2015.01-04月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.1(後期日程)」しりうすクラス

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タイトルはじまり目印

A. T. さん(30代/東京都よりご参加) しりうすクラス





今感じていることを正直に書いてみようと思います。

3ヶ月間、本当によく頑張ったね。
毎日自分と向き合って、気持ち拾って、感じて、咀嚼して、理解して…そんな作業を毎日よくがんばったと思う。
それなのに、自分の行くべき方向を見失ってしまったね。

頑張れば頑張るほど、知識をつければつけるほどに、私そのものがいかに共依存的か目の当たりにした日々だった。
思っていた以上に、自分が共依存的であることが分かって、どこから手をつければいいのか分からなくなってしまったのかな。


WORKSHOP 最終週、3日間高熱を出して寝込んでしまった。
今も頭痛と筋肉痛が残る体でこの PAY FORWARD を書いている。
この風邪も現実から目を背けるためのものなの?

ずっと向き合ってきたって言うのに、逃げないでここまできたのに、私が現実逃避していること、直面したくない現実って一体何だっていうの!?

正直、よく分からない。
だって頑張ってきたもの。
ずっと一人で頑張ってきたもの。
これ以上どうがんばったらいい?
頑張っても、頑張っても、理想と遠い自分。
相変わらず共依存で問題ばかり。

回復をあきらめたわけじゃない。
すごく、すごく、時間がかかることだって本当に分かっている。
ただ、少し疲れてしまったのかな。


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こんなことを思いながら、でもなぜか不思議なんだけど、この3ヶ月間はこれまでの WORKSHOP で一番自分に集中できたよね。
大変なことも、巻き込まれたことも、子供のことも、私の中で1つ1つ丁寧に向き合った。
ぐるぐるポイッしないで、咀嚼して、納得して、自分の味方であり続けた。

『未来日記』を読み返すとこの3ヶ月で色々なことが起きたことがわかる。
その中で自分の成長を感じられることだってあった。
毎日共依存と戦ってきた自分の足跡がそこにある。


子育てする中、新しい仕事を始めて毎日本当に忙しかった。
それでも WORKSHOP の課題も、『未来日記』も自分の中で最優先して時間を取ってきたこと、えらかったと思う。
私のために時間をとってくれて、私を大切にしてくれてありがとう。

このモヤモヤの正体が何なのか、今はまだ分からないけれど。
私はこれからも自分の回復を最優先して、身につくまで何度も、何度も、挑戦しようと思う。

そしていつか、自分を大切にできる日が来ることを信じている。
いつか、自分を取り戻せる日がくることを信じている。
その日が来るまで諦めない。
他ならぬ自分の人生だもの。


この WORKSHOP があったから毎日の荒波を越えてこられた。
優月さんのメッセージ、課題から学んだことや、仲間からの気づきからたくさん励ましをもらった。
静かで確かな3ヶ月でした。


しりうすクラスのみなさん。
3ヶ月間お疲れ様でした! お互いナイスファイト! でしたね。
私一人じゃなかったから、諦めないで粘って最後まで全力投球できました。
しりうすクラスに参加できて本当に良かったです。
ありがとうございました。




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C. W. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) しりうすクラス





年が明けてからの3か月間、このクラスと共に歩みました。

その間、偶然職場でも変動の大きい時期でしたが、このワークショップがあったからなんとか乗り切れたように思います。
思い返すと、この場は自分がしがみつける命綱のような存在でした。

だからかもしれませんが、今、「終わってしまうのがこわい」⇒「(無意識に)だから、感じないようにする」という状態になっているようで、我ながらとまどっています。

初めて参加した約2年前は、こんな風に感じることがあるなんて想像もつかなかったから、あの頃の自分は相当マヒしてたんだな、と思います。


そして、2年前だったら「こわい」=「そんなんじゃダメ!」で、感情自体を瞬殺し、なぜそうなのか考えることもせず、そんな自分を無意識にたたいていたと思います。

でも今は、前より弱い自分・自分の苦しみ(=自分にとって不都合な自分)に気付き、温かい関心を向けていたわれるようになってきたと感じています。
(「同じように PAY FORWARD に向き合っている仲間がいる」と思って踏みとどまれたのも大きいです)

自分の12週間の歩みを振り返った今、私は、やっと自分の人生の棚卸しを始められた気がしています。


正直なところ、始める前、私は無意識に「終わった頃には、回復の見通しが立っているんじゃないか」と思っていました。

でも、実際は、進んで行くほどに、自分の問題が思っていたより根深かったこと、思っていたよりずっとダメージを受けていたことに気付きました。

私の人生は損なわれていて、もう泣いても叫んでも取り戻せないものが沢山あったこと。
それも、消極的に選ばざるをえなかったことを選び続けた結果だけど、「結局そうなった」で、自分では本当の意味で(自分の感情をもとに)決めてさえいなかった。
(本当は薄々気づいていたけれど、怖くて今まで見つめられなかったことです。そして、これが私の現実です。共依存・子供の魔法の世界にはもう居たくないと思った以上向き合わないといけないことでしたが、現実と向き合うのがこんなに痛いと知らなかった)

自分の分からなさも深刻だったこと。

もっと大人としてしっかりしていたはずの自分の土台が、もろかったこと。あやうかったこと(私は、インナーチャイルドが傷ついていても、今の自分はもっとしっかりしていると思ってました。無意識に、インナーチャイルドが傷ついていることと今の自分を分けて考えていたようです)。

  • そもそも、言葉5%・行動95%で自分にうそをつくのが習慣になっていた。
    (自分の意見が無いのに、自分がうそをついているのに、自分の事を信じられるだろうか?)
私の心の中には「人に言われてやったことなら、うまくいかなくても言い訳できる」というくせもあったのかもしれない。
うまくいかないのが怖かったから。
自分では、無意識に「うまくいかなくても傷つかないよう、保険をかけていた」のかもしれないけれど、そのことはかえって自分を傷つけていた。

