2015.06-08月開催 「ONSA Web. WORKSHOP(2)コース2/STEP.2(前期日程)」ふたきぐさクラス

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タイトルはじまり目印

A. K. さん(30代/北海道よりご参加) ふたきぐさクラス



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藤沢さん、スタッフの皆様。
今回もお世話になりました。
この場所を提供していただき、ありがとうございました。

今回の3か月は、私が資格試験のための夜間スクールに通い始めて少し経った頃から勉強が佳境になるまでの期間と重なりました。
記録はこれからゆっくり読み返すつもりですが、その中でスクールのための往復2時間のドライブや勉強時間のねん出等、心身の変化や自分の取った打開策等も、少しひいた目で客観的に見てみようと思います。

目的は何であれ、勉強というのはこの場所と少し似ています。
「実践段階よりも一つ安全な場所で、トライ&エラーを試す。出来るまでやる。」という点が一緒だと感じます。
私には、勉強もこの WORKSHOP も、ずっと昔「ぐしゃぐしゃ、ぽい」っと丸め、見ないようにして置いてきた厄介ごとを拾ってやり直す作業です。
一つ一つ解き直す。
解けない自分に「こんなことも忘れたの? 覚えてられないんだ」「何度も同じところで間違うんだから!」と、イライラしつつも、繰り返しやる。
テキストを頭から何度も何度も読み直す。


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今となっては3か月前の自分に「そんなにキリキリ焦ってテキストを詰め込んで、パンクしそうになったりしなくても、コツコツやれば流れがわかるようになるよ」と教えてあげたいように、回復も少し先を見て歩きたい。
そして、遊びや余裕も持っていたい。

30代後半で、自分のためにいくつものトライ&エラーにお金も時間もかけられるのは、贅沢かも知れないし、幸せかもしれないし、不幸なのかも知れない。
でも、私には必要だったのだから、それでいいと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




タイトルはじまり目印

A. I. さん(40代以上/愛知県よりご参加) ふたきぐさクラス



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わたしへ

12週間お疲れさまでした。
2回目のこのコース、私の苦手なコースでしたが、よくがんばった。

感情、境界線、コントロール、どれも私が目をそらしている大切なものです。
だから、向き合うのも理解するのもとてもしんどかった。
がんばってくれてありがとう。

「じかんのきろく」を作りながら、心に止まった自分の投稿箇所を書き出していき、読み直してみたらおなかが痛くなるほど今の私の生き方は不健康で「おかしいやん!」とおもえるものだった。
やってること、考え方(思い込み)が、自分を傷つけたり自分のためにならないやり方だったり、どう考えてもこれじゃ苦しいし幸せではないし、とにかく「おかしいじゃんか!」と思えた。
それだけ、よく自分のことを見つめて、そして自分のことが見えるようになってきた12週間だったんだなと思った。


私は「自己肯定感」がものすごく低いことが改めて分かった。
それは、子どもの頃に周りの大人からさんざん「あなたの考えや感じてることはおかしい、甘えてる、弱い」など否定的な言葉を言われ、それが「私の本当の姿だ。私はそれほどまでに未熟で価値が無くてどうしようもない子なんだ」と思ってしまったから。さらに「だから相手の言うことに合わせたら、完璧にできたら、私は認められる」と思い込んでしまったから。
そしてその裏にものすごい深い憎しみや怒りを隠し持つようになってしまった。

自己肯定感が低いことは、生きていくうえでとても危険なことだと思った。
何も決められないし、怖くなるし、人を利用して自分の価値を感じたい人に利用されるし、自分を大事にできる人たちとの接点がなくなる。

自己肯定感がいかに大切かを今回ひりひりと感じた。

そして、私の「見えない利益」と「私のニーズ」が全く真逆の方向を向いてることもわかった。

でも自分に自信がない(自己肯定感が低い)から、怖くて、ずっと「見えない利益」にとどまっていることも分かった。

自分のこと「だめ」って思い続けてると、自分を否定してくる人のコントロールに自分も加担していることになることがわかった。


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全部の根っこは「私は大丈夫。ありのままで素晴らしい」と自分のことを肯定できてないことから始まっていた。

…でもだって、あんなにつらい思いをしたから、お母さんにああ言われたから、お父さんにこう言われたから、誰も私を助けてくれなかったから…。

確かにそうだ。でも、それはもう取り戻せない過去のことで、傷ついたことも事実で、消しゴムで消すこともできない。
でも、受け継いだ不幸せな考え方や思い込みを変えることはできる。
そのためには私は「過去のせい」にして「被害者で居続けること」をやめよう、と思った。
これが今回一番大きなギフトだった。


私はあまりにも「不幸な環境」に慣れすぎていて、幸せな状態で生きることに慣れていない。
だから何かきっかけがあるとつい無意識に状況をコントロールし、旦那さんを悪者にして自分が被害者になり友達から同情を集めて自分の存在を確認する。
過去のせいにして被害者でいればいつまでも「不幸慣れ」のままでいられ、他人の同情や関心で「私」という存在を感じられる。
そういう私の仕組みにきづいた。

