Y. H. さん(30代/神奈川県よりご参加) せつぶんそうクラス
わたしへ
もっと早く、ONSA につながれたらよかったね。
ことに、社会人4年目の「グレー時間」にどろどろと落ちてた時。
でも今、勇気を出して飛び込めたから十分、十分。
課題も毎回過去の嫌だったことを思い出してすごくしんどかったけどよく頑張りました。
(ワーク中、夫から毎日のように「顔色悪いよ? 大丈夫?」と言われてた…)
家族歴はその前から誰かに聞いてほしかったので、まとめて文章に起こせてよかったね。
あとで「あーまだアレ抜けてたー」って思うところや、「こういうよいところもあった」っていうのもあるけど、ここまで綿密に思い出したのは初めてだったので、ちょっとすっきりした。
仕事に対してのもやもやも、今まで、ここまでハッキリ文章に落としてなかったから、何が嫌なのか分からなかったんだ。
でも、実際その中にどっぷり浸かりながらだと、ここまで書き出せなかったかもしれないから、少し距離を置いていて時間もたくさんある今でよかったのかもしれない。
でも、仕事でもやもやしてた内容はずっと、一年目の頃からと変わらなかった。
どのプロジェクトでも、どんなに早期からせっついても、納期間際になってドタバタと突貫工事を始めることとか、
だから質の良くない仕事を、寄せ集めの烏合の衆で残業休出で「こなさなきゃいけなくなる」こととか、
だから細部にもアラが目立って、私はすごく嫌だけど、「そこは無視して」と逆に注意されることとか、
メンバー間の空気読んでやり方を提案したり、
どこまで作業に手を「抜くか」(「どこまでとことんやるか」ではなく「どこまでやらなくていいか」)で細かい折衝を求められるから、打ち合わせや対面でのミーティング(仕事の押し付け合い?)ばっかりやっていてちっとも仕事の在宅化や、「勤務地」から自由になることが進まないこととか(それもあって、短時間勤務や完全在宅勤務が整備されなかったり、遠距離通勤がなくならないこととか…←でもそれって私の甘え?)
終わったプロジェクトの書類がちっとも整理されないこととか、
座席の自由化とかって言いながら席によけいなものばっかり置いて私物化しはじめることとか
タバコ部屋で大事な話がなされることとか、
よく怒鳴ってる本社の社員がいることとかが、すごく嫌なんだな。
そして、そんなに嫌、嫌って言ってるくせに、ものすごくそこにもたれていることも分かった。
今のところ、ノー残業&最短時間勤務の許可がもらえたので、育児もあるけど少しずつでも自分の望む仕事に舵を切るための時間を作って行動に移していこう。
あと、自分の仕事の範囲は自分に恥じないようにしっかりやろう。
上長とかにも、やんわりと考えを伝えていけたらいいと思う。
無理しなくてもいいけど、好きじゃない飲み会への参加とかは断りたいし、「それは言いがかりじゃないの?」と思うことや認識齟齬があったら、やんわり・きっぱり主張したい。
そこはいきなり無理はしなくてもいいけど、うち帰ってまで「まじありえねえ」って想像上の相手と喧嘩するのはやめたい。
私の時間とエネルギーがもったいない。
夫にも、もたれすぎてたと分かった。
夫がもたれすぎなんだと思ってたけど、もたれてるのは私だった。
ずっと「いぬさん(コロ野郎)」とか「めえさん」とかって呼び合ってて「かしこいいぬさんがアホなひつじのめんどうをみてくれる!」とかいうそういう関係に馴れ合ってたけど、ワークショップを始めてから、「私はひつじを卒業します。はやくにんげんにもどりたーい」って言っといた。
(「その言い方がもうアホっぽい(笑)」って笑われたけど、とりあえず。
お互い徐々に回復していけたらいいと思う。まず私から。
ちょっと、呼び方や言葉遣いがフツーに戻ってきた。)
あと、夫が中韓の悪口をよく言ってくることは嫌だと思ったので、従来みたいに聞き流すんじゃなくて、「私は興味ないしあまり聞きたくないから言わないでほしい」って言っとけた。
私えらい。