  • 思ったより、「子供の魔法の思考」に影響され続けていた。
    「自分を認めること」=「特別になること」だったから、何か自分をキラキラさせてくれるもの・達成(今まで達成には縁がないと思っていたから、こわい)に飛びついて、多くの時間とお金とエネルギーをうしなっていた。
    自分を「認めてくれる人」「認められること」にひっかかって、すぐ自分を預けてしまっていた。
    (そしてこわいのは、それらになかなか気付けなかったこと)
    そして、それらを「即返」していた。自分でしっかり感じて考えて決めていなかった。
  • 私が「そうするべき」と思い込んでいたものは、ほぼ、幼い頃母に言われたこと・発していた空気感だった(ほぼ、母の都合のいいように立ち回るためのもの)。
    又、今まで周りから読み取ってきた空気感だった。
    自分の意見のなさは、深刻かもしれない。
  • 「『達成』と『回復』は違うもの」と学んでそうだと思っていたはずなのに、それでも無意識にはまだ一緒に考えていたこと。
    「恵まれていること」と「幸せ」を一緒にして考えていたこと。
    (幸せは「感じるもの」だと思うから、恵まれた環境=幸せとは限らないと思う)
これらの事を、課題を通し気付き、驚き・怒り・悲しみ・実感しても、すぐ流れて行ってしまう(実際、12週を振り返って、「こんなこと感じてたっけ?」と思ったり、リアルに感じられなくなっていたこともありました)。


感情を感じないようにするくせも、いまだ健在。
又、自分では自分の感情を感じていると思っていたけれど、「周りや状況に合わせて上手に発達させた感情とおぼしきもの」を感じていることがあると気付いた。
そして、その区別が今もあやふやかもしれない。

そもそも、自分の感情を感じて生きてこなかったから、すべてが上辺になって、何も残らなかったもかもしれない。


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…うわー、問題が山積み。
進んでいるというより、後退している感じ? とも感じましたが…それでも、これらは今の私の現状です。

ということは、私は、前より私を客観的に見られたし、少しでも「前より自分を知った」ってことなのかもしれない。
具体的なこれからどうしたい? には、たどり着けませんでしたが(判断基準が育っていない)、私は、自分を知りたいと思っていたのだから、その1歩目にはなったのかもしれない。


そして、私は、自分を認めるのに「特別な存在」にならなくていいと気付いた。
そうではなくて、ありふれたしがないこと(でも大切なこと)を積み重ねればいいと気付いた。

私の幸せにも(私が幸せを感じる事に)不幸にも、(良い意味で)人は関係ない。
あくまで自分の問題なんだ、と思ってきている。

今まで認めてこなかった、苦しさ・弱さ・みにくさを含めた等身大の自分を知り・認め・温かく受け止めるようになってきた。
「ぐちゃぐちゃ、ポイッ(だから自分はダメ)」をしなくなってきた。

たしかに、進むほどに私は苦しい。でも、自分の苦しみも、今の「自分らしさ」なら認めてあげたい。
Communication Room に、自分を励ます投稿をしていました。
(後から読むと、自分に贈ったプレゼントのようです。仲間へのプレゼントにもなったらいいな、と思います)


「苦しいことを含めて過去があったから、今の私がいる。
がんばってがんばってがんばったのに自分を見失ったのは本当に残念で、今も繰り返し理不尽な気落ちが込み上げてくる。

今も、無意識でどれほど自分を責めているかは分からない。
この苦しさも『今の自分らしさ』だとしたら、責めることに意味はない。
なかったことにしては、又自分の本音から目をそらすことになるし、自分がかわいそうすぎる。
せめて自分だけは、私の事を長い目で見てあげたい。

自分のがんばり、ひたむきさ、苦しみ、悲しみ、喜びを、全てありのまま受け止め、認めてあげたい。
もう、『人のように出来なかったから、出来ないから、私はダメだ』と思わない。


私は、精一杯やってきた。それで、充分。
過去もいらない習慣も、もう手放したい。

決して完璧にはなれないことを忘れず、成長(トライ&エラー)を見守ってあげたい。
甘やかすのとは違うけれど、心から優しくしてあげたい」

こんなことを、こつこつ掘り続け・気付き続けた3ヵ月でした。
(気付けたのは、「即返せず、言葉5%・行動95%をじっと観察、自分の意見を持ってみる」練習をしたのが大きかったと思います。最近、やっと「意識して・知って・再訓練」の意味が分かってきた気がします)


途中、なんだか自分がシベリアの永久凍土を掘っているような気になることもありました。
(なかなか自分の感じていることがつかまらないし、先の果てしなさに気が遠くなりました。でも、日が差すと凍土もゆるむように、自分に温かくすると気持ちも感じ易くなる、というコツをつかんだかも?)

そんな時、安全な場所があること、安全な場所で自分の正直な気持ちを語れること、あたたかい励ましに、共に進む仲間がいることに、いつも支えられていました。
自分にとってあることが当たり前になっていたので、この空間が終わるのは、本当に名残惜しいです。
優月さん、スタッフの皆さん、そして、しりうすクラスの皆さん、3か月間本当にありがとうございました。

今の私に取って、回復は…

  • 自分が何か分かる
  • 過去の出来事を、自分の境界線の外に出て行ってもらう。過去に今の感情が左右されない
  • いつも自分の感情(本心)が感じられる
  • 処世する為のライフスキルが身についている
状態が自然になること・そうあり続けられることなのかな、と感じています。

こうなる為、あとどれだけ時間がかかるか分かりませんが、少しずつ自分のペースで進みたいと思います。
これからも、宜しくお願いします。
(私は、「信頼」の段階についての投稿が多かったし、まだ感じる事・語ることが足りていないようです。だから、先を急がず復習しようかと思っています)

「シベリアの永久凍土掘り」を続けたら、思いがけずマンモス(達成じゃなくて、眠っていた本来の自分らしさとか、大切な気付きという意味です)が見つかるかもしれない。
私にも皆さんにも、そんな日がくることを心から願いつつ。




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H. E. さん(30代/愛知県よりご参加) しりうすクラス





しりうすクラスの仲間のみなさま、優月さん、ONSA のスタッフのみなさま。
2015年1月からの約3ヶ月の時間を、またご一緒させていただいて本当にありがとうございました。
それからご一緒してくださって、いつも本当にありがとうございます。

私には…私にも、ですね、私にも仲間がいる。
それから、私にも見守ってくれている人がいる(放置ではない!)。
そのことを、私はとても心強く感じながら毎日のじかんを過ごしていました。
ありがとうございます。

毎度のことながら、どこから何を書けばいいのか途方にくれるし、全然まとまらないまま1週間が過ぎてしまいました。
今回も、完ぺきにやろうなんて立派な私を目指さなくていいのよって声を掛けてから、書き始めようと思います。


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今いちばん私から溢れてくる感覚を言葉にすると、「私はとても豊かだ」です。
私は、そのことを、とてもありがたく感じます。

私には与えられないって思っていた。(私の信念でした)
私のことは誰も助けてくれないと思っていた。(これもそう)

