M. M. さん(神奈川県よりご参加) うめクラス
こんにちは。
先日はワークショップ・クラスを受講させていただき、ありがとうございました。
一番印象的だったことは、名前が間違われた時、とっさに訂正できなかったことです。
私の日常ではこんなことがあるあるで、
「どうせ私なんて」
「今さら言ってもな~」
と頭の中がぐるぐるしてしまい、何も言えませんでした。
ワークショップ・クラスが終わった後で考えると、
「小さいことだけど、私はこういう思考に人生の結構な時間を使ってるな」
と気づきました。
まずは、
「自分のことを大切にする」
「相手のリアクションを想像する前に、自分の気持ちに耳を澄ます」
ことを心がけたいと思います。
また、優月さんはとてもユーモアのある方で、そのことにも大変勇気付けられました。
境界線を守るなんて、とても戦闘的な響きですが、ユーモアや冗談を使ってもいいんだなと思うと、気が楽です。
自分の得意なやり方で、スマートに境界線を伝えることが今の目標です。
ワークショップ・クラスが終わった日は、疲れと痛い所をつかれたショックで、丸まって寝てしまいました。
自分のことを考えることは、今の私には退屈で辛いことです。
ですが、その先に私の輝く人生があると想像して、がんばります。
ありがとうございました!
R. K. さん(40代以上/千葉県よりご参加) うめクラス
藤沢さん、先日は、ワークショップ・クラスではありがとうございました。
皆さんお疲れ様でした。
3日目の今、体はくたくたで、喉がすごい渇いて、生理前のようなだるさですが、むしろ気持ちは元気で、すっきりした、もやがとれたような気がしています。
でもまだ急に泣いたり、過去の家族との記憶がよみがえっていたりして、辛い気持ちや怒りが湧いたりもします。
ワーク中の頭痛はなくなりました。
元気なのは、本当の私の気持ちを見つけてくれたことを喜んで、ありのままの自分で受け入れて、色々もう頑張らせないでっ言っている気がします。
前回の「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」から、2回目の参加でした。
今回は、直前に、胃腸炎で入院というトラブルがあり、プレワークにかける時間もなかったですが、3月で職場をやめて、ゆっくり出来たのと、2回目だったので、2、3日前まであまり不安はなかったです。
でも当日、私にはそんな問題はないから行かなくてもいいんじゃないとか、休み時間も、怖くて現実逃避したい自分がいました。
前回の「変容(トランスフォーメーション)ワークショップ」で、閉じ込めていた心から沢山出てきた、自分の家族問題。
でもすぐ、初めての仕事が忙しく、職場では巻き込まれる関係でくたくたで、自分にかまってる時間も体力も残っていませんでした。
今回は、そんな職場で、相手の言い分ばかり聞いてしまう自分、自分の気持ちを言うのが怖い、相手の反応ばかりが気になる自分に気づき、参加を決めました。
境界線を引く方法を教わると思っていて、自分の中の家族問題と直面するとは思っていなくて、私は、家族問題はそんなに深刻じゃないって、言い聞かせていました。
でもお昼休みの間で、色んな事に気づいてしまって、正直、あまり受け入れたくなくて、私にとってはハードルの高いものでした。
私の境界線は、ほとんどないみたいでした。
前から、うすうす、家族問題は気づいていたけど、たいした問題じゃないし、過去のことだからって自分に言い聞かせて、自分のやりたいこと、夢をかなえれば、それは自然に消えていくって思っていた。
今回のワークショップ・クラスで、私が今まで何かをしようとしてもうまく行かなかったのが、不思議に府に落ちた気がしました。
言われたくない言葉が似ているパートナーさんと組み、境界線を作る事がこんなに自分にとって大変な事とは思いませんでした。
最後パワーもなくなってきて、疲れきってしまいました。
目も見れないし、怖くて怖くて、相手にいやな言葉を投げかける時もなぜか怒りが湧いてきたり、目を見て言えなかったり……。
でもやっているうちに、これは自分にとって当然の権利なんだと思えるようになって来ました。
「自分に言い聞かせるように、おなかから」
って藤沢さんに優しくも真剣な声をかけていただいたことが、パワーになり、諦めないで、やってみようって気持ちにさせてもらいました。
