
なんだか、不思議な気分だ。
「苦しくなくては、がんばったことにならない」訳じゃない。
私は、完璧じゃなくていい。
完璧であろうとすればするほど、失敗が怖くなり、行動出来なくなる。
私は、失敗してもいい。間違ってもいい。出来ないことがあってもいい。
私は、人の期待に応えなくてもいい。自分のニーズを察しよう。
私は、人の犠牲になんてならなくていい。
今までのパターンを越えて行こう。
この3ヶ月の間に、「春の大勉強 & 大準備会」に出られたのも大きかったね。
夢ややりたいことを具体的にしないといけない、実際に現実の時間の中で行動しなければ何も変わっていかないのではないか? と、痛感出来た。
そして、私が今までに気になったこと・やってみたいと思った流れの中から、小さくチャレンジを始めた。
何度目かのトライ&エラーに、チャレンジしている。
過去のトライ&エラーの失敗は、それをやることで自分の全ての問題(人からの関心、人生の痛みをチャラにする、身を立てる、出会い)を、一気に解決することを期待していたからかもしれない。
それが叶わなくて、私は勝手にがっかりしていたのかもしれない。
(思いっきり、子供の思考だった! 恥ずかしい。)
今は、「これは、これ」と分かっているよね?
形にすること自体がが、私の夢だ。
手痛い失敗は経験に変えて、これからのチャレンジに活かしていこうね。
それから、もう1つ大切なことがあった。
「自分で選んだ別れ」を通して、「人生」「選ぶこと」の感覚の一端にふれたこと。
後になって後悔するかもしれないけれど、その時感じた気持ちを大事に、自分がどうしたいか考えて行動する。その時のベストを思ったことを選ぶ。
人生は、そんな選択の積み重ねなのかもしれないと感じた。
「失敗しないようにする」とは、違うのかもしれない。
だからこそ、自分の感情を感じられること、何度も自分の気持ちを確認すること、「今にいる」ことが大事なのかもしれない。
「変わらないこと」で進んできた自分の人生に、自分の手で小さい変化を起こし始めた。
そう感じた。
その一方で、苦しみが深くなるものがあった。
「私は、そんなに悪い存在じゃなかった? 意外といいんじゃ?」と思うようになるにつれ、「私だって健康な環境に生まれていれば、別の幸せが選べたのかもしれないのに。あれも、出来たかもしれないのに。」という思いが強くなった気がする。
今までとは別の苦しさだ。
私が、機能不全家族で損なったもの・失ったもの。
「当たり前」に生きること。
築けたかもしれなかった「当たり前の幸せ」。
私は、当たり前の幸せが欲しかった。
温かい家族、やりたい仕事、人との出会い・チャレンジを楽しむこと。
そんな「当たり前のこと」から、隔絶されてしまった。
自分を知る前に。トライする前に。
本当は何が欲しかったのか、気付く前に。自分の手で築く前に。
気付いてしまったのに、時間は無駄に過ぎてしまって、もう2度とチャンスは戻らない。
過去に戻って、やり直すことは出来ない。
こればかりは、悼んでも悼みきれない。
そして、これからの時間とお金とエネルギーも限られているから、「何もかも」は無理だという事実。
この痛みは、これからも向き合い続けるしかないのだと思う。
そして、これがこれからも回復を続ける理由だし、だからこそ、「今とこれから」「選ぶこと」がもっともっと大切になってくるのだと思う。
いつか、「こんなことあったなぁ…」と思える日が来るだろうか。
そんな未来に向かって、今は痛みを抱えつつ、目の前の一歩を精いっぱい歩こう。
最後になりましたが、優月さん、スタッフの皆様、お仲間さん、本当にありがとうございました。
M. N. さん(30代/広島県よりご参加) そめいよしのクラス
自分の気持ちを大事にすること、自分に励ましの言葉をかけること、自分の本当の想いを大事にすること、とても大事だと思った。
もし、自分の気持ちがなくなっちゃったら何を指針にして生きていけばいいの?
いつも何かに振り回せれて大変なことになってしまう。
自分の気持ちがわかると、それがやりたいことなのかやりたくないことなのかわかる。
やりたいをするためにどうすればいいかも、やりたくないをやらないためにどう伝えたら安全なのかを。
安全なコミュニケーションを学ぶこともまた一つ自分の生きやすさを作るきっかけだと思った。
私はやっぱり共依存が長いので、あんまり、人にうまく伝えることができないと思う。
本当の思いを伝える時に緊張したりぎこちなくなったりする。
でも、自分でまずはそれを認識して伝える練習をしたり、気持ち良い言葉を使う人を真似したり、いっぱいトレーニングすることで長く人と関係性を作れるようになる。
ビクビクしなくてよくて、私の気持ちを相手に届ける。
そのテンポで付き合える人と付き合う。
これが大事だなって。
友人に躁うつ持ちを経験している子がいて、最近、その子が躁うつが再発したという話をしてくれた。
そうなんだなぁと思いながら、久しぶりに会ってコミュニケーションをとると、そういう雰囲気がわかった。
なんだろう、相手にいつも以上に親切にしてしまったり、気を回したり、不安げな表情になったりする。
でも、表面上はとても愛想がいい。
前は、そういうことって多分わからなかったと思うんだけど、自分もそういうことに巻き込まれやすいから。
でも、動体視力をつけることによって、言葉や表現に引っ張られずに、この人の本当の心はどこを向いているんだろうと考えるようになった。
もちろん、私自身のことも。
これは相手に好かれるために話している言葉なのか、それとも自分の気持ちに忠実になってでも表現が下手なのか、とか。
それから、母親の反応にもよく気づく。
この前、久しぶりに母親から電話がかかってきた。何のことかと思ったら祖父の体調が悪いらしいということだ。
おそらく母親自身が不安定になったのだろう、だから慰めて欲しかったり大丈夫だよって言って欲しくて電話してくる。いつもは電話なんて一切しない人なのに。
祖母にそういえば母親から祖父のこと聞いたよ〜と言ったら、祖母も少しは祖父のこと心配はしているみたいだけど、歳だからその分徐々に受け止めようとしているみたいで、パニックになっていることも困っていることもなかった。
母親は過剰反応しやすい。
私もそれを引き継いでいろいろなことに過剰反応していたなと思う。
それが共依存の癖なんだと思う。気持ちが忙しくなると私は共依存体質に巻き込まれやすくなる。
あるいは気持ちを感じなくなったり、よくわからない気持ちにぶち当たるとしんどくなる。
だから、今はよく気持ちに向き合う時間を持つようにしている。
新しい気持ちも結構多いから、その時は一つ一つ紐解くような感じ。
そもそも共依存のいけないところは、巻き込まれていることに気づけないことだと思う。
子どもの魔法を使って解決しようとしていることが多いんだけど、それに気づかないと正しい大人のスキルを身につけることもできない。
どうしたらいいんだろうと思うけど、やっぱり解決方法は粘り強く一つずつ丁寧に。
それをすることだけが救いになる。
他のことは幻想だと思う。
丁寧に自分を見ていくから疲れたりしんどい時もあるけど、だからこそ見える風景がある。
私は本当の言葉を話す人が好きだけど、それはその人がいろいろもがきながらでも真実を伝えようとしてくれるからだと思う。
私は私に真実を語ってあげられる存在でいたい。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。