でもそれはもう卒業だと思った。

そんなの私の願ってることじゃないし、ニーズの真逆だし、思いかえせば他人の関心や刺激に依存しなくても、私の素晴らしいところはたくさんある。
できるようになったこともたくさんある。
コントロールしなくても他人からたくさんの愛情をもらってる。
私のお店のお客さんから、この上なくたくさんの「ありがとう」「好き」、笑顔や温かさをもらってる。過去を今にもちこまなくても私は今十分いろんなことができ、それにより他者とつながり、コントロールではない愛情の中にちゃんといる。

勇気をもって、過去のせいにすることから卒業だと思った。


私は共依存者だけど、共依存が私のアイデンティティーのすべてではない。
私は私以外の何者でもなく、共依存は私に上塗りされた悪い習慣でしかない。
それは「私自身」ではない。

だから、私はその上塗りを丁寧に落としながら、もともとある本来の私に会いに行くだけ、戻っていくだけなんだ。
それも、何回も自分に確認しながら進んだ。


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過去が、私のすべてでそのもので、絶対に手放せないと思っていた。

だけど、そうじゃなかった。
私はちゃんと在って、まだそれへの信頼度は慣れて無いから低いけど、でも確かにある。
その私を幸せに生かすため、もう今からの人生は自分を精一杯生きるために、限界を設定したり境界線を引いたり、のスキルを身につけていく。

人は、幸せになるために生まれてきたんだと思う。
そのために必要なスキルを神さまはみんなに生まれながらに与えてくれてるんだと思った。
だからそれを投げ出さないで、当たり前に大切に使っていこうと思う。境界線、限界、感情、NO と言うこと。
自分にも与えられてる。だから、心を開いて受け取り、うまく使えるように練習しよう。

私は幸せになるために生まれ、生きてるんだ。それに心を開こう。


今そう思ってます。




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T. Y. さん(40代以上/千葉県よりご参加) ふたきぐさクラス



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ワークショップの間は必死で、しっかりできた、と思った時もあれば、もうちょっとちゃんとやればよかった、と思ったことも。
でも振り返ってみれば、この3カ月という時間のなかで、少しずつ、自分のことを知ることができたし、自分を大切にできるようになった。

わたしの環境は変わらないけど、毎日が少しずつ穏やかになっている。

自分がこれまでどんな状態だったか、見えるようになってきた。
自分がこれまでしっかりしている、と思っていたのが、とても安全とは言えない状態だったこと。
わたしが普通だと思っていたことが、実は緊張を強いられていて、ほんとは息をつめて毎日を過ごしていた。
そんなことにわたしはずっと気がつかず、そういうものなのだ、と思っていた。


見えない利益を考えたときに、わたしは母親が問題をなんとかしてくれるのをあてにしていた、と気づいたのはすごくショックだった。
わたしは人を頼ってはいけない、と思っていたのに。

それに気づいてよかったと思う。
そのことから目をそらさないでいられて、本当によかった。


自分の境界線を守ろう、とするようになったのは、わたしにとっては大きな一歩だと思う。
今まで、境界線のことを知っていて、大事なことだ、と思っていたけど、現実とはつながってなかったんだ、とわかった。

自分の境界線に触れられたときの重い感じ、ここはノーと言う、と決めたときの強い気持ち、しっかりした感じ、ノーと言えばちゃんと聞いてもらえる、大丈夫、と思ったこと。

自分のためにここは受け入れない、ノーと言う、と決めて、言うことができた。
それで、そのあと、状況は変わった。あのときにノーと言えなければ、わたしは今もずっと人の仕事を押し付けられた、と心の中にモヤモヤを抱え続けていた。


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わたしにとってコントロールは手強い。
自分を守ろう、と無意識に人をコントロールしようとして自分でも嫌な行動をとってしまう。

自分が “怖い” と思うと、人の話を聞かなくなって、自分の主張を繰り返したり、相手に質問を投げ続けたりする、という方法でコントロールしよう、とすること。
あのときはコントロールしようとしていた、とあとからでも気づけるようになったこと。
なにより、こういう行動は “自分が悪い” のではなく、自分の知っているやり方で状況をコントロールしようとしているんだ、とわかったこと。

今はここまで。


このコースは2回目だけど、2回目なんて思えないほど簡単じゃなかった。
でも、前回のときより深く、ずっと自分と近いところで考えられたし、感じることができたと思う。

3カ月、自分と向き合い続けることができてよかった。

これまで失った時間はあまりにも大きいけれど、これからは自分の足で立ち上がって進むことができるように。
自分で自分を守れるように。
自分は自分のままでいいのだ、と信じられるように。

とにかく、ここまでこれた。

まだ先は長いけど、これからも一歩ずつ。
わたしはずっと自分と一緒にいるのだから。




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H. N. さん(30代/香川県よりご参加) ふたきぐさクラス



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私にとっては二回目のこのコース。
プライベートな色々の予定と、仕事と、育児と、ワークと…。
今回もあっという間に三か月が過ぎました。
それでも、回復にしがみついて、三か月ワークを続けた私。
本当にお疲れ様!