あと、私は、質の高い仕事に憧れてるんだということがすごくわかった。
そして私にとってその「質の高い」っていうのは、
「時代を超えて愛され、受け継がれていく、すごくスタンダードなもの」
だってことも。
ことに建築物とか、庭とか、家具などについてそう思ってるみたいだ。
ワークショップの間には、
「テレビで東京駅の特集を見る(「堅固式」、ほんとに素敵)」とか、
「横浜三塔見学会(神奈川県庁ガイドツアー付き)」とか
「日本大通りちょこっとツアー」とか
「ホテルニューグランドで一人アフタヌーンティー」とかいう予定を入れていて、ほんとに、戦前の凝った建築物大好きなんだな、と思った。
内部にはきっちり鉄筋コンクリートを入れて、度重なる災害や時代の流れにも耐える、しっかりした基礎を持っているけど(コンクリート造なんてそんなもんコストの無駄だ、という周囲の反対を押し切って、きちんと基礎作っておいたら結局その建物だけ関東大震災に耐えて他は全部倒壊した、っていうエピソードにすごくグッときた!!)、意匠もすごく華やかで、職人さんの丁寧な手仕事、腕の見せ所、
現代ではもはや再現不可能な技術の粋が随所にあって今でも変わらず見る者を圧倒し魅了する、
しっかりメンテナンスをかけて受け継いでいく価値がある、
そういう仕事が大好きだし憧れるなぁ、もっとたくさんそういう建物を見たいし、その空間をじっくり味わいたいなぁ、その空間や丁寧な仕事ぶりを、もっとたくさんの人にも楽しんでほしいなぁと思った。
でもそれを夫に言ったら「今更何言ってんの、今までもずっとそうだったじゃん!」って言われた(笑)。
「フランスだってイギリスだって山手西洋館だって三渓園だって函館だって長崎だって神戸だって一緒に行って嬉々として昔の建物ばっかり見てたじゃん!」って。
確かに。
ほかにも、熱海の起雲閣も、明治村やリトルワールドも、東京大学の図書館や一号館や安田講堂だって、倉敷だって大好きだもんね。
三渓園のガイドボランティアだって、もっと時間があればやりたいと思ってたもんね。
休日をすべてそれだけにあててしまうのはちょっとしんどいと思ったのでやめたけど。
明治村のガイドだって、実際のガイドより私のほうがいい仕事できると半ば信じてるし。
(でもちょっと、距離的に遠いなぁ…)
テーマパーク等は「結局ハリボテだからそこにお金遣うより、“ホンモノ”が見たい」、「数年に一度ぐらい、非日常を味わいにいく分にはいいけどね」っていうスタンスだしね。
私は「神は細部に宿る」ような仕事が好きなんだろうなぁと思った。
なのでまず、4月以降は今まで横目で見てたくせにあんまり行ってなかった東京の洋館や、古い公園めぐりをやってみよう♪
今年のお花見は六義園に行ってみよう。夫の合意は取り付けたね。
赤坂離宮の一般公開も応募してみよう。見れるといいなぁ。
そして来年もクイーン・エリザベス号の船内見学会に応募しようね。
当たれーーー!
当たらなくてもそのうち乗るだろうけど。
あとは、むちゃ食いと抜毛癖を自覚できてよかった。
とりあえず、区の保健センターで一回、保健士さんのカウンセリングと、精神科嘱託医の面談の予約を申し込めたね。電話できてえらい!
それから、AC の自助グループ(* 「 AC 」は、Adult Children の略/編集注)のミーティングにも明日一回行ってみようと予定を入れたし。
本当の意味で「癒す」が何なのか、まだよく分かってないけど(だから、つい安直な「お楽しみ」に逃げてしまったりするのかも)できることならしっかりした方法で自分を癒せるといいな。
お薦め本も図書館で貸出予約したし。届いたみたいだからあとで取りに行こう。
『インナーチャイルド』は昔読みかけたけど読み通せなかったので、もう一回挑戦。
「じかんのきろく」の文章を再度読みながら、「ん? これはある意味虐待では…」って思ったね。
特に、「私が私のままで OK」ってあんまり言われてないなぁ。
しかも「目立たず騒がず生きろ(≒自己主張を消せ)」って…。
過干渉、依存症、否定…どんな家だよ!