そして、家族問題が自分にあることを隠さないで、痛みも隠さなくても、良いって言う温かい場があることで、私もここから抜け出せるから、もう少しやってみようって、今は思えるようになりました。
でも、ワークの最中も何度も、自分を責める声が聞こえてきました。
「まだそんな事も出来ないの? そんな事はいいから、早く解決しないと」
って、
「完璧に今日で解決して帰らないと」
って、
「私にはやることが沢山あるんだから」
って焦らせる自分の声も出てきました。
「周りの方も味方なのに、普段こういう感情をだしてはいけない」
って思っているので、みんなも私を責めてるに違いないって、みんなの目も、最初とても怖かったです。
藤沢さんの、
「私たちが悪いわけじゃない、出来なくて当たり前、失敗するための場所なんだよ」
って言葉に勇気付けられました。
パートナーさんは、繰り返すうちに感情的になることもなく、自分に言い聞かせるように境界線を作っていました。
私とグラフが似ていたということがあって、私もこういう風になれるってすごく勇気付けられました。
ありがとうございました。
遠方からいらっしゃった方も沢山いて、自分ひとりじゃない、一人で抱えないで、隠さなくてもいい、みんなで楽しく乗り越えようっていう雰囲気も、怖くて仕方なかった私の気持ちを後押ししてくれました。
夢って思っていたものも、もしかしたら、本当の夢じゃないかも。
じゃあ私はこれからどうすればいいの?
反射的に以前の自分の行動が出てしまうので、すぐ元に戻ってしまうかもってとても怖いです。
母にものを言う時も構えてしまったり、他人重心になりそうになったりしますが、完ぺき主義をやめて、失敗しながらも、自分重心になるように、ロールプレイでした事を実践します。
藤沢さんがアドバイスでおっしゃっていた、人の世話を焼いたり心配するのを止めて、自分の事にエネルギーを使って、自分を遊ばせたり、アフターワークと今日かりてきた、お薦めの本を読んで自分と手を取り合って、アパートメント(ONSA apartment. Room/*編集注)やまた必要ならワークショップを利用し、一人で抱えないように一歩ずつ楽しみながら、前に進みたいです。
藤沢さん、クラスの皆さん、ありがとうございました。
Y. A. さん(30代/東京都よりご参加) うめクラス
優月さん、うめクラスの皆さん、いかがお過ごしですか?
ワークショップ・クラスでの皆さんとの、一期一会の出会いは、私にとって、とても濃い思い出になりました。
クラス初めに、皆さんと円を作り隣同士手を重ねたとき、両隣の方の手の温かさにびっくりしました、そして、自分の手がどれだけ冷たいかにも驚きました。
その後のクラスの中で、ファイティングポーズをとる人は腕に力が入るから、手が冷たくなると聞き、大納得をしました。
クラスのワークの中で気づいたのですが、私は自分を守る手段として、相手と戦うことを選んでいたため、私は人とコミュニケーションをとるとき、身体でもその体勢をとっていました。
ワークショップ・クラスが終わった後、日常に戻って自分を観察してみると、私は、一番の問題と思っていた母に対してだけでなく、四六時中そのポーズでした。
父、姉、祖父、友達、実際に会う時だけでなく、頭の中で思い出している時も、さらにテレビを見ている時でさえも、テレビの内容に、ファイティングポーズをとっていました。
これだけ腕や肩を緊張させていれば、手の指先まで血が届かないのも納得です。
ワークショップ・クラスで教わったチェアーワークを、さっそく実行して、ことあるごとにやっていたら、ワークショップの普通にしてても痛みを感じてた右の首筋を始め両肩、首が少し楽になってきました。
さらに、私にとって今回、最も響いた言葉も、肩こりを改善してくれたんだと思います。
それは、
「土俵に乗らない」
クラスで、いろんな専門用語や、クラスの趣旨に沿った言葉を聞いた中、私の中で「キラッ」と光った言葉はこの言葉でした。
クラスがあったその夜から早速、私は使いました。
というより、勝手に私が自分にそう言ってきたような気もします。
家族との会話で「イラッ」「モヤッ」としたとき、私が私に
「(土俵に)の、ら、な、い」
と、念を押すように語りかけます。
この言葉のおかげで、心もファイティングポーズをとらなくなり、自ずと実際の身体の力が抜けていくのも感じます。
心と身体は本当に連動しているんだと以前よりも、さらに納得しました。