神様なんか、どこにもいないんだって私は思った。
何度も、何度も、沈む夕日を遠くに眺めながら、わたしはそう思っていました。
虚しくて、重くて、重くて、私から薄く遠くなりながら、私はそう思っていた。

だけども、どうもそうではなく、それを神様と呼ぶのかは分からないけれど、むかし私が神様と感じていたものは、変わらず、いつも変わらず、私さえ気がつけば、どこにでもこの世界に豊かに豊かにどこにでもある。

太陽の光の熱であったり、肌にふれる風の感覚であったり、手のひらに感じるほんの小さな感覚であったり、水の流れる音であったり、生きているわたしの呼吸の豊かさであったり。
人の存在のあたたかさであったり…

薄く遠く離れたのは私で、あるものは変わらず、ある。
私の中にも、他人の中にも、つまり内側にも外側にも。
私がそう感じていなかっただけで、もうダメ、もう無理、そう思っていた時にも、与えられないと固く信じ込んでいた時にも、いつでも、どこにでも。

むかし私が神様みたいな存在を感じていたものは、大きくて安心できる自然のなかにありました。
それに愛って名前をつける人もいる、ということかな、と何となく私は感じています(ひとも自然の一部である)。

強い刺激にすっかり慣れてしまっている私は(…正確には私の身体と心かな?)、すぐにその感覚から離れる選択をします。

そうではなくって、いつでもそこに、大きくて安心できる感覚に「戻る」練習。
チェアワークのあとの感覚を深めていく練習とも言えるし…「私が、私である」感じを当たり前にしていく練習とも言えそうです。

私が私である、その感覚。
それを「いつも」感じていたいことが、私が回復に取り組んでいるいちばんの動機です。
まさに「私の回復」だし、私が取り組んでいることは、確かにそのことだと思うのです。


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踏ん張る、しがみつく、という言葉。
私にとってはずいぶんと、「力を入れて、がんばる」イメージでした。
実際にも、そうしていたと思います。

だけど、今はもう少しやわらかいスタンスでありたい気持ちです。

今まで私が知っていた「力を入れて、がんばる」、そういうやり方ではなくて、「離れたら、戻る」。

気づく、戻る。
気づく、戻る。
気づく、戻る。
何度も気づいて、戻る。

気がついたら、だだーっと流されていて、「流れを切る」が必要な時もたくさんあるのだけれど、巻き込まれやすい人間関係自体が少ない環境にいるように感じている今は、毎日の時間のなかで、小さくそれをコツコツ練習していきたいと思いました。

だって、私は、私の夢をかなえるのです。
何度でも宣言したい、私の夢です。
私は、「私は私である」って感じを実感しながら生きていたい。
足下はやっぱりよく見えないのだけれど、私は一歩ずつ、その道を歩いていると今もいつも感じています。


しっかり、しっかり悼もう。
これが、今回のコースに申し込んだ私の目的でした。
いくつも悼むことにチャレンジできました。
私は、私にお礼を言いたいです。
ありがとう!

小学4年生のときに学校でお漏らしをして、排泄のコントロールが「できない」私に絶望したこと。 
排泄のコントロールができなくなって、人生に絶望したこと。
どんなに辛くても苦しくても、誰も助けてくれない世界に絶望したこと。
絶望って、夢も希望も失うこと。
私にとって、辛くて痛いできごとでした。

私にとって「できない」って、とても惨めなことでした。
「できない」って、痛くて、とても認めたくないことでした。

家で飼っていて足を悪くした猫に対しても、助けてあげられなかったことを、私は苦しく感じていました。
だけど今思い返してみたら、小学生だった私は、当時の私にできる十分のことをしていました。
一生懸命、がんばっていた。
まいにち夏の暑いなか、いちにちも休まず、小さい私はとても立派だったのよと、今なら私も、小さい私に声をかけてあげられます。

喪失って、常に「私には“できない”」体験でした。
全身に常に無力感が帯電されていて、いつもむなしい気持ちを重く感じていました。

家のなかで、私は「できないダメな人間」だったので、何とか「存在」することができていました。
(言語でも非言語でも、否定的なストロークばかりを与えられたためです)

当時の私が、私を確認するために知っている唯一の方法は「できないダメな人間」になって「他人からストロークをもらう」ことだったので、いつでも私はそれを再現するストーリーを生きていないと、自分の存在を確認する刺激を感知できなくて、集団生活のなかでも、私は不安で生きている心地がしなかったのだと思います。

ダメな私になっても、実際に「他人から否定的なストロークをもらう」ことだけでは、私の不安を解消するには足らなくて、成長過程の学校生活のなかで、私は私に自分でも「私はダメなのだ」っていうストロークを与え続けることで、何とか私は私の中の安定を保っていたのではないかと推測します。

「私はダメなのだ」という土台を、自分でも着々と固めてゆきながら、だけどダメな私では、学校生活をまともにやっていけない。

迷惑をかけてはいけない。
恥ずかしいことは耐えられない。

そんな風に、常に外側を気にしていた私には、「ダメな私」のままでは生きていけなかったので、「私はダメだから何とかしなきゃ」と猛烈にがんばるやり方を選択して生きてきました。

それで、猛烈にがんばる=危機感でがんばり続けるには限度があって、もう「そのやり方ばかり」は本当にうまくいかないよねって、気持ちでいるところです。
このことに関しては、ONSA で教えてもらっている「基本」と「知識」と、PTSD の理解とか、自律神経のこととか、少しずつ勉強してきたことが、自分の体感にあわせて繋がってきた気がします。(* 「 PTSD 」は、心的外傷後ストレス障害 Post Traumatic Stress Disorder の略/編集注)
…そして、理解できてきたから、「なんとかできる」、のではなくて。
「何とかしよう」というコントロールからは手を離そうと何度も認めるところから、と何度も確認をしたいです。

コントロールしたい気持ちなんかに、ハマってる場合じゃない、そんな余裕ないでしょって、は! とする度に私は、焦りそうになる…
そういう焦りにも、気がついたら、戻ってね。

何度も、今に戻る。
私に戻る。

空っぽの私を、恐れない。
空っぽでいい。
恐れず、何度も私は、そこに戻るのです。


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…そして、それが「できる」って、私にとって、革新的なことなんだよ。
気がついている私?
いつもできるわけじゃないけれど、深さもいろいろだけれど、できる時もある、と思えていること。