そりゃ「出たい」、「帰りたくない」「戻りたくない」って思うよね、かなり無茶苦茶な手段使ったけどよく出てこれたよ。
夫にはわりと許容してもらえてるのはすごくありがたい。
あとはもっと自分で「私は私のままで OK!!!」と言えるようになりたい。
息子にも、しっかり言って、そう思わせてあげたい。
Y. O. さん(20代/滋賀県よりご参加) せつぶんそうクラス
まず、一緒に参加されたクラスの皆様、お世話になったスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
おかげさまで、なんとかこの一か月、続けることができました。
今回、一番がんばったことは、課題を決まった日までに提出できたことです。
一つの課題に、2時間から3時間、週に3回の取り組みでした。
その分、他のことに使っていた時間をほとんどここに注ぎ込む形になり、同時に進めようと思っていたこと、たとえば試験の勉強などをうまくできなかったことも確かです。
けれど、改めて読み返してみて、これだけのものを書いて、こうしてまとめることができたことについて、とてもうれしく、そしてありがたく思います。
同時に・・・これを、12週間分やることを考えると気が遠くなります。
果たして、仕事をしながら、本当にこれだけのことができるんだろうか。
それも、環境が変わったり忙しくなったりする4月から・・・と、次のクラスの申し込みに足踏みしています。
さて。
今回のクラスを通して、やっぱり自分は共依存の状態にあるのではないか、と改めて思いました。
私は、そうではない状態の自分がどんな状態なのかよくわからないので、正直なところ、どうしていくのかは今からゆっくり考えていきたいと思っています。
課題を書きながら、そして読み返しながら、私はだいぶ私が悪いと思ってきたんだなと改めて思いました。
共依存は、おそらく、私の、経験してきたことからくる心のクセや、そうではなくて感覚的なところからくる問題、それから、自尊感情の低さ、ソーシャルスキルの未熟さ、仕事などの技術の習得への影響などと、とてもからみあって、もつれている、その根っこのところに関わっていそうな気がします。
それがわかったことが、今回の大きな収穫でした。
お世話になりました。またよろしくお願いします。
M. C. さん(40代以上/アメリカ地域よりご参加) せつぶんそうクラス
もう4週間たつんですね。本当にあっという間でした。
4週間前とは全然違う自分だということをひしひしと感じています。
一言でいうとスッキリした? っていう感じです。
もちろんまだまだ「回復する」という課題がありますが、自分ってなんでこんなにどうしようもないんだろう? 自分の人生ってどうしてこんなにしんどいんだろう? という疑問が少し解決されて、それだけで心が大分軽くなりました。
今までにカウンセリングも受けましたが、何か見えない壁があってどうしても到達できない心の部分がありました。
自分で自分にブレーキをかけていたんだと思います。
でもワークショップの中での質問に答えていくことによって、自分では行き着くことのできなかった心の部分に到達できました。
本当に心の奥まで入っていかないといけなかったので。
でも沢山自分のことを発見できました。
そして…今までずっと感じていたことも、目をそむけて見ないようにしてたことが沢山あるということもわかりました。
感じていること、考えていることを言葉にすることは簡単ではありませんでした。
なかなか言葉で説明できずにもどかしいときもあれば、書くことによって心がどんどん整理されていく時もありました。
心の傷は自分が思っているよりもずっとずっと深かったのだなあと気づけてよかったです。
そしてその心の傷が連鎖反応を起こして、私の人生のいろんなことに影響を及ぼしているとわかりました。
今まで「アダルトチルドレン」とか「インナーチャイルド」とかの言葉を知ってはいましたが、なるべくその方向には行きたくなくて避けてたんだな、と思います。
自分の子供の頃の辛いことなど忘れ去りたいと思っていたから。
でもやっぱりこの歳(40代)になっても、幼いころの辛い経験から解き放たれていないことに気づいてワークショップを受ける決意をしました。
「勇気をだして良かったね!!」そう自分に言いたいです。
そして自分を知るということは楽しいな、面白いな、と感じるようにもなりました。
いつもではないですが。
他人事のように感じていた自分の毎日の生活や人生もすこーしだけ現実味をおびてきました。
今までになかった感覚です。
自分のことを大切にして生きていきたい。
今までその方法がわかってなかったんだと学びました。
これからも自分が本当に感じている気持ちを怖がらずに見つめて、それを認めてそして受け止めてあげたいです。
自分にそして同じクラスの皆さんに、お疲れ様!