私にとって、相手の境界線に入ることが基本のコミュニケーションだったんだと、自分のコミュニケーションの形を客観的に見ることができました。
そして、平和で安全なコミュニケーションの形があることも知りませんでした。
こんなにはっきりくっきりと違いが見えることも、驚きでした。
実際にワークをすることは私にとって、バンジージャンプをするくらいの想いでした。
昼休みの後、「眠い」「ドキドキしている」と言ったのはそのためだと思います。
自分が思っているよりも、身体は恐怖を感じ抵抗していたんだと、今振り返って思いました。
そんな私の背中を押してくれたのは、私が感じた、優月さんの作るクラスの流れのテンポでした。
私は、「パッパッ」「サッサッ」と小気味よいテンポを感じ、それに助けられた気がします。
このバンジージャンプを飛び降りようかどうしようかと迷う暇もなければ、自分の中のキツネが話す暇もないからです。
だからこそ、本当の私が「今しかない!」と現れたんだと思います。
ワークをしてみると、私は、「私は、」と言うことも、 恐怖で、言葉が詰まってしまい、初めはうまくできませんでした。
「i – message」の基本の「私」を言うことができない自分が、今の本当の自分だと分かり、今までどれだけ自分に嘘をついて「私」という主語を使って、人の意見を借り言ってきたんだろうと思いました。
同時に、どれだけ自分が他人重心かも身を持って体感しました。
そして、自分を感じて、自分が納得して言葉を発することを、今回のワークショップ・クラスで初めて体験しました。
とっっっても難しかったです。
そして、これが基本だということも初めて学びました。
あれから、数日が経った今、
私が自分に守られてる
自分に守ってもらえると、自分を信じれる
私は自分を守ってもいい
と思えるようになり、以前よりも心に安心を感じます。
あれほど恐れていた母との会話も、日を追うごとに心身ともに身軽にその時間を過ごせるようになり、
「あれ? あれれ? これホント?」
とびっくりしています。
そして、同時に、自分の事が見えてきたからこそ、必要なことも見えてきました。
今の目標のゴールが近くにはないことを知ってがっかりする反面、この状況がゴールでは困る! 満足できない! という、やる気を見せる私もいます。
自分が頼もしいです。(笑)
最後に……
クラスでパートナーになっていただいた方に、心から感謝します。
パートナーなしでは、私はあんなにも早く、安全に安心して、自分の境界線を守る術を身につけることはできません。
そして、同時に、相手が境界線を守った時の、「気」のようなものを経験できたのも対面式の醍醐味だと思いました。
あの時は、本当に目の前に境界線が見えるような気がしました。
クラスを振り返って、改めてあんなに濃密なクラスを作り、リードする優月さんに感謝します。
今回も、優月さんの大切な経験を分けてくださり、ありがとうございました。
うめクラスの皆さん、
皆さんとクラスをご一緒できたことで、たくさんの刺激を受け、ひとりでは成し遂げられない成長をすることができました。
ありがとうございました。
C. Y. さん(40代以上/富山県よりご参加) うめクラス
先日はありがとうございました。
「レモンは落とされてしまった」
を実感しています。
私のものの見方は前と変わってしまいました。
それが、すごく心細くて、知らないほうが幸せだったようにも感じています。
同時に、合点いくこともいろいろとあります。
放り出したい気持ちもあるのですが、やっぱり自分と向き合っていきたいと思います。
S. K. さん(30代/神奈川県よりご参加) うめクラス
境界線を守るという事は、相手のことを説得したり、はっきり強くものを言って、自分を押し出すことだと思っていました。
自分に言い聞かせる、自分で自分を確認するために、言葉を発するなんて想像していなかったです。
相手は、突き詰めていけば、関係がない。
自分の気持ちを言えないのは、自分に聞かせるための言葉をずっと発していなかったということ。
自分の言葉なのに、自分の内側に響く言葉、気持ちを言わずに、ただ外側に向けて言っていただけでした。
わたしが今回、ここで気づいたことは、まだ自分の言葉を内側に響かせて言っていないということです。
外側の相手に向かって言っていることが、人生の大半を占めていれば、そうなるなとは感じています。