「できると思えてる」時が、いちばん用心が必要な状態だけれど、それも自覚しながら、日々観察を心掛けて。
慎重な用心と同時に、私の日々の努力を認めてあげてね。

安心を感じること。
恩恵を感じること。
そしてそのことに、ありがとうって感じられること。

それが、少しずつ、少しずつ、深くなる。

気がついている私?
本当に、変わっているんだよ。
よかったね。

ね、本当に、よかったね。
よかったね。

こつこつ少しずつ続けられる状態まで回復できたことが、本当に私は嬉しいです。
身体が動くって、本当にしあわせなことだと改めて思います。

過去の私から、今の私にぜんぶ繋がっている。
あんなに辛くて、やるせなくて、どうにもならなくて。
それなのに、それでも今日まで私の命をつなげてきてくれて、本当にありがとう。

どうしよう、そう思うと、感謝しかないです。
過去の私にたいして、いま私は敬意と感謝を感じます。
深くあたまを下げたい気持ちです。

わたし、本当にありがとう。
知らないことも知らなかった。
ほんとうに無理して乱暴にしていたのに、ごめんね。
今のわたしと、過去の私も違うんだね。
それでもつながっている。
過去の私に、敬意を込めて、深く感謝。

覚えていよう。
ぜんぶ繋がっているのです。
過去からつながって、だから今の私がいるのです。


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「痛み」を感じることは、今もちゅうちょしてしまう感覚があるのですが、注目できたこともありました。
(同時に痛みもただの痛みという感覚もあるけれど…あるものは無視しない、痛いなら、ゆっくりゆっくり感じてゆく、あたたかくやさしく向き合う、無理しない、やりすぎない、そういう…バランスが肝要なのかな。)

おばあちゃんが死んでしまって、周りのひとが悲しんで悲痛な声をあげていたこと。
人が亡くなるということより、その周りのひとが辛そうで、私は一緒に苦しくて辛くなっていました。
5歳のこどもだった私は、そのまんま共鳴して、その痛さは私のなかに刺さったままになっていました。
だけど、それは「私の感情」ですらなかった。

このワークショップの期間に「私」と「私の“体”と“心”」はまったく別の次元のものなのだと今時点の私で、私なりに理解していました。
私の体と心は、変化変容を繰り返していく。
時間が流れていくってそういうこと、らしい。
だから、いつまでもその痛みを刺したままにしておかなくていい。
そのことを理解すれば、あとは自然に溶けていくような感覚です。


それから「不安」にも、かなり小さいころに近い感覚で届いていた気がしています。
コントロールしたい防壁の内側にある、小さい私が感じていた感覚。

みすてないで
ひとりにしないで
いや、いや、いや、ふあん、こわい、こわい

この感覚です。
そこに居ることに耐えられないから、疲弊してもやめられないほどにまで、人の機嫌を伺ってしまう。
そこに居ることに耐えられないから、無意識にでも、ひとを巻き込む。
そこに居ることに耐えられないから、無意識にでも、ひとに巻き込まれる。

共依存の根っこみたいな感覚だと思うので、今回、トレースするように観察できてよかったです。
これは、まだ何も変わっていなくて、今の私をうつす人間関係に見えることです。
(見えたり、感じられたり、そこからだと思うので、今はそれでいいのです)

まず、今ここにいる私が巻き込まれないで、そういう過去の私に手をのばして、何度でも、小さかった私が安心できるまで、大丈夫よって。
時間をかけて、寄り添ってあげたいです。
それから、小さかった私が安心できるくらいまで、私も大人になっていきたい。
小さい私を癒すって、その両方が、いるんだろうなって思っています。
回復、わたし続けていくからね。


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ほかには、「できない私」を認めたくない感情とか、惨めな感じとか、そういう嫌な感覚にぐちゃぐちゃになりながら、今回わたしは「もう無理、私にはできない」って私に言わせてあげられました。
「できない私」を、ひとつ認めることができた。

「できない私」でも、居てもいい。
許されてる。
大切にされていい。
なんにも特別なことじゃなく、それは本当に当たり前のこと。

できないことなんて、できることに比べて星の数ほどある。
「できない私」でも、居てもいい。
許されてる。
尊重されて、大切にされていい。
なんにも特別なことじゃなくて、本当に現実的で当たり前で、わたしに優しい考え方を、ものすごい抵抗を越えて、ひとつ私のなかに受け入れられた感覚です。

できなくてもいい。
できない、ダメな私でも、もちろん居てもいい。
許されているし、大切にされていい。
存在ってそういうことでした。

さらに、そこから、「弱くてもいい」。
これも今回、私に言ってあげられたことです。

共依存の取引をするための、「弱いフリ」じゃない。
そうではなくて、弱さを、恥じなくてもいい。
弱さがあることを、隠す必要もない。
もちろん主張する必要もないのです。

私の中にある「弱さ」を、そのまま、あるまま、認めてあげよう、ということです。
そういう、大チャレンジです。

もちろんチャレンジする場所は、安全な場所で、私の中で。
これからも、すこしずつ練習していきたいです。


だから、もう断固と私は「いい人」にならなくてもいい。
実は、そんなに私は自分で自分を裁いていたほど、極悪非道な人間ではないぞ、ということも今回わたしのなかに、ひとつ受け入れることができたことです。
(依存症者であるので、極悪非道な習慣が身についた人間ではあるのだけど…)

「いい人」になってることに気づいたら、断固と、私はその選択をやめようと、今回、ちょっと痛い目にあって、私は思いました。

「いい人」だけじゃなくて「いい格好」も、気づく度に、やめたいです。

プライドも恥も、私はもう要らない。
これと同じことだけれど、言葉をかえて、私は何度も確認したいです。
やってしまうのだけど、それは「私」から離れていく致命的なことだと思ったので、何度も確認したいです。

…とはいえ、本当に懲りずに、気がつかずに、やってしまう…。

そのための「即返しない」練習です!
大事なことは、そういう私を責めないで、しっかり振り返って、次に活かしていくことなんだよ。

悪いひとになれ、ということでもないし、これもバランスです。

というか、ふつうの人、でいいんだよ。
よかったり、悪かったり、光も影もある、本当に何も特別なことなく。
ふつうに人間って、そういうものじゃない?