いろいろと分かち合ってくださったこと感謝しています。
藤沢さん、4週間ありがとうございました。
そしてそれまでにも手帳、本、そしてブログからのメッセージがあったからこそ、この4週間にたどり着けました。
あきらめなくて良かったと心から思います。
貴重な経験、本当にありがとうございました。
N. I. さん(30代/広島県よりご参加) せつぶんそうクラス
私は何度かワークショップに参加しているのですが、自分が今どんな状態にあるのか知りたいと思い、コース0に参加しました。
私はある程度「共依存」から回復してきたと思っていましたが、課題に取り組んでみると回復の途中にいるのだと改めて感じました。
(本音を言えば、だいぶ良くなっていると思っていたのです。)
コース0で問題の大きさと自分がどんな状態にいるのか見直すことで、私は回復の歩みを止めていたことに気付きました。
もし参加していなかったら、そのまま共依存にどっぷり浸かったまま時間がどんどん過ぎていたと思います。
なので、思い切って参加して本当に良かったと思いました。
課題や『未来日記』を読み返してみると、自分の中のドロドロした感情がたくさん書かれていました。
昔の私だったら、なんて汚い自分なんだろうと嫌悪感を抱いていたと思います。
でも、課題に取り組んでいくうちに、「私は無理をして我慢してきたんだな」「私は限界を超えるまで頑張ってきたんだな」と自分を労わってあげたい気持ちがわいてくるようになりました。
自分の本当の気持ちや思いは、意識していないとスルッとどこかへ隠れたり無かったことにしてしまいがちなので、自分の気持ちを何度も確かめることの練習が出来たのも良かったです。
コース0はあっという間に終わってしまいましたが、私にとっては内容の濃い時間でした。
上手く言葉に出来ませんが、せつぶんそうクラスの皆さまにも励まされました。
ありがとうございました。
S. T. さん(40代以上/岡山県よりご参加) せつぶんそうクラス
この4週間で見えてきたこと
それは、「わたしがわたしを置き去りにしている」ということ
小さい時から、わたしは置き去りにされていると思ってきた
親から、親戚から、友だちから、先生から、一緒に居る人達から…
たぶん、わたしが愛されたいという思いがこれっぽっちでもある人に…
愛されたい、わたしを見てほしい、わたしに関心を寄せてほしい…
そう思っているわたしにとって、この世のすべての人から「置き去りにされている」気がしていた
「置き去りになっている」と思って生きてきた
「わたしがわたしを置き去りにしている」という事実に気づきたくなかった
張本人は、わたしだった…これは、わたしにとってショックだし、重い事実
受け止めきれない事実
だから、見ないように、気づかないように、自分を守っていたんだと思う
これも事実
愛されたい、愛されていない、愛してほしい…そんな思いがいっぱいだったわたし
満たされていなくて、自信がなくて、孤独で、寂しくて…そんな悲しみを抱えていたわたし
生きている価値がない、役に立てない自分はダメだ、存在を認められない…そんな罪悪感でいっぱいだったわたし
これ以上、自分が傷つかないように、自分を傷つけないように、「置き去りにされている」と周りの人に対して思うようにしていた
周りのせいにして、自分を守ろうとしていたんだ
せつぶんそうクラスで、そぎ落とされた感じがする
シンプルに、余計な思考は外して、根っこのところにやってきた気がする
「わたしがわたしを粗末に扱ってる」
「わたしがわたしを許していない」
「わたしがわたしを満たしていない」
そして
「わたしがわたしを置き去りにして生きている」
とわかった
この事実を、勇気を出して言葉にしてみた
こうして、文字にしている間、わたしのみぞおちでチクリチクリと痛む感じがある
イタイね、悲しいね、切ないね
ほかのだれでもない、わたしが感じる
わたしが感じて、わたしが受け止める
ごめんね、ごめんね、ゆるしてね、ずっとずっと「置き去りにして」
後回しにして、感じないようにして、感じていないふりして、逃げてばかりでごめん
まだ下手だけど、「置き去りにしない」でわたしを感じるようにするよ
もう「置き去りにしない」から
わたしがいるから、ここにいるから
クラスのみなさん、4週間ありがとうございました
それぞれの人生があり、それぞれに抱えている思いがあり…
みなさんの投稿に、まるで自分がいるようで、響くものがありました
だからこそ、わたしはわたしの根っこにたどりつけた気がします
優月さん、スタッフのみなさま
静かに、温かく、それでいて力強く…伴走し、見守っていただいて、ありがとうございます
ここまでやってきました
これからもコツコツ歩いていきます
最後に、わたしへ
よくあきらめずに取り組んでくれたこと、ここまできたことに感謝しているよ
アリガトウ☆
| ONSA WORKSHOP は「回復者」が「主催者」のワークショップ
ONSA WORKSHOP は、「体験者」であり「回復者」が主催者のワークショップ。
基礎に忠実でありつつも、現実の状況に即した、実践的な内容が特徴となります。
「人生は、いつからでも変えられる」
多くの方が、プログラムをつうじて学ぶことで現状を変え、新しい時間を生きはじめています。