口では、それなりに整えて言えることは多いですが、内側がざわつく感じがします。
相手を越えて、あれもこれもしなくては、と思って我慢することが本当に無意識にあるという事。
自分は確かに境界線を持っているけれど、その境界線をはっきりと決めて、線を引くことが、本当に難しい。
「ココだ!」というのは、本当に一発では全く分からないということ。
だから、自分と対話をするというのが必要なんだなと感じています。
今言えるのは、わたしの気持ちを何気ない形でも、どんな風でもいいから、言葉にしてみることからかなと思います。
結局、一番ここが重要だし、シンプルだけれど、難しい……相手じゃなくて自分なので、少しずつやっていきたいです。
うめクラスのみなさん、パートナーを組んでくださった方、ありがとうございました。
C. H. さん(40代以上/埼玉県よりご参加) うめクラス
まさに「目からウロコ」のワークショップでした。
今までずっと悩んでいた
「どうしていつもうまくいかないの?」
の答えが、いきなりはっきり与えられたのです。
そうだったのか、と思うと同時に、なぜ今までわからなかったのかも理解できる気がしました。
きっと私はそのことに気付くのが、怖くて、気が付かないふりをしていたのです。
本当は心の底では、わかっていたにもかかわらず。
実は、プレワークもなかなか進まず、
「忙しいんだから仕方がない」
と自分に言い訳していました。
でも本当は、自分が見たくない自分にふたをして、見ないようにしていたのですね。
でも、優月さんにそれを指摘されたときは、ああ、そうだったんだと本当に自然に、腑に落ちました。
もし一人だったら、いつまでも、そこに、たどり着けなかったでしょう。
でも、気づいたからと言って、それはまだ第一歩にすぎません。
今まで、あまりにも、長い年月積み重なってきた習慣は、頑固な油汚れのようにちょっとやそっとでは変わらないかもしれない。
後半のワークは、とてもしんどかったけど、相手の方の表情がどんどん変わっていって、最後にはとても自身に満ちたきれいな顔になっていたので、この方法はほんとに効くんだ、と実感することができました。
次の日は、一日寝込んでしまいました。
ワークショップ三回目にして、初めてのことです。
そのくらい、今回の境界線は、私にとって、ハードかつハードルが高かったということだと思います。
これから、ゆっくりとアフターワークに取り組んでいきます。
新しい習慣を身に着けるのは、きっとものすごく時間がかかると思うけど、進むべき方向が見えてきたので、少しずつでも前へ歩いていきます。
優月さん、クラスの皆様、ありがとうございました。
O. I.さん(30代/北海道よりご参加) うめクラス
先日はありがとうございました。
クラス外の時間に、藤沢さんが
「共依存は手強いよ。そして、他者依存してると……やっちゃうんだよね」
と示唆されていたこと。
まさに。
わたしはどこか、
「ワークショップを受け続けている間はだいじょうぶ」
「ワークショップを順に受けていけば、なんとかなる」
という気持ちがありました。
WORKSHOP 中も、この辺りに関するご指摘の言葉を時折感じました。
練習の場で行ったこと、気づきを「持ち帰って」「訓練、訓練、訓練」なのです。
やらないと、できない。
できないと、どうやら、次に進まない。
これは、今回の WORKSHOP に限らずなのでしょうが、WORKSHOP を経ても、しばらくすると別のことに巻き込まれ、自分がすることをおざなりに・忘れてしまったり……。
そもそも、「自分がどうなりたいがために」やっていたことなのか、をはき違えて・忘れてしまう自分がいました。
まずはその事実を確認しました。
もともと私は、「境界線(バウンダリー)ワークショップ」のクラスは自分には必要ない、と思っていました。
2月のワークショップ参加時に、藤沢さんに
「なんか巻き込まれちゃうんですけど」
と漏らしたときも、
「巻き込まれるような・巻き込むような人のいる環境を、かえることが先決ですよね?」
と許可をもらいたい気持ちでいました。
境界線や、自分の特性(エゴグラムで表出されたもの)のことに、全然気づきもしませんでした。
「私の解決すべきは、自分の生き方を見つけることで、その最中によけいなことに巻き込まれる環境はよろしくない! 相手がおかしいから、迷惑がかかっているんだ」
くらいに思っていました。
ですが!