一歩ずつだけど、今回も色々なことに気づけた。
自分が何に怖いと思っているのか、それを回避するためにしているコントロールのこと。
感情を良い・悪いで判断していること。
遊びがあっという間に義務に変わってしまう事。

まだ度々共依存の世界が顔を出すことはあるけど、
ゆっくりでも、少しずつ共依存に巻き込まれている時間を減らして、
自分の時間を取り戻せているね。

育ってきた環境、過去のことは変えられないけど、
これからはちゃんと私を生きたい。それは強く思っていること。
自分を生きるためのスキルをこれからも身に着けて、健康な大人になる。
あきらめないで続けるよ。




タイトルはじまり目印

M. N. さん(40代以上/神奈川県よりご参加) ふたきぐさクラス



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今回の Web. WORKSHOP も、自分なりに頑張っていたなあ、と、「じかんのきろく」を見て、改めて思いました。
もちろん出来ていないことは、まだまだあるけれど、それでも諦めずに歩き続けているじゃない。
これはもう、ちゃんと自分を褒めてあげないと!

私は、他の誰よりも厳しく私を裁く批判者になりがちだから、気を付けないと、すぐに自分を責めてしまいます。
酷く傷付けられても、「あの人は悪くない。私が悪いのだ。それを認められない私は、ダメな人間だ」と。
相手が自分の尊敬している人・好きな人であれば、尚更その傾向が強くなる。
「怒り」の感情も抑えてしまう。
自分の気持ちを抑えて、我慢、我慢、我慢…。

でも、それに耐えられなくなり、カウンセリングを受けました。
カウンセラーさんは、私が「いい子」として振る舞おうとしていること、そうやって他人に認められたがっていること、そのために自分の気持ちを無視していることを指摘されました。相手のことをどれほど好きでも、相手がどんなに権威を持っている人であっても、腹を立てて良いのだ、自分の気持ちを第一に考えて良いのだ、と。


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人間は完璧ではない。私が好きな人や、尊敬する人でも、いつでも私を全く傷付けない訳ではない。
間違ったこともするだろう。私だって、そう。
だから、言われたりされたりしたことで腹が立ったら、「私はあなたのしたこと・言ったことで、腹が立ちました」って言っていいんだし、「私は傷付きました」と言っていい。自分がそう思うなら、自分の心・気持ちに従っていい。
それが難しいのは、相手から認めてもらいたい、という欲求が強く全面に出て来てしまうから。「他人に認められることで、自分の価値を確立したい」という、共依存者的考えが、私の中に居座り続けているからなのだと思います。

自分の気持ちを伝えたら、目の前の人は「倍返し」とばかりに激しく私を責め立てるかもしれない(実際、そういう人もいる)し、怒って私を見捨てるかもしれない、私はまたひとりぼっちになってしまうかもしれない…。
私がこんなに好きだと思っている人に嫌われたら、私はこれからどうしたらいいんだろう? そんな気持ちが今だにあるのは、事実です。
でも、それじゃいけない。

同じことをすれば、同じ結果が待っているだけ。なので、怖くても、やってみています。
腹が立ったら、きちんと伝える。
悲しかったら、「悲しい」とちゃんと言う。
相手を責めずに、自分の気持ちを伝える。
怖くても、やる。
そして、相手の言う事もちゃんと聞く。
私にとっては、結構な高等テクニックです。
なので、当然失敗も多い。相手をかなりムカつかせたこともあると思います。


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ただ、物事って、上手い具合に埋め合わせができるものなんだ、と思います。
何かがダメになっても、そこには別のピースがはまる。それが意外と形が合ったものだったりする。
その相手や、そのことだけではない。世の中には沢山の人がいて、沢山の物事があって、目の前の人・事だけが全てではない。手を伸ばせば、自分から動けば、いい。
失敗しても、上手くいかなくても、まだまだ方法はいっぱいある。他にも、数多くあるんだ。

そう言えば、子供の頃は、怪我や失敗なんか恐れずに色んなことにチャレンジしていたなあ。
「そんなこと、できっこない」と先生に言われた課題を、「やってみせます」ってやり遂げたこともあった。失敗して、上手く出来なかったこともあったけど、でも、「もうダメだ」なんて思わなかった。子供の頃と全く同じようには出来ないとしても、あの頃の気持ちは持ち続けていたいなあ、と今は思う。

12回の課題とは全く関係のない PAY FORWARD になってしまったかもしれませんが、自分が今感じていることを書かせて頂きました。
ありがとうございました。