まだ何でもかんでも「特別」がいい私の感覚もしっかりあるけれど、以前に比べると格段に軽くなりました。
これも、少しずつ癒されてきたサインよね。
(何度も…本当に、よかったね。)


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実際の生活のなかでも、いくつもやってみたことがあるよね。

なかなか手放せなかった過去の恥ずかしかった思い出を上書きしてしまうべく、カラオケに行って、じぶんの歌を録音して、自分に自分でフィードバックしてみたり。
おひな祭りに、私へのプレゼントで部屋に植物をお迎えしてみたり。
ひとつ区切りになるようなカウンセリングの時間を予約してみたり。
そう、1月は自己主張ワークショップにも2日間行ってみたよね。

つい先日、クラスの仲間からキャッチした「うらやましい、やってみたい」もやってみようって思って、髪の毛も思い切りショートにしてみた(ちょっと恥ずかしいんだけど、でもすっきり!)。

こう書いてみると、なんだろうね。
私は、生活のために続けている仕事が変わっていないことを基準にして、「こんなに回復を続けてきても、見える外側は何にも変わってない…」ってよく考えて、がっかりして気落ちしていたけれど、全然そんなことない。
そんなこと、ないね。
これも覚えておいてね。
いい方、あることにも気づいて注目して生きたい私にとって、とっても大事な練習です。


31歳、私は「ひとは変われるのか」という見出しのついた記事を新聞から切り抜いて、ずっと私のなかのテーマにしていたよね。

32歳、毎日苦しくてたまらなかった中で「私って、どんな存在なんだろう」ってタイトルに引かれて、フラフラしながら ONSA のドアーをノックしたのよね。

33歳、ONSA Web. WORKSHOP プログラムのおかげで、私って完全に依存症じゃないかと気がつけた。
私は、本当にこの依存症の前に無力なんだと気がつけたし、私も痛いなら癒されていいんだ、私にもそれが許されているんだって理解できた。

34歳、それからいろいろ取り組んでみて「ああ、私は、私でいいんだ」って思えるきっかけを得ることができた。

そうして、35歳の1年も半分以上の時間が過ぎた。
過去を振り返る作業、感覚を感じる練習、感情って痛みに向き合う少しずつの小さいチャレンジ。

過去からくる痛みはずいぶん和らいで、自分を責める選択に気がついてコース変更できるようになったので、日々の時間が本当に以前に比べて楽になったと気がついて、もう何ヶ月も経って…

自分で自分を叩きのめして、立ち上がるのもしんどくなるような生き方には戻る気もないし、自己否定の刺激に嗜癖するコントロールの無益さときたら、そのことに怒る時間も惜しいほどで、自分に対する無言のダメ出しには、気がつくたびに即刻止めたいと感じます。
(すぐに気がつけないでいても、だんだん身体が重くなったり、ひとの粗探しをして批判していたり、サインがあることもしっかり覚えておきたい)


課題文のなかに書いてあった「問題はなくならない」って本当に、実感をもって、その通りだと感じました。
周りのひとのことではなく、私自身のことです。

問題って、2種類あるんだって思いました。
暇つぶしの問題と、成長の課題として出てくる問題。
取り組むのか手放すのかを含めて、どうするかは、本当に私次第の様子。

私は、私をドサっと他人に預けるんじゃなくて、自立した上で(今にいる、私にいる状態で)、人とも助け合ったり、分け合ったりできるようになりたいです。
闇雲に「もう二度と、私は私を誰にも預けたくない!」って、イヤイヤって首を振って思っていた頃よりは、ほんの少し、それがどういう感じのことか、ほんの少しだけれど、感じられる気がします。
(できないのだけれど…)

それに、今みたいに、いろんなサポートに、あたたかく守られているばかりじゃない。
必要があれば、私も守ったり、守られたり、そしてそれでいい、そうあれるやわらかい私になりたいです。

肩肘はって、何かと…問題と戦ったりするのは、もういいって思います。
戦ったり、もういいです。
本当に、もう十分。
私も、心底、そんな世界、そんな生き方、もうたくさんです。

気がつくと、気がつくたびに、やっているんだけど、もう本当にたくさんです。

静かに、穏やかに、賢く、地に足をつけて、そうして歩いていきたい。
一歩、一歩、確かに私が選んで、決めて、実感しながら生きてゆきたい。
私が大切に思うひとたちを大切にすることが、私を大切にすることでもありたい。
私を大切にすることが、私を大切に思ってくれるひとたちを大切にすることでありたい。

今は、私の平穏に私はとても価値を感じています。
心が穏やか。
穏やかで、カタチのフリじゃない本当の余裕があるから、深く感情に感覚に気がつける。
いま、この瞬間が、有り難い…。


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長い目でみてほしいのです。
だから、平穏に価値を感じながらも、穏やかでない状態を私は許容してほしいのです。
穏やかでない状態の過ごし方も、そこを越えた、その下にあるものも、もう私は知っているから、その前に来たら、勇気を出そう。
知っていることを、勇気をもって、これからも、いつも覚えていてほしいです。

とはいえ、立ち上がればいいから、くじけてもいいのです。

弱くてもいいのです。
だからこその強さは、いつも同時に必ずある。

惨めに感じてもいいのです。
惨めに感じていたとしても、感じているだけ。
私は、決してわたしの尊厳を手放さない。

それに、いきなり、すごくできなくてもいいのです。
本当に私のやりたいことなら、本当に必要なことなら、ひとつずつやれば、私にもできる。
できるから。

これね、ずっと、ずっと、これまでもそうだったんだよ。
わたしの尊厳を手放さないことさえ、ずっとそうだったんだよ。
私は勇気をもって、そのことを覚えていてねって思います。

だからもう「できない」ことを、できない今の私はダメだから、そこからうまれてくる問題を、「こっそり1人で」、「バレないように隠して」、「何とかしよう」とか、コントロールにまい進しなくていいのです。
対峙して闘わなくっていいのです。
もういい、本当に、もういい。
もういいし、もうたくさんです。

落ち着いて、ひとつずつ、時間をかけることを私に許して、現実的に! 私にあたたかくて、やさしいやり方で取り組めばいいのです。
ずっと練習してきてるやり方です。

危機感にも意味があって、危機的な状況から通常時以上の能力を発揮させて全力で逃げるのは、このパワーの出し方でいいってことも、私は学んで知っている。
だけど、ずっとそうだった私。

もういいのよ。
ぜんぶ、その調子で、がんばらなくってもいい。
それしか無い、0か100かの選択は、本当にもういい。

改めて、周りは、気にしなくっていいです。
私の内側に集中していい。
大丈夫だから、許されているところにいるし、私も私に許すよ。
大丈夫です。
だから、もう一度、何度でも、そこからやってみて。