自分では気づかないほど、私の中に「対他者」「他者」が存在していました。
本当に、Web. WORKSHOP に参加できなくて対面式に参加して、知れて、ありがとう! です。
そして、「訓練」のはずなのに、どうしても相手に寄っていってしまう自分。
(よって、の変換候補に「依って」が出てきてドキッ。)
どうしても、相手に
「否定されるかもしれない」
「突っ込まれるかもしれない」
「理解してもらおう」
「納得してもらおう」
という気持ちが行動に現れてきてしまいます。
自分の中で境界線を作ることなのに、相手にその言葉を言われるともう、(攻防問わず)戦いモードになってしまう。
自分の中で境界線を確認すること。
そして、対他者的には、プレワークにあったような有効な技を使うこと。
じつは、今日まさに、やってしまいました。
とある件で母より依頼、でもそれは、私がとりたい有給休暇の日程を別の日にずらす・あるいは近々の日程で2日間の有給を申請する必要がありました。
「こういう時は、自分を優先していい!」
という言葉にガチガチだった私は、真っ向勝負で自己主張。
すると、出ました母の決め技
「あんたこそさっさと身を固めて……どうするの将来本当に!!」
(いや、今その話じゃないじゃん、と思いますがこれが太刀打ちできないんです。)
はああ~。
せっかく生身の体験ができたので、このことも題材に考えていこうと思います。
どこがどうなったら、すべてがつながるんだろう?
まだまだまだ道のりは長そうです。
対面練習を一緒にしてくださった方、ありがとうございました。
S. T.さん(40代以上/岡山県よりご参加) うめクラス
うめクラスから1週間。
私の日常は、少しずつ変化しているように思います。
まだまだ下手ですが、自分重心になる時間が1分ずつでも増やせるようになっていると思います。
当日の朝、地震がありました。
震度4という揺れで、私自身不安に襲われました。
私以上に、娘が不安に襲われていました。
それまでの私は、
「地震の直後に横浜までワークショップを受けに行く」
なんて、ありえないことでした。
「何かあったらいけない」
「家族に心配をかけてはいけない」
だから
「じっとしている」
この方程式は、私の家族(特に母)から教え込まれたものでした。
「境界線(バウンダリー)ワークショップ」は、私が昨年末からずっと受けたいと待ち望んでいたこと。
だから、不安な気持ち以上に出かける支度を止められない自分がいました。
そんな私を見て、娘も不安と闘いながら踏ん張っていました。
ところが母は、
「地震があったなあ。しかも大きいなあ。こんな日に横浜まで……」
と自分の不安を伝えてきました。
その言葉に反応しそうになりながらも、やっぱり行きたくて横浜に向かいました。
そんな出来事の後、クラスに参加しました。
優月さんから知識を受け取りながら、
「今朝の私は、自分の境界線を守ったんだよなあ~。」
と思いました。
特に、正常な境界線の関係と共生関係について、自分の体を使って体感した時、そう実感しました。
私は常に共生関係の中で生きてきました。
私の母は、私の境界線を無視し、私をがっしりとつかんでいました。
そして私は無意識にそのやり方が一番いい方法だとして、だれに対しても共生関係を結んできたという事実にクラクラしました。
地震という出来事が起こらなければ、ここまではっきりと意識することができなかったと思います。
それくらい、私の境界線は透明で出入り自由で、他者中心の人生となっていることに慣れきっていたのだと思います。
私にとって強烈な言葉があること。
その言葉を発しているのが誰であれ、その言葉で私は強烈に自分を責めてしまうこと。
それに対して、「私はそうは思わない」の一言を口にするのに、どれだけの怖れや不安や恐怖が自分の中にあったのかがわかったこと。
そして、それは繰り返し繰り返し練習するうちに、自分の感情からの言葉として力を持っていくこと。
15回の繰り返しの中で、知識としてではなく体験として実感できたことが本当によかったです。
今、日常の生活の中で自分の時間を1分ずつ増やしながら、自分の気持ちを感じるようにしています。
自分の気持ちなのか、周りの声なのか、自分でもまだよくわからないけれど。
やってみなくちゃ、分かるようにはならないと思って、とにかく少しずつやっています。
あの日、うめクラスに参加した私の勇気と行動に拍手を贈ります。
優月さん、うめクラスのみなさん
私は、ここに宣言します。
これからも少しずつやっていきます。
あきらめずに繰り返しトライします。
そして、共依存という大きな大きな力から私の人生を取り戻します。
すべての出会い、出来事に……
ありがとうございます!
