M. S. さん(30代/兵庫県よりご参加) こぎつねクラス
とても深い3か月でした。
始めの週の頃に書いたもの、こんなこと書いたっけ、私こんなこと思ってたんだ、なんて思った。
いろんな私を、知ることができた。
たとえ、暗いものでも、まちがってたものでも、こんな小さいことと思うものでも、私の経験なんて・・・どうせ・・・と、はじいてしまう、のが自分を大切にしてない、って思ったから、とにかく、思ってることを書きました。
いっけん、世間によくあるフツウの悩みじゃない? みたいなことに見えたけど、よくある、よくある、よくある、ささーっ・・・忘れたふり・・・と、これがよくないし、私は私をそういうふうに扱いたくないって思った。
3か月前とも違う感じだけど、2回目の景色も違う、って思った。
どこか落ち着いてる、穏やかな感じ。
不安や悩みや痛いことが、まったくなくなったわけではないけれど。
それはそれで私の中にあっていいし、それでいて、私は私でいい、から。
この道を、やめたりするほうが、よけい危ない、ともわかったし、私の「大丈夫なんじゃない?」もあてにならない、ということもわかった。
自分を信じる、とはまた違う意味。
信じてる、けど、アヤシイところもまだまだ。
とても優しいものも、見つけられた。
今まで、どっかに隠れてた、いや、忘れてたのかな。
小学生、低学年ぐらいかな。
買い物か用事で出ていた母が、バイクで帰ってきたとき。
私は、それをリビングの窓から、よく見ていた。
バイクの音が近づいてくる。
あ、お母さん帰ってきた。
そのときの、安心感。お母さんだ、うれしい。
なんて表現したらいいか、わかんないけど、
きっと、本能みたいなの。
親子の動物が寄り添ってて、子供がお母さんの側で安心して寝てる、みたいなあの感じ。
母が、笑顔で帰ってきたわけでも、私にただいまと朗らかに言ったわけでも、和やかな会話がそのあとあったわけでも、抱きしめてくれたわけでもない。
でも、私にとって、母を見ただけのその安心感は、とても大切なもので、私は安全に守られてる、この世界は安全、そういう感じが、私ずっと、ほしかったんだ、って思った。
そして、私、そういうものを、感じれらた、もう持ってたよ、って思った。
そう、ただ、いてくれる、だけでよかったんだよ。
私にわかってもらおうとしなくても、誰かにわかってもらおうとしなくても、不安から理屈つけて私に関わろうとしなくても、ただ、そこにいてくれるだけで、よかったんだよ。
今もそうだよ。
だって、なにも証明しなくたって、家族だからって、そんなムリな理由つけなくたって、好きで大事に決まってるじゃない。
認めてね、わかってね、好きになってね、そんな努力いらないんよ。
子供だから、持ってないもの、与えられるもの。
って思ってたけど、
私、もう持って生まれてきてたんだ、って思った。
ただ、いるだけで、それで、よかったから。
いるだけで、生まれてきただけで、与えていた存在だったから。
それが、わかってなかった、感じられなかった人たちだった。
大きな不安の中にみんないたから。
証明とか、理屈とか、保証とか、権利を主張するとか、これをする資格があるかとか、そういうのに引っ張られることがけっこうある、とも気づいた。
めんどくさい人、みたいな部分があるみたい。
わからない、という答えは、この世で言ってはいけないぐらいに思ってたけど、課題に対して、わからない、と答えたのもあった。
ほんとに、わかんなかったから(笑)。
きっと、理由のないものも好き。
私が不在、その感じがようやくわかり出しました。
あ、今この不安定な感じ、今、なにで私重心とろうとしてる? ああ、これか、そりゃ不安定になるよ、みたいな感じで。
んん? と思ったことを、スルーしなくなるのが、習慣になってきてる。
なんで、今、私そう思った? 自分に聞く。
ただ、考えすぎてしまうこともある。
ゴールや達成なんてない、まだどこか、ほんまに? と思ってるけど、きっと、ない、ような気がする。
今このコースが終わったけど、達成、じゃないみたいだから。
丸ごとガラッとスッキリ解決したり、外側が変わったりしてないし、それでも、それでいいって感じがするから。
年末年始をはさんだ3か月、みなさん、優月さんと進めることができて、ほんとにうれしいです。
私にとっては、重量感のあるお正月というイベントも、おかげで穏やかに過ごせました。
いろんな気づきや、私を感じることができました。
ありがとう!