改めて、長い目で見てほしいのです。
そういう覚悟をしてほしいのです。

いろいろな、がんばり方、やり方がある。
その時に「ちょうどいい」やり方で、取り組めるようになろう。
私のいいバランス(この時間の歩き方だよ)を探していこう。
これは、これからの引き続きの私のテーマです。

なぜそう思うのかは分からないのだけど、多分そういう覚悟をしないと問題はなくならない。
問題って気になるし、飛びついて、何とかして解決したくなっちゃう。
だけど、「私」に問題はないのです。
とことん「私の習慣」が問題なだけ。(だけ、というにはずいぶん手強いけど…)

多分、こういうこと。
いつまでも暇つぶしの問題に注目して、私は私の人生を生きることを先延ばしにしなくていい。
今ここにある現実が、私の人生ってもう認めていいんだよ。
私は、この人生を今ここから生きるって腹をくくっていいんだよ。

闘わなくていいって、そういうことです。
抵抗しなくってもいいって、そういうことです。
諦めるんじゃなくって、認めるってそういうことです。

あわてなくていい。
焦らなくていい。

落ち着いて、地に足がついてバランスがとれているのが、いちばんパフォーマンスのいい状態。

私が、私を生きる、いいバランスを探そう。
そして、もっともっともっと私のことを知ろう。
もうひとつ勇気をだして、本当にやりたいことを…やってみよう。
(とても怖いけれど、結局わたしは絵を描きたいんじゃないの? って思う…)

土台をつくりながら。
静かに私の芯を育てながら。
バランスを探しながら。
私をますます豊かにしていこう。
豊かさにも、きっと限界ない。

今、ここから、そうやって、私は私の人生を生きよう。
そうしていいのです。

たくさんのことができなくても。
たくさんの人と関われなくっても。
全くいい人でなくても。
立派でなくても。
外側から正しくないと言われても。
習慣で共依存の生き方、不健康な関わり方しか知らなくっても(!)


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気がついたら、わたしは幸せだった。

地道に癒したり練習していたら、いつでも幸せなポジションに戻れるようになることが、何だか少しずつ分かってきた。
そうしたら、なくならない問題(=私にダメ出しする習慣)は、私が選んでるって、だんだん分かってきた。

今と、過去は(未来も)、繋がっているけれど、実は関係ないって、分かってきた。
いつでも、本当に「今」しかない。
今ここにある、命、と、わたし。

生きるって選択の連続なのだって、それももう一歩くらい、静かになると、分かるような気持ちになります。
(今を生きることが難しいほどに、今に影響が出てくるときは、だから過去を癒す必要がある。だから回復は1日でも早くがおすすめなんだなと改めて思いました)

排泄コントロールの問題を抱えることで、学校生活の中の様々な問題や痛みから気をそらして私が何とか生き延びてきたことと同じように、自己否定の刺激に嗜癖することで、私は到底耐えられないと感じていたであろう「私が無い、分からない」っていう不安定な状態に、刺激をあたえて、私を確認して、私の心を守ろうとしてたのなら。
そんなそんな痛い辛い方法で、一生懸命に、私の命を今日まで繋いできてくれた、健気なこれまでの私。

私は、もう二度と私に、辛い思いも、我慢も、させたくない。
私に、辛い思いも、我慢も、もう二度とさせたくないって、今回のクラス中に私は強く思いました。

それって、これまでと同じ生き方、私の存在の確認の仕方を選択しないってこと。
あたたかく、やさしいストロークで、私の存在を私が確認しながら生きていこう、そういうバランスの取り方で歩いていこうってこと。
練習してきたことを、私の生き方にしようってこと。
今までと何にも変わらないって?
うん、だけど、そういうことだと思う。

もう何の抵抗もいらないです。
ずっと練習してきたことを、練習させてもらってきたことを、私は、そのまま、私の生き方にしよう。
私はダメだって、二度と選択しなくていい。
違うから。

そういう、私を否定する、私の存在の確認の仕方は、もう二度といい。
二度と、しない、したくない。

私は、私でいい。
そのままでいい。
本当に、いい。

それに自分がダメだとか、そんな事実でも無い幻想に注目して、今ここにある大事な時間を見失いたくない。
目の前にいるひとも見失いたくない。
まっすぐ向き合える、そういう人間関係を築けるように私はなりたいんだもの。


だから、いつでも戻る練習をしたいのです。
「今」にしか、「私」はいない。
外側に、私はいない。
過去にも、未来にもいないです。
そういうことだと思う。

これが土台、基礎。
確かな感覚になるまで、私が練習していくことです。
これ、言葉にできて、よかった。

本当に、私にとって価値のある素晴らしい時間を、また私は過ごしていました。
過ごさせていただいていました。
ありがとうございます。

わたし、本当にしあわせだ。
恵まれているし、幸運の持ち主だな…ありがたいな…って思います。
少しずつ、次のかたに渡していける私にも、少しずつ成長していけますように。


文節区切りの線

前コース2/STEP.1(2-1/前期日程)のとき、「私はひとりだもん…ひとりだったもん…」って場所から、私はどうしても離れられなかったです。
そして、私は1人でずっとがんばってきた、そのことが辛くて痛くてたまらなかったのだけど、本当の本当に「ひとり」でできたことなんて、実は何ひとつ無かったよねって、今回ワークの途中で思えました。

昔2歳だった私が、どうしても1人で服のボタンを自分でかけたくて、そういう私の主張に腹をたてたお母さんに「もう好きにしなさい!」って放棄されて、辛くて痛くて孤独で「私はひとりなんだ」って感覚を全身で感じて泣きながら、それでも全部ボタンをひとりで掛けきった時も。
…ヘリクツみたいだけれど、だけど本当に、服を作ったひとがいて、ボタンをデザインしたひとがいて、私の命もたくさんの命から繋がってきた命で、何ひとつ欠けても、その時にあった「あの時の今」はなかった。

今も歩いている回復の道の途中で学んできたこと、感じたこと、サポートを分けてくれるひとの存在、私はひとりだけど、ひとりじゃない、確かに仲間がいるっていうこの感覚、それが、ゆっくり、ゆっくり、私をほどいてくれたんだなぁって思います。