A. M. さん(30代/東京都よりご参加) うめクラス
うめクラスの皆さま、先日はお疲れ様でした。
一緒にワークを受けられたこと、とてもうれしかったです。
ペアを組んでくださった方も、どうもありがとうございました。
私は、練習になるようにと思って、和まないようにしていましたが、きびしく演じすぎたかなと少し心配しています。
(* 編集注/当日藤沢より「その方の本番の状況に近い感じでロールプレイを。本番を想定しての練習なのだから、終わっても和まないように」という事前注意があります)
逆に私には、もう少し厳しめに演じてもらってもよかったなと感じました。
私の生活している場所には、そんな優しい人はいないのです。
私の周りにいる人たちは、本当に直球で攻撃してくる人たちばかり。
書いていて悲しくなってきますね。
私たちは、同じような言葉をお互いに言い合いましたね。
お互いに小さなころからガマンをしいられてきたのかもしれませんね。
私は、小さいころから何をやっても肯定してもらえませんでした。
かと言って何もしないと、気が利かないと怒られる。
出すぎるとわがままだ、自分勝手だと言われる。
そんなメッセージを親から長い間、受け取ってきてしまいました。
でも、私ってそんなにわがままじゃなかったのではないだろうか……ワークショップ・クラス中にそんなことに思い当たりました。
それは、頭ではわかっていたことなのですが、ワークをしていく中で、とっても腑に落ちて、ハッとなりました。
きっと、父と母にとっては、そう言っておく方が私をコントロールしやすかったのだと思います。
私は、お父さんとお母さんがそう言うからという理由で、それを信じこんでしまっていました。
現在の私は、わがままどころか、自分を抑えて人に合わせようと、人の迷惑にならないようにがんばってしまっています。
私は両親の都合の良いように洗脳され、コントロールされていたのだなと感じます。
両親は無意識だったかもしれませんが……。
私のそのパターンは、幼いころの身体的虐待、精神的虐待、少し大きくなってからの性的虐待を受けたことによって、さらに強化されてしまったのだと感じました。
本当に悔しくて悲しいです。
私の人生の半分くらいを無駄にされてしまった。
私は無自覚に、私の人生の半分くらいを無駄に過ごしてしまった。
いくら過去に戻ってやり直せない、もう戻らないことと頭では分かっていても、やっぱり悔しい。
私の人生は戻ってこない。戻ってこない!!
それを父と母に返してもらうこともできないなんて、この怒りをどこにぶつけたらいいの!!
何なのよ! 何で私がこんな目にあわなければならないの。
私が何か悪いことをしたわけじゃないのに!!
そのことを考えると、絶望感が私を襲います。
だから、私は今、ここから出たいです。
どうしても出たい。
私の人生が返ってこないならば、ここからやり直すしかない。
でも、私にとって、これは結構手強いと感じています。
どんなにがんばっても、一気には解決できない。
私に起こったことは、それくらい重いことだったのだと認めざるを得ません。
回復を目指して、少しずつやっていくしかないのだろうけれど、苦しくてあきらめたくなる時もあります。
何をやっても、ちっとも進んでいないように思えるときもあります。
今現在も、そうです。
けれど、何も知らなかった2年前よりは確実にできることも増えてきて、生きやすくなってきました。
その経験は、私はきっとここを乗り越えることができるという静かな自信になっています。
回復した! 生きるのが楽しい!! と感じるまでにどのくらいの時間がかかるのか想像もつきませんが、これからも私自身と手をつないでやっていこうと思います。
私は、本当に遠くまで来たね。
あきらめずによくがんばったね。
ありがとう。
私にはそれができると感じているよ。
これからも一緒にやってゆこうね。
よろしくね。
最後に優月さん、このワークショップを開催していただいてありがとうございました。
それから、私の突飛な質問にも答えていただいてありがとうございました。
やっぱり、対面式はいいですね。また参加したいです。
お忙しいと思いますので、お身体を大切になさってくださいね。
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。