A. K. さん(30代/北海道よりご参加) こぎつねクラス
今回は、2回目の「コース2/STEP.1(前期日程)」への参加でした。
いちど、「コース2/STEP.1(後期日程)」へ進んでから、また戻って来ました。
一度めに参加した時と変わらず、毎日いろいろなことに躓いて、執着して、ぐるぐるして。
結婚後に来た僻地で鬱々としてる日も相変わらず多くて。
でも、なんだか、ふっと焦らなくなって来ました。
もっと早く、思っているようなペースでやることを諦めちゃっただけなのかもしれない。
それはそれで、いい意味の向上心もなくしたみたいで、嫌だな。
でも、私には、現実的に自分に出来る、ほんとうに小さな小さなことからしか、出来ない。
そう思うようになって来ました。
具体的には…私には現実的に小さなことからしか出来ないから、したいことを、失敗出来ないくらい小さく細分化することを意識するようにしています。
手帳を見返すと、こんなふうにどんどん細分化してます。
仕事の一年の流れを把握したい…
(1)誤解できないくらい易しい本を選んで買う
(2)時間をかけると忘れるから、買った本に1週間程度で全体に目を通すようにする(理解しなくてもいい)
(3)まずは1章読む
(4)本を読みやすい、気楽なカフェに本を持っていく…
と、とにかく、自分が失敗しない段階まで落とし込む。
そうやって、出来ない自分を責めないようにしています。
「私」じゃない、「手法」が間違ってるんだ、って。
自分を甘やかしてる部分もあると思うけど、自責して苦しくて、結局進まないよりは、苦しく惨めにならないだけいい。
そうやって一進一退しながらも、共依存の「子供の魔法の思考」から脱却して、「現実的に」自分の足で歩けるように。
「能動的に」自分の人生を楽しめるように。
今回振り返ってみると、そう感じながら歩き続けた3か月でした。
今回は自分に集中して、コミュニケーションスペースへの投稿もほぼしませんでしたが、一緒に歩いていたみなさんの吐息を感じて進みました。
参加されたみなさま、優月さん、ONSA スタッフのみなさま、このような場を共有させていただき、どうもありがとうございました。
T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) こぎつねクラス
「じかんのきろく」を書いていて、驚きました。
わたしは一週目に書いていた、自分の問題は何だと思うかということをすっかり忘れていたけれど、3カ月かけてやっていたのはそのころ書いた問題をずっと掘り下げることでした。
Web. WORKSHOP は昨年「コース2/STEP.2」まで進んで、今回は1年ぶりに2回目です。
自分の問題がなんとなくわかってきたところでの受講で、前回よりずっと深く自分の心と向き合えた時間だったと思います。
わたしはすべての人が怖くて、すべてのことを自分の中に抱えていました。
そして、母の期待どおりにできないことを恐れていた。
わたしはずっと自分を殻の中に閉じ込めていました。
外の世界は怖くて、全ての人が怖くて、信じられなくて、わたしはずっとガマンしていた。
わたしに味方はいなかった。
わたしは自分のままでは安心できなかった。
いつも傷つけられることを恐れていました。
間違えないように。失敗しないように。誰かの気分を悪くしないように。人にすごいと思ってもらえるように。
わたしには自分の居場所がなく、そのために必死によい自分を作ってきました。
人を怒らせてはいけなかったし、ダメなところを見せてはいけなかった。
わたしはそれしか自分を守る方法を知らなかったし、自分がそのままでいていいなんて思えなかった。
わたしはこれ以上傷つかないように、傷つきそうになると心を凍らせて何も感じないようにしていた。
そしてすべてを自分の中に呑み込んでいました。
ダメな自分、失敗する自分、うまくいかない自分、どなられる自分、誰にもいいと思ってもらえない自分。
いつもいつも悪いのはわたしだった。
そんな自分が嫌いで嫌いでたまらなかった。
わたしは嫌な自分となんて一緒にいたくなかった。
そして、自分を嫌だと思うことも、いなくなってしまえばいいと思うことも許してなかった。
わたしは自分の内側を人に見せるのがすごく怖い。
じぶんが考えていること、人と違うだろうこと、ほんとは辛いと思っていることを知られるのがすごく怖い。
また誰かに傷つけられてしまうかも。
自分のままでいるのは怖い。
また誰かに否定されてしまうかも。
わたしのいないところで悪口を言われてしまうかも。
わたしはずっとこうやって自分を隠してきました。
なによりも強く自分を抑えていたのは、強烈に自分が嫌いなわたし自身だったかもしれません。
でも、人に見せる自分をつくるのはもうしんどい。
これまでほんとに辛かった。誰にも言えなかったけど、ほんとに辛かった。
全部全部自分一人で抱えていた。
もういい。