私に、届いてよかった。
がんばってきて、本当によかった。
そこがひとたび解けたら、もういい、ああ本当にこっちのがいい。

だから、ありがとうって溢れるのかもしれないです。
幸せねって泣けるのかもしれないです。


慢心に気がついたら、戻る。
油断していることに気がついたら、戻る。
今にいないことに気がついたら、戻る。
サインに気がついたら、戻る。

戻って、なんども頭をさげて、謙虚に、謙虚に、この小さくてあたたかい幸運さを大切に、引き続き、私は私に向き合って、何度もそう決めながら、回復のみちを歩きます。

私は、私の足でたつのよって、何度も確認しながら、何度も決める。
本当に何度でも、決める。

『未来日記』をひらいて、サポートも引き続きありがたくお願いしながら、安全第一で、まいにちの時間を歩く。

Yoga も続ける。
それができる、私は、本当にしあわせ。
(Yoga も回復も結局同じことだった)


“回復って、自分の力で、自分の人生を選んでゆく、成熟した大人の力をつけること”、と課題文のなかにありました。
私は、小学生になるかならないかってところまでのテーマを行ったり来たりしていると、自分チェックでは、そう認識しています。
生まれたところのテーマから足りていなかったので、そう思えば、ずいぶんと歩いてきたとも言えるのかな?
(もう、もう、本当にがんばったね、わたし。)

いっぱいがんばって歩いてきてくれた私のためにも。
私のこれからの未来のためにも。
なにより、今ここで生きている私を、もっともっと深く実感して、楽しんで、満たされて、あたたかさも優しさも感じながら、しなやかに笑顔で力強く生きていくために!

やめない、と、ナメない。
依存症者のわたしは、とにかくこれを合い言葉に、引き続き、地道に、毎日できる分ずつ、私に集中する練習を続けていきます。

1月からの約3ヶ月の時間、改めて、本当にありがとうございました。
そして最後まで収集がつかなくて困っているのですが…どんな私の投稿も許してくださってありがとうございました。
がんばりすぎて、私の容量が分からなくてまとまらない…。
うん、これも今の私です。

何とか痛みにも弱さからも目をそらさないぞと、粘っていた私にも、改めて、ありがとう。
今回もまた大変なところを、勇敢に、ほんとうに、よくよくがんばりました。
これからも、ひとつずつ、一緒に歩いていけるね。
私とまっすぐ、真摯に、あたたかく優しく向き合いながら、そうやって時間を過ごしていけるね。
少しずつ、そうして、右と、左、両手のひらを合わせるように、私はわたしのなかでバランスのいいところを探しながら、やわらかく調和してゆこう。

だいじょうぶ。
見つかるから。
信じて、今日も、そのまた次の日の今日も、ひとつずつ、歩いていこうね。
2年、3年、もっとかな?、かけていいし、かけるものなんだよ、きっと。
確かな土台をつくりながら、私のなかに豊かに私を育ててゆく。
変わらず、変わりながら、ひとつずつ、楽しんでゆこうね。




タイトルはじまり目印

K. M. さん(30代/長野県よりご参加) しりうすクラス





まず初めに、いつも安全で安心な環境を提供してくださる ONSA の皆様、ありがとうございます。
ここと『未来日記』の上でだけは、自分の気持ちを正直に書き込むことが出来ます。とても助かります。

そして、毎週深いメッセージを掲載してくださる優月さん、ありがとうございます。
今回のコースでは深いどころか「うっ」と刺さるような、今の私にとって非常にタイムリーなメッセージが多く、毎週読むのが楽しみでした。


また、今回ご一緒させていただいた皆さん、ありがとうございます。

皆さんそれぞれの気付き・書き込みが良い意味で「気にならず」、それどころか皆さんの書き込みを読んで「はっ!」と私も気付きが深まるような時は、私の回復が順調であると言うこと、
逆に皆さんの書き込みがどんどんアップされることに焦り、目を通すことが苦痛になってしまうときは、私が私と向き合う時間を減らしてしまっている(仕事などで)時期であるということがよく分かりました。

これは一人でワークをしていても気づけなかったことだと思います。
皆さんのお陰で、自分の状態がよく分かりました。ありがとうございました。


最後に、私へ。

辛かったね。よく頑張ったと思うよ。
こんなに気づけた、進めたワークは、これが初めてじゃないかと思うくらい、はっとする機会がたくさんあったね。
共依存、アディクション…勢いに乗って、関連する本も、たくさん読めた3ヶ月だったね。
これまで諦めずに歩いてきたから、今回ぐっと進めたんだと思うよ。良かったね。


一番大きな衝撃は、「しらふ」という概念に出会ったこと。
そんなの、アルコール依存の人の専門用語だと思い込んでいた。私には関係ないと思っていた。
でも、そうではなかったね。

私が好きな小説やドラマの、共依存的な世界観に浸っているとき、
欲しくて欲しくてしょうがない買い物を前に、うずうずするほどのストレスと闘っているとき、
通勤時の他人の話し声をシャットアウトしたくて、音楽を聞いて壁を作っているとき、
私は私を置いてきぼりにして、外からの刺激に溺れていた。
「しらふ」じゃなかったのだと気がつけたね。

気がつけた…のは発見だったけれど、正直ショックが大きくて、これまでの自分を否定するみたいで、だから、それらから自分を切り離すことがとても辛かったね。

自分の意志でやってみた情報ダイエット。
初めのうちはとても辛くて、不安で、そもそもなんでこんなことをしているのか、分からなくなったりもした。


もう一度「浸る」生活に戻った方が楽なんじゃないかという気持ちが、過ぎったことも何度もあった。
それでも、しばらくすると、「静かで落ち着いていて、私に還っている時間」というものを、感じる機会が増えてきた。
そして、その時間の中にいるときは、気付きが深まるし、外からの刺激に惑わされないでいられることも分かってきた。

まだまだそんな時間の中にいられる時は少ないけれど、一度知った感覚は、きっと消えないと思うから、これから「しらふ」の時間を増やしていこうね。
外からの刺激、色々なお楽しみとは、自分なりの付き合い方を見つけていこうね。
苦しいね。でも逃げないで続けようね。

でないと私、ずっと「誰か」を気にして、「誰か」に振り回されてしまうから。
そんな人生は、送りたくないから。


文節区切りの線

ワークの後半は、ちょっと停滞気味だったね。
自分でもよく分かっているけど、多分原因は、仕事が山場で、「灯台の時間」を削って働いてしまったからだね。
やっぱり「灯台の時間」が大切だと分かったね。

それと同時に、来年だってこの時期は同じくらいの忙しさになるのだから、スケジュール管理をこの1年でもっと上手になりたいと思えたね。
失敗から学ぼう、変われる、成長できると自分を信じようね。