もうわたしはわたしのままでいたい。
そのための、わたしがわたしでいられる強さがほしい。
H. W. さん(10代/宮崎県よりご参加) こぎつねクラス
「じかんのきろく」、読みたくもない。
すごくすごくすごくすごく、すごくすごく、つらかった。苦しかったと思います。悲しかったと思います。
二度と私にあんな思いは、絶対にさせません。
待っても待っても待っても待っても、誰もなんにも来なかった。王子様も、お姫様も、カボチャの馬車も、来なかった。
私だけの、とっておきの魔法。
魔法がかかると思ってた。魔法使いは、来なかった。待っても誰も来なかった。
ただ、そこに私がいるだけ。なんにも変わりませんでした。
ここはおとぎの国でもないし、魔法使いは来ないこと。
おとぎの国じゃないんだよって、目を覚ましてくれたらいいのに。
このことに気がつけたことが、本当に、よかったです。
今回もありがとうございました。次回も引き続きよろしくお願いします。
M. N. さん(20代/埼玉県よりご参加) こぎつねクラス
『未来日記』を読み返していたら、とてもたくさん「つかれた」という言葉を発見しました。
この三ヶ月間は、他人からの評価などを気にして過ごしている時間がとても多かったような気がします。
それですごく疲れて、ダラダラしてしまったり。
ワークショップの途中、ついていけないんじゃないかと諦めそうになった時もありましたが、なんとか頑張って皆さんとここまで来ることが出来て嬉しいです。
こんな風に、ものすごくゆっくりにしか進めない時もあるんだなと思いました。
進んでるんだから、とっても素晴らしいことなんだけど、その時は全然気付けませんでした。
今振り返ってみると、「つかれた」「もういやだ」って気持ちもすごく正直でわたしらしくて、いいと思う。
なんでも上手にこなそうとしている時より、ずっと生きてるって感じがします。
辛いけれど。
上手にやることを手放して、よろよろだけどそのままの自分で課題に取り組むことができるようになってきました。
最近になってやっと、ログインすることが怖くなくなってきました。
以前は、仲間の書き込みを読んで自分と比べてしまって落ち込んだりしていましたが、今はあまりそう思わなくなってきました。
むしろ、暖かい気持ちになったり勇気をもらったりすることの方が多いです。
比べる必要はなくて、ありのままの自分でいいと思えるようになってきたからかも知れません。
クラスの皆さま、藤沢さん、スタッフの方々、この三ヶ月間本当にありがとうございました。
K. A. さん(40代以上/北海道よりご参加) こぎつねクラス
一番見たくないもの、家族のことを確認した3か月でした。
特に今年からは課題に取り組む中で泣くことが多くあり、今は疲れ切っています。
私は人が嫌いで信用をしていません。
今まではその思いを覆い隠すための人生だったと思います。
力のない、いい人でもやさしくもない自分を認めて回復への道をスタートします。
今は社会の中でどうにか踏みとどまっています。
毎日、人の言動に気を取られもやもやして、また古いパターンを繰り返していると思いながら、苦しみと葛藤しています。
苦しみから切り離す習慣を作り、本当の自分の時間を持つことがこれからの課題です。
藤沢さま。皆さま。3か月間ありがとうございました。
半歩ぐらいは進めたかなと思っています。
T. M. さん(30代/東京都よりご参加) こぎつねクラス
この12週、改めて自分が書いたものを読み返してみると、自分の抱えている問題の根深さ、重さを感じました。
ワークショップに取り組んでるときは、自分と向き合えなかったことを忙しさのせいにしてることが多かったけど、本質は違うのかもしれないと思いました。
深く向き合うことがきつかったのかなーと。
それでも、その時の自分の精一杯でやってきたことは自分に拍手してあげたいと思います。
最近、自分の古い考え方にいかに自分が縛られているかを実感することが増えてきました。
とにかく、まず先に「できない、変えられない」と思い込み、そう思ったら変えようと交渉してみたり、相談してみたりすることなく、その思い込みから生じる怒り、悲しみに巻き込まれ、反応して行動しているということ……。
その時の自分は、“わかってほしい”という思いがとても強いということ、でした。
そのわかってほしさを、大人のやり方で伝えるのではなく、やはり古い子供の習慣でやっているということがわかりました。
この12週で、仕事に対するいろいろな不満などでてきたけど、根本は一緒だと改めて思いました。
古い習慣、子供の思考で反応している自分がけっこういるんだと。
そのことに気づけただけ、私やったね! とほめてあげたいです。
道のりは長そうです。
けど、優月さんが言っていた回復することは、達成することではない、ということを忘れずに、毎日を過ごしていきたいと思っています。
12週、本当にありがとうございました。