今回のコースは、私にとって、本当に参加した意味があったと感じています。
だからこそ、この学びを定着させたいと思い、もう一度同じコースを続ける予定です。

私は相変わらず、気付いては改め、また転び、凹み、起き上がり、といった歩き方を繰り返しています。
順風満帆ではないですが、覚悟を決めて、決して止めないで、回復を目指します。
今後ともお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。




タイトルはじまり目印

A. M. さん(20代/愛知県よりご参加) しりうすクラス





優月さん、クラスのみなさん
ありがとうございました!!
クラスのみなさんの書き込みが、本当に励みになりました。
課題が出来なかったとき、辛い事が起きたとき、ひとりじゃないのがとても心強く感じました。
心から感謝しています。


文節区切りの線

12週間走り続けた私へ

本当にお疲れさま。
2015年はじまりの3ヶ月はあっという間だったね!
時間が過ぎると感じた時、いつも「またこんなに時間を無駄にしてしまった。なにもせず何にも進歩もないまま過ごしてしまった。」と後悔してるけど、「じかんのきろく」を読んだら全然そんなことなかった。
私の12週間はたくさん気づいて、2014年よりも私自身のことを気づけた大事な時間だったみたいだよ。

振り返って強く感じてる事。
私の子ども時代と私の家族内には「権利の目録」はなくて、「話すな・感じるな・信じるな」みたいなルールがあった。
そしてそれは私の生き方になってる。

WORKSHOP や本で知識として触れていたけど、自分に起きてる事だとは正直実感が薄かったよね。
でも、私の気づきを振り返ってみたら、まさに機能不全家族は私の人生で起きてることなんだ。


私は自分の事を信じてない。
もっというと私は間違っているから誰かの正しいに合わせないといけない。
私の感じていることは間違っているから、言ってはいけない。
そもそも間違えるなんてことはあってはいけない、出来ないならばやってはいけない。
誰かの役に立たなければいけない。
他人を喜ばせなければならない、自分の事を差し置いても。

全部無意識に、息をするくらい当然のようなレベルで私の中にあることだった。
気付いてなかっただけで、『未来日記』や課題で書いて書いて書きつめていったら行き当ったこと。
違和感なくすごしていた自分がとても怖い。

だってこんな状態で自分を大切にしてるなんていえないでしょう?
しんどいのも、自分を好きになれないのも、幸せじゃないのも、これに気付いたら当然だって思う。
自分を否定して、犠牲にして、切り売りしていたんだよ。この28年間の私。

びっくりだよね。
しんどいよね。

こんな状態の私に夢を生きるとか思うままに生きるとか、感覚として全くわからないのは当然だって思うよ。
キラキラした生活がどんなものか、自分のことを知らない私には真似してみる事しかできないのも当然だよね。


文節区切りの線

本当に小さなころから、怖いとかわからないとか悲しいってことが言えなかった。
そんなことを感じてはいけないって思ってた。

両親から私が受け取っていたメッセージは、いい子であれ・感じるな・考えるな、だった。
いい子であれ・・・両親にとってのいい子がどんな子なのかは察しなければならない。
質問は許されていなかった。

そこから私は両親にとって、先生にとって、友達にとって、世間にとっていい子でいなければいけない、というのが常にあった。
それが暗黙のルールで、でも基準なんてのは相手によってかわってしまうからいつも振り回されてばかり。
それってしんどい事なんだけど私は怖いとかしんどいって感じることはなかった。
感じたら生きていけないから、ずっとずっと小さなころに感じないようにするように頑張ったんだと思う。

私の中にはたくさんの怖い・悲しい・わからない・ずるい・さみしい・許せない・悔しいが詰まっている。
それはずっと感じていたはずなんだけど、表に出すことも感じること自体も禁止されていたから私の中に積もっているんだ。


過去に触れるのは辛い。辛い事ばかり思い出すから、とてもしんどい。
今まで思っていた出来事が全然ちがう風に見えてくる。

私は幸せでやりたいこともやって、それなりに充実して順風満帆な生活を送ってきたし、これからもそれなりに楽しく幸せに生きていく。

なんて、そんな風なこと今の私には全然まったくこれっぽっちも思えなくなってる。

私の今までは我慢して怖くて悲しくてしんどい事がたくさんあって、自分の事なんて全然大切にしてこなかったし、どうしたらいいかわからなかった。今もこの先もどうしていいかわからない。
これが本当の気持ち。

辛かったね、しんどくて当たり前だったね。

仕事・人間関係・夢・お金・結婚・出産・家族・将来・今

どれもこわいしどうしていいかわからない、どうしたいのかわからないね。
考えたこともなかったし、自分の希望を正直に心から願っていいなんて、そもそも思えもしなかったよね。

自分の人生を生きているなんて思えていなかったよね。
自分の人生を自分で決めるなんて考えることは NG だと思っていたよね。

今の私は決して幸せじゃない。恵まれてもいない。順調で満たされてなんていない。
外の誰か、私以外の他人がどういおうと、正直な私の気持ちはそう感じているんだ。
こんなに恵まれてるのに、満足できない私はなんてわがままなんだ! って思わなくていい。


私がどう感じているのかは、私だけの事。私だけのものなんだ。
誰かの意見とか顔色とかで左右されなくていい。
「境界線」ってこういうことなんだよね。


12週間のきろくを読み返して、手帳をみて、ワークにあったことや今まで受けた WORKSHOP で知ったことが、私の人生の中・私の中にスキルとしてないことがよくわかる。
それを知る機会がなかったのもわかった。

私の家族や私の周りには、そのスキルがある人はいなかったんじゃないかな?
少なくとも私の家族の中にはそういう健全な生き方で生きている人間はいなかった。

私はゼロから、過ぎてしまった時間の分だけマイナスからのスタートなんだ。
こわくてイヤだけどそれは事実なんだ。

逃げても、誰も何とかしてくれないみたいなんだ。
だって今まで誰も何とかしてくれなかったでしょう?
そしてそんな考え方、到底無理な話って今ならわかるもの。
私が私の面倒を見る。
このことが、私には実感としてわからなかったんだよね。


辛いっていって OK、しんどいっていっても OK、どんなことを思っても OK、言わなくても OK

私の過去、悲しくて怖かった。怒りもたくさんある。
それを肯定していいんだよ、だって私の本当の気持ちなんだから。
誰にも否定させない、だって私の思いなんだから。
私を大切にしていいんだよ、だって私にとって私が一番なんだから。

私は私の事をまだ全然知らない。それに気が付いたよね??
気が付けた私はえらい!!



| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ


ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。


「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。